Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

名前勝ち(8/22日本対ベトナム)

2007-08-23 21:00:15 | ワールドサッカー
U-22日本代表のベトナム戦ですが、試合前は厳しい戦いになると予想されていました。ベトナムは、サッカーが盛んな割に、なかなか弱小国の地位を抜けられなかったチームですが、7月のアジアカップで、UAEやカタールを出し抜いて決勝トーナメントに進んだA代表に、U-22代表が多く含まれています。そのため、当時のA代表が見せた、球際の強さとカウンターで、日本のゴールが脅かされると思われていました。

しかし、ベトナムの布陣は4-5-1でしたが、5人のMFが全員ボランチで攻撃的MFが誰もおらず、9人で引いていました。4分割の数字で説明するなら、4-5-0-1です。これを見て、ベトナムは日本を相当の格上と見て、引いて守るしか勝ち目はないと思ったことが想像できます。

結果的には、この「名前勝ち」が効きました。こういう引いている相手には、平山の頭狙いが有効なはずですが、平山の動きは良くありませんでした。しかし、無数のCKやFKを得て、次々と長身選手をゴール前に飛び込ませる日本の攻めに、ベトナムは次第に疲れてきました。

確かに、細貝のバックパスを拾って攻めた場面などは、日本の布陣が2-6-2気味の前掛りだった隙を突いたものですが、なかなかシュートまで行きませんでした。それならば、日本の先制点は必然でした。前半終了間際までかかってしまいましたが、青山のヘディングシュートが決まった時点で、ほぼ日本の勝ちは動かないだろうと思いました。

しかし、前に出てきたベトナムから追加点を奪えないところは、U-22代表の頼りないところです。平山は最後まで切れを見せられず、無数のクロスはシュートが決まらず、「無駄打ち」に終わりました。おそらく、この日の極端な前掛りの布陣は、引いてくるベトナム用だったと思いたいです。

バランス重視なら、左アウトサイドに安田を入れたり、家長をトップ下に置いたりとか、他に手の打ち様はあるはずです。最終予選の残りの相手はカタールとサウジですが、彼らはここまで引いてくることはないでしょう。そうなったときに、どういうオプションを持っているかの勝負になると思います。

新潟時代に何をやってくるかわからない、布陣の多彩さで相手を煙に巻いた反町監督ですから、それを中東の相手にも発揮してもらいたいものです。
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佐賀北高校の快挙(高校野球)

2007-08-23 20:25:41 | 他スポーツ
サッカー系ブログとしては、昨日のA代表かU-22を書くべきところなのですが、佐賀北高校の優勝に感動したので、野球ネタを先に書きます。入院生活を送っていた私にとって、朝から晩までやっている高校野球は、絶好の暇つぶしでした。そのため、佐賀北高校の出場した開幕戦も見ています。

相手は福井商業で、全国大会の経験なら相手の方が上で、開幕戦独特の緊張感もあるので、普通の県立高校の佐賀北は苦戦するだろうと思っていました。しかし、佐賀北は私の予想よりいいチームでした。甲子園の平均レベルの、制球された130km前後の直球を投げられる投手が、馬場君、久保君と左右一人ずついて、センターの馬場崎君のような守備の専門家もいる、守備の堅いチームでした。

高校野球はメンタルからくるエラーが一番怖いですが、佐賀北はそういうレベルは超えていました。しかし、野球名門校と当たって、それまでに経験したことがないような揺さ振りを掛けられたらどうかと思っていたので、うまく行ってベスト8だと思っていました。

また、佐賀北にはもう一つ不利な要素がありました。それは、2回戦の宇治山田商業戦の延長15回引き分け再試合です。幸い、再試合までには間を一日空けてもらいましたし、投手も二人いるのでまだましでしたが、それでも他のチームより一試合余計にこなしているのは明らかに不利です。

しかし、このあたりが限界だろうと思っていた準々決勝の帝京戦で、佐賀北は驚異的な粘りを見せます。延長戦のぎりぎりの状況で、スクイズを二度も封殺した久保君のグラブトスなど、相当の練習量で鍛えぬかれていることを証明しました。

とうとう決勝まで進んだ佐賀北ですが、過去の甲子園では、一回戦勝利を目標にしている高校が、予想以上の成績を残すと、決勝まで体力が残っておらず惨敗するケースは多々あります。ただ、佐賀北の監督は選手の体力レベルには自信を持っていて、決勝戦も十分戦える確信を持っていました。

決勝の相手の広陵は、駒大苫小牧、常葉菊川などの強豪を倒してきたチームで、エース野村君もスライダー、チェンジアップ、シンカーの3種類の変化球を持っている相手です。佐賀北にとっては、こんなレベル見たことがないという相手でしょう。事実、7回まで11安打で4点を失い、味方はわずか1安打です。しかし、粘りの野球で、失点を最小限に抑えたことが、奇跡の逆転満塁弾につながりました。すごいものを見たと、テレビの前で感動した試合後でした。
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ポリバレントの走り(福永泰)

2007-08-22 18:02:10 | 浦和レッズ
レッズの過去の選手の中では、一番派手なデビューだった福永泰元選手(現解説者)の思い出です。福永は、大学を卒業して1995年にレッズに入りましたが、最初の契約は練習生扱いでした。そのため、短い期間で結果を残さないと、すぐに解雇されてしまう厳しい立場でした。

前年の浦和は、当時選手の登録人数が無制限だったので、52人というサッカーでは異例の大量採用を行っていました。ただ、それでも年間順位は最下位で、質より量の陰口を叩かれたことでしょう。浦和のケースを問題と捉えられてJリーグに人数制限をつけられた状況でしたから、浦和は少ない人数の補強で結果を出さなければならないという、厳しい年でした。

そのため、福永の契約も、結果を出せなければすぐに解雇できる練習生契約にしたのでしょう。しかし、福永には運もありました。この年にオジェック監督が就任して、若手の掘り起こしに力を入れていたことです。1995年の1stステージの中盤から出番を得た福永は、スーパーサブとして浦和サポの期待を集めました。

一番、印象に残っているゴールは、連勝街道に乗り始めた頃の広島戦(大宮)で、0-1で負けていたロスタイムに同点ゴールを決めています。少し遠めの位置から、思い切ってシュートを狙う積極性と、高い技術で中盤でボールを落ち着かせる役割を兼ね備えていました。

そのため、福永はFW、トップ下、ボランチをこなせる選手として、歴代の監督に重宝されました。そんな、技術が売り物だった福永が、衝撃を受けたのが小野伸二の入団です。ライバル視して火花散る関係になるのではなく、小野伸二の技術に驚き、MDPに語っていた話では、小野伸二中心のチームを作らないといけないとまで思うようになりました。

それ以降、福永の出番はFWが多くなります。1998年に鹿島にアウェーで勝ったときに、貴重なゴールを決めています。2000年のJ1復帰を決めた鳥栖戦でも、先制点のきっかけになるプレスを掛けています。しかし、翌年に出番がまったくなくなってしまいました。唯一のチャンスだった埼スタこけら落としの横浜FM戦で結果を出せず、この年限りで仙台へ去りました。しかし、練習生から背番号10を得るまでに活躍した福永の価値は今でも輝いています。テレ玉の解説で、今でも元気な姿を見られることは嬉しいことです。
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カメルーン戦プレビュー

2007-08-21 20:53:49 | ワールドサッカー
明日は、日本代表の親善試合のカメルーン戦が大分の九州石油ドームで開かれます。五輪予選のベトナム戦と、あえて同じ日に開催したのは、この日でないとカメルーンがベストメンバーで来日できないという理由でした。ただ、そう言っておいて、約束を破る国は多々あります。

ペルーあたりは、主力選手が来ないと発表したのは、試合の二日前でした。期待してチケットを買った人を失望させる行為は、非常に残念でした。しかし、カメルーンは、2002年W杯のときの中津江村遅刻事件の埋め合わせか、比較的日本に対しては好意的な国です。今回も、バルセロナ(スペイン)のエースストライカーのエトーを含んだ、本当のベストメンバーで来日してくれました。

ただ、中津江村へは行っている時間はなさそうです。中津江村から、カメルーンを応援しに多くの人がやってくるでしょうが。日本代表は、中村俊輔、高原らは含まない、国内組のメンバーです。攻撃陣はJリーグで好調なメンバーを集めた急造布陣で、2日の練習でどこまでコンビを合わせられるかは疑問もあります。

ただ、オシム監督はこの試合を攻撃陣のテストと考えているらしく、90分出番を与えることはないと明言しています。合わない急造コンビでもゴールを決められないと、代表には生き残れないという厳しい競争です。ただ、田中達也にとっては、どこでボールが欲しいか明確な体の向きでアピールできる選手ですから、急造コンビでもゴールを決める可能性は十分あると思います。

浦和サポにとっては、闘莉王とエトーの対決も楽しみです。頭を使ってうまくフリーになるエトーに、どうやってスペースを与えないか、高さ以外の要素が鍵になる対決でしょう。カメルーンは2006年ドイツW杯で予選敗退したので、今のカメルーンにどんなメンバーが入っているかはわかりませんが、不屈のライオンと言われた闘志の一端が見られればと思います。親善試合ですから、エトーは早々と交代するかもしれませんが、熱い戦いを期待したいです。
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可能性のある限り(阿部祐大朗)

2007-08-20 20:04:09 | 他チーム
病院に入院する当日、インターネットのサッカーニュースでチェックした記事が、入院中も「いつかブログに書こう」と気になっていました。それは

阿部祐大朗選手、徳島ヴォルティス移籍

というものです。阿部祐大朗選手の前所属チームは、フェルヴォローザ石川・白山という北信越1部リーグ所属のアマチュアチームです。この移籍は、阿部祐大朗選手をご存知ない方から見れば、「シンデレラ・ストーリー」に見えるでしょう。

しかし、阿部は、高校サッカー界のスーパースターだった過去があります。神奈川県の桐蔭学園高校を選手権出場に導き、U-20日本代表でもスーパーサブでした。将来を嘱望されていた選手で、高校卒業後は地元の横浜Fマリノスに入団しています。

ここまでは順調だった阿部ですが、トップチームでの出場はほとんどできませんでした。当時の横浜Fマリノスは、優勝を争うチームで、高校を出て間もない選手をトップチームで起用するような余裕はありませんでした。夢破れた阿部は、J2のモンテディオ山形にレンタル移籍して、チャンスを待つことにしました。

しかし、阿部はこの山形でも結果を出せませんでした。今は、J2のチームでも、次から次へと元J1の選手がやってきて、結果を出さないと入れ替えられてしまいます。阿部はプロ契約をしてくれるチームがないという失意の中、北信越社会人リーグというJFLより下のカテゴリーで、働きながらプレーするという厳しい環境でプレーすることになりました。

ただ、社会人リーグであろうと、とにかくプレーできる環境を得ておけば、復活の可能性はゼロではありません。現千葉の新居選手は、東海社会人リーグの静岡FCから復活を果たしています。そのわずかな可能性に賭けた、阿部の執念は今回の徳島からのオファーで現実になりました。

もちろん、これをもって成功というつもりはなく、徳島で得点を量産しないと阿部にとっては成功とは言えません。本人も「最後のチャンス」と自覚しているように、徳島でどれだけできるかですが、是非「元高校サッカーのスター」で終わらないように、徳島のサポの記憶に残る選手になって欲しいと思います。
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大宮の外国人FW

2007-08-19 21:28:24 | 他チーム
夏場は、浦和の試合と他カードが同じ日の同じ時間に開かれることが多く、スカパーを持っていてもなかなか他チームの「偵察」は難しいです。しかし、今日は浦和の試合のないタイミングで、大宮対鹿島の試合が熊谷でありました。退院直後なので、熊谷へは行けませんでしたが、テレビ観戦しました。

大宮は、サーレスとエニウトンが退団して、空いた外国人枠に、FWを2枚補強しています。一人はデニス・マルケスで、少し下がり目の位置からドリブルを繰り出すFWです。鹿島は岩政、ファボンとDFは決して弱くないですが、ドリブルでチャンスを作っていました。こういうタイプは、ボールをキープできるポストプレーヤータイプと組めば威力を発揮しそうですが、今の大宮では、この日途中出場の桜井がボールを落ち着かせられて、最適ではと思います。

もう一人の外国人は、ペドロ・ジュニオールという20歳の若者で、ヘディングが得意です。むやみに高さ勝負を挑んで負けていたサーレスとは違って、うまくフリーになって味方のクロスを待つことができます。その辺の感覚はさすがですが、今日の試合では肝心のシュートがうまくヒットせず、一躍救世主とはいかないプレーでした。

試合は大宮がPKで先制し、鹿島が左サイドを崩して同点に追いついて、鹿島の小笠原が2枚目のイエローで退場するという、大宮にとっては願ってもない展開になりました。しかし、試合はどちらが10人だかわからないほど、鹿島が攻める展開で、これでは引き分けも仕方なしと思っていたら、なんと最後のプレーで鹿島に勝ち越しゴールを叩き込まれて1-2の敗戦です。

埼玉ダービーを見たいから、大宮には何とか頑張って欲しいですが、今日の戦いは全然運動量も足りず、鹿島のボールの出所を全然潰せていませんでした。この日の内容では何とか入れ替え戦に進める16位に入って、入れ替え戦を勝ってもらうしか、残留の望みはないかもしれません。頑張れよ。大宮。
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JFK久保田の高校時代

2007-08-19 12:33:50 | 他スポーツ
現在、阪神で「JFK」と呼ばれる必勝リレーの一角を占める、久保田智之選手の高校時代の記憶です。久保田は、高校時代は埼玉県の滑川高校(現滑川総合高校)という、無名校を甲子園に導いたことで、ある程度名が知られるようになりました。

しかし、阪神のファンの方でもご存知な方は少ない事実があります。その、久保田の高校時代はキャッチャーだったことです。ピッチャーもやってはいましたが、当時の監督が「球種が少ない」という理由で、9回1イニングだけを投げる抑え投手としての役割を与えていました。

ただ、その球威はさすがのものがありました。球速表示のなかった時代ですから、あくまで見た目の印象ですが、145kmは出ていたと思います。球種はストレートとフォークの二つしかありませんでしたが、力で詰まらせることができる球威がありました。「滑川の大魔神」の愛称ももらっています。久保田はクリーンアップを打ち、甲子園に出場しただけでも快挙だった滑川高校を、2勝させて3回戦に導いています。

その3回戦では、現ロッテの久保投手のいる、関大一高と対戦し、大敗したと記憶していますが、普通の公立高校の滑川高校を、野球名門校の関大一高と当たるところまで導いた実績は今も輝いています。久保田は、高校卒業後は、常磐大学に進学しました。ここで、本格的に投手に転向し、今の150km近い球威を身に付けました。

その結果の阪神からのドラフト指名です。今では、阪神にとってなくてはならない存在になりました。久保田にとっては、高校時代にあまり消耗していなかったことが、今の成功につながっているかもしれません。最初からいい投手でなくても、成功する例はあるということですね。
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縦へ早く(8/18甲府対浦和)

2007-08-18 22:39:49 | 浦和レッズ
今日の甲府戦、まだ退院直後ということもあり、生観戦は自粛してテレビ観戦でした。国立は赤く染まっていましたが、甲府サポもバス80台で来たとかで、青く染まる部分も結構ありました。甲府のゲームプランは、柏戦を参考にして、ポンテを潰してから攻めるというようでした。しかし、ポンテはドイツ1部リーグでレギュラーだったトップ下ですから、マークされてもたまには外せます。

そんなポンテの縦パスから、田中達也がフリーで抜け出した前半1分の攻撃を見て、甲府は縦に速く攻められると戻って来れず、1ボランチと4バックが残るだけにできることがわかりました。また、浦和の前線に田中達也と永井がいることで、両方の対策を同時に打つのは難しいという事情もありました。

そんな甲府の隙を狙ったのは、意外にも鈴木啓太でした。鈴木啓太は、チームで唯一、どんな試合でも元気に走り回れる選手です。その鈴木啓太のスルーパスが田中達也に通り、浦和は前半の早い時間で先制点をいれました。また、こちらも元気さが目立った、左アウトサイドでスタメンの平川も意欲的に縦に走りました。

2点目の永井のゴールは、平川が長い距離をドリブルで上がって、ゴールライン付近まで切れ込んだマイナスのクロスを永井がちょこんと合わせたものです。事実上平川のゴールと言ってもいいようなゴールでした。ドリブルと言えば相馬の専売特許のようなところがありましたが、走力で上回る平川がいつもこのプレーができれば、相馬を押しのける可能性もあるのではと思います。

さらに鈴木啓太が3点目のゴールをボレーで決めて、3-0としたことで、後半は安心して見られるのではと期待しました。ここまで行けば、省エネサッカーをしても許される状況です。しかし、後半の浦和は、追い込まれて人数を掛けてきた甲府にサイドを押し込まれてしまいました。

石原のゴールは、これだけを見れば事故扱いのようにも見えますが、そんなサイドでの起点を何度も作られたことで、決して見過ごしてはいけない失点になってしまいました。そんな状況でしたから、田中達也の4点目は貴重でした。好調さが目立った平川のクロスでしたが、これだけ決めれば田中達也も完全復活と言っていいと思います。

G大阪引き分けの報で、浦和は首位に立ちました。しかし、リーグ戦はまだまだ長いです。浦和もG大阪も、全勝はできないと思われるので、悪いときの崩れを最小限に抑えられるのはどちらかという勝負になるでしょう。
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サポを動かしたGK(土田尚史)

2007-08-18 13:25:27 | 浦和レッズ
Jリーグ草創期に、浦和のゴールを守った熱血GK、土田尚史さん(現トップチームGKコーチ)の思い出です。土田は、日本リーグ時代の三菱に加入し、Jリーグの開幕と同時にレッズのGKになっています。当時の日本リーグは、観客が入らないことで知られ、日本代表の成績もW杯1次予選で敗退するなど悪く、サッカーが人気スポーツになる土壌はないように思えました。

そんなサッカー界が変わったのは、1992年の地元開催のアジアカップで、日本代表が優勝を果たして以降の話です。日本代表はW杯に出れないのが当たり前に思っていた私も、ドーハで戦う代表を見て、何とかW杯に出れないものかとテレビの前で応援したことを思い出します。

これで、Jリーグは一躍ブームになりました。それまで、満員の観衆とは無縁だったのが、突然駒場や国立が連日満員になるようになりました。この変化に、選手たちは戸惑っているかのようで、サポーターとどうやってかかわって行くか、なかなかつかめない選手が多かったように感じます。

そんな中で、異彩を放っていたのが、当時のGKの土田です。初めて土田を見た、満員の国立で、土田はゴール裏のサポーターに目掛けて手を叩き、「もっと応援してくれ」というポーズを取った記憶があります。また、MDPで見た記事によれば、ゴール裏のサポーターの指示で相手のフリーの選手に気付くこともあったそうです。

いい意味で、サポーターを「積極的に利用」したGKなのです。大原まで練習を見に行ったときも、金網越しに見ていた私に、ハードな練習で汗を流した直後ながら「今日は暑いよね」と土田は声を掛けてくれました。サインにも積極的に応じてくれて、サポーターへの対応という意味では一番の選手だったように思えます。

ただ、そんな土田も、プレーで一つ大きな欠点がありました。それは、ゴールキックがハーフウェイラインまでしか飛ばないことです。極端な話、キックの飛距離だけなら女性の山郷(レッズレディース)と比べてもそれほどの差はないのではと疑いたくなります。横への反応なら結構いいものがありましたが、このゴールキックの問題で、代表キャップを得ることはできませんでした。

声の大きさが売り物だった土田の特徴は、今のGKで言えば山岸に受け継がれています。ある程度完成した状態で浦和にやってきた都築と違って、山岸は土田が育てたGKと言っていいと思います。GKコーチとしても、能力は高いと思います。
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網戸の蝉

2007-08-17 17:37:37 | 雑記
郊外にある我が家は、まだまだ自然も残る地です。こんな「珍客」も来ることがあります。網戸に止まった蝉は、向こう側が見えることを不思議に思いながらも、木に止まった蝉と同じようにみいみいと鳴いていました。
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