Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

鈴木啓太の安定感(3/15広島対浦和)

2014-03-15 18:41:11 | 浦和レッズ
この試合は、浦和にミシャ監督がいて、広島の森保監督がミシャのシステムを受け継いでいることを考えると、お互いの良さを消し合う地味な試合になりそうな予感はしていました。特に、今季の広島がシャドーにスピード型の野津田が台頭して、スピードあるカウンターにいい形が見られていることを考えれば、カウンターを狙う予想はできます。

悪いときの浦和だと、この日の広島のように出てこない戦術を取る5バックの相手には、前の4-1-5の「5」の選手が前に張り付いてしまって機能しないことがあります。しかし、この日はシャドーの柏木と原口が良く引いてボールを引き出そうとしていました。また、ポイントだったのはボランチで起用された鈴木啓太の出来です。

確かに、記録だけ見てしまうと、一つ大きなミスをしてイエローカードで止めているのは良くありませんが、この日の浦和は鈴木啓太のところで相手カウンターを確実に処理してくれる安定感がありました。運動量の多さと、難しいプレーをせずに確実に流れを切ってくれるところはさすが鈴木啓太で、柏木のボランチではこうはいかないと思います。

それでも、0-0で長時間推移すれば、広島がここぞのタイミングでカウンターを繰り出す決定機は出ると思われましたが、浦和の先制点が前半終了間際といい時間で出ました。狙った形ではなく、柏木のCKから平川がサイドを仕掛けた偶然のプレーでしたが、粘ってちょっと触ってゴールを狙う興梠の良さが出たゴールだと思います。

ミシャが守備を安定させたいと、キャンプを通じて取り組んでいた改革は、この試合ではうまく回った印象です。ポゼッションしながら展開によっては原口や柏木も守備に参加するという、守備時の5-4-1を多くする取り組みは機能したと思います。それが可能になったのは先制点を得ていたからで、サッカーは展開によっては練習の形が出せず無理に追う悪循環に陥ることもあるスポーツです。

どうやら、ボランチは鈴木啓太、阿部勇樹のコンビが安定感を考えたら良さそうだと、この試合だけ見れば思いますが、去年ナビスコ杯決勝の柏や、リーグ戦のアウェイ甲府のように、相手が攻撃を捨てて極端に引いてきたときにどんな手があるかは、ミシャのお手並み拝見と思いたいところです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

河津桜満開

2014-03-15 11:32:41 | 埼玉
さいたま市では、河津桜が満開になりました。春の到来は嬉しいですが、今の時期は花粉症もピークで、外出の際はポケットティッシュを最低3パックは持っていかないといけません。それでも、家の中に入れば収まるほど、私の症状は比較的軽く、まあこんなもので済んでいるだけでありがたいと思うことにします。



今日は抜けるような青空で、花の写真がよく撮れたのでつけます。写真は駅前の河津桜で、駅の高架の北側なので少し遅めの開花ですが、ここ数日の暖かさでついにここまで開花しました。



梅の花です。白梅の場合、曇り空だと背景の影響でよく映りませんが、今日は素晴らしい天気だったので、思わず写真に収めてみました。これから、浦和の試合をテレビで見たら、また軽く散歩したいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スペインリーグ得点王(フォルラン)

2014-03-14 18:43:34 | ワールドサッカー
浦和無観客試合の件は、どうしても何か書くと騒動になりそうなので、あえて触れません。こういうときは、毎度恒例のマニアックなワールドサッカーネタで、現在C大阪所属のウルグアイ代表FWフォルランについて書きます。

皆さんご存じでしょうが、フォルランは2010年南アフリカW杯のMVPです。当時、得点王の5点を取った選手はフォルランの他にオランダ代表スナイデルなど複数いましたが、豪快なロングシュートを突き刺したフォルランのイメージが良かったようです。4位のチームからのMVPは史上初でした。

フォルランは1999年のワールドユース準決勝で日本と対戦しています。当時の日本ユース代表には小笠原(鹿島)、播戸(鳥栖)、遠藤(G大阪)、加地(G大阪)がいて、彼らにとっては予想外の再戦ということになります。あの当時、日本がウルグアイと対戦して勝つのは奇跡的だった時代です。

もっとも、フォルランはその後は華麗なキャリアをたどりました。ビジャレアル(スペイン)、Aマドリード(スペイン)、インテル(イタリア)に在籍しました。インテルではあまり活躍できませんでしたが、Aマドリード時代にはスペインリーグ得点王になるなど、ワールドクラスの選手です。

C大阪でのプレーは過去記事に書いたので省略して、ウルグアイ代表での記憶を書きます。ウルグアイ代表ではスアレス(リバプール)、カバーニ(パリSG)と豪華3トップを組みます。スアレスとカバーニがスピードと個人技でどんどん仕掛けてくれるので、フォルランはいいポジションを取って得点を確実に決める役割に専念しています。

ウルグアイが日本と対戦した昨年8月の親善試合でもフォルランはゴールを決めており、3月3日の国際Aマッチデーにも当たり前のようにウルグアイ代表に合流して45分出場していました。よほどのことがない限り、フォルランはブラジルW杯のピッチに立っていると思います。

あの問題児スアレスが、フォルランのことは偉大な先輩と称えていて、PKやFKを譲るほどです。いいポジションを取る選手なので、注意して見ないとどこにいるかわからない可能性もありますが、何気ないプレー一つ取ってもうまいので、埼玉スタジアムに来ることを楽しみに待ちたい選手です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島戦プレビュー

2014-03-13 19:10:04 | 浦和レッズ
浦和無観客試合の件は今外出先で、まだ十分な情報を得ていないので保留として、今日は週末の浦和のアウェイ戦、広島戦のプレビュー記事にします。開幕直後はなかなか他チームの情報は追い切れないことが多いですが、広島はゼロックス杯で一度生で見たので少しは情報があります。

その試合では、昨年ほぼ不動の存在だったトップ下の高萩を外して、若い野津田を起用してきました。野津田はスピード型の選手で、横浜FMの最終ラインがパワー系なので速攻を狙った起用のように思えました。野津田はユースから昇格した選手ですが、足元の技術もしっかりしていて、リオデジャネイロ五輪の中心選手の期待もできると思います。

また、ベンチスタートが予想されるFW浅野もいい選手です。タイプはスピード型ですが、最近は佐藤寿人をベンチに下げて出場することもあります。浦和はスピードで撹乱する相手に、何らかの対策が必要です。

広島では、右ストッパー塩谷が最近ゴールに絡んでいます。森脇の浦和移籍で出番を得ましたが、タイプ的には森脇と似ていて、ストッパーに攻撃力を期待する森保サッカーを体現しています。

浦和は前節、豊田対策で右ストッパーに浜田を起用する奇策を打ちましたが、攻撃陣が無得点で成果は出ませんでした。今回の広島は同じシステムの相手なので、奇策は打たず自分たちのいいところを出した方が勝利に近づけると思います。

ミシャサッカーが、攻撃時の4-1-5では守り切れない弱点も、同じシステムを受け継ぐ広島ならよくわかっていると思います。鳥栖戦で何度も狙ったカウンターを、何回発揮できるか、数仕掛ければ道は開けると思います。

選手起用では、柏木のボランチを相手に狙われるリスクを承知で続けるか、李忠成をどのように使うかが現時点で情報がないのでポイントです。家に帰って埼玉新聞を読めば情報もあると思うので、しばらくお待ちください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボランチ転向が吉(アンドレア・ピルロ)

2014-03-12 18:35:26 | ワールドサッカー
先日見たミラン対ユベントスは、ユベントスのボランチ、ピルロの元気な姿が見られたのが良かったです。まだピルロといえばミランのイメージが残っていますが、今はユベントスの堅守速攻を後ろから支えるキーマンです。

ピルロは有名になったのはインテル時代でした。次世代の10番候補と注目を集めましたが、当時のインテルのトップ下はバッジオで、ピルロは下位チームのレッジーナへ移籍することになりました。ここでピルロが活躍したので、レッジーナに入れ替わりで移籍した中村俊輔がピルロ並みの期待をされて苦しんだエピソードは覚えています。

ピルロほどの選手はレッジーナにずっといることはなく、ミランに移籍しました。しかし、当時のミランはブラジル代表カカとポルトガル代表ルイ・コスタというワールドクラスがトップ下を争うほどのハイレベルなポジション争いでした。ピルロは自らボランチ転向を志願して、試合に出るようになります。

ピルロにとって幸運だったのは、当時のミランにガットゥーゾとアンブロジーニという守備の職人がいたことです。当時のミランの試合を見ると、ピルロの守備はファウルをしないで止める技術が不足していました。ピルロのパスセンスを考えれば使いたいと思った当時のアンチェロッティ監督が、アンブロジーニをサポート役に置いてから機能するようになりました。

ピルロは見て楽しい選手です。たまに試合が膠着すると、チップキックで相手選手の頭上を抜いたり、軸足の後ろを通すフェイントを見せたりします。2007年のクラブW杯で生で見る機会がありましたが、当時のピルロのパスセンスは冴えていて、ミスキックなのではと思ったパスに、しっかり味方が追い付いていました。これではピルロにパスミスはないと、必死で守らないといけない浦和は、大変な思いをしました。

今回のW杯で、ピルロは代表引退を表明しているので、世界レベルで見る機会はブラジルが最後です。イタリア代表がどうやってこの希代のパサーを生かすかは楽しみにしていて、誰をサポート役にするかもイタリアの戦術の一つと期待しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高校の修学旅行

2014-03-12 17:57:59 | 雑記
一年前のブログ記事で、昔の旅の記事が出てきたので、どこまで覚えているかなと高校時代の修学旅行のネタにします。ルートは山口から秋芳洞、広島の原爆資料館、奈良と京都は班別自由行動でした。広島では被爆者の話を聞くという貴重な機会もあったのですが、やはり印象に残っているのは班別自由行動です。

当時、私は旅のプランニングが好きで、この修学旅行も旅行委員としてプランニングに関わりました。そのため、班別自由行動くらいは簡単で、計画を先生に見せれば一発で通過しました。印象に残っているのは奈良のシルクロード博です。

今振り返ると、奈良の正倉院の歴史遺産は、正倉院が月曜日だけの公開という理由でなかなか見ることができません。しかし、この博覧会では正倉院の遺産がたくさん展示してありました。日本の正倉院の文化が素晴らしいのは、奈良時代の遺産の保存状態がいいことです。

のちに韓国に渡って、同じような歴史遺産を見ましたが、出土品で保存状態が良くありませんでした。それを考えると、歴史遺産を守り抜いた先人の努力が、琵琶や琴などがまるで昨日作ったような状態で残っていた事実に現れています。私は理系ですが歴史は好きで、先人がどうやって現代に至る文化を作ってきたかには興味があります。

このシルクロード博で予想外に時間を取られてしまったので、奈良は東大寺の大仏だけで切り上げ、JR奈良線で京都に向かいました。当時、奈良駅で顔写真を入れたオレンジカードが作れたので、メンバー5人全員で映ったことも思い出です。

京都は雨に降られました。傘を手に回った観光だったので、せっかくの歴史遺産も外観はあまり覚えておらず、知恩院や東本願寺で腰を下ろして休憩したことが印象に残っています。知恩院のウグイス張りや、龍安寺の石庭など、目立った特徴があるものは覚えています。

意外と、旅の思い出は休憩中に仲間と話すような些細なものが多いもので、龍安寺の石庭は見方によっていろんな解釈ができるのが売り物と聞きますが、私の思い出はゆっくりできた休憩の思い出です。龍安寺、実は畳の部屋でのんびりできるので、休憩場所としてはいい場所なのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリア版佐藤寿人(ディ・ナターレ)

2014-03-11 18:29:09 | ワールドサッカー
昨日はウディネーゼ対ミランの映像を見ていました。ミランの出来の悪さは目を覆うほどで、本田圭佑ももらいたいタイミングでもらえないので、本田圭佑が取られてカウンターという形は残念ながら多かったです。パスミスも多く、このチームを機能させるには時間がかかりそうと思います。

今回話題にするのは、相手ウディネーゼの1トップ、ディ・ナターレ(10番)です。ディ・ナターレのこの日のゴールは、セリエA通算182得点で、フィオレンティーナの伝説バティストゥータに並びました。これほどの選手がなぜ地方チームのウディネーゼにいるのか疑問に思う方もいらっしゃるでしょうが、ディ・ナターレ自身が全てのオファーを断っているからです。

ディ・ナターレは30歳を過ぎてシーズン20点が取れるようになった遅咲きです。イタリア代表では2010年W杯、2012年欧州選手権に出場しています。プレースタイルはイタリア版佐藤寿人というイメージがしっくりきます。背の低いディ・ナターレは基本はスピード型ですが、相手最終ラインと駆け引きしてフリーになる技術が高いです。

この日のミラン戦のゴールもうまくフリーになってゴール前に詰めた形で、今季限りでの引退を表面しているのがもったいないと思うほどです。佐藤寿人と違うのは足元のテクニックの豊富さです。以前、欧州リーグのアウェイ、リバプール戦の彼のプレーを見ましたが、3-6-1のウディネーゼではディ・ナターレは前線で孤立することもあります。

そういうときに、個人技を発揮してキープできるのがディ・ナターレの良さで、このリバプール戦でもリフティングでキープして味方の上がる時間を稼いで結果的にはアシストしてみせました。ウディネーゼの試合を見るときは彼を注目すると面白い選手です。

ウディネーゼは、かつてジーコが2年間在籍したチームで、ディ・ナターレ以前は「ジーコのチーム」と言われていました。ディ・ナターレはおそらくその歴史を塗り替えたはずで、引退後も生涯ウディネーゼに関わっていきそうだと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トヨグバ(豊田陽平)

2014-03-10 18:28:25 | 他チーム
浦和敗戦のため、今節は相手の鳥栖の選手を取り上げます。相手のシュートは3本ながら、勝負強く決めてみせたエースストライカー、豊田陽平選手のネタです。鳥栖のベンチ入りメンバーにFW登録がいなかったので、もし豊田が怪我したらどうするつもりなのかと思いましたが、それだけ豊田が信頼されている証明でしょう。

豊田は星稜高校で本田圭佑の一年先輩で、プロのキャリアは名古屋でスタートしました。しかし、早くから出番を得た本田圭佑とは違って、豊田はなかなか結果を出せず、J2山形に移籍する回り道をしています。豊田が有名になった理由は2008年北京五輪のU-23代表に入ったからです。

当時、チェルシー(イングランド)で活躍していたドログバが、ポストプレーヤーにしては足が速いのが売り物でした。豊田は特徴がドログバに似ているという理由で、「トヨグバ」と書いたゲートフラッグが出たほどです。当時、J2だった山形は客の入らないチームでしたが、豊田効果で観客が5000人ほどに増えました。

豊田にとっては、北京五輪はチームが3戦全敗だったこともあって不完全燃焼だったと思います。当時の反町監督が、豊田を生かすためのボールを出す指示を送れず、何度も空走りを余儀なくされたことも理由と思っています。

それでも、有名になった豊田には当時J1だった京都からオファーが来ました。しかし、豊田はここでも結果を出せませんでした。失意の中、当時J2だった鳥栖に移籍したニュースを聞いたときは、豊田はもう終わりかもしれないと思いました。

しかし、この移籍が飛躍のきっかけになるのですからサッカーは面白いです。豊田はJ2得点ランキングの上位に定着し、生涯の伴侶も得てチームごとJ1に上げてみせました。結果にこだわるより、リラックスして楽しもうと意識改革をしたのがきっかけと聞いています。

NHK-BSの「アスリートの魂」で豊田の特集を見ましたが、かつて何もないところからスタートした鳥栖も、練習環境が良くなっています。体育館のトレーニングマシンを独占使用できるなど、環境面のバックアップを得たので、他チームからオファーがあっても不思議でない豊田が鳥栖でプレーしています。豊田は代表入りが目標と、意識も高いので、是非ともその目標に向かって頑張って欲しいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スピードのチーム(ミラン対ユベントス)

2014-03-09 21:34:46 | ワールドサッカー
今日はたまったワールドサッカーのビデオから、イタリアダービーと呼ばれるミラン対ユベントスを見ていました。ユベントスは堅守速攻のチームで、ボランチのピルロ(21番)を軸に長いボールからどんどん選手を走らせるチームです。この試合は私のお気に入り、チリ代表MFビダル(23番)が出場停止で欠場しましたが、ボランチのポグバ(6番)、右アウトサイドのリヒトシュタイナー(26番)、FWのテベス(10番)と走れる選手がスタメンに多くいるのがユベントスの強さです。

この試合でも、ミランCBラミ(13番)のクリアミスに詰めたプレーから、リヒトシュタイナーがドリブルでゴールライン付近まで持ち込んで、マイナスのクロスをジョレンテ(14番)が合わせてユベントスが先制しています。誰かが走れば信じて連動する、そういう抜け目のなさがユベントスの強さの一因です。2点目のテベスのロングシュートも、あれだけの勢いがあればコースは関係なしと解説の野々村さんが断言するほどでした。

ボール支配率こそミランが上回っていた試合ですが、ユベントスにしっかりラインを作られて守られ、ミランのパスはなかなか機能しない、点差以上の実力差を感じた試合でした。ピルロはあまり目立たず、ビダルもいなかった試合ですが、ユベントスの良さは存分に発揮できた試合だったと思います。

注目の本田圭佑は、後半25分からの途中出場でした。ボランチのモントリーボ(18番)との交代で、そのままボランチに入りました。本田の守備力を考えるとボランチは厳しいと思っていましたが、ボールをさばく基本技術はしっかりしている選手なので、ボールを円滑に回すという意味では機能していました。

本田は瞬間的なスピードはあまりないので、相手にビダルがいたら力任せに抜かれていたのではと思いますが、守備でもマルキージオ(8番)とのマッチアップには勝つなど、穴ではなかった印象です。ただ、本田は長いボールで展開を変えるのは得意としていないので、一番得意なポジションはトップ下という意見は変わっていません。日本代表のNZ戦で岡崎のゴールをアシストしたヒールキックのように、短いパスで展開を変える方が得意なので、ミランでもそんなプレーを是非見たいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花輪線の湯瀬

2014-03-09 11:09:27 | 雑記
今の時期、普通列車なら全国乗り放題という、青春18きっぷでいろんなところを旅した記憶がよみがえることがあります。今回の思い出は、高校時代に秋田から18きっぷでさいたまに帰った旅です。当時の旅は、5人の仲間を複数の路線に分けて、東北地方の各路線のスタンプを押して集めた旅でしたが、その旅で友人T君と降り立った花輪線の駅、湯瀬の思い出を書きます。

湯瀬は秋田県の山間の温泉地ですが、当時は今のように立ち寄り湯や足湯の習慣はなく、2時間の電車の待ち時間では温泉地の雰囲気は味わえませんでした。それならばと、雪国の雰囲気を味わおうと、線路に沿って散歩してみました。電車が2時間来ないことは時刻表で調べていたので、列車のポイント切替機のところでポイントをバックに記念写真を撮った思い出があります。

T君は鉄道の鉄橋に興味があり、鉄橋を渡ろうと提案してきましたが、高所恐怖症の私はさすがに拒否し、ポイントから通りに出て駅に戻ろうとしていました。しかし、雪国なので道が見つからず、私は雪原を歩こうとジャンプで雪の側溝を飛び越えようとしました。これが、雪国の新潟に親戚がいるT君にとってはありえない行動で、事実私は雪の中にずぼっと入り込んでしまい、メガネを落としたりして拾うのが大変でした。

大学になって、友達の出身地が全国の単位になってくると、雪国出身の友達も多くなってくるので、新雪の恐ろしさはわかってくるのですが、当時は高校生でしたから、スキー場の癖で雪は硬いものと思っていました。今だから笑って話せる失敗ですが、当時はちょっと恥ずかしくて自分から口にするのはためらわれました。

寒い季節に寒い地を旅すると、カップラーメンのお湯とか、何気ないものにも温かさを感じます。私も湯瀬の駅に戻り、T君を真似てカップラーメンを食べて、ちょっとほっとした記憶があります。最後に、湯瀬の駅をバックに記念写真を撮ってもらい、この2時間の待ち時間が、私の中で輝いている思い出になりました。たぶんT君も同じだと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする