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Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

最年長三賞(旭天鵬)

2014-11-24 19:45:34 | 他スポーツ
先日終了した大相撲九州場所は、旭天鵬の史上最年長の三賞(敢闘賞)も話題でした。旭天鵬は40歳2ヶ月で、40代の幕内力士は戦後まもなくの名寄岩以来という60年ぶりの記録でした。既に高見山が持っていた幕内最年長勝ち越し記録は塗り替えていますが、まさか三賞を取るほどの活躍をするとは思っていませんでした。

旭天鵬の体を見ると、今でも筋肉はさほど落ちていません。長身を生かした安定した四つ相撲も変わっておらず、本人は「来年の九州場所に来て」というファンの願いは「無理だよ」と言いますが、「とりあえず2場所先の大阪場所まで現役」と近いところに目標を置いています。

旭天鵬はモンゴル出身ですが、日本に帰化しており引退後は親方になることが内定しています。大島親方(元旭国)の定年退職時に後継者を打診されましたが、本人が現役続行にこだわって友綱部屋に移って、今では相撲界の「レジェンド」です。

旭天鵬は今では幕内にたくさんいるモンゴル出身力士の走りです。同期の旭鷲山は既に引退してモンゴルで国会議員ですが、90年代の若貴フィーバーの時代を知る、数少ない現役力士です。朝青龍、白鵬に代表されるモンゴル相撲を知る力士を「即戦力」として採用する部屋が多いですが、旭天鵬はモンゴル相撲の経験者ではありません。

モンゴルではバスケットボールをやっていて、相撲のノウハウは日本で覚えた力士です。朝青龍や白鵬が、たまに「内無双」という、手で膝を引っかけて倒すモンゴル相撲にもある技で勝つことがあるのとは異なり、旭天鵬の取り口は正統派の四つ相撲からの寄りです。

怪我も少ない旭天鵬ですが、一度だけピンチがありました。それは相撲協会から禁止されている車の運転で交通事故を起こして、翌場所を出場停止になって十両に落とされたときです。本人は相当ショックを受けて「辞めたい」と言いましたが、夫人の説得で現役を続けたことがありました。

今では、あとどこまでできるかの勝負でしょうが、気力が続く限り頑張って欲しい力士です。




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偉大な記録に並ぶ(白鵬)

2014-11-24 11:51:16 | 他スポーツ
大相撲九州場所は、横綱白鵬の32回目の優勝で幕を閉じました。この32回は、相撲ファンは皆知っている数字で、不滅の大記録と言われた元横綱大鵬の記録です。千代の富士が31回であと1回で届かなかったのに代表されますが、過去に北の湖(24回)、貴乃花(22回)、朝青龍(25回)らが挑んでも達成できなかった数字です。

白鵬は、入門当時は体重が62kgしかなく、相撲の世界には不向きと思われていました。元幕内竹葉山の宮城野親方が救済の手を差し伸べて入門できましたが、最初の時点では相撲向きには見えなかったです。それでも、宮城野親方はまずは稽古をさせずに体重を増やすことからスタートして、体重が80㎏になった時点でようやく稽古が許可されたというエピソードがあります。

しかし、白鵬の場合、今の150kgを超える体はかなりの部分を筋肉で増量しています。体組成計に乗ると、筋肉率の高さに測定者が驚くほどで、昔のように「力士=メタボ」という図式は当てはまらない力士です。実際、今の相撲界は、ベスト体重より重くて動きが鈍いと判断すると、力士が自分で減量する時代です。

白鵬の取り口を見ていると、下位力士相手にはよく見て取り、日馬富士や鶴竜相手には全力で取ると相手によって立ち合いを変えています。それが理由で、金星配給数が9個と大鵬や千代の富士と比べても極端に少ない数字を誇っている安定感が売り物です。年間最多勝を8年連続で受賞するなど、一桁勝利のような不成績もほとんどない横綱です。

昨日の鶴竜戦は、まさに白鵬の持っている潜在的なスピードを発揮した相撲で、これを大事な一番に取っておけるのも大横綱たるゆえんです。しかも、寄り一辺倒ではなく、タイミングの良い投げで仕留めることもできるなど、相撲に必要な技術も十分に持っています。この勢いがあれば、夢の優勝40回もありうるのではないかという期待もしたくなります。

また、白鵬の優れているところは、横綱昇進後に休場が一度もないことです。大横綱は大鵬も千代の富士も、常に負傷との戦いで、休場は多かったですが、怪我をしないのも鍛錬の力でしょう。巡業にも常に足を運び、十両から稽古を観察するなど頭の中も稽古しており、まだまだ死角はなさそうな雰囲気です。
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G大阪戦マニアック分析

2014-11-23 22:37:33 | 浦和レッズ
前の文章がまるで落ち着いてなかったので、少し冷却期間を置きましたが、ようやく毎度恒例のマニアック分析を書く気分になりました。G大阪の攻撃はパトリックを前に残して宇佐美が自在に引いて得意なドリブルを見せる形でした。これに対する浦和の守備は、パトリックを槙野が見て、宇佐美はボランチに任せました。

スピードも高さもあるパトリック番は困難な任務だったと思いますが、槙野はよく対応したと思います。スピードに対しては正確に体を入れて止め、ヘディングも常に体を付けてバランスを崩す守備をしていました。前半終了間際に裏に走られてヘディングされて、西川が止めた決定機以外は、十分パトリックを止めていたと思います。

また、宇佐美も苛立って下がり始めるなど、無失点なら負けることはないという考えは実践していたと思います。このゲームのポイントになったのは、リンスの投入です。敵将長谷川監督は、後半勝負を意図したコメントは残していましたが、ストロングポイントの宇佐美やパトリックを躊躇なくベンチに下げた采配には驚きました。

リンスはあまり使われていない選手なので、特徴が浦和サイドに知られていなかったかもしれません。運動量が多く、トップ下周辺の広い範囲を動き回ったリンスに、浦和サイドは幻惑されました。次の大森out倉田inは予想通りですが、パトリックout佐藤inは長谷川監督の落ち着きを示しました。

引き分けでは厳しいG大阪なので、無理して攻めに出る交代をするのではと予想していました。そうしてくれれば、関根や李を走らせるカウンターも狙えます。しかし、2トップの形を変えず、普通に攻めたことが浦和の落ち着きを失わせたようです。

それが、浦和が一見ボール支配率が高くても、実際は槙野や森脇が上がっている、カウンターに弱い形を取ってしまいました。失点のきっかけになった柏木のFKも、本当に引き分けでいいと考えるなら、コーナーに持ち出してキープでも良かったです。

対応の効いていないリンス、カウンターの備えができていない最終ラインという必然的な要素が揃った故の敗戦です。もちろん、選手が話すように、まだ首位に立っているのは浦和です。次の鳥栖戦で勝てば、この敗戦は取り返せます。サポは期待しようと思います。
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日本国宝展

2014-11-23 21:33:53 | 雑記
浦和レッズ敗戦で気落ちしているのは私らしくないと、思い立って上野の東京国立博物館まで日本国宝展を見に行ってきました。今回は仏教美術がテーマで、法隆寺の玉虫の厨子や菩薩像、経典、金印、土偶、土佐日記の写しなどを見てきました。館内はこういうものは大抵撮影禁止なので、写真はありませんが、これらの展示物はほとんどが1000年近い時間を経過しており、日本が古くから記録好きで高度な文化を持っていたと、歴史に誇りを持つきっかけになりました。

日本史の勉強では、歴史遺産は写真で見るので、大きさがわからないですが、こうして実物を見ると当時習った記憶がリアルに、実体験を伴って戻ってきます。土偶はバービー人形くらいの大きさですし、玉虫の厨子は人の背丈よりちょっと大きく、金印は吹けば飛ぶほど小さいです。金印は福岡の志賀島で、漁民が偶然土の中から発見した、日本考古学史上最大の奇跡と言われています。確かに、こんな小さいものが見つかるのは奇跡だなと、大きさをリアルに見ると実感できます。

しかし、この展示会は混んでいます。私も入り口で90分ほど待たされたので、豪州戦のブログネタ一本書けました。そのため、上野公園を散歩したり六義園に行ったりするような寄り道はできず、ただ往復するだけで終わりでした。そのため、写真は往復の道沿いですが、それでも面白い写真は撮れたので載せます。



国立科学博物館のD51機関車です。



同じく国立科学博物館のシロナガスクジラの模型です。



行列待ちで暇なので撮った、東京国立博物館内の銀杏です。



上野公園の銀杏です。



スカイツリー(昼)です。



スカイツリー(夜)です。
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研究してきた豪州(11/18日本対オーストラリア)

2014-11-23 15:22:53 | ワールドサッカー
浦和の記事はやはり優勝が持ち越しになったショックがあるので、落ち着くまでマニアック分析は少し待ち、今日は今更ながら日本代表のオーストラリア(以下豪州)戦のネタです。豪州は2試合入れることが可能なこの国際Aマッチ週間に、あえて日本戦1試合しか入れず、早めに来日して日本対策を練っていました。

その工夫は前半の戦いぶりに現れていました。日本が長谷部をアンカーに置いている脇のスペースが豪州の狙いどころでした。4-3-3でも、ボランチタイプを3人並べるチームもありますが、日本はサイドのMFが香川、遠藤と攻撃的なタイプなので、長谷部の横をカバーするまでは戻って来られないことを予想していました。

豪州は4-3-3で、ジェディナック(15番)をアンカーに置いて後ろを落ち着かせ、サイドのMFマッカイ(17番)と21番、右FWレッキー(7番)、左FWトロイージ(14番)の4人が入れ替わりながらそのスペースに進出して、パスを回し、前半は豪州ペースでした。昔の豪州のようなパワーサッカーのイメージとはだいぶ違う印象でした。

ただ、豪州はエースストライカーのケーヒル(4番)が負傷の影響でベンチスタートでした。3トップの真ん中に入ったのは、日本とのW杯予選では右MFだったクルーズ(10番)でした。その影響は間違いなくあったと思います。サイドに出してスペースを狙うまでは豪州のプラン通りでしたが、受ける選手がいなかった印象です。

これに対し、アギーレ監督は前半の途中で遠藤と長谷部のダブルボランチに変更して、遠藤に攻撃参加を免除して中盤を落ち着かせる策に出ました。これが成功しました。日本のボール支配率は上がり、さらに後半の頭に遠藤に代えて今野を投入したことで、豪州が中盤のスペースを使えなくなりました。

しかも、投入したばかりの今野が、セットプレーで先制のヘディングを決めるなど、この日のアギーレ采配は冴えていました。4-2-3-1はザックジャパン時代に慣れ親しんだ戦術で、しかもメンバーの多くが当時の経験者で、消化するのは早かった印象です。

また、森重のドリブルは豪州は知らなかった可能性が高いです。あそこでドリブルしているのは誰だ?と豪州が慌てていたことが、マークを遅らせ岡崎の2点目につながりました。最後に途中出場のケーヒルに1点返されたのは課題ですが、アジア杯連覇を狙うためには大きな勝利だったと思います。
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無理する必要はなかった(11/22浦和対G大阪)

2014-11-23 10:21:56 | 浦和レッズ
昨日は埼玉スタジアムに行っていました。浦和のストロングポイントはアウトサイドの平川、宇賀神なので、G大阪がこの二人に対しどういう手で来るかは最初の注目ポイントでした。G大阪は右サイドハーフに阿部、左サイドハーフに大森を起用してきました。

この阿部と大森がどういう位置にいるかが注目でしたが、ボランチの遠藤、今野とほぼ同じ高さにいて、浦和対策の常套手段である2ラインコンパクトサッカーでした。特に阿部は宇賀神とやりあっていて、浦和のアウトサイドは消してやるという気持ちはスタンドから感じられました。

もちろん、数的同数を確保できる5バックとは違うので、2ラインコンパクトサッカーの相手には速いサイドチェンジが通用するデメリットはあります。そのため、右の平川は何度も使えていました。もっとも、G大阪は前半は0-0でいいという慎重策で、8人で宇佐美とパトリックだけ前に残す考え方だったので、平川は何度上げてもクリアされてしまいました。

このG大阪の慎重策で、浦和の1トップの李は前後左右を挟まれてしまって身動きが取れず、一度だけG大阪最終ラインに仕掛けて得た決定機は、柏木がシュートを打たないという消極さで逃します。それでも、浦和は相手が出てこないなら、引き分けでもいいサッカーをしても良かったと思います。

昨日の敗因はまさにそこで、浦和は点が取れないと、DFの森脇や槙野が上がってきてキープ率を上げようとするサッカーをしてきます。昨日に関しては、攻撃陣の出来が良くなかったので、ゼロに抑えれば成功という考え方で行くべきだったと思いますが、勝って決めたいという意識が強すぎたと思います。

決勝点になった佐藤のゴールは、浦和のFKからのカウンターでした。運動量の多い途中出場のリンス‎にかき回されていた浦和は、フィードがDFに当たって偶然リンスのところにこぼれるという不運はあったにせよ、残り2分で同点で、引き分けでもいいチームにしては軽率で、後ろの枚数が足りていませんでした。

リンスに直接対応したのは関根でしたが、彼の場合は守備力の不足は承知で攻撃を買って起用しているので仕方ないとしても、もう少し引き分けを意識した戦いはできなかったのかと悔やまれます。

まだ全然書き足りないので、残りはマニアック分析で書きます。

試合前の練習で何枚か写真を撮ってみました。

西川周作選手です。

柏木選手、興梠選手です。

青木選手です。

サブ組のパス回しです。真ん中にいるのは永田選手です。
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復活プロジェクト(蒼国来)

2014-11-22 22:07:33 | 他スポーツ
今日は埼スタから帰ってきたばかりで、即日更新は勘弁していただき、穴埋めネタで失礼いたします。

今場所、幕内の下位では中国出身力士の蒼国来(そうこくらい)に注目しています。昔の舞の海を彷彿させる小さな体ながら、舞の海とは違って速攻相撲で、今場所は好調です。中国とは言っても内モンゴル自治区なので、モンゴル相撲に近い下地はあったと思われます。

この蒼国来は、以前八百長相撲の疑いで相撲協会を解雇されながら、裁判の末「解雇無効」の判決を勝ち取って2年半のブランクを経て、解雇前と同じ前頭15枚目に戻ってきた力士です。裁判に訴えてまで現役続行にこだわった力士ですから、トレーニングはしていたと思いますが、本場所の相撲を2年半も取っていなかったブランクは大きいはずで、幕内を守るのは難しく良くて十両定着が手一杯と思っていました。関係者からも「蒼国来はきっと大怪我をする」と言われたほどでした。

実際、復帰の場所は6勝9敗と負け越して十両に陥落しますが、解説の北の富士からは「よく6番も勝てましたね」と言われるほどでした。その後も負け越しが続き十両下位まで番付を下げました。相撲の世界は十両の下の幕下に落ちると給料が出なくなる世界ですから、早くも現役続行の危機かもと、そのときは思いました。

しかし、蒼国来は最近では例のない長いブランクからの復帰ということは理解していて、少しずつ相撲の体力をつけていったようです。十両11枚目で勝ち越すと、少しずつ番付を上げていき、ついに不可能に思われた再入幕を達成します。体重も140kgを超え、幕内を守る体力を身につけました。

顔や身長を見ると舞の海の雰囲気ですが、蒼国来は奇策には頼らず正攻法の相撲で勝てるようになりました。今場所は既に勝ち越しを決め、自己最高位の前頭13枚目は更新する可能性が高いです。過去には終戦後に27歳で現役復帰したケースもありますが、蒼国来の活躍を見ていると、人生諦めなければいいことはあるものです。
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リトルマツイ(松井稼頭央)

2014-11-21 07:51:36 | 他スポーツ
日米野球が先日まで行われていました。侍ジャパン(野球日本代表)の強化試合にしたのはいいアイディアで、以前はファンサービスの「残業」と思われていたイベントを、日本代表入りのアピールの場に変えたので、選手は本気でプレーしています。

今回の侍ジャパンではセカンドの菊池(広島)が守備のうまさで全国区にアピールしましたが、同じように日米野球で全国区にアピールした選手として、当時松井秀喜より背が低い理由で「リトルマツイ」の愛称がついた松井稼頭央選手(現楽天)の思い出です。

松井稼頭央はPL学園から西武にドラフト3位で指名されました。高校時代は投手でしたが、西武は最初から野手として育てるつもりでの指名でした。松井稼頭央が遊びでマウンドに立ったら147kmが出たというエピソードがあります。

松井稼頭央にとって幸運だったのは、当時の西武が世代交代を進めている時期で、事実入団一年目から当時1億円の年俸をもらっていた田辺徳男(現西武監督)を控えに回して、リーグ後半戦で遊撃手として出番を得ます。もっとも、当時の成績は2割5分、1本塁打でレギュラーを確約できる成績ではありませんでした。

しかし、その成績の内訳を分析した当時の東尾監督が、右投手相手の打率が1割台ということに気付きます。それなら、松井稼頭央の足を生かしてスイッチヒッターにすれば、1割台よりは打率を稼いでくれるだろうと判断して、松井稼頭央は翌年からスイッチヒッターになります。

東尾監督から、キャンプの「特別強化指定選手」に指名されて、左打席を猛特訓した松井稼頭央は、翌年から遊撃手のレギュラーに定着します。松井稼頭央の優れているところは、スイッチヒッターにありがちな当てるだけの「走り打ち」のレベルで満足せず、連日練習して左打席でも右打席と同じレベルのスイングスピードを身につけたことです。

松井稼頭央は積極的に打って出るタイプの打者で、四死球が少なく三振が多い傾向があります。それを承知で使ったからこそ、メジャーリーグに行く前は30本塁打を打てる打者になりました。メジャーリーグでもロッキーズ時代にワールドシリーズに出場するなど、一時代を作った名選手です。今は楽天のキャプテンで、ライバルではありますが頑張って欲しいです。
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昇格一年目の快挙(2000年FC東京)

2014-11-20 07:57:29 | 他チーム
今季、ガンバ大阪が昇格一年目でナビスコ杯のタイトルを取るなど活躍しています。もちろん、ガンバ大阪はJ1で十分な実績のあるチームなので、そんなに驚いてはいませんが、過去に昇格一年目で旋風を起こしたチームと聞いて思い出すのは2000年のFC東京です。当時、FC東京はJ1初挑戦のチームだったので、その旋風には驚きました。

当時のFC東京は「キング」アマラオとツゥットのブラジル人2トップでした。この2トップは運動量が多いのが売り物で、浅利、小池の守備的なダブルボランチで守りを固めて空いているトップ下の位置に、アマラオかツゥットのどちらかが下りてきてゲームメーカーになる戦略でした。

ゲームメーカーにもストライカーにもなれる彼らの柔軟性が奏功した、FC東京の快進撃で、アマラオは13点、ツゥットは17点を決める活躍でした。当時の監督、大熊清氏の手腕も話題になりました。当時、NHK-BSのアナウンサーが「こんな(運動量の多い)サッカーをして90分持つのかと思うでしょうが、FC東京は運動量が落ちません。」と実況したほどでした。

私は当時、浦和がJ2で土曜日が空いていたので、7月にアマラオがハットトリックを決めた国立競技場の試合を生で見ています。まだ、あの当時は味の素スタジアムは完成しておらず、FC東京の試合は国立競技場や駒沢陸上競技場などで行われていましたが、遊びに行きたくなるくらいの面白いサッカーでした。

もっとも、大熊監督はこのサッカーを「あまりにも2トップに頼りすぎた」とあまり評価していませんでした。当時は1999年にJリーグが2部制になったばかりで、海のものとも山のものともわからないJ2の実力は誰もが知らない時代でした。このFC東京の快進撃で、J2の実力は確かだと印象付けたので、今でも覚えている理由です。
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今やアンカー(長谷部誠)

2014-11-19 07:50:58 | ワールドサッカー
代表期間中なので、代表の選手をネタにします。最近浦和サポになった方はご存知ではないと思いますが、もともと攻撃の選手からスタートして、今やアンカー候補に挙げられる長谷部誠選手のネタです。長谷部は浦和の選手なので、無名時代から知っています。

もっとも、長谷部自身が「何故無名の自分に浦和からスカウトが来る?」と驚いたほど、浦和入団前はもっと無名でした。当時、藤枝東高校には有名だった成岡(新潟)がいて、そのついでに見つかった原石のように思われていました。居残り練習をあまりしないという評判でしたが、浦和のスカウトが実際に足を運ぶと、フットサルという実質練習をしていたエピソードもあります。

長谷部はそれでも、浦和のサテライトでのプレーが目に留まってU-19代表に入っていました。そのため、代表との掛け持ちでチームを留守にすることが多く、サテライトのゲームで私が見たのは一度だけで、最終戦の川越陸上競技場でトップ下に入った試合です。

今でも覚えているくらいですから、もちろんインパクトはありました。セットプレーのキッカーはすべて任され、当時から中盤でボールが落ち着く選手でした。そんな長谷部は、翌年元ブラジル代表の大物トップ下、エジムンドの突然の退団でトップ下が空いていた開幕戦の鹿島戦で出番を得ます。

正直、カシマスタジアムの雰囲気に飲まれて最悪前半で下げられることを危惧していました。しかし、長谷部は落ち着いたプレーで、うまくフリーになっていた永井雄一郎や田中達也にパスを出して戦力になることを証明しました。エジムンド退団は偶然ですが、そんなタイミングを生かすのは長谷部の実力の証明です。

ボランチに初めてコンバートしたのは浦和のオフト監督です。当時の浦和は石井、鈴木啓太、内舘ら守備に強いボランチはいましたが、攻撃とつなぐリンクマンが不足していました。ここに長谷部を置くと、見事に視野の広さを生かしてボールを回し、見事にポジションをものにしました。

それでも、トップ下からコンバートした長谷部がアンカーというのは、いくらアギーレ監督が昔の長谷部を知らないからとはいえ、びっくりです。それでも、アギーレ監督が4-3-3を旗印にする以上、日本にあまりいないアンカー候補は重要です。長谷部がこなせれば日本代表にとっては大きな戦力アップで、期待しています。
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