Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

浦和、今季初の練習試合

2018-01-23 22:41:36 | 浦和レッズ
今日、浦和はキャンプ初の練習試合を、沖縄SVと組みました。沖縄SVは今季から地域リーグ(九州リーグ)に昇格する5部相当のチームで、元日本代表の高原直泰氏がオーナーを務めます。この時期の練習試合なので、結果はあまり関係ありませんが、30分ハーフの練習試合を2試合組み、第一試合を1-0、第二試合を2-0と浦和が貫禄を見せました。

メンバーを見る限りでは、昨年堀監督が導入した4-1-4-1を継続するようです。天皇杯で決勝まで戦った疲労を考慮されたマルティノスは今日合流でまだ試合ができるコンディションではないですが、誰をどこで起用するつもりなのか、少し見えてきた最初の練習試合でした。

まず、CBのポジション争いは、阿部勇樹、槙野智章、マウリシオ、新加入の岩波が2つのCBを争う構図です。ここが今季のレッズでは最も激戦区で、この中から二人しか出られないため、アピール合戦となるでしょう。もちろん、槙野が左SBに回ったり、阿部勇樹がアンカーに回るような変化がある可能性もありますが、今はCBで勝負のようです。

右SBは第一試合で新加入の橋岡、第二試合で平川が起用されました。ここは、この試合ではMFで起用された遠藤航や、今日出場しなかった森脇の可能性が高いポジションです。左SBは宇賀神と菊池大介が使われましたが、もちろん槙野という可能性も考えられます。

前のポジションは、映像を見ていないので、誰がインサイドハーフかウイングかアンカーか不明です。新加入の武富がMFで起用されており、インサイドハーフ候補と目されているのではと予想しています。柏木と興梠慎三が出場しておらず、まだ誰がレギュラー候補かを絞り込む段階ではないでしょう。

得点者はユースの選手や新加入の荻原、ズラタンでした。やはり映像がないとイメージが伝わらず、記事も書いていて内容がありません。早く試合が見たいと、開幕が待ち遠しい今頃です。
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普通の試合(2013年日本対豪州)

2018-01-22 21:40:29 | ワールドサッカー
オフネタ恒例、過去の代表戦の記憶からは、2013年ブラジルW杯最終予選の日本対豪州戦の思い出です。当時の日本代表はザッケローニ監督が率いていました。この予選はかなり楽に見ていられた予選で、2連勝以外に許されないと思っていた初戦のオマーン戦、2戦目のヨルダン戦を注文通りに連勝したことで波に乗れました。この豪州戦は最後から2番目の試合で、勝つか引き分けでW杯出場が決まる試合でした。

もっとも、この試合を控えて、豊田スタジアムでブルガリア代表との親善試合を組んでいましたが、結果はまさかの0-2敗戦で、雰囲気が良くないことは危惧しなければならない試合でした。この試合は、CSKAモスクワのロシアカップ決勝の都合で参加できなかった本田圭佑を欠いていました。

その本田圭佑にとって、ロシアカップ決勝から中3日の厳しい日程だった豪州戦でしたが、当時トップ下に入り攻撃の全権を任されていた本田圭佑にとって、自分が要求しないとボールが回らないという実感があったようです。強行日程のはずの本田圭佑が、運動量を多くして自らボールを引き出していました。

対戦相手の豪州は、この予選は低空飛行で、残り3試合で勝ち点7が突破の条件と厳しい位置でした。ベテラン中心の起用をしていたオジェック監督はこの日本戦で思い切って若手を起用してきました。その若手、左MFオアーがスピードある攻撃で豪州の攻めの起点になり、81分には個人技でDF3人を抜くゴールで豪州が先制点を得ます。

これに対し、本田圭佑にボールを集めた日本は、本田圭佑からの右クロスを豪州DFマッカイがハンドしてPKのチャンスを得ます。このPKを本田圭佑が自ら蹴り、ゴールの真ん中に蹴る大胆な弾道で豪州GKシュウォーツアーの守るゴールを破り、1-1の引き分けとなり日本はW杯出場権を獲得しました。

長いサッカー観戦歴を持つ私ですが、目の前でW杯出場が決まるという経験は初めてでした。翌日のニュースを見て、渋谷のスクランブル交差点が騒ぎになっていたのを知り、ようやく「自分はすごい試合を見たんだな」と実感が湧いてきましたが、スタンドにいた私にとっては普通の試合だった印象です。そんな「普通」の試合を積み重ねて決まるのがW杯と、今はW杯出場が当たり前のようになっている日本代表ですが、そこまでの積み重ねはいつも大切だと思っています。
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初めて取れた勝ち点1(2002年日本対ベルギー)

2018-01-21 22:44:21 | ワールドサッカー
毎度恒例、オフネタの昔の試合の記憶です。今回、2019年ラグビーW杯が話題になっていますが、2002年W杯日韓大会のチケット争奪戦は異常とも言える過熱ぶりでした。当時の私は、生観戦の機会を逃しては一生後悔すると思って、ありとあらゆるチャンスに応募したところ、奇跡的に埼スタの日本対ベルギーを生観戦する機会を得ることができました。

当時の席は、バックアッパースタンドの前の方でした。今の私がそのスタンドに座っていたら、日本のみならずベルギーの情報も集めて、マニアックな分析記事を何本も書いたでしょう。しかし、当時の私は病魔に苦しみ、何度かあったベルギー代表の映像を見ても頭に何も入って来ず、何も情報のないチームを何となく見てしまうという痛恨事を喫しました。

そのため、最初はベルギー代表の布陣を見て、3バックか4バックか探ろうとしていましたが、10分ほどで断念し、こんな機会はなかなかないから日本代表の応援をしようと切り替えました。この経験は今にも生きており、わからなかったら無理に探ろうとせず、別の情報を集めながらわかったことを記事にすればいいと気付きました。

当時の日本代表にとって、W杯の経験は3戦全敗だったフランスW杯しかなかった頃です。ベルギーに先制点が入ると「やっぱりだめか」とスタンドが落胆しているのが見て取れました。しかし、中田英寿だけは違いました。日本イレブンに「下を向くな」と鼓舞してチームを前に向かせると、小野伸二の左からのクロスに鈴木隆行がつま先で触ってコースを変えて同点ゴールを得ることに成功します。

その後は、ボランチ稲本潤一の好調ぶりが光りました。勝ち越しゴールも決めると、ダイナミックに何度も上がってきてチャンスに絡み、ファウルで取り消されたもののあわや3点目かというシュートも枠に飛ばしています。最後はベルギーFWビルモッツに同点ゴールを食って試合は引き分けに終わったものの、勝ち点1が取れたとスタジアムは前向きな雰囲気でした。

あとで雑誌で得た情報によれば、当時の日本代表はトルシエ監督が導入したフラット3を自分たちで手直しして、オフサイドを無理に取りに行かない戦術を取っていたようです。そのように、トルシエ監督こそこの引き分けの要因ではなかったようですが、当時は日本代表を、世界を股にかける職業監督に変えてもらうことが必要な時代だったと振り返ります。
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大相撲初場所中盤戦

2018-01-21 21:54:18 | 他スポーツ
大相撲初場所は中日8日目を終えました。優勝争いは横綱鶴竜が8連勝でトップに立っています。鶴竜は去年の6場所中、5場所を休場して今場所は進退がかかるという厳しい立場でしたが、低く当たって相撲巧者ぶりを見せるという、自分のいいときの相撲を思い出した感を受けます。特に今場所は圧倒的に分の悪い白鵬がいないので、優勝のチャンスでしょう。

特に今場所の鶴竜が良いのは、立ち合いで押し込まれていないことです。7日目に、全勝同士で対戦した栃ノ心戦がターニングポイントになりそうでしたが、左上手を引いたら強い栃ノ心相手に当たり負けず、先に上手を引いて攻める理想の形を見せました。鶴竜は順当に行けば13日目に御嶽海、14日目に高安、千秋楽に豪栄道と当たりそうですが、そこまでに大勢を決めている可能性もあります。

今日の逸ノ城戦は黒星を喫したものの、関脇御嶽海も7勝1敗と好調です。彼の場合は、稽古場ではあまり強くなく本場所で強いという不思議な力士です。当たってからの押しで、短い時間で決着をつけているのが良く、目標にしている今年中の大関に向けて、今場所は大きなチャンスのきっかけとなる可能性があります。

期待された、新小結貴景勝は2勝6敗と苦しんでいます。今場所は相手の引きに対応できず前に落ちる場面が目立ちます。まったく上位の壁に苦しまない力士はまずいないと言ってもいいので、上位戦が終わった後にどれだけ星を戻し、来場所も上位と当たる位置をキープできるかの戦いになります。

下位では、前頭3枚目の栃ノ心が7勝1敗と好調です。立ち合いの踏み込みが良くすぐに左上手を引けるのが強みで、右四つで十分になったときの強さは、大関高安、豪栄道を連破するほどです。右ひざの靭帯を断裂して幕下まで下がった苦労人ですが、30歳にして本格的な開花の場所になりそうです。

いろいろ不祥事が続き、今日は十両大砂嵐の無免許運転という残念なニュースも入っていますが、それでも相撲の盛り上がりはなくなって欲しくないです。国技館に行けば、力士同士の力と技の競演が見られる環境が、これからも続いて欲しいのがファンとしての願いです。時代を経ても、続いてきたのですから。









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狂喜乱舞のOG(2005年日本対バーレーン)

2018-01-20 18:41:10 | ワールドサッカー
浦和レッズは、1/23に沖縄キャンプで地元チームと練習試合を組んでいます。その情報が入れば記事にしますが、まだフィジカルトレーニングの段階なので、ブログは穴埋めネタでしのぎます。思い出の代表戦、今回は2005年のドイツW杯最終予選、日本対バーレーンの思い出を書きます。

当時の日本代表監督はジーコ監督でした。最終予選は、イラン、バーレーン、朝鮮民主主義人民共和国と同組で、2位以内が通過という条件でした。初戦の共和国戦はロスタイムの大黒のゴールで辛勝しましたが、2戦目のイランとのアウェイ戦を敗れ、このバーレーン戦は勝利だけがノルマの試合でした。

当時の日本代表は、イタリアでプレーしていた中田英寿をボランチに置き、トップ下には中村俊輔という、ジーコ監督時代に一世を風靡したMFたちがいた時代でした。そんな日本に対し、バーレーンは最初から0-0の引き分けを狙った戦いを見せました。後ろに5バックを残して引き、ひたすらクリアという戦い方で時間が過ぎていきました。

1トップのフセイン・アリは孤立し、ほとんどバーレーンにはチャンスがない展開ですが、それも計算通りとバーレーンは悠然としていました。中村俊輔のFKで次々と攻めてもクリアされ、ジリジリとする展開でした。そんな後半、宮本が入れたアバウトなクロスが、相手ゲームメーカーのサルミーンのところにこぼれます。

10番を背負う、バーレーンでは偉大な選手と言われるサルミーンにとって、これをクリアするのは簡単なタスクのように思えました。しかし、サルミーンはまさかのキックミスでこのボールを自分のゴールに蹴り込んでしまい、これが決勝点になって1-0で日本が勝利した、まさに辛勝でした。

展開的な面白さはなかった試合でしたが、この試合を覚えている理由は「OGの1-0でこれほど喜んだ試合はこれだけ」という記憶です。レッズではそんな展開ならブログに不満も書くはずです。しかし、代表だと1試合当たりの重みが大きいので、当時ゴール裏にいた自分はこのゴールに、「誰だか知らないけどオウンゴール」とわかっていても狂喜乱舞した記憶が大きいです。
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忘れ得ぬ代表戦(1997年日本対韓国)

2018-01-19 23:35:59 | ワールドサッカー
代表戦の思い出ですが、1997年フランスW杯最終予選の第3戦、日本対韓国も未だに忘れない試合です。当時はまだまだサッカーのことはよく理解していませんでしたが、日本中がW杯に熱狂していた、当時のスタンドの熱気は今でも思い出すほどです。

日本は、ブラジルから帰化したばかりのFW、呂比須ワグナーをいきなりスタメンで起用してきました。代表の多くが海外組になってレベルが上がった今では考えられないでしょうが、当時はJリーグにいる外国人が帰化すれば、それだけで代表のスタメンになれるほどでした。その呂比須のことは韓国ベンチも警戒しており、韓国はカズに崔英一、呂比須に李敏成をマンツーマンでマークに付けてきました。

当時は、韓国のサッカーはがちがちにマンツーマンで付けてくる根性サッカーが幅を利かせていました。トップ下の中田英寿にもマンツーマンをつけ、試合を膠着状態にして得意のセットプレーで点を取って勝つのが韓国のゲームプランでした。これに対し、日本は前の選手がマンツーマンで厳しいので、マークされていないボランチの山口素弘を上げて勝負しました。

その山口素弘の美しい、ループシュートは今でも弾道を思い出せるほどです。しかし、日本代表の加茂監督が、この熱く燃える国立競技場の雰囲気にのまれてしまったようでした。今でも忘れない采配ミスは、FWの呂比須を下げてDFの秋田を入れたものです。FW高正云にマンツーマンでつける指示で送りながら、その高正云が交代していてMFの選手が入っていたという、ありえないようなミスでした。

これで、マークする呂比須がいなくなった李敏成は上がることができるようになりました。徐正源の同点ゴールが決まってから韓国はかさにかかって攻められるようになり、決勝ゴールはその李敏成でした。勝てる試合を監督の采配ミスで落とした、実にもったいない試合になってしまいました。

それでも、今振り返ればこの最終予選は、韓国に勝つことが目的ではなく、予選を通ることが目的です。当時のアジア枠は3.5あり、グループリーグで2位に入ってプレーオフを勝てばいいと、今の自分なら思えたでしょう。しかし、まだ若かった自分は、この敗戦に打ちのめされ、一人街をさまよっていた記憶があります。
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ブラコビーin両国

2018-01-18 22:39:03 | 雑記
先日の大相撲観戦の際に、少し早目に家を出て両国界隈を散歩していました。スポーツ観戦の日が最も運動していないという、活動量計の統計が出ている理由もありますが、一度は「旧国技館の跡地」を見ておきたいという理由もありました。旧国技館は回向院の隣という情報は得ていましたが、それがどういう位置関係かは理解していませんでした。

スタートの両国駅には、力士の優勝額が飾ってあります。かつて国技館に掛かっていた優勝額です。





相撲の街らしく、力士の像や手形などがあります。



元関脇寺尾の兄が経営するちゃんこ料理店です。



お目当ての回向院は、すぐに見つかりました。両国駅から南に、5分ほど歩けば着きます。交通量の多い京葉道路を渡るので、これまでは行こうとしていませんでした。





旧国技館の跡地の案内板もありました。昭和57年まではあったので、今思えば見ておけば良かったと残念な思いです。



回向院の中には、「力塚」という力士が寄進した塚があります。



昭和11年当時なので、あの大横綱双葉山が関脇だった頃です。双葉山の連勝記録は前頭3枚目からスタートして、勝ち続けたまま横綱まで昇進しています。この石碑は連勝中だったのですね。



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ラファエル・シルバ、中国2部からオファー

2018-01-17 22:19:19 | 浦和レッズ
今日のサッカーニュースは衝撃的でした。浦和FW、ラファエル・シルバに中国リーグ2部の武漢からオファーが届き、ラファエル・シルバ自身はこのオファーに前向きでメディカルチェックを受けに中国へ行ったという報道です。ここまで話が進んでいれば、移籍は間違いなさそうなので、今日はラファエル・シルバ(以下ラファ)の記憶を書きます。

ラファは2017年シーズン、新潟から移籍加入してきました。プレースタイルはスピード型ということは知っていましたが、新潟時代は身体能力で点を取っているイメージでした。浦和戦で、森脇のパスをカットして独走したゴールもあり、堅守速攻が狙いの新潟にはマッチする選手でしたが、組織で点を取る浦和ではどうか?と思っていました。

それは杞憂に終わりました。浦和ではリーグ12点、ACL9点と実に21点を挙げる結果を残しました。最初は身体能力で点を取っているイメージもありましたが、パスを出しても上手いことがわかります。もともと、ミシャのシステムの1トップ2シャドーでは、シャドーもやる用意があるという意思で加入した選手です。

また、ヘディングでも点が取れます。最も印象的なヘディングは、ACL準決勝の上海上港戦で決めた決勝ゴールでしょう。そのように、組織で点を取る浦和のやり方にはすっかりなじんでいただけに、ここで去るのは本当に残念です。しかし、私の手元には年俸の条件の情報はありませんが、2部に行くということは相当の高年俸を提示されたのでしょう。

プロのサッカー選手である以上、現在の年俸の2倍以上を積まれたら心が動くことは仕方ありません。もちろん、2部リーグがどれだけの環境を持っているかにはいくらか疑問があります。100億円を超える予算を持つ広州恒大でもグラウンド状態が良くないというような、いくらか本末転倒なところもあるのが中国リーグです。

それでも、本人が決めたことですから、自分で武漢を1部に上げるくらいのつもりでプレーして欲しいです。怪我には気を付けて、またACLで姿を見られることを楽しみにしています。
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リオネル・メッシの記憶

2018-01-16 23:05:49 | ワールドサッカー

しばらく、平日の夜は記憶だけで書ける思い出のオフネタが続きます。今回は、バルセロナが誇るカンテラ(育成組織)出身の名FW、リオネル・メッシ選手の思い出を書きます。今や、メッシの個人技が世界一なのはよく知られており、バルセロナと‪対戦する相手は懸命にメッシ対策を立ててきます。

私は、一度だけメッシを生で見たことがあります。それは、2010年の親善試合、日本対アルゼンチン(埼スタ)です。当時、メッシは右FWに固定されており、ブレ球で落ちてくるFKの弾道を生で見られたことは大きな記憶です。もっとも、メッシは守備をしないので、守備専門のボランチ、マスケラーノをメッシの裏に影のように張り付かせてカウンターを食らわないようにしていました。

メッシの個人技の威力を知ったのは、映像で見た衝撃的な場面でした。バルセロナボールのCKの場面で、メッシはショートコーナーからドリブルで切れ込んでマイナスのクロスを狙ってきました。これは普通はありえないプレーです。理由はCKはCBを上げてヘディングシュートを狙わせるので、もし取られてしまえばCBのいない自陣の守備は弱くなります。メッシが、絶対に取られないという自信がなければできない、驚異的なプレーでした。

その後、メッシの映像を見て行くと、圧倒的な個人技はいつの試合でも見ることができます。相手3人に囲まれてもドリブルを選択する強気なプレーと、シュートの振りが小さくほとんど振りかぶらずに強烈なシュートを放てるという大きな特徴を持っています。そのため、世界のいろんなチームはいろんなメッシ対策を立ててきました。

欧州CLのローマ戦で相手が見せた「6バック」、クラブW杯決勝でリバープレートが見せた「4バック2ボランチの守備」などを思い出せますが、去年12月のクラシコでレアルが見せたメッシ対策は最も印象的でした。強気にボールを支配し、メッシにマンツーマンでつけてメッシの位置を後ろにするという、レアルのような強いチームでなければできない対策でした。

確かに、メッシはFWとしては強力ですが、MFの下がり目ではそれほど怖くないという特徴もあります。それでも、この策は打ち破られ、メッシのスルーパスから1点取れています。長く続く「メッシ対ロナウド」まだまだ続きそうです。

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震える思い(2008年日本対オマーン)

2018-01-15 20:33:57 | ワールドサッカー
浦和レッズは無事、始動しましたが、練習試合が始まるまではネタがないので、穴埋めネタとして毎年恒例の昔話です。代表戦はよく見ている私ですが、忘れられない試合があります。それは、2008年の南アフリカW杯3次予選、日本対オマーン(横浜国際)です。

当時の代表監督は、オシム監督の病気離脱による後を引き継いだ岡田監督でした。3次予選の間はオシム時代を尊重して「オシムライク」なサッカーを続け、最終予選になってから岡田流に切り替えるのが当初の計画でした。この3次予選は、日本、タイ、オマーン、バーレーンの4チーム中上位2チーム通過という、比較的余裕のある予選でした。

しかし、初戦のタイ戦は勝ったものの、2戦目のアウェイのバーレーン戦を0-1で敗れます。余裕はなくなったと見た岡田監督は、このオマーン戦から「自分のやり方で戦う」と方針を‏切り替えました。その表れが、この試合で試した、遠藤保仁、長谷部誠のダブルボランチでした。このダブルボランチは岡田監督、ザック監督と2代にわたって続いたコンビになりますが、当時は「(二人とも攻撃的なタイプで)誰がアンカーなんだ?」と驚いたコンビでした。

岡田監督は、遠藤保仁の守備に自信を持っていました。この3次予選のオマーン戦は、引き分け以下では予選敗退の可能性が出る、本当の崖っぷちでしたが、試合が始まるとそんな心配は無用でした。それはオマーンの出方を見ればわかりました。オマーンは中村俊輔、松井大輔と攻撃力を誇る日本の攻撃的MFに恐れを抱いたらしく、3-4-2-1にしたかったのでしょうが、そのトップ下の2枚が中村俊輔と松井大輔を意識し過ぎて下がっていました。

オマーンの攻撃は、ただ一人前に残っていたアルホスニめがけて、アバウトにロングボールを蹴り込むだけでした。これは勝てると確信しました。その通りに前半11分で先制点が入って、あとは中村俊輔と松井大輔が相手の両アウトサイドに仕掛ける日本らしいサッカーが出て、試合は3-0で勝利し、あの震えまで来た試合前の気持ちは何だったのだろうと思うほどでした。

代表戦の場合、1試合の重みがJリーグと比べて大きいので、こういう試合に出あう確率は高いですが、試合前に震えるような思いでスタジアムに向かったのはこのときだけです。もう10年も前ですが、つい昨日のことのように思い出せます。
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