長沼敬憲・著 (Science Writer) BAB JAPAN 2011/12
著者は、日本人が陥りがちな短絡思考(栄養素偏重)を、視点を変えて解説しています。
P.14 (基本的に重要なことは)
細胞の働きがどれほど元気なのか?
腸が元気になるからこそ、脳の働きも元気になる。… まず腸があって、脳がある。
P.22
賢い(効率的な)食べ方は腸に負担を与えない。
そのためには、1.動物性食品より、植物性
2.植物性でも、精製・加工されていない方がベター
P.25 お腹の調子が悪いと、集中力を欠き、良い判断ができない。
頭で考えているかぎり迷いが生じるが、ハラが決まれば迷わない。
お坊さんの生活:動物性食品を排除し、少食を実践することで、
ハラをきれいにして、感情が乱れないよう、コントロール
逆に、動物性食品をたくさん摂ると特有の闘争心が湧いてくるので、
スポーツなどではこれがプラスに作用し、相手を圧倒することもできます。
P.32 「食べない時間」を大事にする
食べ物に含まれるタンパク質は、腸でアミノ酸にいったん分解されて細胞まで
運ばれたあと、再びタンパク質に合成され体の組織や器官の材料になります。
が、すべてが合格品になるわけではありません。合成できなかった不良品の
ゴミがたまっていけば、、当然、細胞の働きも低下してしまうでしょう。
定期的な断食がおすすめなのは、細胞内で「オートファジー」と呼ばれる
リサイクル・システムが作動して、こうしたタンパク質のゴミをアミノ酸に
分解し、再びタンパク質合成の材料にできるからです。
食べないことで細胞のゴミ処理ができ、
しかも、身体の部品がつくられていく
逆に言えば、食べてばかりいると腸だけでなく細胞にもゴミがたまる一方で、
オートファジーも働きません。
P.47 玄米か白米か??
玄米を精白することで、ビタミンやミネラル、食物繊維が削られたとしても、
ほかの食品から補えばバランスは取れる。
……現代栄養学ではそう発想しているようですが、
「部分」の総和が「全体」になるわけではありません。
カロリーや栄養価の計算だけでつじつまを合わせようとしていると、
「食べ物が生命である」という大事な視点が見失われてしまうことになる。
生命が失われたものばかり食べていれば、自分自身のの生命力が失われる。
これは食べ物すべてに言えることです。コメはまだ「粒」が残されていますが
小麦のように「粉」にしてしまえば、さらに「生命」から遠ざかります。
著者は、日本人が陥りがちな短絡思考(栄養素偏重)を、視点を変えて解説しています。
P.14 (基本的に重要なことは)
細胞の働きがどれほど元気なのか?
腸が元気になるからこそ、脳の働きも元気になる。… まず腸があって、脳がある。
P.22
賢い(効率的な)食べ方は腸に負担を与えない。
そのためには、1.動物性食品より、植物性
2.植物性でも、精製・加工されていない方がベター
P.25 お腹の調子が悪いと、集中力を欠き、良い判断ができない。
頭で考えているかぎり迷いが生じるが、ハラが決まれば迷わない。
お坊さんの生活:動物性食品を排除し、少食を実践することで、
ハラをきれいにして、感情が乱れないよう、コントロール
逆に、動物性食品をたくさん摂ると特有の闘争心が湧いてくるので、
スポーツなどではこれがプラスに作用し、相手を圧倒することもできます。
P.32 「食べない時間」を大事にする
食べ物に含まれるタンパク質は、腸でアミノ酸にいったん分解されて細胞まで
運ばれたあと、再びタンパク質に合成され体の組織や器官の材料になります。
が、すべてが合格品になるわけではありません。合成できなかった不良品の
ゴミがたまっていけば、、当然、細胞の働きも低下してしまうでしょう。
定期的な断食がおすすめなのは、細胞内で「オートファジー」と呼ばれる
リサイクル・システムが作動して、こうしたタンパク質のゴミをアミノ酸に
分解し、再びタンパク質合成の材料にできるからです。
食べないことで細胞のゴミ処理ができ、
しかも、身体の部品がつくられていく
逆に言えば、食べてばかりいると腸だけでなく細胞にもゴミがたまる一方で、
オートファジーも働きません。
P.47 玄米か白米か??
玄米を精白することで、ビタミンやミネラル、食物繊維が削られたとしても、
ほかの食品から補えばバランスは取れる。
……現代栄養学ではそう発想しているようですが、
「部分」の総和が「全体」になるわけではありません。
カロリーや栄養価の計算だけでつじつまを合わせようとしていると、
「食べ物が生命である」という大事な視点が見失われてしまうことになる。
生命が失われたものばかり食べていれば、自分自身のの生命力が失われる。
これは食べ物すべてに言えることです。コメはまだ「粒」が残されていますが
小麦のように「粉」にしてしまえば、さらに「生命」から遠ざかります。