p.221 健康はお金とよく似ています。
多くの人が求めるもので、どちらも生きるために必要な
手段ですが、それを得ることが目的にすり替わりやすい。
健康を人生の目的にしてしまうと、死が迫ったとき、
焦りとおびえが生じます。
それは必ず破産すると決まっているのに、貯筋に励む
ようなものです。
その煉獄から抜け出すには、ある程度のお金が貯まったら、
それで満足する心の準備をしておくことでしょう。
p.222 つまり、あらかじめある年齢を超えたら、
もう十分生きたと満足する心づもりをしておくことです。
そのとき、欲張って年齢設定を高くしすぎると、
自ら苦しみを招きます。
コツは、できるだけ設定を低くすることです。
その年齢までにやりたいことはやりきったと、
自分で納得できれば、死が迫ってきても、
慌てずにすむのではないでしょうか。
(中略)人生最後の2年を有意義なものにしようと決心し、
覚悟を決めたなら、亡くなるときに、「おびえた人生」ではなく、
「最後は自分のしたいように生きたわね」と、言われるはずです。
私の夫は「短命の家系」に生まれ、一族の男性の中では最長老でした。
「69歳で亡くなった兄貴より7年も多く生きられたんだし、
たくさんのことにチャレンジしてきたから悔いはない。」
と言って、全てを受け入れていて、穏やかでした。
願わくば、病魔との闘い(緩和ケア)が功を奏してくれてさえいれば・・・・・
というのが彼と私の誤算であり、悔いでもあります。
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