浄土真宗にようこそ(010)
サンガ(和合衆)は三宝の一つですが、実は一番具体的な宝ではないでしょうか。
ブッダとそのダルマとサンガの三宝だったのですが、やがてブッダの滅度がありました。
しかるにそのダルマとサンガは生き続けました。
七葉窟で開かれた最初の経典結集(sangiiti)では、感動的な出来事がありました。
ブッダが滅度されてすぐの雨期の集い、雨安居では…。
アーナンダを巡って、大きな事件がありました。
マハーカッサパが、アーナンダを追い出します。
「そなただけは此処にいるに相応しくない」というのです。
幾つもの事例を挙げて、マハーカッサパはアーナンダを弾劾します。
実際には、アーナンダが未だに覚りを開いてなかったことが最大の理由です。
追われてアーナンダは、とぼとぼと七葉窟から下りてゆきます。
ところが、追い出したマハーカッサパを始めとしてサンガはアーナンダを待ったのです。
どれだけの日にちだったのか、それは解りません。
が、ブッダを失ってから最初の覚りを開いて、アーナンダが帰ってきます。
アーナンダは、ダルマに通暁していたのですが、今はその身に真実を体得したのでした。
待っていたサンガは、マハーカッサパの意向でアーナンダをブッダの席に招きます。
「さあ、ブッダのダルマを語ってくれ」とマハーカッサパは促します。
「私はこのように聞きました」と、アーナンダが語ります。
如是我聞で始まったのですが、内容が知られるにつれてサンガは深い思いに衝たれます。
今更のように、大聖世尊の堂々たる説法に感動してしまうのです。
経典の確認は、一年で終わったとは思えません。
場合によって、それは二年・三年と続けられたものではないでしょうか。
ダルマがこのように確認されましたが、同時にサンガは新しい運動に就きます。
ブッダなき世に、ブッダの大行を継承しようというのです。
ここから始まったサンガの歩みは、極めて貴重な運動だったはずです。
ずっと後の事になりますが、大乗の経典や菩薩が生まれるのは、サンガからです。
それだけではなく、さまざまに展開したサンガが、インドの歴史を貫いています。
経典のほとんどが、「如是我聞 一時仏在」で始まります。
「ある時 私はこのように聞きました」という意味です。
ずっと、「聞」と「一時」が気になっています。(これからも気にしていくでしょう)
◇「聞」に関しては、
仏教も 「聴聞道」
カウンセリングも 「聴聞道」
「聴聞」と言うあたりをずっとあたためていこうと思っています。
◇「一時」に関しては、
一般的な意味での「ある時」ではありません。
道元さんの言葉をかりますと、「有時(うじ)」に重なるように思います。
仏教は、本当に面白いデスネ。