「仏教は 人間学。仏道は 人間道」
新潟親鸞学会会長の里村専精先生に教えていただいた言葉です。
ボクは、この言葉を大事にしています。
最近、日本人は、(仏教=葬式・法事の儀式荘厳)とか
(無関心・無信心)と平気で発言する風潮であります。
本当に、残念です。
先日、図書館で
見田宗佑介著『社会学入門 ~人間と社会の未来~』
岩波新書 2006年4月20日 第1刷発行
を借りてきました。
本書の中に、次の言葉を見つけました。
「自己とは 他者である」(本書3頁)
この言葉は、ランボーやマルクスの認識のようですが、
カウンセリングの知見とも重なりますし、仏教の教えても重なります。
「カウンセリング&仏教&教育の重層」での《人間学・人間道》については、
【くりのみ会】で学び合いの《眼目(ガンモク)》でります。
今日は、道元さんの『正法眼蔵・現成公案』には、次の一文があります。
仏道をならふというは、自己をならふ也。
自己をならふといふは、自己をわするゝなり。
自己をわするゝといふは、万法に証せらるゝなり。
万法に証せらるゝといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長々出ならしむ。
カウンセリングも仏教も教育も、テーマは《自己》です。
《自己》とは、あなた自身のことです。
若い頃から、今すぐに、「仏教の学び」をスタートさせてもらいたいものです。