韓国のイ・チャンドン監督の「ポエトリー アグネスの詩」が、銀座テアトルシネマで公開中。(新宿武蔵野館でモーニングショーもある。)2010年のカンヌ映画祭脚本賞。韓国で一番権威がある大鐘賞の作品、女優、助演男優、脚本賞受賞作品。
イ・チャンドン監督は1954年生まれで、小説家として成功したあと、自作の映画化で脚本を担当してから映画界に関わり映画監督としても成功した。ノ・ムヒョン政権で文化観光部長官を2003年から2007年にかけてつとめた。韓国民主化運動の文化的旗手の一人で、そういう経歴から映画作品は5本と少ないが、いずれも重要な作品ばかりである。
第1作の「グリーン・フィッシュ」はまだ模索中という感じだが、次の「ペパーミント・キャンディ」は民主化運動に参加したもの、警官として弾圧したものを、現在からエピソードをさかのぼって描くという実験的な方法が成功した。時間が普通の映画と逆にどんどんさかのぼっていくので、なかなか理解できず2回見たけど、2回見ると伏線がいろいろ理解できて面白い。三作目の「オアシス」(ヴェネツィア映画祭監督賞)が僕が思うに最高傑作。前科者の男と脳性まひの女の恋という、禁断というか、こんなのありかという設定ながら、見ているうちに人間存在の崇高さに心打たれた。続いて「シークレット・サンシャイン」(カンヌ映画祭女優賞)では、誘拐事件の被害者、加害者とキリスト教による「赦し」の問題を描いた。
このようにイ・チャンドンは、タブーに挑戦するかのようなテーマを扱い、方法的にも実験も試みながら、人間存在の奥深さを描く「純文学作品」を作り続けてきた、世界でも最も注目すべき映画作家の一人である。さて、では今度の作品はどういう話だろうと思うと、なんと中学生によるいじめ自殺事件というものである。韓国でも学校での問題はいろいろあるという話は聞いてるけど、これは実際にあった性暴力事件のインパクトを受けて発想した物語と言うことである。日本でも様々なケースがあったが、本格的に扱った映画作品は記憶にない。しかし、この映画はドキュメントや社会的告発を目的としたものではない。
題名(原題も)は「詩」。老女性ミジャが主人公である。娘が離婚してプサンに働きにいき、孫を育てながらつましく暮らしている。手にしびれがあり病院に検査に行くと、むしろ言葉の忘れなどが心配と言われる。(大学病院で検査を受けると初期のアルツハイマーと言われる。)その病院で自殺した女子中学生を見る。帰りに文化院で詩作の講座があることを知り、申し込んでしまう。彼女はホームヘルパーをしながら、貧しい暮らしをしているが、詩を作りたいというような感性を持った「童女」のような存在として描かれている。ところがある日、孫の友人の父親が訪ねて来て、女子中学生の自殺は孫を含む中学生グループの暴行が原因だと知らされる。今なら慰謝料をはらって示談にできる、と学校も家族も動いている。マスコミに知られないうちに早く金を払ってくれという。しかし、貧しい老女に金はない。
というのが主筋だが、詩の講義、朗読会への参加などがはさまり、「現実」を相対化して世界が深く見せる。この「詩」を作ろうとする老女性という設定が、かつてない深く重い味わいを出している。そして、「反省」という言葉のかけらもないような孫と友人たち、保身のみ考えている親たち、その中でミジャはどうすればいいのだろうか。この映画は答えを出さない。静かに見つめるだけで、誰をも裁かず、誰をも称賛しない。説明的描写も極端にすくない。だから登場人物が何を考えているかはよく判らないところがある。そして、映画は終わるけど登場人物はどうなるのか、結論を見せずに終わってしまう。
ただ、詩の教室で講座が終わるまでに一つの詩を作ってみようと講師がいう。ミジャはいつもメモ帳を持ち歩き詩を作ろうとしている。そして、他のメンバーは詩を作れなかったが、ミジャは最後に詩を作って残す。その詩だけが、ある意味でミジャという人の心象を映し出しているわけである。どういう解釈が成り立つかは観客にゆだねられている。主人公ミジャを演じているのは、かつての大スターだったユン・ジョンヒという女優で、結婚してパリに住んでいたのを久方ぶりに出演依頼したのだという。存在感あふれる名演で圧倒的である。なんだかよく判らないところも多いんだけど、心の奥深くに刻まれて残り続ける映画である。韓流スターが出ている映画ではないけど、これは是非見ておいて欲しいなと思う。
イ・チャンドン監督は1954年生まれで、小説家として成功したあと、自作の映画化で脚本を担当してから映画界に関わり映画監督としても成功した。ノ・ムヒョン政権で文化観光部長官を2003年から2007年にかけてつとめた。韓国民主化運動の文化的旗手の一人で、そういう経歴から映画作品は5本と少ないが、いずれも重要な作品ばかりである。
第1作の「グリーン・フィッシュ」はまだ模索中という感じだが、次の「ペパーミント・キャンディ」は民主化運動に参加したもの、警官として弾圧したものを、現在からエピソードをさかのぼって描くという実験的な方法が成功した。時間が普通の映画と逆にどんどんさかのぼっていくので、なかなか理解できず2回見たけど、2回見ると伏線がいろいろ理解できて面白い。三作目の「オアシス」(ヴェネツィア映画祭監督賞)が僕が思うに最高傑作。前科者の男と脳性まひの女の恋という、禁断というか、こんなのありかという設定ながら、見ているうちに人間存在の崇高さに心打たれた。続いて「シークレット・サンシャイン」(カンヌ映画祭女優賞)では、誘拐事件の被害者、加害者とキリスト教による「赦し」の問題を描いた。
このようにイ・チャンドンは、タブーに挑戦するかのようなテーマを扱い、方法的にも実験も試みながら、人間存在の奥深さを描く「純文学作品」を作り続けてきた、世界でも最も注目すべき映画作家の一人である。さて、では今度の作品はどういう話だろうと思うと、なんと中学生によるいじめ自殺事件というものである。韓国でも学校での問題はいろいろあるという話は聞いてるけど、これは実際にあった性暴力事件のインパクトを受けて発想した物語と言うことである。日本でも様々なケースがあったが、本格的に扱った映画作品は記憶にない。しかし、この映画はドキュメントや社会的告発を目的としたものではない。
題名(原題も)は「詩」。老女性ミジャが主人公である。娘が離婚してプサンに働きにいき、孫を育てながらつましく暮らしている。手にしびれがあり病院に検査に行くと、むしろ言葉の忘れなどが心配と言われる。(大学病院で検査を受けると初期のアルツハイマーと言われる。)その病院で自殺した女子中学生を見る。帰りに文化院で詩作の講座があることを知り、申し込んでしまう。彼女はホームヘルパーをしながら、貧しい暮らしをしているが、詩を作りたいというような感性を持った「童女」のような存在として描かれている。ところがある日、孫の友人の父親が訪ねて来て、女子中学生の自殺は孫を含む中学生グループの暴行が原因だと知らされる。今なら慰謝料をはらって示談にできる、と学校も家族も動いている。マスコミに知られないうちに早く金を払ってくれという。しかし、貧しい老女に金はない。
というのが主筋だが、詩の講義、朗読会への参加などがはさまり、「現実」を相対化して世界が深く見せる。この「詩」を作ろうとする老女性という設定が、かつてない深く重い味わいを出している。そして、「反省」という言葉のかけらもないような孫と友人たち、保身のみ考えている親たち、その中でミジャはどうすればいいのだろうか。この映画は答えを出さない。静かに見つめるだけで、誰をも裁かず、誰をも称賛しない。説明的描写も極端にすくない。だから登場人物が何を考えているかはよく判らないところがある。そして、映画は終わるけど登場人物はどうなるのか、結論を見せずに終わってしまう。
ただ、詩の教室で講座が終わるまでに一つの詩を作ってみようと講師がいう。ミジャはいつもメモ帳を持ち歩き詩を作ろうとしている。そして、他のメンバーは詩を作れなかったが、ミジャは最後に詩を作って残す。その詩だけが、ある意味でミジャという人の心象を映し出しているわけである。どういう解釈が成り立つかは観客にゆだねられている。主人公ミジャを演じているのは、かつての大スターだったユン・ジョンヒという女優で、結婚してパリに住んでいたのを久方ぶりに出演依頼したのだという。存在感あふれる名演で圧倒的である。なんだかよく判らないところも多いんだけど、心の奥深くに刻まれて残り続ける映画である。韓流スターが出ている映画ではないけど、これは是非見ておいて欲しいなと思う。