尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

民藝「静かな落日」を観る

2012年02月06日 23時59分15秒 | 演劇
 新宿の紀伊國屋サザンシアターで、劇団民藝の「静かな落日」を観た。14日まで。夜は8日だけで、後は毎日昼一回、13時半のみ。新劇というのも、ほとんど伝統芸能である。民藝は大滝秀治、奈良岡朋子という大御所がまだまだお元気なので、僕にとっては比較的よく見る劇団なんだけど、今回は劇の主題と主人公が主眼。


 吉永仁郎作で2001年に初上演され、その後地方公演を重ねてきた作品で、名前にあったような静かな名作である。劇団のホームページから引用すると、「戦後最大の冤罪事件にペン一本で挑んだ広津和郎。病身の和郎に寄り添い支えつづけた一人娘の桃子。父と娘とのおかしくせつない家族のきずなを描く。」広津和郎は伊藤孝雄、桃子は樫山文枝。

 僕は、このブログで何回か松川事件について触れたので、この劇は是非見ておきたいと思った。(初公演時は見ていない。)そして松川事件と裁判について、改めて多くの人に訴えるいい舞台だった。でも、劇の眼目は親子の関係にある。父娘が作家という人には、森鴎外と森茉莉とか、幸田露伴と幸田文がいるが、これらは両方読んだ人も多いだろうし、読んでなくても名前は知ってるのではないか。それに対し、広津和郎と広津桃子は今では忘れられているかもしれない。名前知ってますか?父と娘どころか、明治の作家広津柳浪(りゅうろう)から始まる作家三代の家なのである。

 僕は昔から結構広津和郎が好きで、浪人時代に「神経病時代」などを読んでいる。今は「松川裁判」でしか知られていない感じだけど、大正時代は新進気鋭の作家だった。戦時中は「散文精神」を主張して、「静かな抵抗」を続けている。この散文精神というのは、「どんな事があってもめげずに、忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず、行き通して行く精神」というのである。今でも心に響く素晴らしい言葉だと思う。今でも、というか、「今こそ」かもしれない。

 そして、戦後になって、松川事件にめぐり合う。1949年8月、福島県の松川駅(福島市)付近で、列車の脱線転覆事故が起きた。その頃は国鉄に関する怪事件が続いていて、政府、警察は共産党の犯行と決めつけて、強引な捜査で国鉄と東芝労組の共産党員を逮捕、起訴した。一審福島地裁は死刑5名を含む20名全員有罪だった。広津がこの事件を知ったきっかけは、劇の中にあるように、友人の作家宇野浩二が先に被告人の文集「真実は壁を透して」を読んだことにある。被告たちは文集をまとめて、多くの作家、文化人に送った。古い作家(「戦後派」でもなく、昭和のプロレタリア文学や新感覚派よりも前の、私小説的な作家と思われていた)の宇野、広津だけが、鋭く反応したというのは興味深い出来事である。

 そして、以後の広津は「中央公論」に「松川裁判」を長期に連載、松川運動を大きく広げるのに大きな貢献をした。国民に広く訴えるには、リアリズム作家の目が信用されたことが大きかった。裁判は1959年に最高裁で死刑判決破棄、仙台高裁差し戻しとなる。1961年に全員無罪判決、1963年に最高裁で無罪が確定した。しかし、劇団のブログを読むと、今でも福島では無罪を信じていない人がいるらしい。この無罪判決にもっとも貢献したのは、広津和郎の文筆活動だったと言ってもいい。結果として、広津文学の主著になったと言える「松川裁判」は、「言葉の力」をまざまざと示す圧倒的な「文学作品」でもある。世界文学史においても、ゾラのドレフュス事件の告発に匹敵する大きな出来事だったと思う。

 その広津の前半生(戦前)を描く前半は複雑な家族関係を嫌味なく描き、後半になって松川事件との関わりが描かれる。特に、宇野とともに仙台高裁の控訴審判決(死刑4人)を傍聴をした夜の部屋の場面は、考えさせるところの多い、心揺さぶられる名場面。被告席と傍聴人の間にいる警官隊は座布団に座っていた、傍聴人は板の上だったとか、宇野浩二のトリヴィアルな眼差しが鋭い。そして「なぜ松川事件に関わるのか」を二人で語り合う。明らかに無実だと自分が考える人々に死刑が言い渡された。知ってしまった以上、避けて通れないではないか。

 広津和郎の「散文精神」と、その実践としての松川救援運動は、近代日本の民衆が忘れてはならない貴重な遺産だと思う。「リアリズム」の眼差しのすごさというものも、軽視してはいけない。そういうことを静かに訴える作品で、知らない人にこそ見て欲しい。平日の昼間に6000円というのはなかなか厳しい人が多いかもしれないが。なお、この劇では娘の桃子の存在感が大きい。父の文筆活動を支え、父の死後作家活動に入り、静謐な作品をわずかに残した。ゆかしい「おひとりさま」人生だった。桃子の姿を描く劇とも言えるけど、ここでは「松川事件を広く知ってもらう」という目的を中心に書いた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする