尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

パーマ屋スミレ

2012年03月14日 22時13分43秒 | 演劇
 今週はギリシャの映画監督、テオ・アンゲロプロスの追悼上映で長い映画をいっぱい見る心積もりでいたら、月曜朝に突然具合がわるくなった。セキとかクシャミ一切なく、発熱と腹の調子。一晩寝てもなかなか熱が下がらず38度台後半、医者に行ったけどインフルエンザではない。何か腹にくるウィルスに突然襲来されたらしい。解熱剤を服用しても今日には何とかしたいのは、「パーマ屋スミレ」のチケットを買っていたから。


 ということで、新国立劇場の鄭義信(チョン・ウィジン)作・演出の「パーマ屋スミレ」。心打たれる傑作。鄭義信が新国立で書き続けてきた「在日の戦後史」シリーズ。実はあの大評判だった(再演もされた)「焼肉ドラゴン」も多忙で見逃してしまった。(ヒマが作れると判った時はチケットが売り切れということが多い。)今回の劇は、1965年の九州北部の炭鉱地帯、有明海の見える「アリラン峠」で暮らす在日朝鮮人の「三人姉妹」の物語。「在日の物語」でもあるけれど、この劇は「炭鉱夫の物語」というべき展開になる。モデルは明らかに、三井三池炭鉱の大争議の後の、63年の三川鉱の炭塵爆発とCO事故である。プログラムの年表によれば、死者458人。CO中毒患者839人。

 家族には、朝鮮籍の者、韓国籍の者(65年に「日韓条約」)、日本国籍を取った者もいる。「北」をめざす者(当時は「北の祖国へ帰る」と表現された)もいる。そういう「在日」の苦難も語られるけれど、途中からCO事故の影が大きくなる。長女根岸季衣)は第一組合の支部長の内縁の妻。次女南果歩)は集落で床屋をしているが夢はやがてパーマ屋を開くこと。名前も決めている。「パーマ屋スミレ」である。松重豊)は炭鉱で働くが事故の救出に向かい中毒患者になる。三女は日本人の夫がCO中毒で働けないが、第二組合に移って仕事をもらおうとしたがうまく働けずに解雇され追いつめられていく。こうして書くと暗い話のように感じられるかもしれないが、「長女の子」と現在の大人になって昔を回顧する「長女の子」を狂言回しで舞台に登場させる(同一人物の子供時代と大人が一緒に舞台に登場する。大人の方は、ほら、この後出てくるのが当時の私ですというように観客に語りかける)という仕掛けで、笑いあり、涙ありのすぐれた舞台になっている。

 そして、日本の中で、「在日」が、「石炭」が、「第一組合」が、「CO中毒患者」がと、切捨てされていく「犠牲のシステム」(©高橋哲哉)があぶりだされていく。「一つの事故でどんなに多くの人の人生がどれほど変えられてしまったか」。ラスト近くのセリフに、万感がこもる。誰もが、福島第一原発の事故を想起しないわけにはいかない。と同時に、忘れてはいけない多くの事故があり、忘れ去ってきているという事実も。

 その中で救いとも感じられるのが、今もなおアリラン峠で生き抜いているとされる次女須美である。組合を敵に回してもあくまでもCO中毒訴訟をやりぬくために、他の家族が去った後も居続けたのである。凛とした毅然たる女性の生き方を南果歩が自在に演じている。松重豊とのやり取りも良く出来ている。やはり「闘う女」ヒロインというのは、感動が深いです。僕は南果歩という人は、「伽耶子のために」(1984年。李恢成原作。小栗康平監督)のデビュー時からファン。舞台でも見てる。自ら在日であると公表しているようだけど、この劇の出来は大変素晴らしいと思いました。

 ぴあ等のチケットは売り切れているようですが、朝10時からZ席(1500円)販売。電話予約不可。
 ところでプログラムを読んだら、アングラ演劇の演出家、流山児祥がこの地域(熊本北部の炭鉱地帯・荒尾)だと出ていた。宮崎滔天記念館の隣の床屋が母の実家だとある。え、去年行ったぞ、そこ。と思って写真見たけど、記念館しか撮ってなかったです。当たり前。日本にとって「石炭」の持つ歴史的意味はとても大きいけど、最近かなり語られるようになってきて、大事なことだと思う。ただし、第一組合と第二組合の対立というのは、もう少し解説がないと判らない人が多いかもしれない。(なんだか全然中身を知らずにチケットを買ってしまい、中身がこんなに重いとはと言っている人の声を聞いた。)

 書いてる最中に千葉の方で地震、結構揺れた。サッカー五輪予選最終戦中継が途切れた。いつの間にか点が入っていたではないか。7時前には東北沖で地震、津波注意報。多いですねえ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする