年度内に書いてしまいたいので、もう一本。授業の話である。生徒から見れば、教師は授業や部活動であるだろうけど、教員として見ればそうではない。というか、若い時は教員もそうかもしれないが、だんだん授業は「ルーティン・ワーク」(決まりきった日常の仕事)になってくる。いや、だから手を抜いてるということではないんだけど、例えば歴史の教員が日本史の授業をするときに、毎年そんなに違っては逆におかしい。教科書は同じなんだから。しかし生徒は毎年違うので、行事指導や生活指導は毎年かなり違うのである。
そして、学校と言うところは「見えない学力」を育てるところである。授業そのものも大事だが、特別活動や清掃なども同じように、というかむしろそっちは今は家庭でもなかなかやらないんだから、そっちの方が大事かもしれない。だから授業以上に、修学旅行や文化祭など大行事の企画運営案作成といった裏仕事の方が面白いのである。時間割の案を作る人がいて時間割ができる。部活顧問の案を作る人がいて顧問が決まる。修学旅行実施案を作る人がいて初めて旅行に出発できる。生活指導の案を作る人がいて生徒の問題行動があっても一致して指導に当たれる。あらゆる仕事がみんなそうであると思うけど、表で見える仕事を準備する「裏の仕事」があるわけだ。教員歴が長くなるにつれ、そういう仕事が多くなってくるし、面白くもなってくる。
で、四つ目。「人権」という授業を作った。授業そのものの前に、そういう授業を企画したという仕事が自分には大きい。これは赴任した年に考えて、翌年から実施した。学校としては3年目。つまり1期生が3年となり、卒業する生徒が出る年。必履修科目を取り終った生徒向けに、社会科系(だけでなく全教科で)の上級科目をおく必要が出てくる。本来、世界史、日本史、地理には「B」科目という週4時間科目がある。進学校で置いているB科目ではなく、本校では週2時間の「A」科目のみを置いている。しかし、完全単位制ですべて2時間連続授業なので、「B」科目をおいても取らせ方が難しい。教員としても同じ年に両方やったりするのは負担が大きい。だから社会科系の独自科目を設定する(都教委に「学校設定科目」の申請を行う)という方法を取ったわけである。(なお、4年目から「歴史探訪」という科目も開設した。)
僕が考えたのは、自分が担当することを前提に、生徒の実態にあった「考える授業」ができる科目ということである。不登校、中退生徒の学校ということで、(何も考えていないような生徒もまあいるけど)、むしろ社会的関心がある生徒はなまじの中堅校よりも多いのではないかという感じがした。しかし自分から外へ出て行く行動力がなかなか発揮できない。ではゲストを呼んで一緒に考えるというスタイルしかない。しかも大学を目指すという生徒が多いようだったけど、一般受験は無理そうで推薦制度を利用することになりそうだった。だから面接や作文で「高校時代に学んだこと」として語れるような授業を作ってあげたいと思った。(実際面接などで話に出たケースも聞いてるので、作ったことは無駄ではなかった。)
では何をやるか。とりあえずずっと関心を持ってきたハンセン病を語ればいいと思って、1年目は1学期間ハンセン病。2年目は戦争のお勉強。差別、戦争、貧困をバランスよく取り上げればいいと思ったけど、なかなかそれは難しかった。本当は生徒間討論、ロールプレイなどができればいいと思い、到達点は参加生徒で人権の朗読劇を作るということを考えていたのだけど、2年やってそれは無理だと判った。生徒がバラバラに取ってくるので難しいのである。だから3年目くらいからは、「生徒のアタマとココロを刺激するレッスン」みたいな感じで教員主導でいいやと思ってやってきた。1年目は10人ちょっとで、少し宣伝したので2年目からは30人くらいになって、うれしい反面外部訪問が難しくなった。でも毎年(5年目の自分が担当できない2011年度も含め)、なかなか面白いメンバーが集まり自分なりに達成感はある。
取り上げたテーマは、濃淡あるが、ハンセン病、在日朝鮮・韓国人、冤罪、死刑制度、ホームレス問題、差別、アイヌ民族、戦争、アパルトヘイト、などかな。ハンセン病問題では森元美代治さんに5年間お話頂いた。布川事件の桜井昌司さんのお話も生徒の反響が大きかった。他にも多くの人をお呼びすることができた。単発で「ぼくは12歳」のCDを聞いたり(ちなみに作家高史明の子息で、小学生で自死した岡真史の詩を中山千夏がうたったレコードがあり、それがCD化されている)、大分の中学校で養護教諭として人権の授業をしていた故山田泉さんの追悼授業をしたこともあった。アパルトヘイトはワールドカップ南アフリカ大会の最中のことで、本校には「国際理解」という科目もあるので国際的な課題はあまり取り上げなかった。ええと、あの問題を忘れているじゃないかって。それは別立てで取り上げる。
5つ目。「人権」の授業で、性的マイノリティの問題を考えたこと。僕が当初「人権」の授業を構想した時には、性的マイノリティの問題のことはあまり頭になかった。前任の夜間定時制でGID(性同一性障害)を自認する生徒に出会っていたが、それほど詳しいわけではなかった。ところがその問題を取りあげてくれという当事者がいたのである。そこで語れる人を求めて、同性愛の牧師として行動している平良愛香さんのことを紹介されて授業をお願いした。さらに性同一性障害に関して、虎井まさ衛さんや上川あやさん(世田谷区議)をお呼びした年がある。他の人権の外部講師の時は大体そうなんだけど、他の教員にも情報を提供して一緒に聞いてもらったこともある。今思うと、それこそが自主研修である。生徒の中にもこの問題が聞きたくて「人権」を取ったという例が結構ある。芸能活動をしている生徒も多く、身近な問題と思っている生徒もいるのである。
なんでこの問題だけ、別立てにしたのか。それは制服もない単位制高校である六本木高校に、他の高校を中退したり、他の高校から転学して入学した性同一性障害の生徒を複数知っているからである。僕はこの問題の大きさを後からますます感じるようになった。全日制高校では生きにくいことが、それは多かっただろうと思う。制服を着用するということだけでも。ある種、単位制定時制のよさは、そのようなマイノリティの生徒を受け入れられるという点にあるのではないかと、僕は思うようになった。そして、他の先生にも情報を提供することによって、多少なりとも校内での理解に役立てたのかもしれないと考えることにしている。だから授業そのものというよりも、もう少し別の観点で僕の関わった仕事だと思っているのである。
そして、学校と言うところは「見えない学力」を育てるところである。授業そのものも大事だが、特別活動や清掃なども同じように、というかむしろそっちは今は家庭でもなかなかやらないんだから、そっちの方が大事かもしれない。だから授業以上に、修学旅行や文化祭など大行事の企画運営案作成といった裏仕事の方が面白いのである。時間割の案を作る人がいて時間割ができる。部活顧問の案を作る人がいて顧問が決まる。修学旅行実施案を作る人がいて初めて旅行に出発できる。生活指導の案を作る人がいて生徒の問題行動があっても一致して指導に当たれる。あらゆる仕事がみんなそうであると思うけど、表で見える仕事を準備する「裏の仕事」があるわけだ。教員歴が長くなるにつれ、そういう仕事が多くなってくるし、面白くもなってくる。
で、四つ目。「人権」という授業を作った。授業そのものの前に、そういう授業を企画したという仕事が自分には大きい。これは赴任した年に考えて、翌年から実施した。学校としては3年目。つまり1期生が3年となり、卒業する生徒が出る年。必履修科目を取り終った生徒向けに、社会科系(だけでなく全教科で)の上級科目をおく必要が出てくる。本来、世界史、日本史、地理には「B」科目という週4時間科目がある。進学校で置いているB科目ではなく、本校では週2時間の「A」科目のみを置いている。しかし、完全単位制ですべて2時間連続授業なので、「B」科目をおいても取らせ方が難しい。教員としても同じ年に両方やったりするのは負担が大きい。だから社会科系の独自科目を設定する(都教委に「学校設定科目」の申請を行う)という方法を取ったわけである。(なお、4年目から「歴史探訪」という科目も開設した。)
僕が考えたのは、自分が担当することを前提に、生徒の実態にあった「考える授業」ができる科目ということである。不登校、中退生徒の学校ということで、(何も考えていないような生徒もまあいるけど)、むしろ社会的関心がある生徒はなまじの中堅校よりも多いのではないかという感じがした。しかし自分から外へ出て行く行動力がなかなか発揮できない。ではゲストを呼んで一緒に考えるというスタイルしかない。しかも大学を目指すという生徒が多いようだったけど、一般受験は無理そうで推薦制度を利用することになりそうだった。だから面接や作文で「高校時代に学んだこと」として語れるような授業を作ってあげたいと思った。(実際面接などで話に出たケースも聞いてるので、作ったことは無駄ではなかった。)
では何をやるか。とりあえずずっと関心を持ってきたハンセン病を語ればいいと思って、1年目は1学期間ハンセン病。2年目は戦争のお勉強。差別、戦争、貧困をバランスよく取り上げればいいと思ったけど、なかなかそれは難しかった。本当は生徒間討論、ロールプレイなどができればいいと思い、到達点は参加生徒で人権の朗読劇を作るということを考えていたのだけど、2年やってそれは無理だと判った。生徒がバラバラに取ってくるので難しいのである。だから3年目くらいからは、「生徒のアタマとココロを刺激するレッスン」みたいな感じで教員主導でいいやと思ってやってきた。1年目は10人ちょっとで、少し宣伝したので2年目からは30人くらいになって、うれしい反面外部訪問が難しくなった。でも毎年(5年目の自分が担当できない2011年度も含め)、なかなか面白いメンバーが集まり自分なりに達成感はある。
取り上げたテーマは、濃淡あるが、ハンセン病、在日朝鮮・韓国人、冤罪、死刑制度、ホームレス問題、差別、アイヌ民族、戦争、アパルトヘイト、などかな。ハンセン病問題では森元美代治さんに5年間お話頂いた。布川事件の桜井昌司さんのお話も生徒の反響が大きかった。他にも多くの人をお呼びすることができた。単発で「ぼくは12歳」のCDを聞いたり(ちなみに作家高史明の子息で、小学生で自死した岡真史の詩を中山千夏がうたったレコードがあり、それがCD化されている)、大分の中学校で養護教諭として人権の授業をしていた故山田泉さんの追悼授業をしたこともあった。アパルトヘイトはワールドカップ南アフリカ大会の最中のことで、本校には「国際理解」という科目もあるので国際的な課題はあまり取り上げなかった。ええと、あの問題を忘れているじゃないかって。それは別立てで取り上げる。
5つ目。「人権」の授業で、性的マイノリティの問題を考えたこと。僕が当初「人権」の授業を構想した時には、性的マイノリティの問題のことはあまり頭になかった。前任の夜間定時制でGID(性同一性障害)を自認する生徒に出会っていたが、それほど詳しいわけではなかった。ところがその問題を取りあげてくれという当事者がいたのである。そこで語れる人を求めて、同性愛の牧師として行動している平良愛香さんのことを紹介されて授業をお願いした。さらに性同一性障害に関して、虎井まさ衛さんや上川あやさん(世田谷区議)をお呼びした年がある。他の人権の外部講師の時は大体そうなんだけど、他の教員にも情報を提供して一緒に聞いてもらったこともある。今思うと、それこそが自主研修である。生徒の中にもこの問題が聞きたくて「人権」を取ったという例が結構ある。芸能活動をしている生徒も多く、身近な問題と思っている生徒もいるのである。
なんでこの問題だけ、別立てにしたのか。それは制服もない単位制高校である六本木高校に、他の高校を中退したり、他の高校から転学して入学した性同一性障害の生徒を複数知っているからである。僕はこの問題の大きさを後からますます感じるようになった。全日制高校では生きにくいことが、それは多かっただろうと思う。制服を着用するということだけでも。ある種、単位制定時制のよさは、そのようなマイノリティの生徒を受け入れられるという点にあるのではないかと、僕は思うようになった。そして、他の先生にも情報を提供することによって、多少なりとも校内での理解に役立てたのかもしれないと考えることにしている。だから授業そのものというよりも、もう少し別の観点で僕の関わった仕事だと思っているのである。