教師にとって「卒業生を出す」とはどういうことだろうか?考えてみたいのは、そのことだ。入学式があり新入生が入ってくる。やがて授業が始まり、特別活動(行事や部活動等)も本格化してくる。そしてテストがあり評価がある。事件が起こったり、様々な事情で学校が続かない生徒も出てくる。毎年のほぼ決まったカレンダーの繰り返しである。耕し、種をまき、剪定し、収穫し、出荷する。農の営みに、それは似ているかもしれない。すべての素晴らしいこと、辛いことは通り過ぎてゆき、最後に「卒業」が来る。
学校は通り過ぎるところで、やがては上級学校を経て「実社会」に出て行く。その意味で「進路」が学校の本質である。ただし、いわゆるいい学校、いい会社にどれだけ入れるかという「競争」が学校の本質ではない。その「出口指導」、「狭い意味での進路指導」ももちろん大切である。でも、世の中は競争だ、学校ももっと競争を激しくせよ、教員も競争だ、授業も競争だみたいなことを言う人が最近は結構いる。それが正しいとは思えない。世の中はそんな強い人ばかりではない。実社会の競争は必ずしもフェアな戦いばかりではない。学校で身につけた力でフェアに戦って勝てる場合だけではない。負けた人の心の拠り所はどこにあるのだろうか。それは一冊の本かもしれないし、心を打つ一曲かもしれない。でも多くの人にとって、行事や部活動で経験した「連帯の記憶」が大きな力になっているのではないか。いや、行事や部活とか言わなくても、学校時代の友人との他愛ないおしゃべり、その大切さこそが「学校」が人生にとって占める一番大きいものではないのか。
そのような学校の本質的機能を弱めてはいけない。今、競争重視、進路実績偏重の広がりとともに、学校の担ってきた大切な役割が弱められているのではないか。それは大変な事態をもたらすのではないか。僕が今言う「進路」とは、そのような「場」を育て、生徒とともに学校を作っていくことを意味している。つまり近年よく言われる「生き方指導としての進路指導」である。本人の自己認識の深化、社会認識の確立がないと、就職か進学か、大学か専門学校か、文系か理系か、推薦入学(AO等)か一般受験かなども決めようがない。そしてHR活動や行事、部活動などを通して、教員側も生徒理解を深め、学力だけでない本人の特質をつかんでいく。それを通して、保護者を含め、本人も納得のいく進路先を決めて行くわけである。大事なのは「狭義の進路指導」をするためには、広い意味での進路指導、「生き方指導」が必要だということだ。
だから教師にとっては、学級担任として生徒の進路に関わること、そのために生徒理解を深めることがもっとも大事だと思うし、他のどの仕事にもましてやりがいがある。僕にとっては少なくともそうだった。もちろん授業で接した生徒が一番多いわけだけど、何十年も教師をしていると、卒業時の学年しか覚えてないことが多い。「卒業生を出す」ということが何といっても大きなことだからである。(ちょっと別の話になるが、僕が「民間人校長」という制度に違和感を持つのもその点である。学校経営というだけなら教員でなくてもいいかもしれないが、生徒からすれば今まで一度も卒業生を送り出したことがない人が校長先生だというのでは、何かと不安もあるのではないかと思うのである。)
鳥取にホスピス「野の花診療所」を開いている医者、エッセイストの徳永進さんという人がいる。FIWC(フレンズ国際労働キャンプ)の先輩であり、ハンセン病に関する素晴らしい本「隔離」の著者でもある。1997年に「らい予防法廃止一周年記念集会」を僕が責任者になって開催した時にも、講演をお願いし圧倒的な感動で場内を包んだ。その徳永さんが医者の仕事、時に「新規外来のやりがい」についてこんなことを書いている。講談社ノンフィクション賞を得た「死の中の笑み」という本である。「自分が初めて診断することで、そのことによってその患者さんが今まで過ごしてきた日常生活が今後どうなっていくか、ということを展望できる面白さだと思う。そこに希望があるにしろ悲しみがあるにしろ、ぼくら医療者はその緊張を支えとして仕事を続けている。」これは学校の教員に限らず、人を相手に仕事をしている人には多かれ少なかれあてはまる名言ではないか。
つまり、学級担任は学習や生活指導を通し、また行事、保護者面談などを通して生徒を理解していく。そして進路希望を聞き、生徒にとってふさわしいか、高すぎないか、もっと頑張れるのではないかなどを展望し、本人とともに微調整をしていき、一緒に考えていく。そして生徒は思いのほか活躍したり、途中で大きく変わったり、時には裏切られたりしながら、進路が決まっていく。そして卒業の日を迎える。その日のために今までの苦労があったので、担任としても一番うれしい日であるのはもちろんだけど、教員からすればそれも一つの通過点であり、新年度の人事がありすぐに新入生の対応へと気持ちは移っていく。日々「新しい患者」が外来に来るのである。そういう教師としての一つの到達の日であり、同時にまた通り過ぎる一瞬であるというのが「卒業式」というものであると思う。
「生き方指導としての進路指導」と書いたけれど、これは学校側から見た言葉である。生徒からすれば、日々の人間関係や学習活動はいろいろ複雑で毎日が試行錯誤である。そんな中で「生き方」などというものを教師が大上段から教えることなどできない。だから「指導」というよりも「伝わる」ものなのではないかと思う。教師が持っている授業や部活動の知識や技術や経験、これを生徒が感じ取るのである。だから「伝わらない人」もいるし、同じ人間としては馬が合うとか合わないとかもあるのは当然で、どうもお互いの理解がうまくいかない場合もある。自分の生徒時代を思い出しても、学校の対応がなんだか納得できない場面はいっぱいあった。教師も様々だった。しかし、この「教師の多様性」が今になると人生勉強になったと思う。教師を一様にしようとするのは、だから全くの愚策で、現在の教育行政は将来に禍根を残さなければいいなと痛感する。
上級学校に進学しても、就職しても、人生はまだまだ続く。「生き方」という意味では、人生の最後の日まで自分なりの試みや変化がある。学校の同窓会なんかも、何十年もたって皆が高齢になってからの方がよく開かれたりする。だから学校の役割というものを、短期的に測ってはいけない。株式会社じゃないんだから、「今期の営業実績」みたいにして、○○大合格何人などと言うのは教育の本質ではない。いやとりあえず進路実績という情報も公開されるのは当然だけど、それで「学校力」「教師力」を測ってしまうのは間違っている。教育は超長期的な営みであることを行政が理解しないで、短期的な目標を押し付けたら学校は間違った道を歩むことになる。
卒業して何年もたってから、本を読んだら「恩人に手紙を書こう」とあったので、もう普段字も書かないんだけど僕に手紙を書いてみましたという卒業生がいた。班ノートに別の生徒への返事として書いたことが、他の生徒に大きな力を与えていたと卒業してから聞いたこともある。どちらも精一杯お世話したという中で起こったことではない。これが面白い、恐ろしいところで、何気ない一言、ちょっとした言動が生徒の力になっていることがある。それは自分の人生を思い出してもわかる。授業で教わったことを忘れても、教師の人生そのもの、趣味や生き方からこそ大きな影響を受けてきたんだと思う。だけど、それは裏返していえば、何気ない言動が生徒を傷つけていたことも同じくらいあることを暗示しているだろう。別に抗議するほどのことでもないけど、「この先生では」と思うことは僕も何度もあった。そういうことも含めて、だから最後には教師の人間としての力が試されてしまう。
そういうのが「卒業」というものであると思う。だから「卒業式」という日が終わっても、生徒の心の中で学校は終わっていない。何十年も生きていて、心の拠り所になり、担任なり誰かの言葉が支えになっている。だけど実人生の中では、どこかでケリをつけるしかない。儀式を行って一端中締めとするが、卒業式を終えても「卒業」という期間はもっと長いのである。そしてそういう生徒に関わったということが、「卒業生を出す」ということで、教師にとっては一番の仕事なんだろうと思う。
学校は通り過ぎるところで、やがては上級学校を経て「実社会」に出て行く。その意味で「進路」が学校の本質である。ただし、いわゆるいい学校、いい会社にどれだけ入れるかという「競争」が学校の本質ではない。その「出口指導」、「狭い意味での進路指導」ももちろん大切である。でも、世の中は競争だ、学校ももっと競争を激しくせよ、教員も競争だ、授業も競争だみたいなことを言う人が最近は結構いる。それが正しいとは思えない。世の中はそんな強い人ばかりではない。実社会の競争は必ずしもフェアな戦いばかりではない。学校で身につけた力でフェアに戦って勝てる場合だけではない。負けた人の心の拠り所はどこにあるのだろうか。それは一冊の本かもしれないし、心を打つ一曲かもしれない。でも多くの人にとって、行事や部活動で経験した「連帯の記憶」が大きな力になっているのではないか。いや、行事や部活とか言わなくても、学校時代の友人との他愛ないおしゃべり、その大切さこそが「学校」が人生にとって占める一番大きいものではないのか。
そのような学校の本質的機能を弱めてはいけない。今、競争重視、進路実績偏重の広がりとともに、学校の担ってきた大切な役割が弱められているのではないか。それは大変な事態をもたらすのではないか。僕が今言う「進路」とは、そのような「場」を育て、生徒とともに学校を作っていくことを意味している。つまり近年よく言われる「生き方指導としての進路指導」である。本人の自己認識の深化、社会認識の確立がないと、就職か進学か、大学か専門学校か、文系か理系か、推薦入学(AO等)か一般受験かなども決めようがない。そしてHR活動や行事、部活動などを通して、教員側も生徒理解を深め、学力だけでない本人の特質をつかんでいく。それを通して、保護者を含め、本人も納得のいく進路先を決めて行くわけである。大事なのは「狭義の進路指導」をするためには、広い意味での進路指導、「生き方指導」が必要だということだ。
だから教師にとっては、学級担任として生徒の進路に関わること、そのために生徒理解を深めることがもっとも大事だと思うし、他のどの仕事にもましてやりがいがある。僕にとっては少なくともそうだった。もちろん授業で接した生徒が一番多いわけだけど、何十年も教師をしていると、卒業時の学年しか覚えてないことが多い。「卒業生を出す」ということが何といっても大きなことだからである。(ちょっと別の話になるが、僕が「民間人校長」という制度に違和感を持つのもその点である。学校経営というだけなら教員でなくてもいいかもしれないが、生徒からすれば今まで一度も卒業生を送り出したことがない人が校長先生だというのでは、何かと不安もあるのではないかと思うのである。)
鳥取にホスピス「野の花診療所」を開いている医者、エッセイストの徳永進さんという人がいる。FIWC(フレンズ国際労働キャンプ)の先輩であり、ハンセン病に関する素晴らしい本「隔離」の著者でもある。1997年に「らい予防法廃止一周年記念集会」を僕が責任者になって開催した時にも、講演をお願いし圧倒的な感動で場内を包んだ。その徳永さんが医者の仕事、時に「新規外来のやりがい」についてこんなことを書いている。講談社ノンフィクション賞を得た「死の中の笑み」という本である。「自分が初めて診断することで、そのことによってその患者さんが今まで過ごしてきた日常生活が今後どうなっていくか、ということを展望できる面白さだと思う。そこに希望があるにしろ悲しみがあるにしろ、ぼくら医療者はその緊張を支えとして仕事を続けている。」これは学校の教員に限らず、人を相手に仕事をしている人には多かれ少なかれあてはまる名言ではないか。
つまり、学級担任は学習や生活指導を通し、また行事、保護者面談などを通して生徒を理解していく。そして進路希望を聞き、生徒にとってふさわしいか、高すぎないか、もっと頑張れるのではないかなどを展望し、本人とともに微調整をしていき、一緒に考えていく。そして生徒は思いのほか活躍したり、途中で大きく変わったり、時には裏切られたりしながら、進路が決まっていく。そして卒業の日を迎える。その日のために今までの苦労があったので、担任としても一番うれしい日であるのはもちろんだけど、教員からすればそれも一つの通過点であり、新年度の人事がありすぐに新入生の対応へと気持ちは移っていく。日々「新しい患者」が外来に来るのである。そういう教師としての一つの到達の日であり、同時にまた通り過ぎる一瞬であるというのが「卒業式」というものであると思う。
「生き方指導としての進路指導」と書いたけれど、これは学校側から見た言葉である。生徒からすれば、日々の人間関係や学習活動はいろいろ複雑で毎日が試行錯誤である。そんな中で「生き方」などというものを教師が大上段から教えることなどできない。だから「指導」というよりも「伝わる」ものなのではないかと思う。教師が持っている授業や部活動の知識や技術や経験、これを生徒が感じ取るのである。だから「伝わらない人」もいるし、同じ人間としては馬が合うとか合わないとかもあるのは当然で、どうもお互いの理解がうまくいかない場合もある。自分の生徒時代を思い出しても、学校の対応がなんだか納得できない場面はいっぱいあった。教師も様々だった。しかし、この「教師の多様性」が今になると人生勉強になったと思う。教師を一様にしようとするのは、だから全くの愚策で、現在の教育行政は将来に禍根を残さなければいいなと痛感する。
上級学校に進学しても、就職しても、人生はまだまだ続く。「生き方」という意味では、人生の最後の日まで自分なりの試みや変化がある。学校の同窓会なんかも、何十年もたって皆が高齢になってからの方がよく開かれたりする。だから学校の役割というものを、短期的に測ってはいけない。株式会社じゃないんだから、「今期の営業実績」みたいにして、○○大合格何人などと言うのは教育の本質ではない。いやとりあえず進路実績という情報も公開されるのは当然だけど、それで「学校力」「教師力」を測ってしまうのは間違っている。教育は超長期的な営みであることを行政が理解しないで、短期的な目標を押し付けたら学校は間違った道を歩むことになる。
卒業して何年もたってから、本を読んだら「恩人に手紙を書こう」とあったので、もう普段字も書かないんだけど僕に手紙を書いてみましたという卒業生がいた。班ノートに別の生徒への返事として書いたことが、他の生徒に大きな力を与えていたと卒業してから聞いたこともある。どちらも精一杯お世話したという中で起こったことではない。これが面白い、恐ろしいところで、何気ない一言、ちょっとした言動が生徒の力になっていることがある。それは自分の人生を思い出してもわかる。授業で教わったことを忘れても、教師の人生そのもの、趣味や生き方からこそ大きな影響を受けてきたんだと思う。だけど、それは裏返していえば、何気ない言動が生徒を傷つけていたことも同じくらいあることを暗示しているだろう。別に抗議するほどのことでもないけど、「この先生では」と思うことは僕も何度もあった。そういうことも含めて、だから最後には教師の人間としての力が試されてしまう。
そういうのが「卒業」というものであると思う。だから「卒業式」という日が終わっても、生徒の心の中で学校は終わっていない。何十年も生きていて、心の拠り所になり、担任なり誰かの言葉が支えになっている。だけど実人生の中では、どこかでケリをつけるしかない。儀式を行って一端中締めとするが、卒業式を終えても「卒業」という期間はもっと長いのである。そしてそういう生徒に関わったということが、「卒業生を出す」ということで、教師にとっては一番の仕事なんだろうと思う。