卒業式の話題も大体終わったかなと思ったら、「卒業記念品」のことがあったので、簡単に。大体僕らの時代は、高校卒業時にハンコをもらったもんだ。ずっと使わせてもらった。もっとも「もらった」と言ってもプレゼントではなく、今思えば親が出したお金が戻ってきただけなわけだが。また卒業生の名前で学校にテントとか緞帳などを新調するということも昔はよくあった。「第○○次卒業生寄贈」と書いてあるような物品である。これもよく考えれば、本来は公費で対応するべきものだということになるだろう。
僕の関わった学校では、最後の頃はもう卒業記念品というものが特にはなかった。今でも全日制進学高校ではあるのだろうか。ハンコの広告が学校に送られてくるから、今でも作るところはあるんだろう。(大体山梨県の業者である。)不況と言われる時代が長く続き、「私費会計」にも監査が入るようになって、できるだけ少額にする、すぐに返金するという風になってきた。六本木高校のような単位制定時制ではそもそも、入学した生徒がバラバラに卒業することが前提になっているから、「卒業対策費」を集金しにくいという事情が大きい。また在校生から卒業生に花を贈ったりすることも今はできない。(本人に還元されるものしか私費では支出できない。)そういう原則も厳格すぎればちょっと淋しい。卒業する生徒や転勤する先生に、在校生として花を贈るなどというのは、みんなから集めたお金のもっとも正しい遣いかたではないか。
91年の松江二中での卒業式では卒業記念品があった。学校へ残すものもあったし、自分たちの思い出の品もあった。そしてそれを教員だけで決めるのではなく、あるいは学級委員会あたりで決めるのではなく、生徒自らが決めて行った。自治意識を高める生徒会活動の活発化を進めてきた集大成として、生徒と教員で原案を作って、「学年総会」を開いて決めたのである。もっともこの総会が活発過ぎて原案が否決されてしまうという結果になってしまうのだが。(原案は「最後の行事である合唱コンクールのテープ」。それに対し、すぐに使える「テレホンカードやオレンジカード」がいいという修正案が通ってしまった。でもテープを残したいという女子リーダー層の強い希望もあって、結局は学年PTAの援助を得てテープも作ったのだった。)
自分の高校時代には、ハンコの他に(きっとお金が余ったんだと思うけど)、担任団からの記念品があった。僕は事前に聞いていた記憶があるので、たぶん生徒会役員だったから相談みたいな話を聞く機会があったのかと思う。詳しいことは忘れてしまったけれど、結局本にしようというアイディアが先生から出た。各担任が1冊お勧めの岩波新書を選び、そこに生徒会推薦で早乙女勝元「東京大空襲」を加える。早乙女さんは高2の時の文化祭で講演に呼んだという縁があったのである。8クラスあったので、計9冊の中から各自希望の一冊を選んで、それをプレゼントとするというのである。これは今思うと、すごい傑作な企画ですね。でも、僕が何を選んだかはもう忘れてしまったんだけど。
夏休みの宿題に新書を読むというのがあったのも覚えている。僕は今も新書をよく読んでる。歴史関係だけでなく、各分野に幅広く目を通すことは大事だと思ってきた。ここでも最近新書の書評を書いているが、今日は島田裕巳「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」 (幻冬舎新書)を読んでて、終わったので大村敦志「民法改正を考える」(岩波新書)を読み始めた。こういう風に新書を読むようになったのは、きっかけとしては高校時代の刺激だったのではないかと思うのである。
僕の関わった学校では、最後の頃はもう卒業記念品というものが特にはなかった。今でも全日制進学高校ではあるのだろうか。ハンコの広告が学校に送られてくるから、今でも作るところはあるんだろう。(大体山梨県の業者である。)不況と言われる時代が長く続き、「私費会計」にも監査が入るようになって、できるだけ少額にする、すぐに返金するという風になってきた。六本木高校のような単位制定時制ではそもそも、入学した生徒がバラバラに卒業することが前提になっているから、「卒業対策費」を集金しにくいという事情が大きい。また在校生から卒業生に花を贈ったりすることも今はできない。(本人に還元されるものしか私費では支出できない。)そういう原則も厳格すぎればちょっと淋しい。卒業する生徒や転勤する先生に、在校生として花を贈るなどというのは、みんなから集めたお金のもっとも正しい遣いかたではないか。
91年の松江二中での卒業式では卒業記念品があった。学校へ残すものもあったし、自分たちの思い出の品もあった。そしてそれを教員だけで決めるのではなく、あるいは学級委員会あたりで決めるのではなく、生徒自らが決めて行った。自治意識を高める生徒会活動の活発化を進めてきた集大成として、生徒と教員で原案を作って、「学年総会」を開いて決めたのである。もっともこの総会が活発過ぎて原案が否決されてしまうという結果になってしまうのだが。(原案は「最後の行事である合唱コンクールのテープ」。それに対し、すぐに使える「テレホンカードやオレンジカード」がいいという修正案が通ってしまった。でもテープを残したいという女子リーダー層の強い希望もあって、結局は学年PTAの援助を得てテープも作ったのだった。)
自分の高校時代には、ハンコの他に(きっとお金が余ったんだと思うけど)、担任団からの記念品があった。僕は事前に聞いていた記憶があるので、たぶん生徒会役員だったから相談みたいな話を聞く機会があったのかと思う。詳しいことは忘れてしまったけれど、結局本にしようというアイディアが先生から出た。各担任が1冊お勧めの岩波新書を選び、そこに生徒会推薦で早乙女勝元「東京大空襲」を加える。早乙女さんは高2の時の文化祭で講演に呼んだという縁があったのである。8クラスあったので、計9冊の中から各自希望の一冊を選んで、それをプレゼントとするというのである。これは今思うと、すごい傑作な企画ですね。でも、僕が何を選んだかはもう忘れてしまったんだけど。
夏休みの宿題に新書を読むというのがあったのも覚えている。僕は今も新書をよく読んでる。歴史関係だけでなく、各分野に幅広く目を通すことは大事だと思ってきた。ここでも最近新書の書評を書いているが、今日は島田裕巳「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」 (幻冬舎新書)を読んでて、終わったので大村敦志「民法改正を考える」(岩波新書)を読み始めた。こういう風に新書を読むようになったのは、きっかけとしては高校時代の刺激だったのではないかと思うのである。