尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

卒業式と歌-卒業式⑥

2012年03月26日 23時54分38秒 |  〃 (教師論)
 卒業式に関する話を終わりにしたい。自分の経験した卒業式についても書こうかなと思ったけど、生徒の具体的なケースが書けないからやめる。大体、卒業式そのものは宿泊行事や文化祭に比べれば面白くないし、スリリングでもない。

 最後は「歌」の話で、「卒業の思い出の曲」のことでもあるし、「国旗国歌問題」でもある。僕が今まで書いてきたのは、卒業式に関して「現場感覚」とずれた言動が多すぎると思うからだ。特に大阪府で生じた事態。東京の事態もおかしいが、それは知事が任命した教育委員のイデオロギーに発する問題だと思ってる。つまり戦後ずっと続いてきた「教育をめぐる左右対立」の枠組みで理解できる。一方、大阪では「教員も命令で動く存在」「命令したものが守られないのはマネジメントの問題」という言われ方をした。この発想に見られる、教育というものに関する浅薄な理解には呆然とする。学習指導要領には「国歌を斉唱する」と書いてあるわけで、校長としてみれば式次第に入れないわけにはいかないという立場である。だけど、「先生方の中にもいろいろな考えがあり、そこからも生徒は社会や人生について学んでほしい」くらいのことを校長が言えなくてどうするんだろう。社会の中から「包容力」が失われてしまったのか。それを憂うべきは、むしろ「保守主義者」の方のはずである。

 しかし、僕は国歌斉唱に際して不起立で通そうと思ったことは実はないのである。あんまり起て、起てと職務命令まで出すから、かえって反発したくなる気持ちは僕にもある。でも、「謝恩の日」や「卒業生を出すということ」で書いたように、卒業式というものは生徒にとっても教員にとっても大きな意味を持った日である。その本質の中では、国歌にどう対処するかというのは、あまり大きな意味を持つ問題とは思えない。いや、そうではないと、歌わせたい側も、反対する側も言うかもしれないが、僕は学校というものが生きて働いて意味を持っている現場においては、国歌が自分にとって死活的に大切な問題とは思えなかった。

 高校の卒業式が終わると、まあ東京では会おうと思えば大体はすぐ会えるけど、地方では大都市へ進学、就職する生徒が多い。全国では半数近い生徒が高校が最終学歴となる。学校を怨みに思って出て行く生徒も中にはいるのかもしれないが、大多数の生徒はその学校で会った友達や先生に感謝して去っていくのだと思う。そしてその思い出が今後の厳しい実社会で挫折しそうになった時の支えになるわけである。毎日のように卒業後も学校に遊びに来る生徒もいるが、大部分はほとんど来ないし、来れない。関係がうまくいった生徒ばかりではないけど、最後に何か声を掛けたい。卒業アルバムに一言書いてほしいとやってくる生徒がいれば、何か書いてあげたい。不起立でもただ処分されるだけならまだいいけど、当日すぐに「事情聴取」があり、続いて都教委に呼び出される。それが面倒くさい。生徒との最後の日をジャマされたくない。そんなにうまくいってなかった生徒でも、「高いお金を親が出してくれたんだから、専門学校ちゃんと行けよ」とか「取ってくれた会社に縁があったんだから、3年間は頑張ろうよ」とか言っておきたい。それでなんとかなると思ってるわけではないけど。僕の言葉にそんな力はないし、学校だって会社だって辞めて正解みたいなとんでもない所はいっぱいある。でも、まあそういうことである。

 ぼくがそう思うのは、地域に密着した中学から始まって、単位制定時制高校に終わったという自分の教員経験によるところも大きいと思う。劇作家の永井愛さんに「歌わせたい男たち」という傑作があった。永井さんのお芝居は僕は大好きでよく見るけど、中でもこの作品は評価が高かった。僕も面白いと思うし、中で提出されている問題はとても大事だと思う。でも(このことは前にも少し書いたんだけど)、この劇の中で議論している教員のあり方に僕はあまりリアリティを感じられなかった。その先生は卒業生の担任なんだけど、音楽の講師の先生が君が代の伴奏をしないように保健室で説得を続ける。そのドラマが面白いんだけど、でもこの先生は卒業式の日だというのに、クラスの心配をしていない。僕が思うに、よほどの進学校で生徒がちゃんとした格好で時間通りに登校するのを疑っていないとしか思えない。僕が経験した学校では、卒業生が全員そろったことがない。まあ夜間定時制高校の時だけは、5分前にそろったけど、入学式に30人以上いたのが卒業式には半数になっていた。一方、服装や頭髪のルールがある学校では、異装や頭髪の違反がないかも頭が痛かった。荒れていた時期にとんでもない服装(いわゆる「ツッパリ」風)の生徒がいた年もあって、そういう時にどうする、こうするという事前の指導や教員間の共通理解が大変だった。そういう問題が出てこないと、僕には卒業式のリアリティが感じられないのである。だからこそ、僕の経験した学校では、卒業できた生徒の喜びも、卒業までお世話した教員の喜びも大きかった。君が代問題も、賛成、反対どっちであれ意見を言うような人は大卒で進学高校出身なんでしょうね、やっと卒業できた定時制高校の生徒の気持ちは判りますかと、僕なんかは言ってみたいのである。

 さて国歌問題そのものに戻って。最近は「強制するのは問題」という意見が結構ある。僕もそれはその通りだと思う。99年の国旗国歌法制定時の野中官房長官の答弁では「強制するものではない」と明確にされていた。約束違反である。当時、民主党は党議拘束をはずして採決に臨んだ。また委員会審議では、民主党から国歌部分をはずして「国旗法」とする修正案が出ている。当時はとても多くの人から、国歌が「君が代」でいいのかという議論があった。成立して10年以上たって若い人には記憶がないかもしれないが、けっして国民的共感があったわけではないのである。僕が思うに、国歌斉唱と学習指導要領にある以上、(いくら指導要領は「最低基準」とその後言われるようになったとはいえ)式次第から外すのは今では大変だろう。でも、式次第の中に「国歌斉唱」とあれば学習指導要領通りである。それ以上の措置は必要ない。むしろ弊害が大きい。

 でも、それで終わらない。本来は「君が代が国歌でいいのか」ということをちゃんと議論していかなければいけない。君が代はやはり「大日本帝国の国歌」であり、「日本国」の国歌というには歌詞内容も歴史的経緯も問題が多すぎる。それに仮に君が代を変えることに抵抗が大きいとしても、スポーツ競技向けの「第二国歌」があってもいいのではないかと思う。もっと奮い立たせるようなリズムとメロディと歌詞が欲しいと言ったらおかしいだろうか。

 だから僕は国歌自体を考えていくことが大事だと思うけど、それはそれとして国歌が別だったら卒業式で歌っていいのかというと、僕はそれにも疑問がある。まあ国立の学校は違うかもしれないが。僕は厳粛な式というもの自体は否定しない。もっとアットホームな「祝う会」があってもいいではないかというのは賛成だけど、卒業証書授与のときにパフォーマンスしたり爆竹ならしたり生徒が席をたってケータイで写真撮りまくるなどということはいけない。だけど一番大事な証書授与の前が「国歌」でいいのかとは思う。「日本の大部分」(琉球王国と蝦夷地を除き)は、古墳時代頃から大きな文化的な共通性があって、革命で現体制ができてそれを再確認していかないと国家的統合が危ういというような国ではない。何も学校で国歌を歌って国民的アイデンティティを確認させる必要は少ない。むしろその学校に対する帰属意識を再確認して、自分の出て行く学校をふり返ることが一番大切。それは校歌が本来は一番のはずである。高校では音楽が全員必修ではないから校歌をちゃんと覚えないまま卒業まで来るということがある。それはおかしいでしょ。

 だから僕はまず最初に全員で「校歌」、最後に全員で「式歌」というのがもっとも望ましいと思うのである。「式歌」というのは、まあ全員で別れに際して歌う歌で、伝統的には「蛍の光」か「仰げば尊し」だろう。「仰げば尊し」は名曲だけど歌詞が双方ともこそばゆいし、歌詞に問題もあるからやらない学校が今は多いだろう。でもまあムードはあるよね。最近は「旅立ちの日に」という名曲が生まれた。だからこの曲が式歌化していくのが全国で多いのではないかと思う。でも秩父の先生が作ったので、山の方の感じが強く、大都市の学校や海辺の学校では今一つ歌詞にリアリティがない。誰かが歌詞の別ヴァージョンを作ってくれるといいなと思う。

 そしてそこにもう一つ、卒業生だけで歌う「卒業生の歌」があるといいなと思う。アンジェラ・アキの「手紙」とか森山直太朗の「さくら」とか。これは卒業生の最後の表現活動である。僕にとっては、91年松江二中の思い出があまりにも鮮烈なので、もし歌えるなら「大地讃頌」が一番いいと思う。それが歌える学年であるといいなと思うけど、高校ではなかなか無理かなあと思う。全員でやる音楽の授業がないんだから。だけど、卒業生、在校生の「生きる力」を育て、高校を出る生徒に思い出を作るという意味で卒業式という行事をデザインしていくと、君が代なんかそもそも式になくていいのだと思う。学習指導要領自体を実態にあったものに変えて行く必要があるし、そもそも文部科学省の告示に過ぎなくて国会の議決も経ていないものが金科玉条のごとく語られることもおかしい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする