大阪関係の問題もしばらく書き続けてきたが、もう数回。消費税問題や原発問題などを書かないのかと思われるかもしれないが、僕は野田内閣について書くことにもうあまり関心がないのである。政局的なこともいちいち書いていても仕方ないと思うし。で、世の気分は自民もダメ、民主もダメだった、となると期待は「維新の会」しかないではないかなどと本気で思ってる人が結構いるらしい。でもどう考えても、僕には「維新の会」の方がずっと危ないとしか思えないのである。
昨日は「大阪都」というものへの疑問を書いてみたが、住民にとっては政令指定都市の方が便利なんじゃないかということにつきる。大阪府知事にとっては、大阪市と堺市と二つの巨大政令指定都市があるとジャマな感じを持つのかもしれないが。
では、東京も政令指定都市制度にすればいいのではないかというと、実は僕はそう思ってるんだけど、実現は難しいと判断している。「東京特別区」は大きすぎるのである。データを見てみると、東京都全体で人口は1320万だから、日本の1割以上が東京都に集中している。その中で、23区には898万人、68%が集中しているのである。面積をみれば、都全体の28.4%となっている。面積で3割弱のところに、人口7割弱が住んでいるのである。一方、大阪市は人口267万人、大阪府全体では886万人だから、大阪市の割合はほぼ30%である。面積をみると、全大阪府の11.7%である。東京都の中で「特別区部」が占めている位置と、大阪府の中で大阪市が占めている位置が大分違うのが判るだろう。(なお、堺市は、人口で9.5%、面積で7.9%。)
こうなっているのは歴史的ないきさつがある。東京の区制は早くも1878年(明治11年)に、最初の15区が指定されている。このとき区になったのは江戸時代の町奉行支配下の土地で、宮城(皇居)を中心にして、麹町、神田、日本橋、京橋、芝、麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷、下谷、浅草、本所、深川の15区である。戦後に合併して、現在の区名には残っていないので、東京の人にももう忘れられている歴史だろう。新宿も渋谷も当初は区部ではなく、郡部だったのである。ところが1923年の関東大震災で区部は大きな被害を受け、郊外(郡部)に移転する施設が多かった。(東京の寺院は震災で移転したところが大変多い。)
一方、震災を機に大阪に移住した産業や人もいた。もともと戦前は大阪が「東洋のマンチェスター」と呼ばれて、アジア最大の工業都市だったのである。大阪が1925年に東成、西成を市部に加えたこともあり、この時点では人口で大阪が東京を抜き、日本最大の都市になったのである。しかし、東京市は震災10年を前に、1932年(昭和7年)に周辺の郡部を20区に整備し、35区からなる「大東京」を実現して逆転する。この時点では、というか、僕の小学生のころまでそうなんだけど、このときに区になった周辺地域と言っても、ほとんど田園地帯である。駅の周りは田んぼや畑というのが、周辺の区部だったのである。その地域が住宅地域になっていくのは、1960年代、70年代のことである。「大東京」は当初から、「市としては広すぎる」という区域だったのだと思う。だから、1943年に、戦時中ということで、ほとんど議論もなく、東京市が廃止されて、市の権限が東京府に一元化されることになる。それが「東京都」で、もともと住民のためではなく、中央政府の都合で作られた制度なのである。
「二重行政」というが、東京都を見ていれば、各区で競って施設を作るから、都全体で見れば結構ムダが多いのではないかと思う。東京は首都だから、国立競技場、国立劇場、国立美術館(3つある)、国立博物館などがある。その上、東京都体育館、東京都芸術劇場、東京都美術館、江戸東京博物館などを東京都で持っている。その上、劇場で言えば、世田谷、杉並、豊島、足立などが区の関わる施設を持っていて、区民だけが割引を受けられたり、優先予約できたりする。美術館も世田谷、板橋、練馬、目黒、渋谷などに区立美術館がある。郷土歴史館などはもっと多くの区が持っているだろう。市を解体して「特別区」にすれば、特別区ごとにアイデンティティを求めて、施設建設を競うことになる。競っていろいろできればいいじゃないかと思うと、それぞれの施設が結構区内の不便なところにあったりして(それは各区で取得できる土地が限られていたり、不便な地域の振興策だったりするんだろう)、行きにくいのである。
その上、区民優先で他区民だと使いにく施設も多い。都立日比谷図書館という便利な施設があったけれど、千代田区に移管され(耐震対策が済んで)、昨年秋に再開されたが、千代田区立だから区民の方が使いやすい図書館になってしまった。(他区民も利用できることはできるんだが。)「特別区」に住んでいる人は、区を超えて行動することが多いが、他区の会議室やスポーツ設備は利用できないことが多く、不便を強いられている。別に不便でいいというんなら、大阪も特別区になればいいと思うけど、なったら不便なものだったと後悔するんじゃないかと思う。
昨日は「大阪都」というものへの疑問を書いてみたが、住民にとっては政令指定都市の方が便利なんじゃないかということにつきる。大阪府知事にとっては、大阪市と堺市と二つの巨大政令指定都市があるとジャマな感じを持つのかもしれないが。
では、東京も政令指定都市制度にすればいいのではないかというと、実は僕はそう思ってるんだけど、実現は難しいと判断している。「東京特別区」は大きすぎるのである。データを見てみると、東京都全体で人口は1320万だから、日本の1割以上が東京都に集中している。その中で、23区には898万人、68%が集中しているのである。面積をみれば、都全体の28.4%となっている。面積で3割弱のところに、人口7割弱が住んでいるのである。一方、大阪市は人口267万人、大阪府全体では886万人だから、大阪市の割合はほぼ30%である。面積をみると、全大阪府の11.7%である。東京都の中で「特別区部」が占めている位置と、大阪府の中で大阪市が占めている位置が大分違うのが判るだろう。(なお、堺市は、人口で9.5%、面積で7.9%。)
こうなっているのは歴史的ないきさつがある。東京の区制は早くも1878年(明治11年)に、最初の15区が指定されている。このとき区になったのは江戸時代の町奉行支配下の土地で、宮城(皇居)を中心にして、麹町、神田、日本橋、京橋、芝、麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷、下谷、浅草、本所、深川の15区である。戦後に合併して、現在の区名には残っていないので、東京の人にももう忘れられている歴史だろう。新宿も渋谷も当初は区部ではなく、郡部だったのである。ところが1923年の関東大震災で区部は大きな被害を受け、郊外(郡部)に移転する施設が多かった。(東京の寺院は震災で移転したところが大変多い。)
一方、震災を機に大阪に移住した産業や人もいた。もともと戦前は大阪が「東洋のマンチェスター」と呼ばれて、アジア最大の工業都市だったのである。大阪が1925年に東成、西成を市部に加えたこともあり、この時点では人口で大阪が東京を抜き、日本最大の都市になったのである。しかし、東京市は震災10年を前に、1932年(昭和7年)に周辺の郡部を20区に整備し、35区からなる「大東京」を実現して逆転する。この時点では、というか、僕の小学生のころまでそうなんだけど、このときに区になった周辺地域と言っても、ほとんど田園地帯である。駅の周りは田んぼや畑というのが、周辺の区部だったのである。その地域が住宅地域になっていくのは、1960年代、70年代のことである。「大東京」は当初から、「市としては広すぎる」という区域だったのだと思う。だから、1943年に、戦時中ということで、ほとんど議論もなく、東京市が廃止されて、市の権限が東京府に一元化されることになる。それが「東京都」で、もともと住民のためではなく、中央政府の都合で作られた制度なのである。
「二重行政」というが、東京都を見ていれば、各区で競って施設を作るから、都全体で見れば結構ムダが多いのではないかと思う。東京は首都だから、国立競技場、国立劇場、国立美術館(3つある)、国立博物館などがある。その上、東京都体育館、東京都芸術劇場、東京都美術館、江戸東京博物館などを東京都で持っている。その上、劇場で言えば、世田谷、杉並、豊島、足立などが区の関わる施設を持っていて、区民だけが割引を受けられたり、優先予約できたりする。美術館も世田谷、板橋、練馬、目黒、渋谷などに区立美術館がある。郷土歴史館などはもっと多くの区が持っているだろう。市を解体して「特別区」にすれば、特別区ごとにアイデンティティを求めて、施設建設を競うことになる。競っていろいろできればいいじゃないかと思うと、それぞれの施設が結構区内の不便なところにあったりして(それは各区で取得できる土地が限られていたり、不便な地域の振興策だったりするんだろう)、行きにくいのである。
その上、区民優先で他区民だと使いにく施設も多い。都立日比谷図書館という便利な施設があったけれど、千代田区に移管され(耐震対策が済んで)、昨年秋に再開されたが、千代田区立だから区民の方が使いやすい図書館になってしまった。(他区民も利用できることはできるんだが。)「特別区」に住んでいる人は、区を超えて行動することが多いが、他区の会議室やスポーツ設備は利用できないことが多く、不便を強いられている。別に不便でいいというんなら、大阪も特別区になればいいと思うけど、なったら不便なものだったと後悔するんじゃないかと思う。