レイ・ブラッドベリが亡くなった。(1920~2012)6月6日のことである。91歳。もう90を過ぎていたんだから、やむを得ないと思うんだけど、悲しい。新作が出るわけではなかったけれど、古い短編が新しく本になったりして最近までよく邦訳も出ていた。僕のもっとも愛する作家と言ってもいいし、読書の楽しみを教えてくれた人の一人である。
一応ジャンルとしては「SF作家」ということになっていて、「SFの叙情詩人」とよく言われてきた。特に異論があるわけではないし、一代の大傑作と言えば「火星年代記」で、地球人が火星に移住したり、火星人が出てきたりする本なんだから、まあSFという括られ方をするのも当然だろう。でも、この作品を読んでる人は納得してくれるだろうけど、普通の意味での「空想科学小説」の面白さではなくて、人間の哀愁やノスタルジア(郷愁)が心に沁みる幻想小説と言うべき作品だ。特に、ポーを下敷きにした「第二のアッシャー邸」なんか、その滅びの哀愁の深さで忘れられない。
僕が大人の本を自覚的に読み始めたのは中学1年の夏のことで、突然「自我の目覚め」みたいなものに襲われた。以後、小説を読んでもう一人の別の人生に触れなくては生きられなくなって、現在に至っている。その時最初に読んだ本のタイプは、学校で勧められたタイプ(当時は旺文社文庫なんか学校で紹介された)で芥川とか。続いて、当時文庫本で出ていた日本、世界の小説を買ってみて自分で発見した作家。カミュとか大江健三郎とか。そして、最後が父親の持ってた大量のミステリーとSFである。エドガー・ライス・バローズの火星シリーズ(最近、「ジョン・カーター」として映画化された)なんか熱中して読んだけれど、そんな中で僕に決定的とも言える影響を与えたのが、レイ・ブラッドベリとJ・G・バラードだったのである。父親は創元SF文庫を見境なく買っていただけだと思うけど、僕は中学生の時からJ・G・バラードに夢中だったのである。
ということで、あのいつになっても少年の日のときめくような憧れと悲しみを忘れなかった不思議な世界が僕の心の中に沁みわたっていったのである。特に好きなのが、短編集「10月はたそがれの国」とか長編の「何かが道をやってくる」(いずれも創元文庫)。最近は10月になっても暑かったりするけど、それでも秋風が吹きすさぶ季節になると「10月はたそがれの国」(原題は「The October Country」)という言葉をつぶやいたりする。もちろん「火星年代記」(ハヤカワ文庫)は素晴らしいけど、本が読めなくなった世界を扱う「華氏451度」(紙が燃え上がる音頭だという)は、今読むとそれほどでもないかもしれない。社会批判の反ユートピア小説や映画はたくさんあるので、それを比較すると図抜けた傑作とまでは言えないのではないか。だから、「初めてのブラッドベリ」は、まず短編集から始める方がいいと思う。(「太陽の黄金の林檎」「刺青の男」なんかの初期のものがいいと思う。)(「華氏451度」は、マイケル・ムーアの反ブッシュ映画「華氏911」の題名に引用されて、改めて注目された。トリュフォーがイギリスで映画化したが、その後日本では上映されていない。どこかでやってくれないかな。)
チェコにカレル・ゼマン(1910~1989)というアニメーション作家がいて、少年の夢、宇宙感覚、恐竜など、共通の趣が感じられると思う。日本の作家で言えば、宮沢賢治とか稲垣足穂なんかに近い部分があるが、ちょっと違うかな。フェリーニの映画にあるサーカスものなんかのムードもちょっと近い。夏の終わりに、避暑地にあった遊園地で、もうガランとした寂しい中を、家と学校を抜け出してきた少年が、見世物小屋に忍び込む。その時の憧れと恐怖、初めて感じた哀愁と垣間見た大人の世界の秘密。なんていう感じが、僕の感じるブラッドベリの世界かな。
ブラッドベリの書いたミステリがあって、3作シリーズになっている。「死ぬ時はひとりぼっち」という邦題だけど、原題の「Death is a Lonely Business」というのが妙に心惹かれた。昔サンケイ文庫で出た後、近年になって文芸春秋からやけに高い本として出た。「黄泉からの旅人」「さよなら、コンスタンス」の3冊シリーズで、そんなに厚い本でもないのに、合わせると1万円位する。けれど、これは買ってしまったし、大満足だった。やっぱり通常のミステリーではない。それと、吸血鬼ものをまとめて年代記にしてしまった「塵よりよみがえり」(河出文庫)も出来がいいと思う。哀愁系が多いけど、「たんぽぽのお酒」みたいな明るい作風のものもある。僕も昔「たんぽぽ酒」を作ってみたいと挑んだ年があったけど、失敗した。
あんまり作品が多いので、僕もまだ全部を読んでいない。何冊か楽しみに残してあるとも言えるし、ジョン・ヒューストン監督の「白鯨」(メルヴィル)映画化に脚本家として加わった時の回想なんか、高くて買う気にならない本もある。とにかくブラッドベリを読まない人生は、つまらないと思う。僕に大人の本の世界の、悲しみと幻想を教えてくれた人だった。
一応ジャンルとしては「SF作家」ということになっていて、「SFの叙情詩人」とよく言われてきた。特に異論があるわけではないし、一代の大傑作と言えば「火星年代記」で、地球人が火星に移住したり、火星人が出てきたりする本なんだから、まあSFという括られ方をするのも当然だろう。でも、この作品を読んでる人は納得してくれるだろうけど、普通の意味での「空想科学小説」の面白さではなくて、人間の哀愁やノスタルジア(郷愁)が心に沁みる幻想小説と言うべき作品だ。特に、ポーを下敷きにした「第二のアッシャー邸」なんか、その滅びの哀愁の深さで忘れられない。
僕が大人の本を自覚的に読み始めたのは中学1年の夏のことで、突然「自我の目覚め」みたいなものに襲われた。以後、小説を読んでもう一人の別の人生に触れなくては生きられなくなって、現在に至っている。その時最初に読んだ本のタイプは、学校で勧められたタイプ(当時は旺文社文庫なんか学校で紹介された)で芥川とか。続いて、当時文庫本で出ていた日本、世界の小説を買ってみて自分で発見した作家。カミュとか大江健三郎とか。そして、最後が父親の持ってた大量のミステリーとSFである。エドガー・ライス・バローズの火星シリーズ(最近、「ジョン・カーター」として映画化された)なんか熱中して読んだけれど、そんな中で僕に決定的とも言える影響を与えたのが、レイ・ブラッドベリとJ・G・バラードだったのである。父親は創元SF文庫を見境なく買っていただけだと思うけど、僕は中学生の時からJ・G・バラードに夢中だったのである。
ということで、あのいつになっても少年の日のときめくような憧れと悲しみを忘れなかった不思議な世界が僕の心の中に沁みわたっていったのである。特に好きなのが、短編集「10月はたそがれの国」とか長編の「何かが道をやってくる」(いずれも創元文庫)。最近は10月になっても暑かったりするけど、それでも秋風が吹きすさぶ季節になると「10月はたそがれの国」(原題は「The October Country」)という言葉をつぶやいたりする。もちろん「火星年代記」(ハヤカワ文庫)は素晴らしいけど、本が読めなくなった世界を扱う「華氏451度」(紙が燃え上がる音頭だという)は、今読むとそれほどでもないかもしれない。社会批判の反ユートピア小説や映画はたくさんあるので、それを比較すると図抜けた傑作とまでは言えないのではないか。だから、「初めてのブラッドベリ」は、まず短編集から始める方がいいと思う。(「太陽の黄金の林檎」「刺青の男」なんかの初期のものがいいと思う。)(「華氏451度」は、マイケル・ムーアの反ブッシュ映画「華氏911」の題名に引用されて、改めて注目された。トリュフォーがイギリスで映画化したが、その後日本では上映されていない。どこかでやってくれないかな。)
チェコにカレル・ゼマン(1910~1989)というアニメーション作家がいて、少年の夢、宇宙感覚、恐竜など、共通の趣が感じられると思う。日本の作家で言えば、宮沢賢治とか稲垣足穂なんかに近い部分があるが、ちょっと違うかな。フェリーニの映画にあるサーカスものなんかのムードもちょっと近い。夏の終わりに、避暑地にあった遊園地で、もうガランとした寂しい中を、家と学校を抜け出してきた少年が、見世物小屋に忍び込む。その時の憧れと恐怖、初めて感じた哀愁と垣間見た大人の世界の秘密。なんていう感じが、僕の感じるブラッドベリの世界かな。
ブラッドベリの書いたミステリがあって、3作シリーズになっている。「死ぬ時はひとりぼっち」という邦題だけど、原題の「Death is a Lonely Business」というのが妙に心惹かれた。昔サンケイ文庫で出た後、近年になって文芸春秋からやけに高い本として出た。「黄泉からの旅人」「さよなら、コンスタンス」の3冊シリーズで、そんなに厚い本でもないのに、合わせると1万円位する。けれど、これは買ってしまったし、大満足だった。やっぱり通常のミステリーではない。それと、吸血鬼ものをまとめて年代記にしてしまった「塵よりよみがえり」(河出文庫)も出来がいいと思う。哀愁系が多いけど、「たんぽぽのお酒」みたいな明るい作風のものもある。僕も昔「たんぽぽ酒」を作ってみたいと挑んだ年があったけど、失敗した。
あんまり作品が多いので、僕もまだ全部を読んでいない。何冊か楽しみに残してあるとも言えるし、ジョン・ヒューストン監督の「白鯨」(メルヴィル)映画化に脚本家として加わった時の回想なんか、高くて買う気にならない本もある。とにかくブラッドベリを読まない人生は、つまらないと思う。僕に大人の本の世界の、悲しみと幻想を教えてくれた人だった。