亀戸で配布している「下町ぶらりマップ」というのがあるが、そこには「伝統と下町人情溢れる街」と書いてある。でも、このマップに「亀戸事件の碑」は載っていない。亀戸事件はそれなりに知られているし、場所を知りたい人もいると思われるが。「下町人情」というのは、権力犯罪を隠ぺいするものなのだろうか。
「亀戸事件」というのは、関東大震災時の虐殺事件である。当時、亀戸一帯は東京を代表する工場地帯で、労働争議も多かった。まだ東京市ではなく、「東京府南葛飾郡亀戸町」だった時代の話である。当時の日本でもっとも戦闘的な労働運動が盛んな地帯で、「南葛魂」と呼ばれるほどだった。震災以前から亀戸警察とは衝突する関係だったのである。特に南葛労働組合の川合義虎(1902~1923)は、日本共産青年同盟の初代委員長を務めた人物だから警察に狙われていた。また純労働者組合を結成した労働運動家で労働者演劇運動も進めた平沢計七(1889~1923)も亀戸にいた。震災後、3日になって川合、平沢らが検束され、4日亀戸警察署内で習志野騎兵第十三連隊に刺殺された。長く犠牲者数も明らかではなく、「川合、平沢ら」などと書かれてきたが、この「ら」は全部合わせて10名にものぼる大々的な権力によるテロ行為だったのである。
亀戸事件の碑は浄心寺(亀戸4丁目17-11)にある。駅前の明治通りを天神の方に歩いて行くと、蔵前橋通りにぶつかる。今、そこに「亀戸梅屋敷」という案内所、休憩所が出来ている。(土産やマップが入手できる。)ちょうどその裏手あたりに浄心寺がある。特に解説のようなものがないので、知って行かない限り見つからない。でも亀戸に行くなら、ぜひ立ち寄りたいところではないか。碑の下にある人名は磨滅していて読めない。コントラストなどを調整して写真を修整してみた。言われてみれば、かろうじて川合義虎らの文字が読み取れるのではないか。この碑ができた段階では、中筋宇八が犠牲者数に入ってなくて、9名の名しか刻まれていない。

亀戸というところは、農村から工業地帯、そして高層住宅と商業地と移り変わってきた。今、亀戸中央公園となっている場所が日立製作所の跡地。駅の周辺には、日清紡、東洋モスリン、東京モスリン、東京キャラコ、松井モスリンなどの工場が立ち並び、一大紡績工業地帯だった。日清紡跡地は現在亀戸二丁目団地になっている。この地帯には、紡績女工がいっぱいいて、日本の女性労働運動の先駆けの地だったのである。大杉榮と伊藤野枝夫婦も最初の子ども、魔子が生まれたころは亀戸に住んでいた。「日清紡績創業の地」碑が、川向こうが墨田区という横十間川沿いにある。ちょうどその前あたりに「亀戸銭座跡」の碑もある。江戸時代に「寛永通宝」を作っていたところだという。

亀戸天神の近くには寺社が集中している。「亀戸七福神」になっているので、正月は賑わうのだろう。順々に歩いて写真を撮って行きたい。もっとも全部は見ない。天神から北へ5分ほど、「龍眼寺」は萩の寺として有名だという。小ぶりだが、庭がきれいで碑も多い。芭蕉の碑「濡れてゆく人もおかしや雨の萩」と石田波郷の碑、庚申塔の写真。
そこから少し行くと天祖神社。鯉のぼりが架かっている。「招魂碑」とあったので見に行くと、空襲犠牲者の追悼碑だった。戦後の復興の記念塔も立っている。このあたりには空襲犠牲者関係の史跡が多い。向こうにスカイツリーが見えるのも面白い。

梅屋敷跡(江戸時代に有名だった梅の名所)などを見ながら、ぶらぶらと「普門院」へ。案内板によると、この寺は昔は川筋にあり、移転するときに鐘が落ちてしまった場所が「鐘ヶ淵」になったのだという。鐘ヶ淵というのは墨田区の地名で、カネボウの由来である。また将軍吉宗が鷹狩りの後で休憩したところだという。ここにも戦災犠牲者の碑があるが、それより「野菊の墓」で有名なアララギ派の歌人伊藤左千夫(1864~1913)の墓がある。左千夫は亀戸から千葉方面に一駅行った平井で乳牛の牧場をやっていたことは有名。写真の3枚目は墓地の様子、最後は寺の前面。新緑がきれいで、何となく撮ってみた。

そこからまたぶらぶらと10分行くと、香取神社。香取神社は関東に非常に多い。少し行った墨田区にもある。そこで「亀戸香取神社」とも言う。参道も立派で、スポーツの神社で知られているらしい。境内の白石を拾うと勝ちにつながるとか。境内に「亀ヶ井」がある。亀戸は昔、「亀の島」という島だったそうで、やがて「亀村」となるが、「亀ヶ井」という湧水が有名だったとか。そこで「亀井戸」の地名となり、やがて「井」が落ちてしまったわけである。その実際の井戸ではないが、記念として再現したということで、近くに水をかけるといいという像がある。

ここにはもう一つ面白い碑があり、「亀戸大根の碑」という。大根は亀と並んで亀戸の代名詞。江戸末期から有名だったという。小さな大根なんだけど、江戸前の深川飯に合うという。案内所の梅屋敷の隣にある有名な料理屋「升本」の前で大根を見ることができる。亀戸大根あさり飯で有名だということだが、メニューを見るとなかなか高い。サラダだけというわけにも行かないし。

亀戸駅前には親亀子亀孫亀の噴水がある。これも面白い。特殊プラスティック製だという。もっとも水が出てない時間だったけど。亀戸には面白い店がいっぱいあったが、「立ち食いピッツァ」という店は初めて見た。明治通り沿いにある。天神に行く途中の交差点にある「但本いり豆店」というのも、前から不思議だと思っているんだけど。駅前には一部で知られる「亀戸餃子」。いつも満員で、餃子しかない。というか、焼き餃子と飲み物だけ。ライスも水餃子もない。しかも注文しなくても、二皿出てくる。餃子しかないんだから、最低二皿ぐらいは食べられるだろうが、もう店の決まり。中央通り商店街では、鯉のぼり祭りをやっていて、なかなか壮観だった。
「亀戸事件」というのは、関東大震災時の虐殺事件である。当時、亀戸一帯は東京を代表する工場地帯で、労働争議も多かった。まだ東京市ではなく、「東京府南葛飾郡亀戸町」だった時代の話である。当時の日本でもっとも戦闘的な労働運動が盛んな地帯で、「南葛魂」と呼ばれるほどだった。震災以前から亀戸警察とは衝突する関係だったのである。特に南葛労働組合の川合義虎(1902~1923)は、日本共産青年同盟の初代委員長を務めた人物だから警察に狙われていた。また純労働者組合を結成した労働運動家で労働者演劇運動も進めた平沢計七(1889~1923)も亀戸にいた。震災後、3日になって川合、平沢らが検束され、4日亀戸警察署内で習志野騎兵第十三連隊に刺殺された。長く犠牲者数も明らかではなく、「川合、平沢ら」などと書かれてきたが、この「ら」は全部合わせて10名にものぼる大々的な権力によるテロ行為だったのである。
亀戸事件の碑は浄心寺(亀戸4丁目17-11)にある。駅前の明治通りを天神の方に歩いて行くと、蔵前橋通りにぶつかる。今、そこに「亀戸梅屋敷」という案内所、休憩所が出来ている。(土産やマップが入手できる。)ちょうどその裏手あたりに浄心寺がある。特に解説のようなものがないので、知って行かない限り見つからない。でも亀戸に行くなら、ぜひ立ち寄りたいところではないか。碑の下にある人名は磨滅していて読めない。コントラストなどを調整して写真を修整してみた。言われてみれば、かろうじて川合義虎らの文字が読み取れるのではないか。この碑ができた段階では、中筋宇八が犠牲者数に入ってなくて、9名の名しか刻まれていない。




亀戸というところは、農村から工業地帯、そして高層住宅と商業地と移り変わってきた。今、亀戸中央公園となっている場所が日立製作所の跡地。駅の周辺には、日清紡、東洋モスリン、東京モスリン、東京キャラコ、松井モスリンなどの工場が立ち並び、一大紡績工業地帯だった。日清紡跡地は現在亀戸二丁目団地になっている。この地帯には、紡績女工がいっぱいいて、日本の女性労働運動の先駆けの地だったのである。大杉榮と伊藤野枝夫婦も最初の子ども、魔子が生まれたころは亀戸に住んでいた。「日清紡績創業の地」碑が、川向こうが墨田区という横十間川沿いにある。ちょうどその前あたりに「亀戸銭座跡」の碑もある。江戸時代に「寛永通宝」を作っていたところだという。


亀戸天神の近くには寺社が集中している。「亀戸七福神」になっているので、正月は賑わうのだろう。順々に歩いて写真を撮って行きたい。もっとも全部は見ない。天神から北へ5分ほど、「龍眼寺」は萩の寺として有名だという。小ぶりだが、庭がきれいで碑も多い。芭蕉の碑「濡れてゆく人もおかしや雨の萩」と石田波郷の碑、庚申塔の写真。




そこから少し行くと天祖神社。鯉のぼりが架かっている。「招魂碑」とあったので見に行くと、空襲犠牲者の追悼碑だった。戦後の復興の記念塔も立っている。このあたりには空襲犠牲者関係の史跡が多い。向こうにスカイツリーが見えるのも面白い。




梅屋敷跡(江戸時代に有名だった梅の名所)などを見ながら、ぶらぶらと「普門院」へ。案内板によると、この寺は昔は川筋にあり、移転するときに鐘が落ちてしまった場所が「鐘ヶ淵」になったのだという。鐘ヶ淵というのは墨田区の地名で、カネボウの由来である。また将軍吉宗が鷹狩りの後で休憩したところだという。ここにも戦災犠牲者の碑があるが、それより「野菊の墓」で有名なアララギ派の歌人伊藤左千夫(1864~1913)の墓がある。左千夫は亀戸から千葉方面に一駅行った平井で乳牛の牧場をやっていたことは有名。写真の3枚目は墓地の様子、最後は寺の前面。新緑がきれいで、何となく撮ってみた。




そこからまたぶらぶらと10分行くと、香取神社。香取神社は関東に非常に多い。少し行った墨田区にもある。そこで「亀戸香取神社」とも言う。参道も立派で、スポーツの神社で知られているらしい。境内の白石を拾うと勝ちにつながるとか。境内に「亀ヶ井」がある。亀戸は昔、「亀の島」という島だったそうで、やがて「亀村」となるが、「亀ヶ井」という湧水が有名だったとか。そこで「亀井戸」の地名となり、やがて「井」が落ちてしまったわけである。その実際の井戸ではないが、記念として再現したということで、近くに水をかけるといいという像がある。



ここにはもう一つ面白い碑があり、「亀戸大根の碑」という。大根は亀と並んで亀戸の代名詞。江戸末期から有名だったという。小さな大根なんだけど、江戸前の深川飯に合うという。案内所の梅屋敷の隣にある有名な料理屋「升本」の前で大根を見ることができる。亀戸大根あさり飯で有名だということだが、メニューを見るとなかなか高い。サラダだけというわけにも行かないし。



亀戸駅前には親亀子亀孫亀の噴水がある。これも面白い。特殊プラスティック製だという。もっとも水が出てない時間だったけど。亀戸には面白い店がいっぱいあったが、「立ち食いピッツァ」という店は初めて見た。明治通り沿いにある。天神に行く途中の交差点にある「但本いり豆店」というのも、前から不思議だと思っているんだけど。駅前には一部で知られる「亀戸餃子」。いつも満員で、餃子しかない。というか、焼き餃子と飲み物だけ。ライスも水餃子もない。しかも注文しなくても、二皿出てくる。餃子しかないんだから、最低二皿ぐらいは食べられるだろうが、もう店の決まり。中央通り商店街では、鯉のぼり祭りをやっていて、なかなか壮観だった。



