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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「集団的自衛権」問題③

2014年05月24日 00時30分00秒 | 政治
 「集団的自衛権」の問題に戻って。そもそも安倍政権は、何で「集団的自衛権の容認」を検討し始めたのだろうか。それは「我が国を取り巻く安全保障環境の変化」(安保法制懇報告のⅠの2)に決まっているではないかと言われるかもしれないが、どうも僕にはよく理解できないのである。尖閣諸島をめぐって中国との軍事衝突も懸念されているし、または「北朝鮮」の核兵器や長距離弾道ミサイルの開発も進んでいると言うかもしれない。しかし、もう一度よくよく考えてみたい。

 そこには「二重の誤解」がある。まず第一に、それらの問題は「日本に直接的な脅威となるもの」にあたるはずだから、「個別的自衛権」の範囲で考えればいいはずである。自衛隊、及び日米安全保障条約に基づく米軍の行動で対処するべき問題であり、「集団的自衛権」とは何の関係もない。
 もう一つは、「集団的自衛権」の憲法解釈変更は、2006年~2007年の第一次安倍政権でも検討されていたということである。その時の私的諮問機関の答申が出た時には、もう安倍政権は崩壊していて、次の福田康夫内閣はその提言を「たなざらし」にした。その後の内閣も解釈変更を行わなかった。安倍首相は「集団的自衛権」を認めないと国民を守れないかのように言っているが、第一次と第二次の間の政権は何をしていたのか。民主党政権は別としても、同じ自民党の福田(康夫)、麻生の両内閣では何か「国民の安全」に支障があったのだろうか。

 尖閣諸島をめぐる深刻な事態は、2010年以後に本格化したわけだから、第一次安倍政権で「集団的自衛権」を検討した理由にはならない。つまり、「集団的自衛権」という問題は「2007年以前に何が起こっていたか」を思い出さないとよく理解できないのである。ということで、2007年に安倍首相が憲法解釈を変更しようと言いだした時点で出版された、豊下楢彦「集団的自衛権とは何か」(岩波新書)を読み直してみた。その結果、もう忘れてしまっているような当時の情勢を改めて認識することができた。当時のアメリカ合衆国は、ジョージ・ブッシュ(ジュニア)大統領の政権で、同時多発テロ以後、アフガニスタンやイラクと戦争を行っていた。世界に広がるテロの危険を防ぐためには、国連決議などを必要とせず、アメリカ自身が先制攻撃を行うという「ブッシュ・ドクトリン」を発表した時代である。

 アメリカは、その後に自身の起こした戦争で苦しむことになり、かえって世界での影響力を減らした。ブッシュ以後は民主党のオバマ政権となり、「ブッシュ・ドクトリン」は忘れている人も多いかもしれないが、2007年時点で最初に「集団的自衛権」の解禁を検討し始めた時は、ブッシュ政権時だったことを忘れていけない。2001年の「同時多発テロ」後に、当時の国務副長官リチャード・アーミテージは「Show the FLAG」(旗幟を明らかにしろ)と日本側に迫ったと言われる。「ショー・ザ・フラッグ」は当時の流行語となり、2001年の新語流行語大賞のトップテンに入選している。この言葉を浴びせられたとされるのが、当時の駐米大使の柳井俊二だった。この人が安保法制懇の座長である。(例の言葉はアーミテージの言葉ではないという説もある。柳井元大使も否定しているというが。)

 「世界でテロと戦うアメリカのために何ができるか」が、当時の保守政権の課題だったのである。安倍首相の前の小泉政権では、「テロ対策特別措置法」「イラク復興支援特別措置法」を制定し、「戦地ではない」場所で、「個別的自衛権の許される範囲内で」、米軍の「後方支援」を行った。でも常識的に考えて、これは「日本が直接攻撃されていない」段階で、他国(米軍)の支援を行うという、ほとんど「集団的自衛権の発動そのもの」ではなかったのか。自衛隊が展開したペルシャ湾やイラクのサマワなどの場所を「戦地そのもの」ではないと認めたとしても、どう見ても「日本の国土や国民を守るためではなく」「アメリカ軍の支援を行う」という政策だったことは間違いない。

 このような法律こそが「集団的自衛権を認める」ということの意味なのではないか。いくら「日本人を守るために必要」などと強弁しても、いったん認めてしまえば、今までは少なくとも「特別措置法」が必要だったのに対して、今後はそれらが「本務」にならざるを得ないのではないか。一応「戦闘行為」そのものには参加しないということは当面その通りかもしれない。しかし、「集団的自衛権」容認後だったら、後方支援には特措法はいらなくなるのではないか。アメリカだって、実戦の戦闘経験もなく、普通の隊員が英語をスムーズに話せないと思われる自衛隊に、直接の戦闘にすぐ加わってくれとは考えないだろう。(安倍政権が「英語教育」を非常に重視しているのは、就職がうまくいかずに自衛隊を志願するようなレベルの隊員でも米軍と共同行動を取れるようなスキルをつけさせたいからかもしれない。)

 当時の米政府関係者は、「北朝鮮」のミサイルが日本上空を飛んでアメリカに到達するような事態が起きても、日本は何もしないのかなどと非常に強く言っていた。その結果、ぼう大な税金を投じて米軍の開発したミサイル防衛システムを自衛隊が備えるに至った。「集団的自衛権」論議と言うのは、元々は日本にミサイル防衛システムを買わせるリクツ作りだったのではないかと思う。そして、「北朝鮮にミサイル発射の兆候がある」とされるたびに、防衛大臣がミサイル撃墜を準備するというバカげた事態が続いている。これは「日本に落ちてくるかもしれない」という「個別的自衛権」で判断されているが、システム自体は日本だけの標的にした以上の能力のミサイルにも対処できるものである。

 「バカげた」と書いた意味は次の通りである。ミサイル防衛システムに実際に撃墜能力があるのか、それ以前に「北朝鮮」のミサイルに確実な長距離弾道能力があるのか。あるとして「北朝鮮」が実際に米本土に向けて発射することがあるのか。(それは北朝鮮指導部の自滅行為であると同時に、もし本当に戦争になるとしたら本土をねらう以前に韓国や日本にある米軍基地をねらうのが先だろうということでもある。)「北朝鮮」は何を考えているか判らない「狂気の政権」だと思う人もいるかもしれないが、安倍政権も「北」を相手に拉致問題協議を続けているのだから、そういう認識は持っていないはずである。

 と言ったような政治、軍事情勢の問題もあるが、大体「北朝鮮から日本上空を通る長距離弾道ミサイルを発射する」とどこに着くのか判っているのだろうかということである。もしかして頭の中が「メルカトル図法」? 普通の地図を思い浮かべて、何となく朝鮮半島から日本を通って米国に至ると思っているのでは? 北朝鮮から米本土をねらうとすれば北極方面に発射する必要がある。日本方面に撃てば、ニュージーランド近辺に到着すると思われる。「正距方位図法」で考える、または地球儀上で糸で結んで見れば判ることである。結局税金の無駄使いをさせられたのだと思う。が、そのように思わず、日本も武器輸出に絡めるようにすればいいのだと倒錯して考える(武器輸出三原則を大幅に変更する)のが安倍政権なのである。
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