尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「冬の旅」、われらの時代の冬-辻原登を読む②

2014年05月12日 22時48分31秒 | 本 (日本文学)
 2013年1月に刊行された辻原登「冬の旅」は、ものすごく面白い傑作で、読み始めると止められない。帯には「時代と運命に翻弄された男と女。時代を根底から照射する、哀しみの黙示録。」と書いてある。簡にして要を得た紹介だと思う。この小説は、小樽市が主催していた伊藤整文学賞を受賞した。(第24回の受賞で、この文学賞は昨年の第25回をもって終了した。)
 
 この小説の冒頭は緒方隆雄という人物が刑務所から出所する場面から始まっている。滋賀刑務所である。大津市の石山寺のもっと奥の方にあるらしい。実際にその場所にある刑務所で、10年以下の初犯者を収容する。緒方という人物は、ある強盗致死事件の共犯だが、単なる見張り役ということで、懲役5年だった。普通は3年から4年を務めたところで「仮出所」という話が出てくるものである。しかし、「ある事情」により懲罰が課されて、仮出所の可能性はなくなる。(「ある事情」というのは、非常に理不尽なものである。)こうして、2008年6月8日、刑期からして珍しい満期出所で出所するのである。

 緒方はバスに乗り大津へ出る。そこからJRで大阪へ出る。そういった様子が細かく叙述され、「刑余者」(刑務所での服役が終わり出所した人物のこと。「前科者」という言葉は「差別的」だが、「刑余者」は中立的な行政用語)の体験をリアルに描くリアリズムの小説かと思って読み進めていくと…。緒方の過去に話が飛び、そこで関わった何人かの人生が語られていく。どんどん話が進み、時には作者自身が出てきて物語を進める。近代の通常の小説ではなく、またエンターテインメントでもなく、近代以前の物語に近い部分もあるが、そういった小説作法の問題を飛び越えて、作者は自在に物語っていく。われらの時代の冬の物語を。

 登場人物の内面や葛藤を抜きにして話がどんどん進むので、途中でこれでいいのかなと思うぐらい、読みやすい本である。現代の講談を読むように読み進んで行くと、だんだんこの物語の主人公は、われわれが生きてきた時代そのものではないかと思うようになった。時代設定から東日本大震災と原発事故は出てこないわけだが、阪神大震災、オウム真理教事件、同時多発テロ、秋葉原の無差別殺傷事件などが何らかの形で出てくる。特に関西を舞台にしているので、阪神大震災が非常に大きな意味を持って出てくる。

 そこまでの人生行路を簡単に見ると、姫路に生まれ父が出ていき母子家庭になり、大学を出てバイト先の外食産業に就職、「ある事件」に巻き込まれて失職、そこから新興宗教の出版部に転職、そこで認められる。その時期に大震災があり、教団は神戸で大々的な救援活動を始める。だから主人公は被災地の神戸をじっくり見ているのである。そこである女性と出会い、やがて再会して、結婚を考えるようになる。こうして一応の安定がありえたかと思うと、突然妻が失踪、そこから緒方の人生は悪い方、悪い方へと転がり落ちていくのである。

 「ある事情」「ある事件」などと書いているが、それは読む人の楽しみを奪わないためで、いわゆる「ネタバレ」を避けるということが大きい。でも、それだけでなく、人生は理不尽であって、われわれの実人生もいつ何時、「ある事情」が起こって暗転していくのか測りがたいのである。内容そのものは小説を読めばわかるが、それでも「何でその人にそんな出来事が起こったのか」は判らない。まあ小説だから作者が創作したわけだけど、誰の実人生においても、「何かの事情」で人生が変わっていくのである。

 緒方という人物を通して、われわれは「知られざる日本」をいくつも見せられる。刑務所、新興宗教、カルト教団、SMクラブ、ヤクザ、ホームレス…そして、強盗事件に至る。その間にある、人生に潜む恐るべき深淵、そして孤独の深さに冷え冷えとした思いを抱かざるを得ない。愛も希望も消え去った人生に、どんな最期がありうるのか。衝撃的なラストまで、物語は疾走し続けるが、心の中に居ついてしまった主人公の恐るべき孤独が、本を抜け出てこちらの実人生へ浸食してくるような感触がある。

 これが日本の実際であり、日本で生きるということなのか。それをもたらしたものは何か。本人にも責任はあると思うが、「求めては奪われ、掴んでは失った。俺の人生、どこで躓いたんや。」と帯の裏にあるけど、緒方はいろいろと思い迷う中で、そうかあの時かと思い当たる。しかし、今はそれは何の意味もない。誰でもスラスラ読めるし、とても面白い本だけど、読んでると自分の人生を振り返ることになる。人間存在の運命性を感じるけど、でも個人が変えられる部分だってあるのである。しかし人々が孤立し連帯のない社会では、一人ひとりで圧倒的なものに立ち向かっては討ち死にしていくしかない。そういう死屍累々たる風景が、この小説に見える。だから面白いけど、辛くもある。そんな本で、是非読んでみて欲しい本。
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