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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「許されざるもの」、恋と革命の大ロマン-辻原登を読む①

2014年05月08日 23時16分46秒 | 本 (日本文学)
 先月下旬から、突然辻原登の連続読書が始まった。現代史関係の本からマイケル・コナリーの新刊「ナイン・ドラゴンズ」(講談社文庫)に行き、面白くて一気読み。続けて、数年置いといた松本清張「空の城」の面倒臭い叙述に難渋。一昔前の安宅産業破綻事件のてん末を描いた作品である。それを読んでるうちに、去年書評を見て買った辻原登「冬の旅」を読みたいと急に思いが募ったのである。

 辻原登って誰だという人も結構いるだろう。辻原登(1945~)は、1990年に「村の名前」で芥川賞を受けた作家である。20世紀の終わりころから、出す本、出す本、軒並み何かの賞を受賞している。前から読んではいたけど、最近は分厚い本が多いので、ちょっと放っておいた。というと、純文学系の難しい作家かと思うかもしれないが、僕が思うに、今、日本で一番面白い作家ではないか。それは村上春樹ではないか、いやエンタメ系の宮部みゆきとか、浅田次郎とか。最近なら池井戸潤か朝井リョウ…とどんどん名前は出てくるけど、おっと辻原登を忘れてはいけない。

 純文学にして、大歴史ロマン、はたまた一風変わった落語小説? 幻想的な不思議な短編。とにかくハズレがない面白さ。川上弘美、奥泉光、堀江敏幸など、僕は大好きだけど、誰にでもおススメかと言われるとちょっと困る。多くの芥川賞作家群の中で、辻原登ほど読みがいがある作家はいない。その中で、もっとも刺激的で超絶的に面白い大傑作は「許されざる者」だと思う。毎日新聞に2007年から2009年にかけて連載され、2009年に毎日新聞社から出版。毎日芸術賞を受けた。2012年8月に集英社文庫で刊行され、その時買ったままになっていた。上巻549頁、下巻525頁、合計すると文庫本ながら1074頁にもなる超大作である。

 新宿中村屋は名物インドカリーを「恋と革命の味」と名付けているが、そのひそみにならえば、この大長編は「恋と革命の大ロマン」と呼ぶのが適当だろう。そんなものが日本にあるのかと言われるかもしれない。確かにそうなんだけど、明治から大正の中村屋サロン和歌山県新宮なら、確かにあっても不思議ではない。そう、これは100年前の日露戦争前後における新宮を舞台にした小説である。だけど、小説内では「森宮」と書いて「しんぐう」と読ませている。だから、これは現実の新宮の話ではない。新宮によく似た、もう一つの別の町の物語である。
 
 新宮には大逆事件で無実の罪で処刑された人々がいる。その一人、医師の大石誠之助を明らかに思わせる槇隆光という人物が主人公。彼は医師としてアメリカやインドに学び、料理も得意で「太平洋食堂」なる食堂で洋食を広めようとする。平民新聞にもレシピを掲載している。その辺りは全部実話。実際に大石の甥だった西村伊作は、後に東京で文化学院を開く人物だが、それを思わせる若林勉という人物もいる。また、大逆事件に引っかかった僧侶、高木顕明を思わせる人物もいる。

 後半に登場する金子スガなる女性記者は、明らかに菅野スガがモデル。ただし菅野は紀州は紀州ながら、新宮ではなく田辺の新聞にいたのだが。他にも、強引に小説内に登場するのが、小林一三大谷光瑞(東本願寺法主で、シルクロード探検で有名)を思わせる人物である。このように20世紀初頭の日本を様々な目で描くため、魅力的な人物が多数出てくる。

 しかし、この小説で最も魅力的な人物は、架空の女性たちである。槇の姪、若林のいとこという美しい少女、西千春や森宮藩元藩主家の永野夫人。(新宮藩は紀州徳川家の家老だった水野家が統治し、明治になって大名となった。当主が八甲田山雪中行軍で死亡したのは実話。)そして、森宮の裏を知り尽くす中駒組の女親分、中子菊子。特に千春と永野夫人をめぐる恋のてん末が、一応この大長編の主たるストーリイである。これらの恋に、森宮の貧困や差別、そして日露戦争に向かう日本が絡んできて、一瞬も油断できない。命を懸けた恋、誰にも知られてはいけない恋。気高い恋もあれば、打算の恋もある。

 それと同時に、森宮を舞台に「ある時代の日本」が形象化されている。炭鉱事故、被差別、警察の弾圧、遊郭の世界、ヤクザや娼妓、社会主義やキリスト教、脚気(かっけ)の病因、ロシアとの戦争。馬や犬や猫も出てきて、心の内を語ったり物語の中でしっかりと生きている。そういう「全体小説」と言っていいんだけど、その世界のカギを握っているのは、街角のガス灯に点灯していく「点灯屋」と町の時計のネジまきを担当する「ネジ巻き屋」である。彼らは、存在するけど存在しない(誰も存在を意識しない)という仕事をなりわいとしていて、町の秘密を最初に知る。

 この小説が面白いのは、主筋の恋と革命と戦争のストーリイが波乱万丈なためだけど、もう一つ「点灯屋」と「ネジ巻き屋」の目を通して「森宮という世界」の裏を垣間見ることができるという小説の構造も大きい。ガルシア=マルケス「百年の孤独」とか村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」「海辺のカフカ」なんかをちょっと思わせる。そして、どうなるかというと、それは読んでのお楽しみ。読者は決して裏切られないだろう。なぜなら、ここは明治末の新宮ではなく、あくまでも「森宮」なのだから。

 この小説には多くの実在人物が出てくる。森林太郎(鴎外)、石光真清、田山花袋、幸徳秋水、ジャック・ロンドン。以上5人が小説内でセリフも与えられ生きた登場人物として出てくる実在人物である。そんな中にいない人がいる。新宮は佐藤春夫中上健次を生んだ町だが、はるか後世の中上はともかく、この小説と近い時期に新宮中学に在籍し、早くも短歌を発表し中央にも知られ始めていた佐藤春夫が出てこない。。似た感じの架空の人物もいない。僕が思うに、これは佐藤春夫の「美しい町」の新宮拡大バージョンだからではないか。そして、この小説は、一種のパラレルワールドSFなのではないか。そのようにも感じられる。

 戦争と差別と貧困をこの世からなくしたいとかつて思い、また今もなお熱く思い続けている人。誰かを心から愛し、あるいは愛した思い出に生き、未来に素晴らしい愛を求めている人。そういう人々には、ぜひこの小説を読むことを勧めたい。日本の地下水脈の豊かさにひたり、日本の過去と未来を信じられるかもしれない、そんな小説である。でもこういう大長編の常として、100頁、200頁を読んであたりまでは、大河はゆったりと流れ、登場人物の多さに閉口するかもしれない。でも上巻の半分ぐらいまで来れば、読むのを止められなくなると思う。どうなる、どうなると先を争うように読み進め、でも下巻の最後が見えてくると、もっと長く小説の時間に浸っていたいと願い、じっくり読むためスピードを緩める。そんな小説体験を久しぶりに味わった。
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