フランスで起こったテロ事件、あるいは「イスラム国」の関与する(とされる)「テロ」行為…それらを見聞きする中で、一体「テロ」とは何なのだろうと考えてきた。「テロ」(terrorism テロリズム)とは、暴力、特に殺人によって政治的目的を達しようという行為を主に指す。しかし、もともとはフランス革命時の「恐怖政治」である。だから、反政府勢力が政府側に対して行うテロだけではなく、政府側が反政府運動を弾圧するためにも「テロ」は使われるのである。(弾圧を恐れて反政府運動に加わらないように、あえて厳罰を科したり、公開で処刑するなど。)
かつて、ジロ・ポンテコルヴォ監督「アルジェの戦い」という傑作映画があった。1966年のヴェネツィア映画祭グランプリで、1967年キネマ旬報外国映画ベストワンである。だから、ヨーロッパでも日本でも大変高く評価された。この映画はアルジェリア独立戦争をドキュメント的に描いた映画で、大変な迫力があった。僕は年齢的に公開当時は見ていないので、確か70年代半ばに見たのではないかと思う。その中では、独立戦争の主役となったのがFLN(民族解放戦線)による爆弾テロも描かれていた。そのことをめぐって、公開当時の日本では論議が起こったという。アルジェリア独立運動は、遠い日本の地でも若者の熱い注目を集めていた。それは大江健三郎の小説「われらの時代」や福田善之の戯曲「遠くまでゆくんだ」などに示されている。宗主国のフランスの文学や思想が、今では考えられないくらいの大きな影響力を持っていて、日本の知識人もサルトルなどのアルジェリア戦争への言行に無関心ではいられなかったのである。
ところで、この映画の中のテロ事件は実際に起こったものである。それは、起こす側からすれば「独立戦争の中で、首都中枢部で爆弾事件を起こして、治安の悪化やアルジェリア人の怒りを世界に発信し、植民地からの引き揚げをフランス世論に求める」という「合理性のある作戦」と見なすことが可能である。しかし、無関係の人が死傷するのは事実だから、「道徳的な問題」が存在するのは間違いない。でも、日本の最高裁は「戦争被害は全国民が等しく受忍すべきもの」としているわけであって、その論理をここでも適用するならば、爆弾の爆発時には軍人以外のフランス人やアルジェリア人もいるだろうとしても、「やむを得ない」と考える余地がある。もっともフランス当局からすれば、「独立戦争」などというものはなく、FLNは反政府テロ組織に過ぎない。そうすると、作戦行動の手段としての「合理性」は別にしても、そもそも「アルジェリアの独立を認めるべきか」という一番最初の大問題に判断を下すことが先に必要になってくる。
この「大問題」は今では解決済みで、アルジェリアは独立し、フランスもそれを認めて、もう長い時間が経っている。アルジェリア独立戦争などと言っても、若い世代には何の知識も関心も呼ばないだろう。ただし、70年代にはまだ記憶の名残りがあって、僕も何となく知っていたものだ。「アルジェの戦い」という映画を見ようという人は、なんか傑作らしいという評判でうっかり見てしまった人もいるだろうけど、大部分の人はアルジェリア独立戦争の映画だと知って見るわけである。僕も「独立戦争支持」の立場で見ていたから、爆弾テロは悲惨ではあるけれど、「これは戦争であるから」と思って見た。フランス軍が早く撤退すればいいのだと思って見ているのである。
さて、この話はずいぶん昔の問題になったはずである。だけど、実は今もなお重大な問題をはらんだテーマなのである。一つは、フランスの中では今でもアルジェリアなどの植民地支配への肯定的な意見が根強くある。フランスのオランド大統領が2012年にアルジェリアを訪問した時も、「謝罪」の意思は表明されなかった。アルジェリア戦争中のフランス軍による残虐行為も、大きな傷として残り続けている。フランスにはアルジェリアはじめ旧フランス領植民地出身のイスラム教徒が多数在住している。そして、今回のシャルリ―・エブド襲撃事件の容疑者と目されている兄弟は、アルジェリア系フランス人だった。アルジェリア問題は今もなおフランスにとって、切れば血の出る問題なのである。
一方、その後のアルジェリアの歩みも大変なものだった。政権を樹立したFLNのベン・ベラは非同盟諸国の英雄とみなされ非常に有名な指導者だった。だが、社会主義的政策をすすめた結果経済が悪化しクーデタがおきる。やがてFLNは特権階級化していき、経済不振の中でイスラム過激派が勢力を伸ばしていく。1991年、というのはソ連崩壊の年で、世界の各地で民主化を進めざるを得なくなっていた時期だが、初めて野党の参加を認めた選挙が行われた。その選挙で「イスラム救国戦線」(FIS)が圧勝するのである。FISは憲法を無効としイスラム国家樹立を目指すが、これに世俗派が反発し軍のクーデターが起きた。それに対し、イスラム過激派は軍事行動で対抗し、10年にわたる「アルジェリア内戦」が起きたのである。4万から20万の死者が出たと推測されている。政府軍が勝利し、大統領選挙も行われ、1999年にFLNの元外相ブーテフリカが当選した。さてさて、今度はこのブーテフリカ政権が長期独裁政権化していき、憲法を変えて3選されるに至っている。それにイスラム過激派は反発するわけで、イスラム過激派勢力は「マグレブ諸国のアル・カイダ」を結成している。その系列のグループが、2012年に起こって日本人(日揮社員)も犠牲となったアルジェリア人質事件を起こしているのである。
なんだか「因果はめぐる糸車」とでも言いたい感じだが、フランスもアルジェリアも「独立戦争に伴うテロリズム」を経験したが、それは完全には解決していない。フランス軍による残虐行為は「国家テロ」というべきものだが、フランス社会は今もなおそれを直視出来ていない。アルジェリア系住民には差別がある。そして今では両国に共通して、イスラム過激派によるテロ事件に直面している。「独立運動」という問題でとらえれば、独立を求めるアルジェリアも、独立を認めない(当時のフランス植民者などの)フランス人強硬派も、「ナショナリズム」という問題で理解できた。どちらのナショナリズムを支持すべきかという問題である。しかし、現在直面しているのは、それとは違った「宗教」という問題である。これをどう考えればいいのか。また次回以後に。
かつて、ジロ・ポンテコルヴォ監督「アルジェの戦い」という傑作映画があった。1966年のヴェネツィア映画祭グランプリで、1967年キネマ旬報外国映画ベストワンである。だから、ヨーロッパでも日本でも大変高く評価された。この映画はアルジェリア独立戦争をドキュメント的に描いた映画で、大変な迫力があった。僕は年齢的に公開当時は見ていないので、確か70年代半ばに見たのではないかと思う。その中では、独立戦争の主役となったのがFLN(民族解放戦線)による爆弾テロも描かれていた。そのことをめぐって、公開当時の日本では論議が起こったという。アルジェリア独立運動は、遠い日本の地でも若者の熱い注目を集めていた。それは大江健三郎の小説「われらの時代」や福田善之の戯曲「遠くまでゆくんだ」などに示されている。宗主国のフランスの文学や思想が、今では考えられないくらいの大きな影響力を持っていて、日本の知識人もサルトルなどのアルジェリア戦争への言行に無関心ではいられなかったのである。
ところで、この映画の中のテロ事件は実際に起こったものである。それは、起こす側からすれば「独立戦争の中で、首都中枢部で爆弾事件を起こして、治安の悪化やアルジェリア人の怒りを世界に発信し、植民地からの引き揚げをフランス世論に求める」という「合理性のある作戦」と見なすことが可能である。しかし、無関係の人が死傷するのは事実だから、「道徳的な問題」が存在するのは間違いない。でも、日本の最高裁は「戦争被害は全国民が等しく受忍すべきもの」としているわけであって、その論理をここでも適用するならば、爆弾の爆発時には軍人以外のフランス人やアルジェリア人もいるだろうとしても、「やむを得ない」と考える余地がある。もっともフランス当局からすれば、「独立戦争」などというものはなく、FLNは反政府テロ組織に過ぎない。そうすると、作戦行動の手段としての「合理性」は別にしても、そもそも「アルジェリアの独立を認めるべきか」という一番最初の大問題に判断を下すことが先に必要になってくる。
この「大問題」は今では解決済みで、アルジェリアは独立し、フランスもそれを認めて、もう長い時間が経っている。アルジェリア独立戦争などと言っても、若い世代には何の知識も関心も呼ばないだろう。ただし、70年代にはまだ記憶の名残りがあって、僕も何となく知っていたものだ。「アルジェの戦い」という映画を見ようという人は、なんか傑作らしいという評判でうっかり見てしまった人もいるだろうけど、大部分の人はアルジェリア独立戦争の映画だと知って見るわけである。僕も「独立戦争支持」の立場で見ていたから、爆弾テロは悲惨ではあるけれど、「これは戦争であるから」と思って見た。フランス軍が早く撤退すればいいのだと思って見ているのである。
さて、この話はずいぶん昔の問題になったはずである。だけど、実は今もなお重大な問題をはらんだテーマなのである。一つは、フランスの中では今でもアルジェリアなどの植民地支配への肯定的な意見が根強くある。フランスのオランド大統領が2012年にアルジェリアを訪問した時も、「謝罪」の意思は表明されなかった。アルジェリア戦争中のフランス軍による残虐行為も、大きな傷として残り続けている。フランスにはアルジェリアはじめ旧フランス領植民地出身のイスラム教徒が多数在住している。そして、今回のシャルリ―・エブド襲撃事件の容疑者と目されている兄弟は、アルジェリア系フランス人だった。アルジェリア問題は今もなおフランスにとって、切れば血の出る問題なのである。
一方、その後のアルジェリアの歩みも大変なものだった。政権を樹立したFLNのベン・ベラは非同盟諸国の英雄とみなされ非常に有名な指導者だった。だが、社会主義的政策をすすめた結果経済が悪化しクーデタがおきる。やがてFLNは特権階級化していき、経済不振の中でイスラム過激派が勢力を伸ばしていく。1991年、というのはソ連崩壊の年で、世界の各地で民主化を進めざるを得なくなっていた時期だが、初めて野党の参加を認めた選挙が行われた。その選挙で「イスラム救国戦線」(FIS)が圧勝するのである。FISは憲法を無効としイスラム国家樹立を目指すが、これに世俗派が反発し軍のクーデターが起きた。それに対し、イスラム過激派は軍事行動で対抗し、10年にわたる「アルジェリア内戦」が起きたのである。4万から20万の死者が出たと推測されている。政府軍が勝利し、大統領選挙も行われ、1999年にFLNの元外相ブーテフリカが当選した。さてさて、今度はこのブーテフリカ政権が長期独裁政権化していき、憲法を変えて3選されるに至っている。それにイスラム過激派は反発するわけで、イスラム過激派勢力は「マグレブ諸国のアル・カイダ」を結成している。その系列のグループが、2012年に起こって日本人(日揮社員)も犠牲となったアルジェリア人質事件を起こしているのである。
なんだか「因果はめぐる糸車」とでも言いたい感じだが、フランスもアルジェリアも「独立戦争に伴うテロリズム」を経験したが、それは完全には解決していない。フランス軍による残虐行為は「国家テロ」というべきものだが、フランス社会は今もなおそれを直視出来ていない。アルジェリア系住民には差別がある。そして今では両国に共通して、イスラム過激派によるテロ事件に直面している。「独立運動」という問題でとらえれば、独立を求めるアルジェリアも、独立を認めない(当時のフランス植民者などの)フランス人強硬派も、「ナショナリズム」という問題で理解できた。どちらのナショナリズムを支持すべきかという問題である。しかし、現在直面しているのは、それとは違った「宗教」という問題である。これをどう考えればいいのか。また次回以後に。