例年のように「冬はミステリー」の季節が始まっている。ミステリーばかり読まないようにしたいと思っているんだけど、やはり冬の夜は謎がふさわしい。年末に米澤穂信「満願」を読んだ。年間ミステリ3冠、昨年の山本周五郎賞受賞作。「氷菓」から始まる「古典部シリーズ」(角川文庫)や、「春季限定いちごタルト事件」から始まる「小市民シリーズ」(創元推理文庫)などの高校生ミステリ時代から愛読する米澤穂信も、いよいよこれでメジャーとなるのか。これは非常に読みやすい、巧みな短編集で、多くの人にお勧めできるけど、あまり読後感はよろしくない。そういう系列、ビターというかシニカルな作品が多いので、初心者には注意も。でもすぐ読める。様々なタイプの作品が集められているけど、人間性の闇のようなものを見つめることでは共通している。
一方、週刊文春2位、このミス3位とうたうのが、第60回江戸川乱歩賞受賞の下村敦史「闇に香る嘘」である。作者は9年間応募を続け、5回最終候補に残った末に受賞に至ったという。その努力が実った力作ではある。乱歩賞といえば、昔は陳舜臣、西村京太郎、森村誠一などを輩出し、その後も東野圭吾、桐野夏生、池井戸潤などがデビューしたミステリー新人賞の名門だから、ちょっと前まで受賞作は全部読んでた。最近は他に賞がいっぱい出来て、どうもあまりパッとしない時も多く、今回もこれほど高い評価を受けるとは思わず、年末のランキング発表でビックリした次第。
この小説はミステリー史上、ちょっと読んだことがない、普通は思いつかないようなとんでもない設定がなされている。作品の背景そのものは、「中国残留孤児」をめぐる話なんだけど、主人公が全盲(中途失明者)なのである。孫が腎臓病で小学生なのに毎日透析が必要、娘はすでに腎臓を移植したものの拒否反応が出てしまい、事情があって別居していた父親(主人公)が移植が可能かどうかの検査を受けている。それがダメとなって、久方ぶりに岩手で母と暮らしている兄を訪ねて、腎臓移植を頼む。しかし、兄は頑なに検査を拒むのである。母と主人公は「満洲移民」から辛うじて帰国できたものの、兄は川を渡るときに流されてしまい、いわゆる「残留孤児」となる。80年代にようやく帰国できたものの、国に見放されてきたと思い、国を訴える裁判をしている。そんな裁判はするくせに、弟の孫のためには検査も受けてくれないのか。そこで、「もしかして、兄はニセの残留孤児ではないのか」と疑問を覚えてしまったのだ。(帰国時には失明していたので、主人公は兄の顔を見たこともないのである。)
ということで、設定上、孤独で盲目な老人(69歳)が一人で、各地(時には飛行機で北海道までも)に出かけて、兄の過去、当時の「満洲移民」の状況を知っている人を訪ねていくのである。小説なんだから、作家が自由に何でも作ればいいんだけど、よりによって「全盲の探偵」というのもミステリー史上初ではないだろうか。シャーロック・ホームズを思い浮かべれば判るが、探偵は耳で聞いて出身地を当てたりもしているけど、大部分の作業は目で見て観察した結果を推理して謎を解明することである。ハードボイルドでも、探偵があちらこちらを探索してまわる結果、謎の真相に迫っていく。当然、目が見えることが前提で、そうじゃなきゃ車も運転できないし、謎のダイイング・メッセージも(解読以前に)見つけられない。大体、「犯人」の顔が見えなくて、どうやって真相に迫れるのか?
そのうち、怪しげな人物が周囲に出没する(らしいけど、見えないからよく判らない)とか、謎めいた点字の手紙が届いたりして、ついには「本当の兄」を名乗る人物から携帯電話に連絡がある。(どうしてケータイ番号が判ったのかも謎である。)聞きまわる人物も怪しい感じがしてきて、母も狙われているのではないかと主人公は疑心暗鬼になる。しかも、主人公は精神安定剤や睡眠導入剤を使っているので、自分でも記憶力に自信が無くなってくるのである。兄は本当に残留孤児なのか。兄を名乗る人物は何者か。そういった主筋に挟まれて、孤独な主人公の来し方行く末が書かれている。途中失明を受け止めらず、過酷な逃避行がその原因と母を恨み、妻と娘の奉仕を当然視して去って行かれたという過去。あまり同情できない「障害者」であるが、この家族関係がどうなるか。特に過酷な運命を背負う孫娘が危機にさらされることになり…。
その謎めいたミステリーが最後の最後にすべて、合理的に回収される手さばきは実に見事。単にミステリー的な感興を超えて、戦争の歴史、視覚障がい者の世界への理解を大きく深めることになる。そうだったのかという最後の「どんでん返し」は見事だと思う。ミステリー的には、少し物足りない部分もある(点字の暗号がうまく使われていないし、「敵対勢力」がどうも不可解だったり)けど、「見えない世界」を描いたということが印象的である。全盲になるということはこういうことか。全盲者が一人で外出するとは、こういうことなのか。耳で聞くことだけで、周りに何が起こっているかを推理していくしかないという、ある意味「究極のミステリー」だと思う。映像化不可能な感じだけど、でもちょっと工夫をすれば映画にもなるだろう。この小説のシナリオ化に挑戦するライターが出てきて欲しいなと思う。(僕が思うに、主人公の過去と娘・孫の現在をカラーで描き、主人公が聞きまわる時はモノクロで音声のみ。娘の存在をもっと大きくすれば映像化できる気がする。)
一方、週刊文春2位、このミス3位とうたうのが、第60回江戸川乱歩賞受賞の下村敦史「闇に香る嘘」である。作者は9年間応募を続け、5回最終候補に残った末に受賞に至ったという。その努力が実った力作ではある。乱歩賞といえば、昔は陳舜臣、西村京太郎、森村誠一などを輩出し、その後も東野圭吾、桐野夏生、池井戸潤などがデビューしたミステリー新人賞の名門だから、ちょっと前まで受賞作は全部読んでた。最近は他に賞がいっぱい出来て、どうもあまりパッとしない時も多く、今回もこれほど高い評価を受けるとは思わず、年末のランキング発表でビックリした次第。
この小説はミステリー史上、ちょっと読んだことがない、普通は思いつかないようなとんでもない設定がなされている。作品の背景そのものは、「中国残留孤児」をめぐる話なんだけど、主人公が全盲(中途失明者)なのである。孫が腎臓病で小学生なのに毎日透析が必要、娘はすでに腎臓を移植したものの拒否反応が出てしまい、事情があって別居していた父親(主人公)が移植が可能かどうかの検査を受けている。それがダメとなって、久方ぶりに岩手で母と暮らしている兄を訪ねて、腎臓移植を頼む。しかし、兄は頑なに検査を拒むのである。母と主人公は「満洲移民」から辛うじて帰国できたものの、兄は川を渡るときに流されてしまい、いわゆる「残留孤児」となる。80年代にようやく帰国できたものの、国に見放されてきたと思い、国を訴える裁判をしている。そんな裁判はするくせに、弟の孫のためには検査も受けてくれないのか。そこで、「もしかして、兄はニセの残留孤児ではないのか」と疑問を覚えてしまったのだ。(帰国時には失明していたので、主人公は兄の顔を見たこともないのである。)
ということで、設定上、孤独で盲目な老人(69歳)が一人で、各地(時には飛行機で北海道までも)に出かけて、兄の過去、当時の「満洲移民」の状況を知っている人を訪ねていくのである。小説なんだから、作家が自由に何でも作ればいいんだけど、よりによって「全盲の探偵」というのもミステリー史上初ではないだろうか。シャーロック・ホームズを思い浮かべれば判るが、探偵は耳で聞いて出身地を当てたりもしているけど、大部分の作業は目で見て観察した結果を推理して謎を解明することである。ハードボイルドでも、探偵があちらこちらを探索してまわる結果、謎の真相に迫っていく。当然、目が見えることが前提で、そうじゃなきゃ車も運転できないし、謎のダイイング・メッセージも(解読以前に)見つけられない。大体、「犯人」の顔が見えなくて、どうやって真相に迫れるのか?
そのうち、怪しげな人物が周囲に出没する(らしいけど、見えないからよく判らない)とか、謎めいた点字の手紙が届いたりして、ついには「本当の兄」を名乗る人物から携帯電話に連絡がある。(どうしてケータイ番号が判ったのかも謎である。)聞きまわる人物も怪しい感じがしてきて、母も狙われているのではないかと主人公は疑心暗鬼になる。しかも、主人公は精神安定剤や睡眠導入剤を使っているので、自分でも記憶力に自信が無くなってくるのである。兄は本当に残留孤児なのか。兄を名乗る人物は何者か。そういった主筋に挟まれて、孤独な主人公の来し方行く末が書かれている。途中失明を受け止めらず、過酷な逃避行がその原因と母を恨み、妻と娘の奉仕を当然視して去って行かれたという過去。あまり同情できない「障害者」であるが、この家族関係がどうなるか。特に過酷な運命を背負う孫娘が危機にさらされることになり…。
その謎めいたミステリーが最後の最後にすべて、合理的に回収される手さばきは実に見事。単にミステリー的な感興を超えて、戦争の歴史、視覚障がい者の世界への理解を大きく深めることになる。そうだったのかという最後の「どんでん返し」は見事だと思う。ミステリー的には、少し物足りない部分もある(点字の暗号がうまく使われていないし、「敵対勢力」がどうも不可解だったり)けど、「見えない世界」を描いたということが印象的である。全盲になるということはこういうことか。全盲者が一人で外出するとは、こういうことなのか。耳で聞くことだけで、周りに何が起こっているかを推理していくしかないという、ある意味「究極のミステリー」だと思う。映像化不可能な感じだけど、でもちょっと工夫をすれば映画にもなるだろう。この小説のシナリオ化に挑戦するライターが出てきて欲しいなと思う。(僕が思うに、主人公の過去と娘・孫の現在をカラーで描き、主人公が聞きまわる時はモノクロで音声のみ。娘の存在をもっと大きくすれば映像化できる気がする。)