青木理(あおき・おさむ)氏の「抵抗の拠点から 朝日新聞『慰安婦報道』の核心」(講談社、1,400円)の紹介。2014年12月16日付で出版された本である。青木理氏(1966~)は元共同通信記者で、06年に退社後はフリーで活動しているジャーナリスト。警察、検察等の捜査を鋭く追及する本を何冊か出しているから、今までにも読んだことがある。信用できるジャーナリストである。
この本は、「朝日バッシング=歴史修正主義と全面対決する。」と帯にうたわれ、「闘うジャーナリストが、右派のの跳梁に抗する画期的な一冊!」とある。それだけで中身を言いつくしているような本。こういう本を出す人はいないのかと思っていたけど、やはり書いてくれる人がいた。
「朝日新聞バッシング」に関しては、昨年9月に8回を費やして、このブログでも触れた。朝日新聞に対する週刊誌等の「罵詈雑言」「ヘイトスピーチ」があまりにも常軌を逸していて、単に「誤報を正す」というだけではない事態となっていたからである。特に、「歴史の中の朝日新聞」「『朝日はやっぱりスゴイ』考」「『誤報』を恐れず『未報』を畏れよ」の3回では、朝日新聞問題を「日本の言論空間の今後を左右するような思想、政治的な問題」であり、「中央紙の論調を屈服させようという明確なプログラムをもって進められている『政治闘争』」だと指摘した。特に、朝日新聞を歴史的に振り返ってみると、「今、朝日新聞を徹底批判し、屈服させ、論調を少しでも変えさせれることに成功すれば、『憲法改正への道も切り開かれてくる、そこまで、あともう少し』と安倍政権には見えているのではないか」とも書いた。
青木氏の問題意識もおおむね僕と同じようなものではないかと思う。僕はその時に「慰安婦」問題そのものは触れなかったのだが、今回の青木氏の本は「慰安婦報道」を中心に検証している。まず当時時々刻々と書かれた文章(「サンデー毎日」と「世界」に掲載されたもの)が1章と2章。そして、第3章は朝日の関係者に会って取材したものである。取材対象者は、植村隆、若宮啓文、市川速水、外岡英俊の諸氏である。(他にも会っているけど、インタビューが掲載されている中心人物は以上の4氏。特に最初の3氏。)このインタビューを読めば、「慰安婦」報道をめぐる朝日批判がいかにずれたものだったか、思いこみでなされた政治的なもの、いや、それ以下のよく知りもせずうっぷん晴らしのために作られたものかがよく判るだろう。(例えば、慰安婦問題に少しでも知識があれば、植村氏の義母が「太平洋戦争遺族会」の関係者だったということで、「挺身隊問題協議会」に相談していた金学順(キム・ハクスン)を紹介されたのではないかなどと邪推して非難するわけがない。大体そういうことがあったとして何が悪いのか判らないが、「挺対協」と「遺族会」の関係を何も知らないのである。)
朝日内部の問題は、この本を読んでずいぶん知ることができた。その必要性があるのか、ないのか、よく判らないが。それを読んで判ることは、朝日の「紳士性」あるいは「エリート性」のようなもので、安倍政権が網を張って待ち受けている時代に、あまり準備もせずに身を投げ出してしまったナイーブさのようなものを感じる。強く批判されることは想定したかもしれないが、「売国奴」「国賊」などと「街宣右翼」や「ネトウヨ」が言うのならともかく、大手出版社が出している週刊誌や雑誌が書きまくる、そしてそれを同業他社がほとんど批判の声を挙げないとは思わなかったのではないか。日本社会は、あっという間に「劣化」「変質」していたのである。どうして朝日首脳部は、世の中を読み間違ったのか。これから考える課題はそれだろう。そして、前にも書いたように、首脳部が仮に「恭順」しても、マスコミの一人ひとりが「高杉晋作」となって決起することを望んでいる。
僕にしても、この段階では朝日問題を歴史的な問題だとは意識していたが、年末に総選挙を仕掛けてくるとは全く想定していなかった。多分、官邸はそこまで読み込んで、「吉田調書」を産経や読売にリークしたのではないかと推測してしまうのである。さて、この本を「右」の人々が読んで、納得するということは考えがたい。「反知性主義」を売り物にしているようなところがあるから、関連書を買って読もうとは思わないだろう。どうせ「左のたわごと」としか思わないのではないか。ホントはそういう人こそ読むべきだろうけど、まあそれはさておき、「彼ら」は読まずとも「われわれ」は読んでおきたい本である。このぐらいは共通理解して先に進みたいと思う。(なお、慰安婦問題はいずれ書くと述べたままになっているが、多くの文献を読み直すのが大変で今もまだ書ける状態ではない。でも、関連書を買い続けているので、いつかまとめてみたいのだが、つい信長関連本を先に読んだりしてしまう。)
この本は、「朝日バッシング=歴史修正主義と全面対決する。」と帯にうたわれ、「闘うジャーナリストが、右派のの跳梁に抗する画期的な一冊!」とある。それだけで中身を言いつくしているような本。こういう本を出す人はいないのかと思っていたけど、やはり書いてくれる人がいた。
「朝日新聞バッシング」に関しては、昨年9月に8回を費やして、このブログでも触れた。朝日新聞に対する週刊誌等の「罵詈雑言」「ヘイトスピーチ」があまりにも常軌を逸していて、単に「誤報を正す」というだけではない事態となっていたからである。特に、「歴史の中の朝日新聞」「『朝日はやっぱりスゴイ』考」「『誤報』を恐れず『未報』を畏れよ」の3回では、朝日新聞問題を「日本の言論空間の今後を左右するような思想、政治的な問題」であり、「中央紙の論調を屈服させようという明確なプログラムをもって進められている『政治闘争』」だと指摘した。特に、朝日新聞を歴史的に振り返ってみると、「今、朝日新聞を徹底批判し、屈服させ、論調を少しでも変えさせれることに成功すれば、『憲法改正への道も切り開かれてくる、そこまで、あともう少し』と安倍政権には見えているのではないか」とも書いた。
青木氏の問題意識もおおむね僕と同じようなものではないかと思う。僕はその時に「慰安婦」問題そのものは触れなかったのだが、今回の青木氏の本は「慰安婦報道」を中心に検証している。まず当時時々刻々と書かれた文章(「サンデー毎日」と「世界」に掲載されたもの)が1章と2章。そして、第3章は朝日の関係者に会って取材したものである。取材対象者は、植村隆、若宮啓文、市川速水、外岡英俊の諸氏である。(他にも会っているけど、インタビューが掲載されている中心人物は以上の4氏。特に最初の3氏。)このインタビューを読めば、「慰安婦」報道をめぐる朝日批判がいかにずれたものだったか、思いこみでなされた政治的なもの、いや、それ以下のよく知りもせずうっぷん晴らしのために作られたものかがよく判るだろう。(例えば、慰安婦問題に少しでも知識があれば、植村氏の義母が「太平洋戦争遺族会」の関係者だったということで、「挺身隊問題協議会」に相談していた金学順(キム・ハクスン)を紹介されたのではないかなどと邪推して非難するわけがない。大体そういうことがあったとして何が悪いのか判らないが、「挺対協」と「遺族会」の関係を何も知らないのである。)
朝日内部の問題は、この本を読んでずいぶん知ることができた。その必要性があるのか、ないのか、よく判らないが。それを読んで判ることは、朝日の「紳士性」あるいは「エリート性」のようなもので、安倍政権が網を張って待ち受けている時代に、あまり準備もせずに身を投げ出してしまったナイーブさのようなものを感じる。強く批判されることは想定したかもしれないが、「売国奴」「国賊」などと「街宣右翼」や「ネトウヨ」が言うのならともかく、大手出版社が出している週刊誌や雑誌が書きまくる、そしてそれを同業他社がほとんど批判の声を挙げないとは思わなかったのではないか。日本社会は、あっという間に「劣化」「変質」していたのである。どうして朝日首脳部は、世の中を読み間違ったのか。これから考える課題はそれだろう。そして、前にも書いたように、首脳部が仮に「恭順」しても、マスコミの一人ひとりが「高杉晋作」となって決起することを望んでいる。
僕にしても、この段階では朝日問題を歴史的な問題だとは意識していたが、年末に総選挙を仕掛けてくるとは全く想定していなかった。多分、官邸はそこまで読み込んで、「吉田調書」を産経や読売にリークしたのではないかと推測してしまうのである。さて、この本を「右」の人々が読んで、納得するということは考えがたい。「反知性主義」を売り物にしているようなところがあるから、関連書を買って読もうとは思わないだろう。どうせ「左のたわごと」としか思わないのではないか。ホントはそういう人こそ読むべきだろうけど、まあそれはさておき、「彼ら」は読まずとも「われわれ」は読んでおきたい本である。このぐらいは共通理解して先に進みたいと思う。(なお、慰安婦問題はいずれ書くと述べたままになっているが、多くの文献を読み直すのが大変で今もまだ書ける状態ではない。でも、関連書を買い続けているので、いつかまとめてみたいのだが、つい信長関連本を先に読んだりしてしまう。)