ピケティ、ピケティといつの間にか、その名をよく聞くようになってきた。一昨年ぐらいから話題にのぼり始め、昨年暮れにはついに大著「21世紀の資本」が翻訳された。もうすぐ来日する予定だから、これからますます話題となるだろう。トマ・ピケティ(1971~)はフランスの経済学者で、パリ経済学校教授。しかし、本屋で直接「21世紀の資本」見てみればすぐ判ると思うけど、ものすごく分厚くて、自分にはとても読み通せそうもない。中公新書「日本銀行と政治」という本を買って読み始めたけど、そんな新書本でさえ難渋している。でも、ピケティはヨーロッパだけではなく、アメリカ、中国などで広く関心を読んでいるようだから、一応どういう主張の本なのかつかんでおきたいなと思う。
そういう人には、竹信三恵子「ピケティ入門」(金曜日、1,200円)が役に立つだろう。竹信さんは和光大学教授で、新聞記者時代から格差社会の現場を取材してきて、「家事労働ハラスメント」「ルポ 賃金差別」などの本がある。経済理論というより、要するに日本はどうなんだ、アベノミクスはどうなんだという関心に沿って書かれている本。まあ、僕はこの本でいいな。
簡単に章立てを紹介しておくと、次の通り。
第1章 『21世紀の資本』とは何か
第2章 ピケティの解決策
第3章 ピケティと日本の格差
第4章 ピケティから考えるアベノミクス
第5章 私たちに何が必要か
経済学の解説っぽいのは最初の方だけで、この本のほとんどはピケティに触発されて日本の現実を考えるところにある。最初のほうもわかりやすく解説されているので、じっくり読めば大体判ると思う。でも、まあ一応その経済学っぽいところを紹介しておくと、この本は18世紀以降の租税統計が比較的整っているフランス、イギリスを中心にして、約300年間の富の集積を分析した本だという。理論的には「マルクスの直観とクズネッツの税関係をもとにした数量分析という長所を生かした」ものである。マルクスは資本の集積が極限まで進むと、資本主義は自壊して共産主義革命が起きると考えた。しかし、労働者の賃金も購買力もあがり、マルクスの考えた資本主義崩壊は起きなかった。これはテクノロジーの進歩と生産性の増大を無視していたからだという。しかし、マルクスの考えた「資本の無限の集積の原理」は今もヒントになるのだというのである。
クズネッツは第二次大戦後のアメリカの経済学者で、1971年度ノーベル経済学賞受賞者。米国の所得税統計や国民所得のデータをもとに、経済発展初期は格差は増大するが、その後経済成長によって中間層が増え格差は縮小するという「クズネッツ曲線」を唱えた。クズネッツの理論は、テクノロジーの発達と生産性の向上によって、米国の格差は縮小を続けているというもので、冷戦時代に資本主義の優位を証明する理論という意味合いがあったという。しかし、ピケティによれば、クズネッツの根拠は1914年から45年前後のデータに基づくものであって、その時代は確かに格差は縮小したけれど、300年規模で見ると、その時代の方が例外なのだという。20世紀が例外だったのは、一つには両大戦と大恐慌があり階層の流動性が激しかったこと、また戦時中は富裕層でも高率の所得課税を拒否できなかったからである。戦時中は低所得者の負担も大変だったので、金持ち階級も増税を受け入れざるを得ないし、自国が負けては元も子もないからである。
さて、国民の年間所得の合計を「国民所得」と呼ぶ。一方、一国の「資本の総体」(不動産や金融資産、工場や機械や特許などから人的資本を除いたもの)を求め、両者の比率を見る。
「資本/所得」=β βが大きいほど、貯めこんだ資産が大きいことを示す
この「資本」は一定の収益を上げるわけだが、その収益が資本の何%になるかが「収益率」
その収益率をγ(ガンマ)と呼ぶ。
「国民所得のうちの資本の取り分」をαとすれば、国民所得の中の資本の比率が先に見たβだから、
α=γ×β…資本の第一原則
はい、そろそろ全然判らなくなると思うけど、これは「国民所得のうち、資本が稼ぎ出す所得がどのくらいかは、資本の集積度にその収益率を掛ければわかる、という程度のものです。」何だ、当たり前というか、単なる定義に近い。前の数式もよく見れば、その程度のことを言っていると判る。
で、「資本の第二原則」を書くだけ書いておく。
α(資本/所得比率)=s(貯蓄率)/g(経済成長率)
このあたりは直接本で読んでもらうとして、実際の資本集積度を見てみると、ヨーロッパでは19世紀に「6~7」程度まで上昇、つまり格差が拡大したものの、20世紀に下がり続け「2」程度までになった。その後、だんだん拡大し、今は「5」倍程度だという。アメリカは1930年代に「5」まで上昇するが、大恐慌で「3」程度に下がり、その後だんだん上昇して「4」程度になっている。日本はバブル時代に「7」と極大化するが、今は「6」程度だという。(アメリカより日本やヨーロッパの方が格差が大きいというのは実感に反する感じもするが、人口停滞社会になっている日欧に比べ、アメリカはまだ人口増加国家で経済規模が拡大しているからだろう。)
ピケティの言うところによると、格差は放っておくと拡大し続ける。平等社会の印象が強いスウェーデンなんかでも、やはり大戦後は格差が拡大し続けているという。よく考えてみれば当たり前である。資産は相続を通じて固定される。だから大恐慌や大戦争でもない限り、格差は広がるはずである。また食費や住居、光熱費などは、確かに金持ちほど豪勢に使っているだろうけど、人間である以上消費の限度がある。超高額所得者は余った分を単に貯蓄するのではなく、有利な投資に回しやすい。中間層でも株や投資信託を購買できるけど、100万円の株が5%上がっても5万。手数料を考えれば売っても大した得ではない。でも、1億円の株を持っていれば、一日で数百万が増減する。高いところで売って、それを再投資することを何十年続けて、子孫がそれを受け継ぐ。有利な投資話は一括で高額投資ができる金持ちに集まるから、そういう情報格差もある。爪に火をともし続けてやっと自宅を買えるという程度の庶民の財産とは訳が違う。相続税がいくらだろうが、基本的にはだんだん資本は集積し続けるということである。
その解決策としてピケティが提唱するのが、「国際資本税」だというのは結構知っている人も多いだろう。それだけ聞くと、実現不可能という感じがするが、そうでもない、だんだんそういう方向に向かうのではないかという気もした。その辺は本で読んでもらうとして、実現するならヨーロッパ(EU)あたりから実施されていくんだろうから、ここでは触れない。民主的な政治体制を共有する地域共同体がアジアではまだ構想できない。東アジアでは「冷戦」が完全には終わってないのに、グローバリズム経済に巻き込まれてしまっている。そのような特殊性があるので、まだまだ地域的な共同資本課税は実現できそうもないだろう。
日本の格差の現状、アベノミクスでは格差が拡大するといった論点はここでは詳述しない。是非、直接本書で読んで欲しい。僕が思ったことは、中曽根内閣から始まる所得税の累進課税の引き下げが間違っていたということである。金持ちの累進課税を引き下げたからと言って、大盤振る舞いをして「トリクルダウン」するわけなくて、実際は拡大した格差が世代を超えて引き継がれていくだけである。それはともかく、そのことは僕も今まで思っていたけれど、累進課税を強化したところで大した税収になるとも思えず、かえって高額所得の海外移住が本当に起こるという面も否定はできないのかと思ったりもした。しかし、問題はそこにはないのだと理解できた。累進課税が低率だと、多国籍企業の経営者があまりにも多額の報酬を得る現状を阻止できない。何億円貰っても、半分以上が税金ならもっと低額でも実質所得は同じである。それが引き下げられると、自分の懐にたくさん入るのだから、高額報酬を求めるのは当然だろう。しかし、さすがに業績が不振なら自分でお手盛り高額報酬を要求しにくいだろう。そうすると、経営者は「短期的な業績を挙げる」ことを目標としてしまう。正社員を派遣社員に置き換えたり、従業員の給与を抑えるというのは、短期的に業績を挙げたように見せる「うまい手段」である。だから経営陣が長期的視野にたった経営を行うためにも、累進課税が重要だということなのである。
また格差が大きくなることで、「格差が見えなくなる」弊害も大きいと思う。有力政治家3代目ともなると「恵まれない人」、崩壊家庭や病気などで高校にさえ通えない若い世代が多数いるという現状さえ、考えたこともないし、全然目に入らないのではないか。政治家や官僚だけでなく、新聞やテレビの記者、教員なども大学を出てなるので、生活保護家庭の状況など接したこともない場合がほとんどだと思う。声を挙げられない人々がまず接する学校や行政の担当者が「格差」を感じ取れない。それこそが経済を超えた「社会的格差」、社会の分断状態で、それこそが「放っておくと拡大する」大問題なんだと思う。
(なお、1984年までは8000万超の所得には75%の累進課税が課されていた。それが70%、60%とだんだん引き下げられ、現在は「1800万以上が40%」が最高税率となっている。来年度からは4000万以上は45%と引き上げられる。30年前の8千万と、現在の1800万では意味が全然違う。現在のように、何億円も取る経営者が多数いる時代に、この税率ではあまりにも低すぎたというべきだろう。4000万で45%でも低い。1億以上で50%程度は最低限ではないか。当然だけど、高額所得者でも必要経費を除き、それに控除がある。また株式売買や配当収入は別立てで税を払うので、資産家ほど有利となる。税率が下げられてきたのは、新自由主義による経済学者が「累進課税は不公平」などと主張したことが大きいだろう。竹中平蔵などは、頑張った成果が所得だからそれに税を掛けるのではなく、社会を維持するための税は「人頭税」が望ましいという極論を持っているらしい。)
そういう人には、竹信三恵子「ピケティ入門」(金曜日、1,200円)が役に立つだろう。竹信さんは和光大学教授で、新聞記者時代から格差社会の現場を取材してきて、「家事労働ハラスメント」「ルポ 賃金差別」などの本がある。経済理論というより、要するに日本はどうなんだ、アベノミクスはどうなんだという関心に沿って書かれている本。まあ、僕はこの本でいいな。
簡単に章立てを紹介しておくと、次の通り。
第1章 『21世紀の資本』とは何か
第2章 ピケティの解決策
第3章 ピケティと日本の格差
第4章 ピケティから考えるアベノミクス
第5章 私たちに何が必要か
経済学の解説っぽいのは最初の方だけで、この本のほとんどはピケティに触発されて日本の現実を考えるところにある。最初のほうもわかりやすく解説されているので、じっくり読めば大体判ると思う。でも、まあ一応その経済学っぽいところを紹介しておくと、この本は18世紀以降の租税統計が比較的整っているフランス、イギリスを中心にして、約300年間の富の集積を分析した本だという。理論的には「マルクスの直観とクズネッツの税関係をもとにした数量分析という長所を生かした」ものである。マルクスは資本の集積が極限まで進むと、資本主義は自壊して共産主義革命が起きると考えた。しかし、労働者の賃金も購買力もあがり、マルクスの考えた資本主義崩壊は起きなかった。これはテクノロジーの進歩と生産性の増大を無視していたからだという。しかし、マルクスの考えた「資本の無限の集積の原理」は今もヒントになるのだというのである。
クズネッツは第二次大戦後のアメリカの経済学者で、1971年度ノーベル経済学賞受賞者。米国の所得税統計や国民所得のデータをもとに、経済発展初期は格差は増大するが、その後経済成長によって中間層が増え格差は縮小するという「クズネッツ曲線」を唱えた。クズネッツの理論は、テクノロジーの発達と生産性の向上によって、米国の格差は縮小を続けているというもので、冷戦時代に資本主義の優位を証明する理論という意味合いがあったという。しかし、ピケティによれば、クズネッツの根拠は1914年から45年前後のデータに基づくものであって、その時代は確かに格差は縮小したけれど、300年規模で見ると、その時代の方が例外なのだという。20世紀が例外だったのは、一つには両大戦と大恐慌があり階層の流動性が激しかったこと、また戦時中は富裕層でも高率の所得課税を拒否できなかったからである。戦時中は低所得者の負担も大変だったので、金持ち階級も増税を受け入れざるを得ないし、自国が負けては元も子もないからである。
さて、国民の年間所得の合計を「国民所得」と呼ぶ。一方、一国の「資本の総体」(不動産や金融資産、工場や機械や特許などから人的資本を除いたもの)を求め、両者の比率を見る。
「資本/所得」=β βが大きいほど、貯めこんだ資産が大きいことを示す
この「資本」は一定の収益を上げるわけだが、その収益が資本の何%になるかが「収益率」
その収益率をγ(ガンマ)と呼ぶ。
「国民所得のうちの資本の取り分」をαとすれば、国民所得の中の資本の比率が先に見たβだから、
α=γ×β…資本の第一原則
はい、そろそろ全然判らなくなると思うけど、これは「国民所得のうち、資本が稼ぎ出す所得がどのくらいかは、資本の集積度にその収益率を掛ければわかる、という程度のものです。」何だ、当たり前というか、単なる定義に近い。前の数式もよく見れば、その程度のことを言っていると判る。
で、「資本の第二原則」を書くだけ書いておく。
α(資本/所得比率)=s(貯蓄率)/g(経済成長率)
このあたりは直接本で読んでもらうとして、実際の資本集積度を見てみると、ヨーロッパでは19世紀に「6~7」程度まで上昇、つまり格差が拡大したものの、20世紀に下がり続け「2」程度までになった。その後、だんだん拡大し、今は「5」倍程度だという。アメリカは1930年代に「5」まで上昇するが、大恐慌で「3」程度に下がり、その後だんだん上昇して「4」程度になっている。日本はバブル時代に「7」と極大化するが、今は「6」程度だという。(アメリカより日本やヨーロッパの方が格差が大きいというのは実感に反する感じもするが、人口停滞社会になっている日欧に比べ、アメリカはまだ人口増加国家で経済規模が拡大しているからだろう。)
ピケティの言うところによると、格差は放っておくと拡大し続ける。平等社会の印象が強いスウェーデンなんかでも、やはり大戦後は格差が拡大し続けているという。よく考えてみれば当たり前である。資産は相続を通じて固定される。だから大恐慌や大戦争でもない限り、格差は広がるはずである。また食費や住居、光熱費などは、確かに金持ちほど豪勢に使っているだろうけど、人間である以上消費の限度がある。超高額所得者は余った分を単に貯蓄するのではなく、有利な投資に回しやすい。中間層でも株や投資信託を購買できるけど、100万円の株が5%上がっても5万。手数料を考えれば売っても大した得ではない。でも、1億円の株を持っていれば、一日で数百万が増減する。高いところで売って、それを再投資することを何十年続けて、子孫がそれを受け継ぐ。有利な投資話は一括で高額投資ができる金持ちに集まるから、そういう情報格差もある。爪に火をともし続けてやっと自宅を買えるという程度の庶民の財産とは訳が違う。相続税がいくらだろうが、基本的にはだんだん資本は集積し続けるということである。
その解決策としてピケティが提唱するのが、「国際資本税」だというのは結構知っている人も多いだろう。それだけ聞くと、実現不可能という感じがするが、そうでもない、だんだんそういう方向に向かうのではないかという気もした。その辺は本で読んでもらうとして、実現するならヨーロッパ(EU)あたりから実施されていくんだろうから、ここでは触れない。民主的な政治体制を共有する地域共同体がアジアではまだ構想できない。東アジアでは「冷戦」が完全には終わってないのに、グローバリズム経済に巻き込まれてしまっている。そのような特殊性があるので、まだまだ地域的な共同資本課税は実現できそうもないだろう。
日本の格差の現状、アベノミクスでは格差が拡大するといった論点はここでは詳述しない。是非、直接本書で読んで欲しい。僕が思ったことは、中曽根内閣から始まる所得税の累進課税の引き下げが間違っていたということである。金持ちの累進課税を引き下げたからと言って、大盤振る舞いをして「トリクルダウン」するわけなくて、実際は拡大した格差が世代を超えて引き継がれていくだけである。それはともかく、そのことは僕も今まで思っていたけれど、累進課税を強化したところで大した税収になるとも思えず、かえって高額所得の海外移住が本当に起こるという面も否定はできないのかと思ったりもした。しかし、問題はそこにはないのだと理解できた。累進課税が低率だと、多国籍企業の経営者があまりにも多額の報酬を得る現状を阻止できない。何億円貰っても、半分以上が税金ならもっと低額でも実質所得は同じである。それが引き下げられると、自分の懐にたくさん入るのだから、高額報酬を求めるのは当然だろう。しかし、さすがに業績が不振なら自分でお手盛り高額報酬を要求しにくいだろう。そうすると、経営者は「短期的な業績を挙げる」ことを目標としてしまう。正社員を派遣社員に置き換えたり、従業員の給与を抑えるというのは、短期的に業績を挙げたように見せる「うまい手段」である。だから経営陣が長期的視野にたった経営を行うためにも、累進課税が重要だということなのである。
また格差が大きくなることで、「格差が見えなくなる」弊害も大きいと思う。有力政治家3代目ともなると「恵まれない人」、崩壊家庭や病気などで高校にさえ通えない若い世代が多数いるという現状さえ、考えたこともないし、全然目に入らないのではないか。政治家や官僚だけでなく、新聞やテレビの記者、教員なども大学を出てなるので、生活保護家庭の状況など接したこともない場合がほとんどだと思う。声を挙げられない人々がまず接する学校や行政の担当者が「格差」を感じ取れない。それこそが経済を超えた「社会的格差」、社会の分断状態で、それこそが「放っておくと拡大する」大問題なんだと思う。
(なお、1984年までは8000万超の所得には75%の累進課税が課されていた。それが70%、60%とだんだん引き下げられ、現在は「1800万以上が40%」が最高税率となっている。来年度からは4000万以上は45%と引き上げられる。30年前の8千万と、現在の1800万では意味が全然違う。現在のように、何億円も取る経営者が多数いる時代に、この税率ではあまりにも低すぎたというべきだろう。4000万で45%でも低い。1億以上で50%程度は最低限ではないか。当然だけど、高額所得者でも必要経費を除き、それに控除がある。また株式売買や配当収入は別立てで税を払うので、資産家ほど有利となる。税率が下げられてきたのは、新自由主義による経済学者が「累進課税は不公平」などと主張したことが大きいだろう。竹中平蔵などは、頑張った成果が所得だからそれに税を掛けるのではなく、社会を維持するための税は「人頭税」が望ましいという極論を持っているらしい。)