渋谷のユーロスペースで開かれていた「ノーザンライツ・フェスティバル2015」(北欧映画祭)で、北欧ミステリーの映画を2本見た。それを中心に北欧ミステリーの魅惑について書いておきたい。ミステリーと言えば、英米のものが圧倒的に読まれてきたし、その映像化もなされてきた。イギリスのシャーロック・ホームズやアガサ・クリスティのポアロもの、アメリカのハードボイルドや法廷ミステリー。そういう映像で、英米社会の様々な側面を知ってきたところも大きい。フランス、スペインなど大陸ヨーロッパの作品も最近は紹介されるようになったけど、特に近年北欧諸国のミステリーが世界的にブレイクしている。映画にもなっている。その歴史の流れは少しおいて、まず「湿地」から。
近年ビックリさせられたのが、アイスランドのミステリー作家、アーナルデュル・イングリダソンである。「このミステリーがすごい」で、2012年の4位に「湿地」が選出され、翌年には「緑衣の女」が10位にランクインした。後者は英国推理作家協会のゴールドダガー賞を受賞している。大体、アイスランドといったら、北欧には入るけどずっと北の方の小さな島国で、人口30万強という小さな国である。音楽(ビョークなど)や映画(「春にして君を想う」とか「コールド・フィーバー」などが日本公開)で活躍していることも不思議なんだけど、ミステリーはアーナルデュル以前は誰も書いてなかったらしい。イギリスやスウェーデンが近いということもあるけど、そもそも犯罪が少ないので猟奇的連続殺人とか銀行強盗のカーチェイスとかを書けないんだと著者は言う。そこで著者が取り上げるのは、「家族の秘密にまつわる悲劇」なのである。だから謎解きやアクションの醍醐味はない。でも、犯罪と言えば世界中で家族内で起きることが一番多いわけで、「家族の秘密」ならどこにもあるのである。そこで寒風吹きすさぶ風土の中で、ことさら寒々しいような重たい犯罪悲劇がじっくり展開する。最近両作を地元の図書館で借りて読んだのだが、圧倒される物語だった。確かに警察捜査小説なんだけど、ミステリーというより一般小説。
その「湿地」が2006年に映画化されていて、今回が初上映。バルタザール・コルマウクル監督という人で、この人は「ザ・ディープ」とか「2ガンズ」といった作品が公開されている。僕は見てないので、この「湿地」が初めて。アイスランドの風土を生かして、原作をうまく映像化している。原作とは少し違うが、一番大きいのは、「犯人」と「犯罪そのもの」がけっこう早く映像で出てくること。だから、謎解き的興味は原作以上に薄いが、映像で見せられるという特徴を生かしている。原作でイメージできなかった「アイスランドの家庭料理」のヒツジの頭の煮つけとかもわかる。マグロのカマみたいな感じもするけど、見て美味しそうな感じはあんまりしないなあ。原作の持つ悲劇性がうまく映像化されていて、これは是非正式に公開されて欲しい作品。
今回の映画祭では、他にスウェーデンの2作が上映された。昨秋に訪日した人気女性作家、カミラ・レックバリ原作の「エリカ&パトリックの事件簿 説教師」は上映が一回で見ていない。このシリーズは集英社文庫で7冊まで刊行されている。本国だけでなく世界的な人気シリーズだというが、まだ読んだことはない。スウェーデンのミステリーと言えば、まずは60年代にベストセラーになった刑事マルティン・ベックのシリーズから始まると言ってもいい。ペール・ヴァールーとマイ・シューヴァル夫妻の共作により10作がかかれ、特に「笑う警官」が有名になった。すべて角川文庫に入っていたが、最近新訳が出ている。その「唾棄すべき男」という作品の映画化、「刑事マルティン・ベック」が今回のラインナップにあった。1976年の作品で、本国から英語字幕の入ったフィルムを取り寄せて日本語訳を付けた上映で、また見ることはできないかもしれない。1978年に日本公開されているらしいが、知らなかった。監督はボー・ウィーデルベリで、「みじかくも美しく燃え」「愛とさすらいの青春 ジョー・ヒル」などが有名。「刑事マルティン・ベック」は病院で殺された刑事の過去を追いながら、過酷な人生を歩む男が突然ビルの屋上から銃の乱射に至る。ここがヘリまで出てきてすごい。マルティン・ベックは太った中年刑事だけど、屋上に登ろうとするなど頑張っている。「笑う警官」がアメリカで「マシンガン・パニック」という題で映画化された時は、ウォルター・マッソーがマーティンをやっていた。
一方、「未体験ゾーンの映画たち」という特集上映の中に、デンマークの特捜部Qシリーズの「特捜部Q 檻の中の女」が入っていた。もう上映は終わっている。ごく小規模な公開だったので、ほとんど見た人はいないのではないかと思う。ユッシ・エーズラ・オールスンの原作をミケル・ノガール監督が映画化。映画は原作よりだいぶ短い。だから、どんどん進むので筋は判りやすいが、真相にたどり着くまでの紆余曲折が簡単すぎる感じはする。まあ、原作を読んでなければ、これで十分かもしれない。美人政治家が惹かれた男性はというと、女も男も僕は少し期待外れなんだけど、まあ面白く出来ていた。捜査で同僚を失いケガした主人公は、未解決事件捜査の特捜部に回される。そこにシリア難民(原作は2007年刊行だから、今の内戦とは関係ない)の「アサド」なる不思議な人物が登場するが、その辺りの掛け合いも原作を知ってれば楽しめると思う。
この北欧ミステリーの隆盛は、スティーグ・ラーソンの「ミレニアム」の世界的大ヒットがきっかけになったと言える。とにかくあの原作シリーズは超絶的に面白く、スウェーデンのみならずアメリカでも映画になって日本でも公開された。どれも見てるけど、はっきり言って、映画は原作のダイジェストに過ぎない。面白さは10分の1ぐらいだろう。スウェーデンのミステリーは、先に挙げたマルティン・ベックシリーズや、僕の大好きなヘニング・マンケルのクルト・ヴァランダーシリーズなどの長い伝統がある。調べてみると、ずいぶん翻訳されているので驚くぐらいである。しかし、最近はデンマーク、アイスランドに続き、ノルウェーやフィンランドの作品も翻訳されている。北欧5カ国のミステリーが好まれているのは、「北欧」そのものの魅力も大きいだろう。
北欧諸国と言えば、福祉が発達し、教育政策も進んでいるし、女性の社会進出では世界の最先進国というイメージがある。人口が全然違うので単純に比較しても仕方ないが、日本のモデル的な国々と思っている人も多いだろう。でも、ミステリーを読むと、女性への暴力、福祉の貧困ばかりが印象に残る。一体、なぜ? でも、それは当然だろう。世界のどこの社会にも「暗部」がある。だからこそ、北欧で福祉が発達するわけで、もともと問題がなければ福祉を発達させる必要もない。北欧の多くの国では、国政政党が女性議員のクオータ制(割り当て制)を取り入れ、その結果、国会議員の3割から4割が女性議員である。しかし、こういう制度も「作る前は男性議員がほとんど」だったから作ったはずで、北欧社会も理想的な社会だったわけではないということだろう。北欧諸国では「現実を変えていく政策」が取られ、変って行ったけれど、だからこそ今も根絶できない性差別、性犯罪、あるいは汚職、経済犯罪、銃や麻薬、移民差別などが重い問題と意識される。重く暗い現実を突きつけるような社会派ミステリーが書かれるほど、実は社会は開かれているという面もあると思う。
もう一つ、僕は「ミステリーは冬が似合う」と思っているように、北欧の厳しい気候風土がミステリー向きだということもあると思う。風景が美しければ美しいほど、そこで苦しむ人間の苦悩も深い。アメリカに多いコメディタッチのミステリーは北欧に向かない。カリフォルニアの乾いた風土に似あう私立探偵のハードボイルドも北欧には向かない。人口も少ないし、そんな職業は難しい。だから「警察捜査小説」ばかりである。警官の目を通して、社会の矛盾を追う。日本と違い、警官も自由にふるまっているので、警察内部の暗闘ばかり出てくるような日本の警察小説とも違う。ともあれ、北欧ミステリーは今熱い。
近年ビックリさせられたのが、アイスランドのミステリー作家、アーナルデュル・イングリダソンである。「このミステリーがすごい」で、2012年の4位に「湿地」が選出され、翌年には「緑衣の女」が10位にランクインした。後者は英国推理作家協会のゴールドダガー賞を受賞している。大体、アイスランドといったら、北欧には入るけどずっと北の方の小さな島国で、人口30万強という小さな国である。音楽(ビョークなど)や映画(「春にして君を想う」とか「コールド・フィーバー」などが日本公開)で活躍していることも不思議なんだけど、ミステリーはアーナルデュル以前は誰も書いてなかったらしい。イギリスやスウェーデンが近いということもあるけど、そもそも犯罪が少ないので猟奇的連続殺人とか銀行強盗のカーチェイスとかを書けないんだと著者は言う。そこで著者が取り上げるのは、「家族の秘密にまつわる悲劇」なのである。だから謎解きやアクションの醍醐味はない。でも、犯罪と言えば世界中で家族内で起きることが一番多いわけで、「家族の秘密」ならどこにもあるのである。そこで寒風吹きすさぶ風土の中で、ことさら寒々しいような重たい犯罪悲劇がじっくり展開する。最近両作を地元の図書館で借りて読んだのだが、圧倒される物語だった。確かに警察捜査小説なんだけど、ミステリーというより一般小説。
その「湿地」が2006年に映画化されていて、今回が初上映。バルタザール・コルマウクル監督という人で、この人は「ザ・ディープ」とか「2ガンズ」といった作品が公開されている。僕は見てないので、この「湿地」が初めて。アイスランドの風土を生かして、原作をうまく映像化している。原作とは少し違うが、一番大きいのは、「犯人」と「犯罪そのもの」がけっこう早く映像で出てくること。だから、謎解き的興味は原作以上に薄いが、映像で見せられるという特徴を生かしている。原作でイメージできなかった「アイスランドの家庭料理」のヒツジの頭の煮つけとかもわかる。マグロのカマみたいな感じもするけど、見て美味しそうな感じはあんまりしないなあ。原作の持つ悲劇性がうまく映像化されていて、これは是非正式に公開されて欲しい作品。
今回の映画祭では、他にスウェーデンの2作が上映された。昨秋に訪日した人気女性作家、カミラ・レックバリ原作の「エリカ&パトリックの事件簿 説教師」は上映が一回で見ていない。このシリーズは集英社文庫で7冊まで刊行されている。本国だけでなく世界的な人気シリーズだというが、まだ読んだことはない。スウェーデンのミステリーと言えば、まずは60年代にベストセラーになった刑事マルティン・ベックのシリーズから始まると言ってもいい。ペール・ヴァールーとマイ・シューヴァル夫妻の共作により10作がかかれ、特に「笑う警官」が有名になった。すべて角川文庫に入っていたが、最近新訳が出ている。その「唾棄すべき男」という作品の映画化、「刑事マルティン・ベック」が今回のラインナップにあった。1976年の作品で、本国から英語字幕の入ったフィルムを取り寄せて日本語訳を付けた上映で、また見ることはできないかもしれない。1978年に日本公開されているらしいが、知らなかった。監督はボー・ウィーデルベリで、「みじかくも美しく燃え」「愛とさすらいの青春 ジョー・ヒル」などが有名。「刑事マルティン・ベック」は病院で殺された刑事の過去を追いながら、過酷な人生を歩む男が突然ビルの屋上から銃の乱射に至る。ここがヘリまで出てきてすごい。マルティン・ベックは太った中年刑事だけど、屋上に登ろうとするなど頑張っている。「笑う警官」がアメリカで「マシンガン・パニック」という題で映画化された時は、ウォルター・マッソーがマーティンをやっていた。
一方、「未体験ゾーンの映画たち」という特集上映の中に、デンマークの特捜部Qシリーズの「特捜部Q 檻の中の女」が入っていた。もう上映は終わっている。ごく小規模な公開だったので、ほとんど見た人はいないのではないかと思う。ユッシ・エーズラ・オールスンの原作をミケル・ノガール監督が映画化。映画は原作よりだいぶ短い。だから、どんどん進むので筋は判りやすいが、真相にたどり着くまでの紆余曲折が簡単すぎる感じはする。まあ、原作を読んでなければ、これで十分かもしれない。美人政治家が惹かれた男性はというと、女も男も僕は少し期待外れなんだけど、まあ面白く出来ていた。捜査で同僚を失いケガした主人公は、未解決事件捜査の特捜部に回される。そこにシリア難民(原作は2007年刊行だから、今の内戦とは関係ない)の「アサド」なる不思議な人物が登場するが、その辺りの掛け合いも原作を知ってれば楽しめると思う。
この北欧ミステリーの隆盛は、スティーグ・ラーソンの「ミレニアム」の世界的大ヒットがきっかけになったと言える。とにかくあの原作シリーズは超絶的に面白く、スウェーデンのみならずアメリカでも映画になって日本でも公開された。どれも見てるけど、はっきり言って、映画は原作のダイジェストに過ぎない。面白さは10分の1ぐらいだろう。スウェーデンのミステリーは、先に挙げたマルティン・ベックシリーズや、僕の大好きなヘニング・マンケルのクルト・ヴァランダーシリーズなどの長い伝統がある。調べてみると、ずいぶん翻訳されているので驚くぐらいである。しかし、最近はデンマーク、アイスランドに続き、ノルウェーやフィンランドの作品も翻訳されている。北欧5カ国のミステリーが好まれているのは、「北欧」そのものの魅力も大きいだろう。
北欧諸国と言えば、福祉が発達し、教育政策も進んでいるし、女性の社会進出では世界の最先進国というイメージがある。人口が全然違うので単純に比較しても仕方ないが、日本のモデル的な国々と思っている人も多いだろう。でも、ミステリーを読むと、女性への暴力、福祉の貧困ばかりが印象に残る。一体、なぜ? でも、それは当然だろう。世界のどこの社会にも「暗部」がある。だからこそ、北欧で福祉が発達するわけで、もともと問題がなければ福祉を発達させる必要もない。北欧の多くの国では、国政政党が女性議員のクオータ制(割り当て制)を取り入れ、その結果、国会議員の3割から4割が女性議員である。しかし、こういう制度も「作る前は男性議員がほとんど」だったから作ったはずで、北欧社会も理想的な社会だったわけではないということだろう。北欧諸国では「現実を変えていく政策」が取られ、変って行ったけれど、だからこそ今も根絶できない性差別、性犯罪、あるいは汚職、経済犯罪、銃や麻薬、移民差別などが重い問題と意識される。重く暗い現実を突きつけるような社会派ミステリーが書かれるほど、実は社会は開かれているという面もあると思う。
もう一つ、僕は「ミステリーは冬が似合う」と思っているように、北欧の厳しい気候風土がミステリー向きだということもあると思う。風景が美しければ美しいほど、そこで苦しむ人間の苦悩も深い。アメリカに多いコメディタッチのミステリーは北欧に向かない。カリフォルニアの乾いた風土に似あう私立探偵のハードボイルドも北欧には向かない。人口も少ないし、そんな職業は難しい。だから「警察捜査小説」ばかりである。警官の目を通して、社会の矛盾を追う。日本と違い、警官も自由にふるまっているので、警察内部の暗闘ばかり出てくるような日本の警察小説とも違う。ともあれ、北欧ミステリーは今熱い。