尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

北欧ミステリーの魅惑-映画と小説

2015年02月13日 23時22分16秒 |  〃  (旧作外国映画)
 渋谷のユーロスペースで開かれていた「ノーザンライツ・フェスティバル2015」(北欧映画祭)で、北欧ミステリーの映画を2本見た。それを中心に北欧ミステリーの魅惑について書いておきたい。ミステリーと言えば、英米のものが圧倒的に読まれてきたし、その映像化もなされてきた。イギリスのシャーロック・ホームズやアガサ・クリスティのポアロもの、アメリカのハードボイルドや法廷ミステリー。そういう映像で、英米社会の様々な側面を知ってきたところも大きい。フランス、スペインなど大陸ヨーロッパの作品も最近は紹介されるようになったけど、特に近年北欧諸国のミステリーが世界的にブレイクしている。映画にもなっている。その歴史の流れは少しおいて、まず「湿地」から。

 近年ビックリさせられたのが、アイスランドのミステリー作家、アーナルデュル・イングリダソンである。「このミステリーがすごい」で、2012年の4位に「湿地」が選出され、翌年には「緑衣の女」が10位にランクインした。後者は英国推理作家協会のゴールドダガー賞を受賞している。大体、アイスランドといったら、北欧には入るけどずっと北の方の小さな島国で、人口30万強という小さな国である。音楽(ビョークなど)や映画(「春にして君を想う」とか「コールド・フィーバー」などが日本公開)で活躍していることも不思議なんだけど、ミステリーはアーナルデュル以前は誰も書いてなかったらしい。イギリスやスウェーデンが近いということもあるけど、そもそも犯罪が少ないので猟奇的連続殺人とか銀行強盗のカーチェイスとかを書けないんだと著者は言う。そこで著者が取り上げるのは、「家族の秘密にまつわる悲劇」なのである。だから謎解きやアクションの醍醐味はない。でも、犯罪と言えば世界中で家族内で起きることが一番多いわけで、「家族の秘密」ならどこにもあるのである。そこで寒風吹きすさぶ風土の中で、ことさら寒々しいような重たい犯罪悲劇がじっくり展開する。最近両作を地元の図書館で借りて読んだのだが、圧倒される物語だった。確かに警察捜査小説なんだけど、ミステリーというより一般小説。

 その「湿地」が2006年に映画化されていて、今回が初上映。バルタザール・コルマウクル監督という人で、この人は「ザ・ディープ」とか「2ガンズ」といった作品が公開されている。僕は見てないので、この「湿地」が初めて。アイスランドの風土を生かして、原作をうまく映像化している。原作とは少し違うが、一番大きいのは、「犯人」と「犯罪そのもの」がけっこう早く映像で出てくること。だから、謎解き的興味は原作以上に薄いが、映像で見せられるという特徴を生かしている。原作でイメージできなかった「アイスランドの家庭料理」のヒツジの頭の煮つけとかもわかる。マグロのカマみたいな感じもするけど、見て美味しそうな感じはあんまりしないなあ。原作の持つ悲劇性がうまく映像化されていて、これは是非正式に公開されて欲しい作品。

 今回の映画祭では、他にスウェーデンの2作が上映された。昨秋に訪日した人気女性作家、カミラ・レックバリ原作の「エリカ&パトリックの事件簿 説教師」は上映が一回で見ていない。このシリーズは集英社文庫で7冊まで刊行されている。本国だけでなく世界的な人気シリーズだというが、まだ読んだことはない。スウェーデンのミステリーと言えば、まずは60年代にベストセラーになった刑事マルティン・ベックのシリーズから始まると言ってもいい。ペール・ヴァールーとマイ・シューヴァル夫妻の共作により10作がかかれ、特に「笑う警官」が有名になった。すべて角川文庫に入っていたが、最近新訳が出ている。その「唾棄すべき男」という作品の映画化、「刑事マルティン・ベック」が今回のラインナップにあった。1976年の作品で、本国から英語字幕の入ったフィルムを取り寄せて日本語訳を付けた上映で、また見ることはできないかもしれない。1978年に日本公開されているらしいが、知らなかった。監督はボー・ウィーデルベリで、「みじかくも美しく燃え」「愛とさすらいの青春 ジョー・ヒル」などが有名。「刑事マルティン・ベック」は病院で殺された刑事の過去を追いながら、過酷な人生を歩む男が突然ビルの屋上から銃の乱射に至る。ここがヘリまで出てきてすごい。マルティン・ベックは太った中年刑事だけど、屋上に登ろうとするなど頑張っている。「笑う警官」がアメリカで「マシンガン・パニック」という題で映画化された時は、ウォルター・マッソーがマーティンをやっていた。

 一方、「未体験ゾーンの映画たち」という特集上映の中に、デンマークの特捜部Qシリーズの「特捜部Q 檻の中の女」が入っていた。もう上映は終わっている。ごく小規模な公開だったので、ほとんど見た人はいないのではないかと思う。ユッシ・エーズラ・オールスンの原作をミケル・ノガール監督が映画化。映画は原作よりだいぶ短い。だから、どんどん進むので筋は判りやすいが、真相にたどり着くまでの紆余曲折が簡単すぎる感じはする。まあ、原作を読んでなければ、これで十分かもしれない。美人政治家が惹かれた男性はというと、女も男も僕は少し期待外れなんだけど、まあ面白く出来ていた。捜査で同僚を失いケガした主人公は、未解決事件捜査の特捜部に回される。そこにシリア難民(原作は2007年刊行だから、今の内戦とは関係ない)の「アサド」なる不思議な人物が登場するが、その辺りの掛け合いも原作を知ってれば楽しめると思う。
 
 この北欧ミステリーの隆盛は、スティーグ・ラーソンの「ミレニアム」の世界的大ヒットがきっかけになったと言える。とにかくあの原作シリーズは超絶的に面白く、スウェーデンのみならずアメリカでも映画になって日本でも公開された。どれも見てるけど、はっきり言って、映画は原作のダイジェストに過ぎない。面白さは10分の1ぐらいだろう。スウェーデンのミステリーは、先に挙げたマルティン・ベックシリーズや、僕の大好きなヘニング・マンケルのクルト・ヴァランダーシリーズなどの長い伝統がある。調べてみると、ずいぶん翻訳されているので驚くぐらいである。しかし、最近はデンマーク、アイスランドに続き、ノルウェーやフィンランドの作品も翻訳されている。北欧5カ国のミステリーが好まれているのは、「北欧」そのものの魅力も大きいだろう。

 北欧諸国と言えば、福祉が発達し、教育政策も進んでいるし、女性の社会進出では世界の最先進国というイメージがある。人口が全然違うので単純に比較しても仕方ないが、日本のモデル的な国々と思っている人も多いだろう。でも、ミステリーを読むと、女性への暴力、福祉の貧困ばかりが印象に残る。一体、なぜ? でも、それは当然だろう。世界のどこの社会にも「暗部」がある。だからこそ、北欧で福祉が発達するわけで、もともと問題がなければ福祉を発達させる必要もない。北欧の多くの国では、国政政党が女性議員のクオータ制(割り当て制)を取り入れ、その結果、国会議員の3割から4割が女性議員である。しかし、こういう制度も「作る前は男性議員がほとんど」だったから作ったはずで、北欧社会も理想的な社会だったわけではないということだろう。北欧諸国では「現実を変えていく政策」が取られ、変って行ったけれど、だからこそ今も根絶できない性差別、性犯罪、あるいは汚職、経済犯罪、銃や麻薬、移民差別などが重い問題と意識される。重く暗い現実を突きつけるような社会派ミステリーが書かれるほど、実は社会は開かれているという面もあると思う。

 もう一つ、僕は「ミステリーは冬が似合う」と思っているように、北欧の厳しい気候風土がミステリー向きだということもあると思う。風景が美しければ美しいほど、そこで苦しむ人間の苦悩も深い。アメリカに多いコメディタッチのミステリーは北欧に向かない。カリフォルニアの乾いた風土に似あう私立探偵のハードボイルドも北欧には向かない。人口も少ないし、そんな職業は難しい。だから「警察捜査小説」ばかりである。警官の目を通して、社会の矛盾を追う。日本と違い、警官も自由にふるまっているので、警察内部の暗闘ばかり出てくるような日本の警察小説とも違う。ともあれ、北欧ミステリーは今熱い。
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「野性の証明」「南極物語」のころー高倉健の映画①

2015年02月13日 00時11分44秒 |  〃  (旧作日本映画)
 新文芸坐高倉健の追悼特集を行っている。第一部ははすでに終わり、第二部が18日から30日までとなっている。第二部では東映時代初期のレアな映画も上映される。第一部をほとんど見たので、第二部の紹介もかねてまとめたおきたい。第二部のチラシは新文芸坐のホームページで簡単にみられるが、時間と作品紹介を最後にアップしておく。
 
 「万年太郎と姐御社員」「東京丸の内」はサラリーマンもので、そんなのもやってたんだという映画。「悪魔の手鞠唄」「恋と太陽とギャング」も珍しい。前者は高倉健が金田一耕助を演じている。「ならず者」「いれずみ特攻隊」も数年前に新文芸坐で見たが、石井輝男の確かな技量を楽しめる佳作だった。若き高倉健の魅力を確認することができる。今回は東映時代ということで「任侠映画」が多い。ちょっと前まで、新宿昭和館や浅草などで毎日のようにやっていたものだが、今では映画館で見る機会が少なくなった。全部見ているわけではないが、「昭和残侠伝 死んで貰います」や「網走場番外地 望郷扁」は傑作。任侠路線の先駆け「人生劇場 飛車角」なんかも好きである。でも、深作欣二「狼と豚と人間」「ジャコ萬と鉄」などの非任侠映画、組織ではなく「自己」を賭けた戦いの方が好きだという人も多いだろう。現在では、テレビやシネコンなどでは上映不可だと思われる「山口組三代目」もある。

 第1部作品中、「八甲田山」は前に見てるから、冬に見直しても寒そうなので敬遠した。それを言えば「南極物語」も寒かったけど、これは初めてだから見ることにした。他の映画は「野生の証明」(初めて)、「ブラックレイン」、「遙かなる山の呼び声」、「君よ憤怒の河を渉れ」が2回目、「幸福の黄色いハンカチ」は3回目。まとめて言えば、「思ったより面白く見られた」。公開当時に見た時は、ほとんどが好きな映画ではなかったからである。

 高倉健の役どころは、「サブリーダー」が多い。「中間管理職」と言ってもいい。東映任侠映画時代も、年齢的にも当然だけど、親分(組長)ではなく「代貸」(だいがし)や「若頭」を演じていた。だから上と下の狭間で苦しむことが多い。東映から離れても似たような役で、「ブラック・レイン」も「八甲田山」も上と下の間で苦しむ。「南極物語」も全く同じで、面倒見の対象が犬に代わっただけ。構造的には「任侠映画」なのである。何度か上訴して犬のために死地に赴こうとして止められ、ようやく第二次隊員として南極に「殴り込み」をかける。ずっと、そういう「こらえにこらえたあげく」「思いを果たすために最後に無謀に乗り込む」役柄を演じ続けた。これは日本民衆の心を映し出している。最後に殴りこみたいけど、現実の観衆はこらえているわけだが。年齢とともに、役柄もえらくなる俳優も多いが、高倉健は最後まで「出世」しなかった。総理大臣の役などは似合わない。

 「野生の証明」(78)、「君よ憤怒の河を渉れ」(78)は、どちらも佐藤純彌監督のアクション大作で、今見ても十分面白かった。「野生の証明」は薬師丸ひろ子のデビュー作だけど、当時は角川の大宣伝にウンザリして見なかった。三國連太郎、夏木(夏八木)勲など近年亡くなった俳優も多く、追悼のムードで見た。自衛隊の陰謀的なストーリイだから、自衛隊の協力は得られず外国で撮影したが、なかなか迫力がある。しかし後に中国で大ヒットした「君よ憤怒の河を渉れ」の方が面白かった。当時は原田芳雄を高倉健よりカッコよく思ったが、今見ると違和感がある。陰謀により追われることになる高倉健の検事が、逃げに逃げて反撃に向かう。北海道から飛行機で戻ったり、新宿で馬が大暴走したり、確かに迫力。まあ、日本映画としてはごく普通の娯楽大作だけど、楽しめる。
(「野性の証明」)
 「ブラック・レイン」(89)はリドリー・スコット監督がやたらに面白かった時期の映画。(「テルマ&ルイーズ」までがその時期。)「エイリアン」「ブレードランナー」の監督が日本を舞台にアクション映画を作ったと期待して見て、実は期待外れだった。今回見ても、どうも外してる感は強い。まあ、あんまりうるさいこと言わなければ面白かった。ただし、高倉健ではなく、やはり松田優作の怪演ばかりが印象に残る。だから高倉健のことは忘れてしまっていて、アンディ・ガルシアと一緒にレイ・チャールズを歌っていたのに驚いた。英語を話せる刑事という役である。大阪が戦前の上海かと思う「魔都」として描かれるリアリティ皆無のオリエンタリズム映画で、高倉健映画としては中程度か。

 「南極物語」(83)は犬の「演技」と「南極」(撮影場所の多くはカナダ北極圏)の自然ドキュメントとしては面白いが、劇映画としては非常につまらない。結末を知っているということもあるけど、うーん困ったなという映画。犬好きだから犬の姿を見てると泣けるんだけど、それだけでは映画としては弱い。83年度のキネ旬ベストテン号を探したら21位にランクされていた。「南極物語」を1位にしている人がいて、誰かと思えば小森のおばちゃま(小森和子)。
(「南極物語」)
 選評に「(前略)奇異に思われるでしょうが、人間ならぬ犬の、あれほど自然な演技を画面にとらえた点です。しかも、洋画に出演する犬とちがって、これらエスキモー犬は演技訓練などまったくされていない。だから実際にその状態に彼らを追いこんで、その反応をとらえたもの。その人間の役者と使ってする以上に苦労、苦心した点と、それに応えた犬たちの健気さに感動。」とある。確かに、そういう言い方をすれば、ベストワンになるかもしれないけど…。

 山田洋次監督作品に出て、高倉健は「国民的俳優」への道を歩き始めた。しかし僕は「幸福の黄色いハンカチ」(77)があまり好きではなかった。武田鉄矢のセリフが好きになれないのと、結果が判っている(ピート・ハミルのコラムというか、当時ドーンが歌ってアメリカでヒットした「幸せの黄色いリボン」の映画化だから)のも大きいが、高倉健の設定に感情移入できない。倍賞千恵子の妻が、前夫との間に妊娠(流産)歴があることを夫に言ってなく、それを知って隠し事をする女は好かんと切れてしまい、飲んで外出してケンカを吹っかけて相手を殺してしまったというのである。どこに同情できるのか。

 これは「殺された側」から見たドラマも成立すると思う。バカップルと暴力男のロード・ムーヴィーで、見た当時は楽しめなかった。10数年前に見直したが、その時も「犯罪被害者」を無視した映画のように思えて納得できなかった。しかし、今回見ると、シナリオのうまさと演出の巧みさは認めざるを得ないと脱帽した。ある意味、時間が経って、映画の成り立ちだけで評価できるようになってきたことが大きい。20年ぐらい前に毎年夏に北海道をドライブしていた時期があり、この映画の道をほとんど運転しているので、懐かしい思い出である。ただし、佐藤勝の音楽が僕にはうるさい時があった。(また、阿寒湖温泉は透明のはずではないかと思うが。)

 山田洋次監督のもう一本、「遙かなる山の呼び声」(80)は昔から割と好きな映画で、無理は多いと思うが、ラストで感涙を呼ぶ。健さん映画で一番泣けるかも。明らかに「シェーン」なんだけど、北海道の牧場で小さな吉岡秀隆を馬に乗せるシーン、高倉健が乗馬するシーンは名場面。高倉健はこっちでも「犯罪者」だけど、この映画では同情できる。(だから逃げる必要が判らない。)どっちの映画にも渥美清が特別出演しているが、昔は渥美清が出てきただけで、観客は笑ったものだ。今は無論そんなことはないんだけど、それが寂しい気もした。特に、この映画では「牛の人工授精師」という役柄だから笑わせる。ハナ肇も出ていて、高倉健と張り合った結果、子分になってしまう。この映画は、大傑作ではないと思うけど、好きな映画で、少なくとも「幸福の黄色いハンカチ」よりは納得できる。
 
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