フィルムセンターの現代アジア映画特集の第2弾。インドネシアのリリ・リザ監督である。リリ・リザ(1970~)は、東京国際映画祭で特集上映があったから名前は知ってたけど、見るのは初めてである。映画として非常に面白かったけど、インドネシアを知るという意味でもとてもためになった。と同時に、そこに出てくるインドネシアの風土、映像に流れる風のようなものが、とても心地よいのである。タイやマレーシアなどに長期滞在する日本人も多いというけど、僕も昔行った時から大好きで、モンスーン・アジアの共通性を感じて心休まる気がする。イタリアや東欧(チェコやハンガリー等)の映画も、言葉の響きや風景が気持ち良いのだが、僕にとって東南アジアの映画もそんな感じ。
今回は4作が上映されたが、第4作という「GIE」(2005)は非常な問題作だった。ヴェトナムのダン・ニャット・ミンが抒情詩人とすれば、リリ・リザは大叙事詩を描く。ある華人系(カトリック)の青年が真実を求めて生きて挫折していく様子を年代記として描く大作である。その青年は、スー・ホッ・ギーと言い、題名はその「ギー」から取る。実在の青年運動家で、チラシには「共産主義活動を行い」と書いてあるが、これは間違い。主人公は幼友達が共産党に加わると、早く抜けないと大変なことになると忠告する。大学では、イスラム系でも共産党系でもなく、文化運動を中心にしたグループを立ちあげる。活動の内容は腐敗したスカルノ政権に対する批判である。スカルノの支持を受けて勢力を伸ばしていたのがインドネシア共産党(PKI)で、つまり共産党は体制側だったのである。主人公たちは建国の英雄スカルノに迫って共産党解党を求めるという立場である。1965年9月30日の「9・30事件」の実情はまだ不明のところがあるが、この事件をきっかけにスカルノは権力基盤を陸軍のスハルトに奪われていく。後に長期独裁政権となるスハルトだが、この時点の学生運動から見るとスカルノ政権に対する批判の受け皿として一定の支持があったように描かれている。
この「9・30事件」の後、インドネシア各地で100万人を超えるとも言われる共産党員の大虐殺事件が起きた。その様子は2014年に公開された記録映画「アクト・オブ・キリング」で描かれ衝撃を与えた。この映画の主人公ギーは、学生新聞に自分のコーナーを持っていて、そこで社会批判記事を書いていた。そこでこの虐殺に触れる記事を書いたのである。それは1969年という時期を考えると非常に勇気ある行為だった。だけど、記事は黙殺され、友人や恋人は去っていく。失望したギーは趣味の登山に出かけ、ジャワ島最高峰スメル山(3,676m)に登り有毒ガスで死亡した。「政治犯」だったのかと思ったら、そういう人物ではなかった。幼い時から批判意識、正義感が強く、それを貫いて生きた清廉な学生運動家で、死後に日記が発見され、それが映画化された。ちょうど同時代の、高野悦子「二十歳の原点」みたいなものである。同時代の歌が流れ(女友達が「ドナ・ドナ」を歌うシーンがあり、インドネシアでも歌われていたんだなと感慨深かった)、全体のムードはイタリアのマルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督「ペッピーノの百歩」を思い出した。誠実に生きることで反マフィア運動家になっていった実在人物を描いた映画だが、当時の音楽などで時代の空気を映しだすことが似ている。
今もなおタブー視される共産党員の虐殺事件に触れた勇気ある企画で、非常に興味深く見た。インドネシア現代史を考える時、つい「9・30事件」で一挙にスカルノからスハルトへ権力移譲が進んだように思ってしまうのだが、映画を見てそれが数年にわたる権力のドラマだったことが理解できた。主人公は共産党に入った幼友達を心配し、事件後に母親を訪ねたりしている。母も逮捕されていて、しばらく後に釈放されたという。友人の方は戻ってこなかった。殺されたか、流刑にされたかである。しかし、主人公は一貫して、主義主張以前に「共産党対陸軍」の対立が衝突寸前になっているので、それを考えて冷静に行動しないといけないと考えていると思われる。しかし、友人の方はすっかり「革命だ」と舞い上がっている感じに描かれている。この映画は、非共産党系の学生運動家から見たインドネシア現代史として興味深い。映画としては、友人や恋人関係などがどうなるか、政治の激動が絡んで、ドキドキしながら見る現代史サスペンスであり、画面から目が離せない優れた出来だと思う。
次が「永遠探しの三日間」(2006)で、素晴らしいロード・ムービー。ロード・ムービーには、美しい景色やしっとりした人間関係などを中心に描く映画が多いが、この映画は徹底した青春映画で、男女二人(いとこどうし)の会話などで現代インドネシアを描き出す。ユスフはインドネシア大学建築科の大学生。いとこの姉妹の姉の方が結婚することになり、由緒ある食器をジョクジャカルタまで車で運ぶように頼まれる。いとこの妹の方、アンバル(高校を出てイギリスに留学するかどうか迷っている)は飛行機で行くはずだったが、前夜にユスフと飲みに行って寝過ごしてしまい、結局一緒に車で向かうことになる。ユスフは慎重でマジメなタイプ、一方アンバルは奔放な「発展家」で、その対照的な生き方がぶつかったり共感したり、いろいろある。迷ったり寄り道したり、たかがジャカルタからジョクジャに行くだけで3日もかかるのかと思うが、地図も持たずに出ているので仕方ない。
バンドンに寄りたいというアンバルの都合で一日がつぶれる。そこではロック音楽のグループと雑魚寝。途中で起きて出発するも、次の日は暑かったり、海辺の祭り(?)に気を取られたりして、民泊する。この家がトンデモで、アンバルは怒ってしまい、ユスフはもういいだろうという。二人はケンカになるが、交通事故を目撃したり、カトリックの遺跡を見にいき、そこで人生について考え語り合う。ユスフは、まだまだ自分たちは若いという。「27歳が人生の分起点だ」。ジミ・ヘン、ジャニス、ジム・モリソン、カート・コバーンは皆27で死んだ。スカルノは27歳で最初の政党を作った。いや、スカルノはともかく、インドネシアの若者もこう考えるのである。アンバルは「いまどき、婚前交渉は当然でしょ」と吹聴するほど「進んで」いる。インドネシアだから、もちろんムスリム(イスラム教信者)であるが、スカーフは被らない。(正式な場では被ることもあるらしい。)そういう現代若者の「世俗派ムスリム」のようすがうかがえて、この映画も興味深い。やはり若者の関心は、愛と性と進路なのである。大きな事件が起きるわけではなく、美しい風景もあまり出てこない。ただドライブしているだけのような映画なんだけど、とても面白い。なかなか着かないゆったりしたリズムが快く、忘れがたい青春映画の一つだと思う。ジョクジャカルタは2006年に地震の被害を受け、その様子も少し出てくる。アンバル役のアディニア・ウィラスティという女優は、特に美人というわけではないんだけど、見てるうちになんだか気になってくる。昔の日本映画だと桃井かおりとか秋吉久美子みたいな感じ。ところで、マリファナをやってるのにビックリ、運転しながらやってる(という設定)は日本では許されないだろう。ユスフもタバコ吸い過ぎ。長くなったので、ここで切る。
今回は4作が上映されたが、第4作という「GIE」(2005)は非常な問題作だった。ヴェトナムのダン・ニャット・ミンが抒情詩人とすれば、リリ・リザは大叙事詩を描く。ある華人系(カトリック)の青年が真実を求めて生きて挫折していく様子を年代記として描く大作である。その青年は、スー・ホッ・ギーと言い、題名はその「ギー」から取る。実在の青年運動家で、チラシには「共産主義活動を行い」と書いてあるが、これは間違い。主人公は幼友達が共産党に加わると、早く抜けないと大変なことになると忠告する。大学では、イスラム系でも共産党系でもなく、文化運動を中心にしたグループを立ちあげる。活動の内容は腐敗したスカルノ政権に対する批判である。スカルノの支持を受けて勢力を伸ばしていたのがインドネシア共産党(PKI)で、つまり共産党は体制側だったのである。主人公たちは建国の英雄スカルノに迫って共産党解党を求めるという立場である。1965年9月30日の「9・30事件」の実情はまだ不明のところがあるが、この事件をきっかけにスカルノは権力基盤を陸軍のスハルトに奪われていく。後に長期独裁政権となるスハルトだが、この時点の学生運動から見るとスカルノ政権に対する批判の受け皿として一定の支持があったように描かれている。
この「9・30事件」の後、インドネシア各地で100万人を超えるとも言われる共産党員の大虐殺事件が起きた。その様子は2014年に公開された記録映画「アクト・オブ・キリング」で描かれ衝撃を与えた。この映画の主人公ギーは、学生新聞に自分のコーナーを持っていて、そこで社会批判記事を書いていた。そこでこの虐殺に触れる記事を書いたのである。それは1969年という時期を考えると非常に勇気ある行為だった。だけど、記事は黙殺され、友人や恋人は去っていく。失望したギーは趣味の登山に出かけ、ジャワ島最高峰スメル山(3,676m)に登り有毒ガスで死亡した。「政治犯」だったのかと思ったら、そういう人物ではなかった。幼い時から批判意識、正義感が強く、それを貫いて生きた清廉な学生運動家で、死後に日記が発見され、それが映画化された。ちょうど同時代の、高野悦子「二十歳の原点」みたいなものである。同時代の歌が流れ(女友達が「ドナ・ドナ」を歌うシーンがあり、インドネシアでも歌われていたんだなと感慨深かった)、全体のムードはイタリアのマルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督「ペッピーノの百歩」を思い出した。誠実に生きることで反マフィア運動家になっていった実在人物を描いた映画だが、当時の音楽などで時代の空気を映しだすことが似ている。
今もなおタブー視される共産党員の虐殺事件に触れた勇気ある企画で、非常に興味深く見た。インドネシア現代史を考える時、つい「9・30事件」で一挙にスカルノからスハルトへ権力移譲が進んだように思ってしまうのだが、映画を見てそれが数年にわたる権力のドラマだったことが理解できた。主人公は共産党に入った幼友達を心配し、事件後に母親を訪ねたりしている。母も逮捕されていて、しばらく後に釈放されたという。友人の方は戻ってこなかった。殺されたか、流刑にされたかである。しかし、主人公は一貫して、主義主張以前に「共産党対陸軍」の対立が衝突寸前になっているので、それを考えて冷静に行動しないといけないと考えていると思われる。しかし、友人の方はすっかり「革命だ」と舞い上がっている感じに描かれている。この映画は、非共産党系の学生運動家から見たインドネシア現代史として興味深い。映画としては、友人や恋人関係などがどうなるか、政治の激動が絡んで、ドキドキしながら見る現代史サスペンスであり、画面から目が離せない優れた出来だと思う。
次が「永遠探しの三日間」(2006)で、素晴らしいロード・ムービー。ロード・ムービーには、美しい景色やしっとりした人間関係などを中心に描く映画が多いが、この映画は徹底した青春映画で、男女二人(いとこどうし)の会話などで現代インドネシアを描き出す。ユスフはインドネシア大学建築科の大学生。いとこの姉妹の姉の方が結婚することになり、由緒ある食器をジョクジャカルタまで車で運ぶように頼まれる。いとこの妹の方、アンバル(高校を出てイギリスに留学するかどうか迷っている)は飛行機で行くはずだったが、前夜にユスフと飲みに行って寝過ごしてしまい、結局一緒に車で向かうことになる。ユスフは慎重でマジメなタイプ、一方アンバルは奔放な「発展家」で、その対照的な生き方がぶつかったり共感したり、いろいろある。迷ったり寄り道したり、たかがジャカルタからジョクジャに行くだけで3日もかかるのかと思うが、地図も持たずに出ているので仕方ない。
バンドンに寄りたいというアンバルの都合で一日がつぶれる。そこではロック音楽のグループと雑魚寝。途中で起きて出発するも、次の日は暑かったり、海辺の祭り(?)に気を取られたりして、民泊する。この家がトンデモで、アンバルは怒ってしまい、ユスフはもういいだろうという。二人はケンカになるが、交通事故を目撃したり、カトリックの遺跡を見にいき、そこで人生について考え語り合う。ユスフは、まだまだ自分たちは若いという。「27歳が人生の分起点だ」。ジミ・ヘン、ジャニス、ジム・モリソン、カート・コバーンは皆27で死んだ。スカルノは27歳で最初の政党を作った。いや、スカルノはともかく、インドネシアの若者もこう考えるのである。アンバルは「いまどき、婚前交渉は当然でしょ」と吹聴するほど「進んで」いる。インドネシアだから、もちろんムスリム(イスラム教信者)であるが、スカーフは被らない。(正式な場では被ることもあるらしい。)そういう現代若者の「世俗派ムスリム」のようすがうかがえて、この映画も興味深い。やはり若者の関心は、愛と性と進路なのである。大きな事件が起きるわけではなく、美しい風景もあまり出てこない。ただドライブしているだけのような映画なんだけど、とても面白い。なかなか着かないゆったりしたリズムが快く、忘れがたい青春映画の一つだと思う。ジョクジャカルタは2006年に地震の被害を受け、その様子も少し出てくる。アンバル役のアディニア・ウィラスティという女優は、特に美人というわけではないんだけど、見てるうちになんだか気になってくる。昔の日本映画だと桃井かおりとか秋吉久美子みたいな感じ。ところで、マリファナをやってるのにビックリ、運転しながらやってる(という設定)は日本では許されないだろう。ユスフもタバコ吸い過ぎ。長くなったので、ここで切る。