国立近代美術館フィルムセンターで、「現代アジア映画の作家たち」という特集を行っている。福岡市総合図書館のアジア映画コレクションから選ばれた映画の特集。2004年にもフィルムセンターで特集を行っているが、フィルムセンターのサイトで過去企画を確認すると、2カ月にわたって54本もの映画を上映している。今回は7人の監督に絞り、東京ではなかなか見られない映画を集めている。
まずはヴェトナムのダン・ニャット・ミン監督の5本の映画を見たので、そのまとめ。見たのは初めてで、名前も知らなかった。しかし、その抒情的な世界は非常に感銘深かった。デビュー作の「射程内の街」(1982)は、1979年の中越戦争を描いている。中越戦争というのは、カンボジアに侵攻したヴェトナムに対し、中国が「懲罰」と称して仕掛けた限定戦争。量で圧倒する中国軍がヴェトナム北辺部を一時占領し、勝利したとして一か月で撤退した。しかし実際は現代戦経験を積んだヴェトナム軍に中国軍は大被害を受け、衝撃を受けたとされる。戦争で廃墟になった国境の町ランソンが出てくるが、どこまでがロケか判らなかった。中国への配慮から長く外国での上映が禁止されていた作品。
主人公は新聞カメラマンで、軍に掛け合って激戦の続くランソンを取材する。地雷を警戒しながら、戦闘で破壊された街をめぐっていく。その合間に、男の過去がインサートされる。彼は昔、ランソンに来たことがあった。学生時代に愛を誓った女子学生がランソン出身だったのだ。二人は世界の出来事を語り合う。(中国の文化大革命の写真集を見て、女はどうして文化財を破壊するの?と問う。男は世界の国はそれぞれのやり方があるんだと答える。)しかし、死んだとされていた彼女の父は生きていた。母を捨て、他の女と南ヴェトナムへ逃亡したのである。この事実を党が確認し女性は「問題あり」となり、男は去った。男がランソン入りを強く希望したのは、この「私が棄てた女」を探したかったのである。
そこに、同じくランソン取材を希望する日本人が現れる。「赤旗」の特派員で、「同じ共産主義者として」世界に知らせたいと言う。軍とともに一緒に街を回り歩くが、中国軍の残置スナイパーにより、赤旗特派員は銃撃されて死亡する。これは実話である。この日本人を監督自身が演じている。予定していた日本人留学生が無理になって、一番日本人らしいのは監督だと言われたらしい。
残留していた漢方薬局の華人が見つかる。中国軍に志願した息子に置いて行かれたという。この老人はかつてランソンを訪れた時に、彼女の家に薬を届けた人だった。薬屋は文革礼賛の本を無料で渡した。つまり、華人の中には中国のプロパガンダを広める「中国の手先」がいた。(恐らく事実だろう。)老人を捕まえた若いヴェトナム兵は、殺してしまえと激高する。しかし、上官が叱り飛ばして、捕虜として後方に連行する。このように「指導者の冷静な判断」が戦争犯罪を防いだという宣伝だろうが、重要な描写だと思う。昔の女友達の境遇は最後に明かされるが、主人公にはほろ苦く、観客にはほっとする結末。全体に「反中国の愛国映画」の限界の中で、戦時においても人間性を失わない人々を描いてヒューマニスティックな感銘を呼ぶ。監督はなかなか自分の撮りたい映画を撮れず、これがダメなら監督を辞める決意で撮ったという。素朴な平和主義と愛国心がベースになっていて、昔のソ連で作られた「雪どけ」時代の「新感覚」映画を思わせる佳作。80年代の映画だけどモノクロだし。
2作目の「十月になれば」(1984)は、戦時中の「銃後」の農村を描いた作品で、心に沁みる名作。戦争に行った夫を待つズエンは、息子の帰還を心待ちにする義父の体調が悪いのを案じて、夫の戦死の報を隠す。小学校の教師は知ってしまうが、頼まれて夫の手紙を代筆することを承知する。こうした「美談」がベースになるが、教師の書いた手紙が流出し「スキャンダル」視され、教師は他の任地に飛ばされる。そんな中、老父の容体が悪化し、幼い孫は父に電報を打つんだと飛び出してしまう。「美しい心」から発した心遣いが思わぬ波紋を呼んで行く…。人々は共同体の秩序の中でゆったりと暮らしていて、その稲作農村のようす、男尊女卑的な農村共同体などは日本を見ている感じがする。稲作と儒教で共通する世界である。子どもと義父を抱えて苦労する若い妻を演じる女優が実に素晴らしい。
次の「河の女」(1987)は、ヴェトナム戦争さなか、古都フエで「河の女」(水上の売春婦)をしている主人公を描く。彼女は戦争中に追われていたゲリラ指導者を匿って、船で川をさかのぼって逃がした経験がある。彼女はその思い出を大切にしてひそかに憧れてきた。戦争終結後は「再教育キャンプ」に送られ、帰還後は「土方」として暮らしてきた。ある日、「彼」と思われる人物を見かけて追っていくと、ある役所に入る。面会を求めるが、官僚的対応をされて会ってもらえない。帰りに交通事故にあって入院し、病院で女性新聞記者に取材を受けた。だが彼女の書いた記事は発表禁止になある。誰も読んでいない段階なのになぜ? それは党幹部の夫が家で読んでいたのだ。実は彼が「その男」だったのだが、「今大切なことは人民が党に寄せる信頼を疑わせないようにすることだ」と言い放つ。党内の官僚主義と言論統制を正面から扱った勇気ある映画。川の風景も美しく、薄幸な女性の運命に心を奪われる。思い出すのは、小栗康平「泥の河」だろう。ともに船上で生きる娼婦を描くが、ムードも似ている。(下の左)
4作目が「グァバの季節」(2000)。(上の右)これも実にしみじみとした名作だった。主人公は、子どもの時に庭のグァバの樹から落ちた事故で発達が止まってしまった。今は美術学校でモデルをしているが、時々グァバの樹を見に行く。当時の家は今は党幹部の家になっていて、それが判らない彼はついに庭に入ってしまう。警察に捕まり、姉が呼ばれて釈放されるが、その家には行かないように言われる。幹部はホーチミン市に派遣された間、家には大学生の娘が残っていて彼を理解して家に来ていいと言う。こうして世代を超えた交流が生まれるが、ここでもうひとり、市場で働く若い女性モデルも絡み、邪心のない主人公と、彼を危険視して「心の結びつき」をなくした人々のドラマが進行する。経済発展の中で「心」を失っていく人々というテーマも、かつての日本映画でたくさん見た。監督自身の原作を映画化したというが、その繊細な描写、ハノイの町の雑踏の魅力、女優の美しさ、日本でも公開されて欲しい映画。
そして最後に「きのう、平和の夢を見た」(2009)。非常に心打たれる傑作で、今からでも是非正式に公開されて欲しい。日本でも翻訳されている「トゥーイの日記」の映画化で実話。女医として南ヴェトナムの激戦地区に派遣されているダン・トゥイ・チャムは、野戦病院の激務の中で日記をつけていた。戦死した後に、病院にあった日記をアメリカ兵が持ち帰る。翻訳して中の記述を知った米兵は、その中にある「炎」と冷静で知的な世界に圧倒され、生涯忘れられなくなる。21世紀になって遺族を探し求め、日記は母に伝わった。戦場の厳しさと主人公の知的な魅力が印象的。
これほど人間性を失わない相手を敵として米軍は闘っていたのである。そのことを知り、受け入れる米側のようすもフェアに描写され、戦争の悲劇を訴える。今は経済的にも発展したヴェトナムだが、戦争時の辛い体験を静かに訴えている。ナショナリズムに訴えるというより、戦争はどちら側にも心の傷を残すというヒューマニズムの色合いが濃い。この監督の持ち味だろうが、静かな世界に心打つ物語が進行するというスタイルは共通している。野戦病院もの」は、「ひめゆりの塔」や増村保造「赤い天使」、アルトマン「M★A★S★H」などけっこう思い浮かぶが、この映画が一番リアルで感動的ではないか。ヴェトナム戦争を同時代に知っている世代には、非常に心打たれる映画ばかりだった。主題も勇気ある世界を描き、小津安二郎、木下恵介、黒澤明、今井正などを思わせる作風に共感を覚えた。
まずはヴェトナムのダン・ニャット・ミン監督の5本の映画を見たので、そのまとめ。見たのは初めてで、名前も知らなかった。しかし、その抒情的な世界は非常に感銘深かった。デビュー作の「射程内の街」(1982)は、1979年の中越戦争を描いている。中越戦争というのは、カンボジアに侵攻したヴェトナムに対し、中国が「懲罰」と称して仕掛けた限定戦争。量で圧倒する中国軍がヴェトナム北辺部を一時占領し、勝利したとして一か月で撤退した。しかし実際は現代戦経験を積んだヴェトナム軍に中国軍は大被害を受け、衝撃を受けたとされる。戦争で廃墟になった国境の町ランソンが出てくるが、どこまでがロケか判らなかった。中国への配慮から長く外国での上映が禁止されていた作品。
主人公は新聞カメラマンで、軍に掛け合って激戦の続くランソンを取材する。地雷を警戒しながら、戦闘で破壊された街をめぐっていく。その合間に、男の過去がインサートされる。彼は昔、ランソンに来たことがあった。学生時代に愛を誓った女子学生がランソン出身だったのだ。二人は世界の出来事を語り合う。(中国の文化大革命の写真集を見て、女はどうして文化財を破壊するの?と問う。男は世界の国はそれぞれのやり方があるんだと答える。)しかし、死んだとされていた彼女の父は生きていた。母を捨て、他の女と南ヴェトナムへ逃亡したのである。この事実を党が確認し女性は「問題あり」となり、男は去った。男がランソン入りを強く希望したのは、この「私が棄てた女」を探したかったのである。
そこに、同じくランソン取材を希望する日本人が現れる。「赤旗」の特派員で、「同じ共産主義者として」世界に知らせたいと言う。軍とともに一緒に街を回り歩くが、中国軍の残置スナイパーにより、赤旗特派員は銃撃されて死亡する。これは実話である。この日本人を監督自身が演じている。予定していた日本人留学生が無理になって、一番日本人らしいのは監督だと言われたらしい。
残留していた漢方薬局の華人が見つかる。中国軍に志願した息子に置いて行かれたという。この老人はかつてランソンを訪れた時に、彼女の家に薬を届けた人だった。薬屋は文革礼賛の本を無料で渡した。つまり、華人の中には中国のプロパガンダを広める「中国の手先」がいた。(恐らく事実だろう。)老人を捕まえた若いヴェトナム兵は、殺してしまえと激高する。しかし、上官が叱り飛ばして、捕虜として後方に連行する。このように「指導者の冷静な判断」が戦争犯罪を防いだという宣伝だろうが、重要な描写だと思う。昔の女友達の境遇は最後に明かされるが、主人公にはほろ苦く、観客にはほっとする結末。全体に「反中国の愛国映画」の限界の中で、戦時においても人間性を失わない人々を描いてヒューマニスティックな感銘を呼ぶ。監督はなかなか自分の撮りたい映画を撮れず、これがダメなら監督を辞める決意で撮ったという。素朴な平和主義と愛国心がベースになっていて、昔のソ連で作られた「雪どけ」時代の「新感覚」映画を思わせる佳作。80年代の映画だけどモノクロだし。
2作目の「十月になれば」(1984)は、戦時中の「銃後」の農村を描いた作品で、心に沁みる名作。戦争に行った夫を待つズエンは、息子の帰還を心待ちにする義父の体調が悪いのを案じて、夫の戦死の報を隠す。小学校の教師は知ってしまうが、頼まれて夫の手紙を代筆することを承知する。こうした「美談」がベースになるが、教師の書いた手紙が流出し「スキャンダル」視され、教師は他の任地に飛ばされる。そんな中、老父の容体が悪化し、幼い孫は父に電報を打つんだと飛び出してしまう。「美しい心」から発した心遣いが思わぬ波紋を呼んで行く…。人々は共同体の秩序の中でゆったりと暮らしていて、その稲作農村のようす、男尊女卑的な農村共同体などは日本を見ている感じがする。稲作と儒教で共通する世界である。子どもと義父を抱えて苦労する若い妻を演じる女優が実に素晴らしい。
次の「河の女」(1987)は、ヴェトナム戦争さなか、古都フエで「河の女」(水上の売春婦)をしている主人公を描く。彼女は戦争中に追われていたゲリラ指導者を匿って、船で川をさかのぼって逃がした経験がある。彼女はその思い出を大切にしてひそかに憧れてきた。戦争終結後は「再教育キャンプ」に送られ、帰還後は「土方」として暮らしてきた。ある日、「彼」と思われる人物を見かけて追っていくと、ある役所に入る。面会を求めるが、官僚的対応をされて会ってもらえない。帰りに交通事故にあって入院し、病院で女性新聞記者に取材を受けた。だが彼女の書いた記事は発表禁止になある。誰も読んでいない段階なのになぜ? それは党幹部の夫が家で読んでいたのだ。実は彼が「その男」だったのだが、「今大切なことは人民が党に寄せる信頼を疑わせないようにすることだ」と言い放つ。党内の官僚主義と言論統制を正面から扱った勇気ある映画。川の風景も美しく、薄幸な女性の運命に心を奪われる。思い出すのは、小栗康平「泥の河」だろう。ともに船上で生きる娼婦を描くが、ムードも似ている。(下の左)
4作目が「グァバの季節」(2000)。(上の右)これも実にしみじみとした名作だった。主人公は、子どもの時に庭のグァバの樹から落ちた事故で発達が止まってしまった。今は美術学校でモデルをしているが、時々グァバの樹を見に行く。当時の家は今は党幹部の家になっていて、それが判らない彼はついに庭に入ってしまう。警察に捕まり、姉が呼ばれて釈放されるが、その家には行かないように言われる。幹部はホーチミン市に派遣された間、家には大学生の娘が残っていて彼を理解して家に来ていいと言う。こうして世代を超えた交流が生まれるが、ここでもうひとり、市場で働く若い女性モデルも絡み、邪心のない主人公と、彼を危険視して「心の結びつき」をなくした人々のドラマが進行する。経済発展の中で「心」を失っていく人々というテーマも、かつての日本映画でたくさん見た。監督自身の原作を映画化したというが、その繊細な描写、ハノイの町の雑踏の魅力、女優の美しさ、日本でも公開されて欲しい映画。
そして最後に「きのう、平和の夢を見た」(2009)。非常に心打たれる傑作で、今からでも是非正式に公開されて欲しい。日本でも翻訳されている「トゥーイの日記」の映画化で実話。女医として南ヴェトナムの激戦地区に派遣されているダン・トゥイ・チャムは、野戦病院の激務の中で日記をつけていた。戦死した後に、病院にあった日記をアメリカ兵が持ち帰る。翻訳して中の記述を知った米兵は、その中にある「炎」と冷静で知的な世界に圧倒され、生涯忘れられなくなる。21世紀になって遺族を探し求め、日記は母に伝わった。戦場の厳しさと主人公の知的な魅力が印象的。
これほど人間性を失わない相手を敵として米軍は闘っていたのである。そのことを知り、受け入れる米側のようすもフェアに描写され、戦争の悲劇を訴える。今は経済的にも発展したヴェトナムだが、戦争時の辛い体験を静かに訴えている。ナショナリズムに訴えるというより、戦争はどちら側にも心の傷を残すというヒューマニズムの色合いが濃い。この監督の持ち味だろうが、静かな世界に心打つ物語が進行するというスタイルは共通している。野戦病院もの」は、「ひめゆりの塔」や増村保造「赤い天使」、アルトマン「M★A★S★H」などけっこう思い浮かぶが、この映画が一番リアルで感動的ではないか。ヴェトナム戦争を同時代に知っている世代には、非常に心打たれる映画ばかりだった。主題も勇気ある世界を描き、小津安二郎、木下恵介、黒澤明、今井正などを思わせる作風に共感を覚えた。