尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

イラクはどうなるか-IS問題⑤

2015年03月02日 23時40分45秒 |  〃  (国際問題)
 映画の記事が続いていたが、ちょっとISの問題に戻って。「イスラム過激派」という思想の問題を書くつもりだったけど、地域の情勢を先に書いておきたい。まずはイラクで、次はシリア。シリア東部からイラク北部にかけてのけっこう広大な地域が、現在「イスラム国」なる存在が支配している土地である。従って、「イスラム国」問題の解決というのは、イラクとシリアの中央政府が国土全体を安定的に支配することを意味する。それは中期的に見てみると、かなり難しいのではないだろうか。アフガニスタンの中央政府がタリバン勢力を完全に制圧することが当面難しいのと同じである。

 イラクを見ていて痛感するのは、「国民国家」ではない場所で「民主主義は可能か」という大問題である。イラクはサダム・フセイン政権のもとで長く独裁状態が続いてきた。(というか、それ以前からだが。)米英軍の攻撃でフセイン政権が崩壊し(2003年)、細かい話は省略するが、2005年10月に新憲法が承認され、12月に国政選挙が行われた。それだけを取ってみると、選挙で政治が決まる体制が出来たんだから、それ以前に比べてずっと良くなったように思える。戦争に訴えるという手段はともかくとして、一応の結果として民主主義がもたらされたというわけである。

 ところで、イラクは三つの大きな社会勢力が存在する。アラブ民族(シーア派)アラブ民族(スンナ派)クルド民族(スンナ派)である。国会議員選挙は、2005年と2010年の2回行われたが、その結果改めてはっきりしたことは、シーア派はシーア派政党にしか投票しないし、クルド人はクルド政党(クルディスタン愛国同盟)にしか投票しない。だから、選挙しても、主義主張の争いではなく、宗派間、民族間の勢力争いにしかならない。そして、それは基本的に固定されている。フセイン政権時代の体制派だったスンナ派アラブ人は、特に政権を支えたバアス党(アラブ復興党)勢力がパージされたこともあって、新体制では全く重要な地位を得ることができないのである。(形式的には多少は権力の分与がある。)バアス党旧党員は、現在「イスラム国」に参加し過去の行政経験を「活用」しているらしい。

 もう少し細かく数字を見ておくと、民族的にはアラブ人が79%クルド人が16%という。これで95%だが、他にアッシリア人(キリスト教)3%、トルコマン人(トルコ系、イスラム教スンナ派、シーア派)2%が存在する。宗教で見ると、イスラム教徒では、シーア派が65%、スンナ派が35%で、アラブ世界では圧倒的に多数派のスンナ派が、ここでは少数派である。ある程度大きなアラブ国家では、シーア派が多数なのはイラクだけである。イラク南部にはシーア派の聖地がたくさんあり、隣国のイランからも巡礼に訪れる。イランはペルシャ民族(イラン民族=アーリア系)だが、民族の違い以上に宗派の共通性による親近感があるようだ。他にアッシリア人等のキリスト教が4%、ヤジディ教、マンダ教などの少数宗教もある。このように、シーア派はイラク国家の絶対多数を占めていて、フセイン政権時代は圧政の下で苦しんでいたが、「民主主義」という制度により、国の権力を握る勢力となった。

 まさに、それこそが民主主義であり、選挙というものだとも言えるけど、その選挙の結果成立したマリキ政権(前首相)の政治は、スンナ派を懐柔するのではなく、権力をシーア派で独占するような「宗派政治」の側面が強かった。米軍がいたころはまだしも、米軍撤退後の「自立」によりイラク情勢が悪化したのはマリキ政権の宗派性に大きな責任があると思う。クルド人は、イラク新体制で大統領(国家元首)の地位を与えられ、タラバニが大統領に就任した。クルド人地域は「自治」というタテマエの下、中央政府から離れた「事実上の独立」の状態にあって、イラク新体制から利益を享受してきた。「シーア派」+「クルド人」の「同盟関係」が揺るがない限り、スンナ派住民には「居場所がない」わけである。。(「イスラーム国の衝撃」に詳しいが、この憲法を承認するかどうかの国民投票で、もともとスンナ派地域の州では、軒並み否定されていたのである。)

 イラクの状況が一時的に「好転」することはあるだろう。場合によっては、イラク軍が(米軍地上軍なしに)モスルを奪還するということも起こりうる。「イスラム国」はもちろん自分で武器を生産する能力もないし、表立って武器を輸出する国もない。だから、「有志連合」が支援するイラク政府軍が大攻勢をかけると、一挙に敗走することもないとは言えない。しかし、シリア内戦が続く限り、いったんシリア領内に「待避」してしまえばいい。もともとゲリラだったんだから、またしばらくゲリラに戻ればいいわけである。そして、イラク軍が攻勢をかければかけるほど、イラク軍内部がまとまっていない限り、かえって武器が「イスラム国」側に流れてしまうことも起こりうる。大攻撃をするということは、それだけスンナ派住民に犠牲が出ることを意味するので、抜本的体制改革なしに完全な「解決」にはならない。

 イラクは人工国家性が高い地域で、もともと「国民国家」ではないという特性から起こってくる問題が根本にあるのである。そして、そのことをイラク戦争を始める前にアメリカ政府は判っていなかったのだろうかと疑問に思う。政権中枢はどうもホントに判っていなかったのではないかと思えるが、「専門家」には容易に推測できたはずである。これはどうすればいいのか、誰にも完全な解はないだろう。アフリカ諸国の多くの国も同じで、植民地政府が勝手に引いた国境線で人々が分断されている。しかし、だからといって、「戦争」で解決するというのが正しいわけではない。その国家に所属していることが、その地域住民に利益があるのでなかったら、誰も国家を維持しようと思わないだろう。イラクのスンナ派地域に起こったことは、その大問題を突き付けている。
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