尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「教師」を辞めてからの日々-日々のあれこれ③

2015年03月29日 23時17分27秒 | 自分の話&日記
 学校を辞めて4年ほどになるわけだが、そのことをどう思っているかを書いておきたい。ここで書くのは、教師という仕事の本質論ではなく、文科省や都教委の教育行政批判でもない。そういうことはこの後で、改めて別に書きたいと思うけど、今は「日々のあれこれ」を書いておきたい。僕は「政策に抗議して辞めた」というのとはちょっと違っている。「抗議」という意味を見つけることもできなくもないだろうが、何もしないと止めざるを得なくなっていたという感じである。それが「抗議」だと言えば、まあそうでもあるんだけど。「教員免許更新制」のことも別に書きたいと思う。

 さて、辞めた当初は、ホントは後悔してるんじゃないか、「学校」または「授業」、あるいは「生徒と接すること」がなくなって、淋しかったり退屈してるんじゃないかなどと言われることも多かった。心配してくれているのか、励ましてくれるつもりなのか、よく判らないが。まあ、そういう風に世の人は思うものだから、別に驚かなかったけど。文科省や都教委とは対立していても、学校が大好きで(あるいは経済的に辞められないのかもしれないが)、定年後もずっと嘱託で教え続ける人がかなり多い。僕なんか、あんなに教育行政を批判してて辞めたくならないのだろうかと他人事ながら思ったりする場合もある。

 僕の気持ちで言えば、「やっとひとりになれた」という安堵の思いがしたのである。ひとりと言っても家族はいるわけだが、仕事で毎日のように会う人がいない解放感は大きい。教員時代は冬がちょっと怖かった。静電気がひどいからである。カー用品で売ってる静電気防止具を複数買って、学校でも金属にさわる時は注意していたのだが、それでもうっかりさわってしまうことがある。自分は「静電気体質」かなんかだと思っていたのだが、辞めてみたら冬でもほとんど静電気が起こらないではないか。今思うと、自分なりに「内圧」がかかっていたのではないか。できるだけ「無理せず」「楽しんで」「平常心で」仕事しようと心掛けてきたつもりだし、職員会議なんかでもよく発言していたから、それほどの「内圧」が自分にもあったことを辞めるまで気づかなかった。

 別に教師という仕事が特に大変だと思っているわけでもない。僕が長い年月を務めあげられる数少ない仕事の一つなんだろう。他の仕事だって、やってればそこそこ何でもできるとは思うけど、僕の場合、生徒と接したり、授業をする(教科内容や一時間立って声を出し続ける)ことには、ほとんど大変さを感じない。では何が大変なのかというと、広い意味での「生活指導」や「行事」なのである。それは大変なばかりではない。充実感もあるんだけど、やはり大変は大変なのである。特に学級担任をしていると、ずっと主演俳優をしてるのと同じで、カメラにずっと撮られているような緊張がある。時々、塾や予備校の先生の方が教え方がうまいとか言う人がいるけど、それはとってもアンフェアな比較である。生徒全員を塾や予備校に行かせて、講義の後に全員で掃除するという仕組みに変えてみれば、学校の教員の仕事がよく判ってもらえるはずである。

 時々学校の夢を見る。自分が生徒だった時代の場合もあるし、教師の場合もある。夢は毎日見てるものらしいけど、僕の場合覚えている日はそんなに多くない。その中で時々学校の夢があるということで、頻度はそれほど多いわけでもないが。よくあるのは、自分で「猫町系」と名付けているもので、要するに萩原朔太郎の「猫町」のように知ってる場所から不思議な町に入りこむという話である。大体学校の校舎を歩いていて、終わりがなく延々と続いて行くのである。そういうのが多いけど、時たまもっとリアルな夢もある。この前見たのは掃除の夢で、生徒が誰も手伝わずに消えてしまい、自分の「指令」が無視されるという夢である。もちろん、実際にはそんなことは一度もないんだけど、そういう夢を見るのである。また、トイレが異様に汚くなっていて、生徒と一緒に掃除する夢も見た。まあ、これは寝ていてトイレが近かったのだと思うが。

 不思議に、えっ誰だっけという生徒が夢に出てくるのものである。良いなり悪いなり印象に残る生徒ではなく、名前もよく覚えていない生徒が出てくる。そりゃあ人間だからカワイイなという生徒だっていたわけだが、どうせ夢なんだからと思ってもそういう生徒は出てこない。僕の思うに、自分にとっての「顔の典型」のようなタイプがあり、生徒との関係性と切り離されて、顔だけインプットされていて、夢に出てくるのではないかと思う。だから、名前が出てこないのも道理である。そういうのは駅で行き交う時に、あれ誰か昔の生徒っぽいなと思う場合も同様で、時たまあるけどまず他人。誰だか判らないけど、顔だけなんだか記憶にある気がする。思えば、何人ぐらい生徒の名前を覚えたんだろうか。もうどんどん忘れていくばかりである。外国の映画俳優の名前なんかと同じ。どんどん欠落していく。

 僕の場合、基本的には本だけ読んでれば精神的には大丈夫なので、もう読み切れないほどの本はあるから、後は目が悪くならないことを祈るばかりである。90年代末に耳は悪くしてしまった。特に耳に負荷は掛けてないのにおかしいのだが、目は大丈夫なのである。映画の字幕や車の運転にはメガネを使うが、新聞や本なら今でも裸眼で読めるのある。今も裸眼でブログを書いてるのである。だから問題はお金がどうなるかだけで、退職して時間を持て余したり、鬱屈することはないと思う。それは自分でだいたい判っていたので、辞められる日を待ち望んで来た。でも、それは思ったより早く来てしまったのだが。そりゃまあ、今後は日々老いに向かうわけだから楽しいだけでは済まないだろう。でも映画や散歩してると時間がなくなり、今まで調べてきたことを本にまとめるなどという時間はなかなか取れないものだ。
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