尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

高倉健の「任侠映画」-高倉健の映画③

2015年03月13日 23時34分04秒 |  〃  (旧作日本映画)
 高倉健は60年代半ばから70年代初頭にかけて、多数の「任侠映画」に出演した。「やくざ映画」であるが、東映は「任侠映画」と呼んでいた。63年の「人生劇場 飛車角」以後、64年に始まる「日本侠客伝」シリーズ、65年に始まる「昭和残侠伝」シリーズが続々と作られた。65年に始まる「網走番外地」シリーズも「やくざ映画」には違いないが、現代を舞台にしている。明治から昭和初期の時代設定が多い任侠映画とはちょっとムードが違った。また藤純子の「緋牡丹博徒」への客演も多かった。

 自分にとっては、同時代的に見た映画ではない。最後の頃のようすは見聞きしているが、中学生や高校生が見にいく映画ではなかった。大体洋画のロードショー以外は見なくて、日本映画は高校生が見に行く映画じゃなかったのである。(ATGのアート映画はまたちょっと別で、個人的には大島渚「儀式」や寺山修司「書を捨てよ町に出よう」などを見に行っていたけど。)

 その後、任侠映画に「名作」がたくさんあると言われるようになって、銀座並木座とか池袋・文芸地下でたくさん上映されるようになった。僕が見たのはその時で、「明治侠客伝・三代目襲名」とか「博奕打ち 総長賭博」などの名作を見て感心した。だから、僕にとって「任侠映画」は高倉健というよりも、鶴田浩二藤純子の映画という印象なのである。やくざ映画と言えば、賭場の縄張りや組長の跡目をめぐる組織内の争いを描く映画と思いやすい。

 確かにそう言う映画がいっぱいあるのだが、今回高倉健の任侠映画を何本か見て、高倉健が「やくざ」である映画が少ないのに改めて気づいた。「日本侠客伝」(64)では木場の職人をまとめる「木場政組」に所属している。「日本侠客伝 関東篇」(65)に至っては伝統的な職人でさえなく、初めは船員だが飲み過ぎて船に乗り遅れて、やむなく築地魚市場で働くというコミカルや役柄である。全体としては「職人」の世界を描くという感じが強い。

 「任侠映画」はあまり好きではない。大体それほど見ていない。東映の時代劇もそうなんだけど、同工異曲が多くてたくさん見ると飽きてしまう。それはプログラム・ピクチャーの宿命だけど、日活アクションやロマン・ポルノはロケが多くて、そこが今見ると面白い。娯楽映画は公開時期が先に決まっていて、スターの撮影期間は限られる。だから、同じセットを使いまわしたり、どこかで見たようなロケ場面が出てきたりする。それでも面白い映画は面白いんだけど、時代劇や任侠映画はセットの制約上、どうしてもラストの見せ場が似てしまうので、他の映画以上に「似てるな」度が高くなる。(特に「日本侠客伝」(脚本・笠原和夫)と「昭和残侠伝 血染めの唐獅子」(1967、脚本・鈴木則文、鳥居元宏)は、木場が浅草のトビ職人・鳶政に代わっただけで、全く同じ話になってる。笠原和夫も憮然としたらしいが。)

 「やくざ」はアウトロー集団ではあるが、伝統的な価値感の護持を掲げて活動するから、映画においても現実世界においても、保守的、さらには右翼的な存在になる。映画において強調される「親分子分関係」も「自立した個人」ではないから、若い時代には「否定されるべきもの」と思っていた。「義理人情」の世界を強調する任侠映画は、だから苦手で好きになれなかった。でも、今回初めて見た「日本侠客伝 刃(ドス)」(71、小沢茂弘監督、笠原和夫脚本)では、高倉健はやくざではなく、郵便馬車の車夫である。九州から母の実家の金沢を訪ねてきて、車夫の仲間に入る。そこの社長は民権派の政治家で、渡辺文雄が率いる国権主義的な組織が選挙を卑劣な手段で妨害する。だから、ラストでは高倉健は自由民権運動のために、右翼組織に殴りこむという「左翼的ヒーロー」である。この映画は、いつも悪役の常連の山本麟一や汐路章が高倉健の仲間の車夫であるという点でも異色。なんだか他の任侠映画の逆を行くような映画だが、そういう映画もあるのである。

 高倉健の任侠映画の最高傑作は、「昭和残侠伝 死んで貰います」(70、マキノ雅弘監督)だろう。ここでは深川の名料亭の長男である。グレてやくざになり、いかさま賭博を見破ってケンカになり傷害で刑務所に入る。刑期を務める間に関東大震災があり、父と異母妹が死に、料亭は義理の母と義弟が継いでいる。実母が死んで義母に妹が生まれたという環境がぐれるきっかけだから、これは納得できるし感情移入できる。ぐれてた時に、賭場でカネをなくして雨に降られて、芸者の卵の藤純子に傘をさしかけられ人情に触れた思いを抱く。このちょっとした出会いをお互いに忘れられず、藤純子は売れっ子芸者になっても昔の出来事を忘れない。このエピソードも映画内でだけ許される奇跡の出会いで、任侠映画と言わず日本映画史に残る「男と女の出会い」の名シーンになっている。

 義理の母も盲目となり、出所した高倉健は料亭に名を隠して戻り、料亭を支える池部良と協力して実家を援けるようになるんだけど…。ここに料亭乗っ取りをたくらむ悪らつな親分と腐敗政治家が乗り出してきて、義弟をだまして権利書を取り上げてしまう。その間の相互の思いやりを巧みに描いて行く脚本が優れていて、泣かせてくれる。具体的には映画を見てもらいたいと思う。題名だけ見ると殺伐な映画の予感がするが、実際はしっとりした情感にあふれた名作である。

 この映画はもう何回も見ているけれど、よく出来ていて飽きない。そういう名作もあるのである。もちろん最後には出入りとなり、唐獅子牡丹のいれずみを背負って殴りこむんだけど、それもここまで相手が卑劣だと「テロ」に訴えるしかないと見ているものは納得する。ここではやくざの殴り込みではなくて、悪徳企業や政治家の癒着に苦しめられた「職人」階級の怒りの爆発なのである。高倉健の映画では、大体皆同じで、「職人」が悪徳政治家や公務員の腐敗に苦しめられ、最後に怒りを爆発させるという展開である。インドの娯楽映画だと、歌とダンスがあって陽気な殴り込みの印象だけど、日本の任侠映画はもっと暗くてねちっこかった。当時の若い観客の感性にはそれがあっていたのである。

 今見ると、職人世界の一種の「談合」で平和的にすみわけしてきた世界が、自由競争の名のもとに新興企業が進出してくる。そんな構造が任侠映画には大体共通している。しかし、その新興企業は自由な競争によって伸びたのではなく、政官との癒着により今までの利権を奪い取ろうとしているのである。これは今の現実世界も同じで、自由競争を強調する人が、実は政治力によって利権を獲得しようとしていることが多い。では、今までの職人世界を守っていればそれでいいのか。

 それはそうではないんだろうけど、映画では許されるファンタジーにより、「職人たちの失われた世界」が一種の理想郷となる。「職人世界」の親分子分関係にユートピアを見ようとする、一種の「反近代映画」が高倉健の任侠映画だと思う。60年代の高度成長期、地域共同体が解体される時代に、共同体から都市下層労働者に「転落」した青年層が任侠映画に熱狂したのは、そのような構造が共感を呼んだからだろう。今見ると、右翼というより、一種の反グローバリズムの抵抗映画に見えてくる。
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快男児のゆくえ-高倉健の映画②

2015年03月13日 00時04分02秒 |  〃  (旧作日本映画)
 「高倉健の映画①」を書いた後で時間が経ってしまったが、一種の日本社会論なので書いておきたい。内容的に、初期作品と任侠映画に分かれるので、記事も別にする。高倉健(1931~2014)は、映画が「娯楽の王様」だった時代に、スターシステムにより毎週のように映画が作られ続けていた時代の「スター候補」として出発した。東映の「ニューフェース」2期生で、1956年のデビュー作「電光空手打ち」ですでに主演している。50年代後半にかなりの数の映画に出ているが、見ているのは内田吐夢監督「森と湖のまつり」(1958)だけである。この映画は武田泰淳原作の「純文学」を「巨匠」が映画化した作品で、高倉健はアイヌ青年を演じている。ここから高倉健は北海道に縁があった。高倉健映画としては異色。当時の主演作品の名前を見ると、現代アクションや会社を舞台にした青春映画が多い。

 今回見た初期作品は、「万年太郎と姐御社員」(小林恒夫監督、1961)、「悪魔の手毬唄」(渡辺邦男監督、1961)、「東京丸の内」(小西通雄監督、1962)、「恋と太陽とギャング」(石井輝男監督、1962)の4本で、いずれも面白かった。まあ「通好み」的な面白さかもしれないが、通常の娯楽映画が今見ても十分面白く見られるというのはすごい。高倉健がエライのではなく、脚本や撮影、照明などの娯楽映画を作る手際がうまいのである。話は大したことはなくても、スラスラ見て映画に入りこめる。「悪魔の手毬唄」を最初に書いておくが、1977年の市川崑監督、石坂浩二主演版(ベストテン6位)と比べてはいけない。僕にとって、名探偵・金田一耕助のイメージは、角川が仕掛けた横溝正史ブーム時代の石坂浩二である。でもまあ、いろんな金田一があってもいいじゃないか的に大らかな気持ちで見てみれば、高倉健の金田一も楽しめる。珍品ではあるし。渡辺邦男監督だから、多くを期待してはいけない。

 「恋と太陽とギャング」は、新東宝で「黄線地帯」などを作っていた石井輝男の東映移籍4作目。まあ東映というかニュー東映だけど。後に「網走番外地」を作って高倉健をブレイクさせる石井監督の高倉健初作品。「花と嵐とギャング」に続く現代アクションで、これは見てないけど、続く「霧と影」「黄色い大地」の水上勉、松本清張の推理小説映画化は結構面白く、次がこの作品。脇役が豪華で、丹波哲郎、清川虹子、三原葉子、江原真二郎、由利徹、三島雅夫、千葉真一ら当時の俳優としての格は様々だが、今見てこれだけ揃ってればそれだけで楽しい。コメディタッチの犯罪映画で、白黒の撮影が素晴らしい。十分に面白い映画だけど、高倉健は二枚目半というか三枚目というか、そういう役柄で、まだスターとしての役柄が固定していない「模索期」だったんだなと思う。

 「模索期」を脱するのは、1963年の「人生劇場・飛車角」の宮川役である。義理と女への愛に引き裂かれるヤクザ役で、そこから東映自体が時代劇から任侠路線に進むきっかけとなった。それがまあ「定説」なんだけど、今回初期サラリーマン映画と任侠映画を何本か見てみると、けっこう似たような「性格設定」(キャラクター)が共通している。それは一言で言えば「快男児」という、今では一発変換できない死語である。「快男児」というのは、いわば漱石の「坊ちゃん」のような存在。やんちゃな正義漢であり、傍から見ると多少変人性もあるのでコミカルにも描ける。でも、一本気な「漢気」(おとこぎ)を持ち、筋が通った生き方で皆を鼓舞して、不正を弾劾する。「好青年」という言葉もあるけど、既成の体制にとって「好青年」は怖くないけど、「快男児」は「敵」になりうる。東宝の若大将シリーズの加山雄三は、「快男児」性もあるけど「好青年」のイメージが強い。日活の渡り鳥シリーズの小林旭は、「快男児」だけどコミカル性が結構強く「好青年」っぽい部分もある。

 そう言う風に見てくると、高倉健の「万年太郎と姐御社員」と「侠骨一代」「日本侠客伝 刃(ドス)」なんかのキャラクターはほとんど同じ。「快男児」そのものである。組織の中で「抵抗」もできる役柄で、「狷介」(けんかい=頑固で自分の信じるところを固く守り、他人に心を開こうとしないこと)な一面が強くある。それは「野生の証明」や「南極物語」などの後期映画にも引き継がれていくキャラクターである。「万年太郎」シリーズの万年太郎という主人公も、曲がったことが嫌いでケンカばかりして北海道に左遷される。そこでは伊藤雄之助と星輝美が正義派で、後は課長を中心にした「賄賂商法」が牛耳っている。そういう社風を一新するために万年太郎は立ち上がる…という、北海道を舞台にした痛快娯楽編で、楽しく見られる。言っちゃなんだけど、この程度の映画に、伊藤雄之助はじめ月形龍之介、上田吉二郎、三島雅夫、花沢徳衛などの「豪華脇役陣」がそろってる。いつも悪役の三島雅夫が、ここではガンマニアの社長(クレードルという喜茂別町にある実在の高級缶詰会社)を嬉々として演じているのもおかしい。後の参議院議長、山東昭子がアイヌ娘で出ているのもご愛嬌。
 
 「東京丸の内」は、佐久間良子が実にキレイで見とれてしまうようなサラリーマン青春映画。山男の高倉健は佐久間に好意を持ってるが、佐久間にはすでに良縁がある。でも、貧乏な家庭育ちの佐久間は、御曹司の彼の母に気に入られず、結局「家柄」のいい娘に乗り換えられてしまう。そこに社内の派閥争いが絡み、恋愛がタダの好き嫌いではなく、もっと「オトナ」の思惑で左右されてしまうことになると、高倉健と佐久間良子は自分たちは自分の愛情を貫いて生きると宣言して終わる。丸の内のオフィス街の映像(白黒だけど)も面白く、高倉健のスーツ姿もカッコいい。この映画の高倉健も「快男児」で、山男という設定からも「会社の奴隷」ではないというムードを出している。「万年太郎」とともに、源氏鶏太原作。今は忘れられている直木賞作家だけど、この手の企業小説、青春小説を山のように書いた。主人公は「快男児」っぽい役柄ばかりである。

 当時の映画に「快男児」がいっぱい出てくるのは、直接には当時の「大衆小説」(ほとんどが映画化された)に「快男児」ものが多かったからだと思う。まだ戦争の記憶が色濃く残り、男優は皆兵隊がすぐできると言われた時代で、男の中のケモノ的な部分を表出する(できる)俳優が多かった。三船敏郎が典型。東映の場合も、時代劇を支えた中村(萬屋)錦之介の役柄はほとんどが痛快で、気風がよく、不正を嫌う快男児ばかりである。他の俳優も大体同じだけど、大友柳太郎など「快男児」がそのまま年取ってしまったような役柄を一生演じた。そういう東映の生み出してきたスターのイメージが、やはり高倉健の中にも残り続けているのだと思う。それが東映を離れて「国民的スター」になっても基本的なイメージとして残り続けた。それは人が男優スターに求めるものは、単なる「好青年」ではなく、また複雑な役柄を演じ分ける演技派でもなく、負けを恐れず巨悪に立ち向かう「快男児」だからだろう。

 こういう「快男児」は、大衆文化の中から消えてしまった。今の男性スターは「好青年」ばかりである。または「演技派」。それは70年代半ばから、もうそうなっていた。黒木和雄の傑作「竜馬暗殺」で泥臭い竜馬を原田芳雄が演じたのが典型。まあ、あれはATG映画だが、原田芳雄がスターになる時代に、単なる快男児は描けない。若松孝二が佐々木譲の原作を映画化した「われに撃つ用意あり」(1990)の原田芳雄を見れば、もはや屈折や屈託を抱えることなく、ただ不正を憎む心だけで「快男児」になれる時代ではないことが判る。社内の専務一派をやっつければ社風を一新できる万年太郎時代の素朴な正義感では戦えない。76年のロッキード事件(全日空の新機種選定に田中角栄元首相が関わったたとして逮捕された)のころに「構造汚職」という言葉が有名になった。もはや政官財の癒着が構造化してしまったと認識されれば、快男児一人が何を変えられるというのか。皆がそう思った時代に、快男児というスターは死滅して、テレビの中に好青年が生き残るんだと思う。
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