尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

レイス・チェリッキの映画-現代アジアの監督⑥

2015年03月14日 23時41分12秒 |  〃 (世界の映画監督)
 フィルムセンターの現代アジア映画特集。最終週はトルコレイス・チェリッキ(1860~)という人である。全く知らない。映画祭等での受賞歴もないようだけど、トルコに関心があり、クルド人問題などに関する「問題作」が多いらしいので、これも見ようと思う。トルコ映画といえば、クルド系で獄中から監督したユルマズ・ギュネイ(1937~1984)を思い出すけど、わずか47歳で亡くなった劇的な人生(貧しい少数民族出身の人気俳優から、逮捕、獄中監督、脱獄、フランス亡命、カンヌ映画祭パルムドール受賞…)も、その後回顧上映も行われてこなかったので、忘れられているかもしれない。近年、トルコ映画はけっこう映画祭で注目されていて、特に2014年のカンヌ・パルムドール受賞のヌリ・ビルゲ・ジェイランの3時間16分(パルムドール史上最長という)にわたる「雪の轍(わだち)」もいよいよ公開される。また、セミフ・カプランオール「卵」「ミルク」「蜂蜜」のユスフ三部作も思い出に残る。

 まずトルコという国の問題を先に書いておく。トルコの重要性は近年非常に大きくなってきた。ヨーロッパ世界と「中近東」(イスラム教世界)の接点にあり、古くから東西交通の交点だった。トルコ周辺は第二次世界大戦後、ずっと世界の焦点で、例えば「イスラム国」国問題も、経済危機のギリシャもトルコの隣国で起こっている。ソ連崩壊以後、中央アジアのトルクメニスタン、カザフスタン、ウズベキスタン、カフカス地方のアゼルバイジャンなど多くのテュルク系(トルコ系)民族が独立国家を形成し、トルコとの協力関係も深まっている。ロシア内のタタール人、中国内のウィグル人もテュルク系。オスマン帝国崩壊後、ムスタファ・ケマル・アタチュルクによるトルコ共和国建国により、イスラム教を国教としない世俗国家が成立した。しかし、近年のエルドアン大統領(2014年、首相から大統領に就任)により、イスラム化が少しづつ進行している感もあるし、最近の大統領の言動には、強権化、独裁化の兆しも見られる。でも、エルドアン時代に経済の成長が続いてきたのも確かで、政治的、経済的、文化的にものすごく重要である。ロシアへの対抗意識から、日露戦争の頃から親日的とされる。

 そんなトルコなんだけど、トルコ文化の紹介は少なく、ノーベル賞受賞作家オルハン・パムクの小説の翻訳とときたまのトルコ映画紹介ぐらいしか、なかなか触れる機会が少ない。(古代トルコ文明展などは結構あるけれど、現代文化という意味である。)その意味で、今回のレイス・チェリッキの上映は期待するところだったけど、映画そのものの評価としては一番、「普通の社会派」っぽい映画が多かった。もともとジャーナリストだったということで、その意味で「現実を伝えたい」という問題関心から映画製作を行ってきたんだと思う。デビュー作の「そこに光を」(1996)は、一番そういう感じがする作品で、まだ習作という感じも残る。クルド人が居住する東部辺境地帯の厳しい現実を描く作品だが、3000mを超える山々の雪に閉ざされた自然も印象的。「ゲリラ」と言われているけど、クルディスタン労働者党(PKK)による激しい内戦が続いていた時代の話である。バスが襲われ、政府に協力して「自警団」に入った住民が引き出され、銃殺される。軍は追撃隊を出すが、大雪崩にあってゲリラ2名と軍の隊長だけ生き残る。この両者の逃亡と追跡を描く映画だけど、最後に出てくる老人(村人が逃亡した中で1人村に残っていた)が軍とゲリラを非難する。監督は両者ともに批判するような作りになっていると思ったが、「ゲリラ」側も村人に対して「テロ組織」のような意識を持っている(ように描かれている。)当時の情勢として、非常に勇気ある作品だと思う。

 次の「グッバイ・トゥモロー」(1998)は、かつての軍政時代に共産主義運動で死刑になったデニズ・ゲズミスという青年活動家を描いている。実話に基づくというけど、この人名を検索しても映画のこと以外にはよく判らない。非常に緻密に描かれた「死刑執行までの社会派映画」で、当時のフィルムを交えたドキュメント的な映画。ドイツの「白バラ」、スペインの「サルバドールの朝」みたいな感触で、国と時代が違うけど、似たような出来事が起こったということだろう。「トルコ人民革命党」だったか、確かそんな名前だから、世界的な「極左組織」を扱った映画にも似ている。映画としてはデジャヴ感が強いんだけど、トルコで作られた勇気と重要性は頭では理解できる。

 「頑固者たちの物語」(2004)はガラッと変わって、民話的なファンタジーに近い傑作。舞台はまた東部辺境地域となるが、政治的な映画ではなく、そこの地域の伝説などをもとに「頑固者」の男たちを描く。大雪の中、ミニバスの運転手と馬ぞりの馭者がどっちが村に早く着くか競争になる。乗客は無理しないでくれというけど、「頑固者」はいうことを聞かない。そりは凍った湖上を通ろうとするが、追いつくためにバスも氷に乗り出そうとする。そんな中で、さまざまのエピソードが語られていく。結婚式の席上、賭けをしたまま決着がつかずそのことに我慢できない頑固者。村娘と結婚したい息子を金持ちの娘と結婚させたい有力者が、村娘にこたえられそうもないパズルを出す男。ところが、期限の40日も終わるころに、涙とともに解答が見つかる。そんなエピソードは本当にあったのかも、いつの時代のことかもわからないけど、淡々と語られる中で辺境に生きる「頑固者」が生き生きと描かれる。命を粗末にするほど頑固なのも困るし、恐らく家族に迷惑な家父長なんだろうけど、そう言う側面の批判はおさえて、民話的に語られている。

 4本目の「難民キャンプ」(2008)は、クルド人の大人しい青年が、放火の疑いで軍ににらまれ、国外に逃がすことしかないだろうとドイツに逃れて、そこの「難民キャンプ」(というより、収容所という感じの大きな建物で、日本と同じ)で暮らすようになり。そこには同じクルド人も多いし、アフリカからの人もいる。どうすればドイツの裁判所に認められるかなどを考え、突然「自分は同性愛で、本国では迫害される」などと主張を変えるものもいる。主人公は地主の息子で、ゲリラではないから、逆にクルド人難民の中でも孤立する。絵の好きな芸術家タイプの青年で、画家の先生から離れて村の娘とデートしてる時に、小麦畑が放火される。ガソリンを撒いているから、完全に放火。どうも地主の父が軍になびかず、ゲリラにも中立だったから、軍ににらまれ放火事件が起こされたらしい(と匂わせられているが真相は判らない)。そのため運動家でもなく、「経済難民」でもなく、外国で生きていく決心もないまま、ドイツに行ってしまったのである。この主人公のドイツでのアイデンティティの揺らぎが悲劇的に語られる。語り口は洗練されて、見応えがあった。「先進国」を目指す「難民」の事情が様々に描き分けられ、題材的に興味深い。典型的な社会派映画だと思う。4本通して、辺境部の自然環境の厳しさが印象的。そして、そこでの軍事的な緊張感の激しさ。ロシア、中国、インドなんかも、大都市は発展していても辺境部は軍事的緊張関係にあるというところは共通なのではないかと思うが、トルコの場合もイスタンブールでは判らない現実があるわけである。
コメント (1)
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