尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

小伝馬町散歩

2015年03月25日 23時50分35秒 | 東京関東散歩
 人形町に続いて、その隣の小伝馬町(こでんまちょう)を。ここからはいろいろな方向に歩けるが、時間がなかったので駅周辺のみ。地下鉄日比谷線で、秋葉原の一つ隣の駅である。中央区の一番北のあたりで、日本橋小伝馬町、大伝馬町という地名がある。名前からして江戸時代っぽいけど、五街道の起点、日本橋に近いあたりに「伝馬」(でんま)、つまり馬による街道連絡網が組織されたわけである。日光街道に面していたのが大伝馬町(小伝馬町と人形町に間)で、小伝馬町はその裏にあった。たまたま地下鉄の駅名に小伝馬町が採用されたので、今の東京人には小伝馬町の方がなじみがある。それより、ここは「牢屋敷」があったところとして有名で、吉田松陰高野長英もここに収監されていたのである。そして長英はここから脱獄し、松陰はここで刑死した。そういう場所である。
     
 小伝馬町駅2番出口を出て少し歩くと左側に寺がある。その大安楽寺の外の壁に「江戸伝馬町処刑場跡」の碑がある。寺の中にも牢獄跡や井戸の碑がある。後で書くけど、「十思スクエア」を入ったところに牢屋敷の模型が置いてあった。寺の向かいが「十思公園」(じゅっし)で、ここが牢屋敷の跡地になるそうだ。案内板もある。公園の門は反対側にあった。まあ、いろいろな碑がある公園だったが、発掘した時に石垣が見つかったということで、それが案内板とともに展示されている。
   
 さて、何といっても、ここは吉田松陰の最期の地である。今は桜が咲きかかった春も間近なのどかな公園という感じだったけど、そういう歴史の暗い因縁がある場所なわけである。それはまあ、普通では感じ取れないけれど。東京には世田谷に吉田松陰を祀る松陰神社があって、そこに墓所もあるという。近くには松陰を捕えた大老井伊直弼の墓所もある。どちらもまだ見たことはない。東京には古い建物はないけれど、あんがい史跡はあるものだ。写真1枚目は松陰終焉の地碑、2枚目は辞世と石灯籠を合わせて。3枚目は「杵屋勝三郎歴代記念碑」というものである。もっとも字が読めない。
  
 さて、もう一つ、「石町時の鐘」がある。「石町」は「こくちょう」。そんなものが残っているとは知らなかったのでビックリ。何しろ江戸町内に時を知らせる鐘がこの場所にあり、鐘は当時のものなのである。時の鐘は8カ所にあったというが、ここが最古。江戸のことだから何度も火事になっているが、今ある鐘は1711年鋳造のものだとある。牢屋敷の処刑も、この鐘の知らせで行われた。明治になって廃止された後は、担当の松沢家が秘蔵していたが、1930年に鐘楼が作られたという。知らなかった。
  
 さて、十思公園の隣に、かつては十思小学校があった。1990年に閉校となったが、校舎が整備されて「十思スクエア」と命名され、保育園や老人福祉施設、地域の交流施設などが作られている。別館には銭湯の「十思湯」まである。この小学校は、東京都選定歴史的建造物になっていて、震災後に作られたいわゆる「復興小学校」のモダン建築の代表として見所が多い。何というか、いかにも懐かしい昔の小学校である。
  
 中はこんな感じで、校庭側は福祉施設の車がいっぱいだが、なんだか懐かしい小学校の小さな校庭である。牢屋敷は今は碑があるだけだが、モダン建築の校舎は思い出がよみがえる感じ。1928年の建造で、「関東大震災ののちに建築された復興小学校の一校。角地を利用した正面玄関は曲線で構成され、1階と3階にはアーチ型の意匠が用いられている」というのが指定理由。
  
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アラン・レネ「愛して飲んで歌って」

2015年03月25日 21時27分32秒 |  〃  (新作外国映画)
 フランスのアラン・レネ監督(1922~2014)の遺作「愛して飲んで歌って」を岩波ホールで上映している。(4月3日まで。)昨年のベルリン映画祭に出品され、アルフレッド・バウアー賞、国際批評家連盟賞を受賞している。去年亡くなった時に「追悼・アラン・レネ」を書いた。監督についての話はそちらに譲るが、そこで近年のレネ映画は「昔の名前で出ています」だと書いている。それでも見に行ってしまったし、まあ遺作だから二度と新作を見られないんだからと思って書いておくことにした。

 この映画は面白いのか。やはり特に面白くもなかったなあと思う。ゴダールの「さらば愛の言葉よ」が3Dで、とにかく新しい映画表現を今でも求めていると思えるのに比べれば、アラン・レネという名前が前衛的な映画マニアに神話的に語られていた時代は遠い。チラシを見ても、アラン・レネ監督遺作とある上に『夜と霧』『二十四時間の情事』『去年マリエンバードで』と3作の名前が書いてある。今でもそれがウリなのである。この映画はイギリスの喜劇作家アラン・エイクボーンの劇を映画化したもので、「フランスのエスプリとイギリスのユーモアの見事な融合」とあるけど、確かに「エスプリ」という感じはする。エイクボーンという人は日本ではあまり上演されないが、鴻上尚史「名セリフ」(ちくま文庫)に出てきていた。そもそもユーモアの質が日本で通じにくい部分があるかもしれない。

 最初にイギリスの地図が出てきて、イングランド北部のヨークの話だとされる。でも登場人物はフランス語しか話さないので、要するにイングランド人の戯曲をフランスで上演しているのと同じである。ほとんど舞台の書き割りのようなセットで、最後に舞台でしたとなるのかと思ったら、それはなかった。でも明らかに現実の家ではなく、舞台装置みたいなところで演技している。(普通の映画の場合、家のセットは「現実の家」に見えるように作られているが、この映画ではドアがカーテンになっているんだから、どう見ても舞台上のセット。カメラの動きなども含め、演劇的なつくりの映画になっている。

 登場人物は3組の男女。最後に娘が出てくるけど、事実上3カップル、6人のみしか出てこない。しかし、最も重要なジョルジュという人物は出てこない。シロウト劇団があり、公演に向けて練習しているというのが表面上の設定。一方、ジョルジュが重病で余命が短いという話を、医師が妻にしてしまいあっという間に友人たちに広まる。劇の出演から一人下りたため、皆はジョルジュに頼むとOKし、結構うまいらしい。このジュルジュは小学校の教師らしいが、どうも女たちはみなジョルジュに惹かれているような…。という話で、ジョルジョは出てこないで、登場人物はみな彼の大きな影のもとにある。

 こういうのは演劇では面白いけど、映画のカメラはどこにでも行けるわけだから、最後にジュルジュを見せて欲しい感じもしてくる。ジュルジュが出てこないところが面白みであるけど、それは一種の「余裕」ある演出で、人生を達観するような視線で語られていく。そういう語りの構造が後期アラン・レネ映画の特徴で、昔のような切羽詰まった問いはない。その意味では、楽しんでみられるが、わざわざ見る意味がどこにあるのかと思う。そういう言い方は、思えばフェリーニや黒澤明の晩年の映画を見た時も感じたことだった。まあ、アラン・レネという名前に特段の思いを持つ人には見る意味があるかなという映画ではないかと思う。
コメント (2)
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