IS問題は、国際情勢の解説と安倍政権の対応をまとめて数回書いておくつもりだったが、長くなってしまった。前から「思想」の問題を書くと言って来たので、それを書いてしまいたい。イスラム教に限らず、「過激思想」というか「過激な解釈」がどのような「心の場所」に発生していくのかを考えてみたい。「過激」というのは、文字通り「激し過ぎる」という意味だけど、最初に書いておきたいが、「激し過ぎて困る」という含意が暗黙のうちにある。それは当たり前なんだけど、最近は「過ぎる」の意味を混乱させて使う人がいる。電車で寝てしまって、降りる駅を通り過ぎては困る。でも、あるカレーのチェーン店では「ハムカツカレー」のハムが「極厚すぎる」と書いてある。極厚すぎるんだったら、普通の意味では「厚すぎて噛めない、切れないので困る」から、もっと薄くするべきだ。サービスで厚くしているという意味にはならない。「美人すぎる市議」とか言うのも同様。これはまあ女性票を逃すほど美人という意味があるのかもしれないけど。でも、どっちかというと、過ぎたるから注目されるという意味がありそうだ。
過激主義というものは、どんな社会でも生み出すものである。あるいは、どんな宗教でも、どんな結社でも。完全に平等な社会は存在しないし、完全に自由な社会も存在しない。(もし、完全平等、完全自由の社会があったら、恐るべき管理社会になるだろう。)日本が自分たちで「バブル」などと浮かれていた時代に、オウム真理教のような世界最悪の宗教テロが起こってしまった。キリスト教にも原理主義勢力があるし、ユダヤ教にも原理主義がある。神は絶対であるけれど、人間は神ではないから、神の言葉の解釈をめぐって争うのを避けられない。かつてマルクス主義をほとんど宗教的に受容していた人々は、マルクスやレーニンの文献の細かな解釈をめぐって争っていたものである。そういう争いではえてして「過激な解釈」が勝ったりしてしまう。マジメな議論を突き詰めていくと、より「正しいもの」を求めてしまいがちなのだと思う。
ところで、世界史の中で、どうしてそのような過激主義が生み出されてくるのだろうか。近代史を考えてみると、今の日本人だったら、近代、現代の方が「発達した社会」だということは、ほとんど自明のことに思っているのではないだろうか。時代をさかのぼるに連れ、パソコンも携帯電話もなく、テレビも冷蔵庫もなく、自動車も電車もなく…と僕らの周りの便利なものが無くなってしまう。発達した工業社会を実現した日本では、世界はだんだん便利になってきたとしか思えないだろう。しかし、世界のかなりの人々はそのように思っていないのではないだろうか。都市部に住む人は世界のどこでも似たような生活様式で暮らしている。だが、辺境部で暮らす人々は、かつては自律的で独自の文化を持って生活していたものが、強大な武力を持つ中央政府や外国軍が攻めてきて、自分たちの独自のものを失い、多大な人命が失われたというケースが多い。そういう人々から見れば、「近代は悪い時代」である。
日本だって同様で、ペリー来航により強制的な外圧で近代が始まる。天皇を中心とした中央集権国家が出来、急速な富国強兵に「成功」したと、今の日本人は普通はそう理解している。でも、急激な欧米化で「旧来の美風」が失われると憂慮した人々がたくさんいた。遠い欧米からどうして日本にやってくるのか。その工業力、軍事力は認めないわけにはいかないが、要するに武器や工業製品だけ利用できればいいのであって、生活習慣や思想、芸術などは昔ながらの日本のままでいいのだと、そう理解したい人が多くいたわけである。当時の言葉で「和魂洋才」という。でも、ただエリートが欧米文明を利用するだけではダメで、軍隊の兵士が武器を使いこなすためには、あるいは武器工場の工員が武器を作り出すためには、全国民に一定程度の教育をしなければならないし、男だけでなく女にも教育を施さなければ次世代育成ができない。その国民教育を担当する教師を育成するためには、欧米の思想、学芸にも接して行かないといけない。留学して欧米社会に深く触れれば、単に欧米の近代化を上澄みだけ利用するなどは不可能で、選挙や言論の自由といった政治制度改革、あるいは生活の洋風化まで行かないとダメだと主張する人が多くなる。
しかし、そうなると「日本の美風」が失われると危機感を持ち、「危険思想」を取り締まれという主張も強くなる。では、それまでの日本がそんなに素晴らしかったのか。というと、こういうときの「美風」というのは男(夫や父親)が女や子どもを圧迫し、結婚相手なんかも父親が決めるといった「悪しき習慣」のことを指していることが多い。他の問題でもそうだけど、「今までの良き習慣が失われる」といった主張は、「旧来の悪しき習慣」から利益を得てきた人の既得権益を守ろうという動機に基づいている。特に、人間にとって最も身近な家族の問題では、「家父長制」を守りたいという主張は、世界のどこでも主張される問題である。こういう傾向の考え方は、日本伝統のものと言えば、まずは天皇制だから、日本は「天皇を中心とした家族国家」だと決めつけて、それを守らなければならない、しかし、欧米文化の流入、外国の危険思想により、今や日本本来の良きものは危機にある…と言うわけである。
だから、そのためには「本来の良きもの」(天皇)をジャマしている、悪しきものを打倒しなければならないという「過激主義」が台頭してくる。これが戦前日本、特に1930年代の右翼思想のありようである。特に1936年の二・二六事件では多くの政府高官が陸軍内右翼の青年将校に殺されたが、昭和天皇自身は「朕の股肱の老臣」を殺した逆賊だと青年将校たちを認めなかった。しかし、1932年の五・一五事件の時は、犬養毅首相を暗殺した海軍将校たちに対して、「疲弊した農村を無視する腐敗した政党政治家」を打倒した「純粋な」青年将校に対し、減刑を求める運動が全国で起こっている。ここで判ることは、「右翼的過激主義」では政治的リアリズムを無視して、「勝手に敵とみなす」こと、また彼ら自身は「純粋でマジメ」であることだ。右であれ左であれ、純粋でマジメな大人が若い者に「われわれは今危機にある」「敵はわれらの中にいる」と働きかければ、マジメな青年ほど信じ込んでしまいやすい。
日本で昔起こったことは、今書いているテーマのイスラム過激派にもほとんどそっくり当てはまる。伝統的な文明が「欧米化」により失われるという深い危機感、中でも「女性の地位の向上」により従来の家父長制が危機にあるというとらえ方が「イスラム過激派」に多い。要するに「イスラム過激派」というのは、日本史でいえば「右翼天皇主義者」だということである。軍人というのは戦争で外国軍と戦うのが仕事なのであって、いくら政治家が悪かったとしても自分たちで殺してしまってはいけないというのは、ちょっと常識があれば判りそうなもんである。実際、大多数の陸海軍将校は、思想的には保守的天皇主義者だっただろうけど、思想的な「過激主義」に行ったわけではない。同じように、いくら欧米社会に問題があると考えたとしても、宗教の名のもとに一般市民を殺したり、自爆テロを決行して「敵」だけでなく自分も死んでしまうだなんて、そういうのが宗教的に認められるわけもないだろうと、これもちょっと常識があれば判りそうなもんである。そして、実際にイスラム教徒の大多数は、「過激主義」には眉をひそめている。
その常識がどうして働かないのか。そこに「マジメ純粋主義」の怖さがある。そして、扇動に利用されるような「思想」の恐ろしさも。イスラム過激派問題問題の本を読んでいると、いつも出てくる名前がある。エジプトのイスラム主義者の思想家、作家のサイード・クトゥブ(1906~1966)という人物である。ムスリム同胞団の理論的指導者で、ナセル大統領暗殺未遂に関わったとして国家転覆罪で死刑となった。今のイスラム過激派の思想に大きな影響を与えた人物と言われている。欧米を視察した経験があるが、病身で内向的だったため欧米社会にはなじめず、欧米を物質的で宗教的に退廃した享楽社会と見なして帰国したようである。獄中で重要な書物を書き、西欧社会を完全に否定し、イスラム国家樹立を目指した。特に重大なのは、このような考えをつきつめ、欧米的な自由主義を求めるものは、もはやイスラム教を逸脱したものと考え、「背教者と見なして構わない」としたことである。戦前の右翼が重臣を勝手に「君側の奸」(くんそくのかん=天皇の周りの悪者)と見なしたり、今のネット右翼が勝手に意味不明の「在日認定」とやらをしてしまうのと似ている。イスラム主義者の学者が勝手に「背教者認定」してしまえるのである。
背教者を排除するのは、信仰あるものの義務である。だから、イスラエルと国交を結んだエジプトのサダト大統領は「背教者」であるとされ、サダトは「ジハード団」により暗殺された。サダトの政策の是非を議論することはできるだろうが、サダトがムスリムであるのは間違いないし、サダト暗殺が「ジハード」(聖戦)だというのは、いくら何でも暴論だろう。だけど、こうしてイスラム社会では「勝手に背教者認定」を恐れて、多くの人が自由主義的な主張を封じられることになっていった。批判精神の薄れた知的風土においては、扇動者の言動は影響力が強い。
世界史的な「地域的な序列」が近代には存在し、イギリスが産業革命に成功して以来、近代化、工業力により世界はピラミッド化されている。そういう世界では、その良し悪しの判断は別にして、欧米は中東やアジア、アフリカに軍隊を送れるが、非欧米諸国は欧米を攻撃できない。日本はハワイの真珠湾を(一回だけ)攻撃したけど、ハワイは州ではなく、もともとハワイ王国だった島々をアメリカが強奪したような土地である。アメリカ本土を襲撃した国はどこにもない。にもかかわらず、アメリカは湾岸戦争で、イラクを攻撃する他国籍軍の中心となり、サウジアラビアに駐留した。メッカを擁する聖なる地に外国軍を呼び込むとはと、これがオサマ・ビン・ラディンが激しい反米活動に身を投ずるきっかけとなったということである。2011年9月11日のテロは、そういった「世界史的序列」を崩すような衝撃を与えたという事実は否定できない。マジメで祖国の腐敗と貧困に怒り、イスラム主義にひかれるような純粋なムスリム青年に、このテロが「圧倒的な魅力」を与えただろうことへの想像力はわれわれも持たなくてはいけないと思う。でも、ちょっと常識を働かせれば、これは宗教的にも間違いで、政治的にも不利なものだと理解できるはずだ。「過激主義」がどういうてん末をたどるかは、日本や世界各国の事例を見ればおおよそ推測できる。
過激主義というものは、どんな社会でも生み出すものである。あるいは、どんな宗教でも、どんな結社でも。完全に平等な社会は存在しないし、完全に自由な社会も存在しない。(もし、完全平等、完全自由の社会があったら、恐るべき管理社会になるだろう。)日本が自分たちで「バブル」などと浮かれていた時代に、オウム真理教のような世界最悪の宗教テロが起こってしまった。キリスト教にも原理主義勢力があるし、ユダヤ教にも原理主義がある。神は絶対であるけれど、人間は神ではないから、神の言葉の解釈をめぐって争うのを避けられない。かつてマルクス主義をほとんど宗教的に受容していた人々は、マルクスやレーニンの文献の細かな解釈をめぐって争っていたものである。そういう争いではえてして「過激な解釈」が勝ったりしてしまう。マジメな議論を突き詰めていくと、より「正しいもの」を求めてしまいがちなのだと思う。
ところで、世界史の中で、どうしてそのような過激主義が生み出されてくるのだろうか。近代史を考えてみると、今の日本人だったら、近代、現代の方が「発達した社会」だということは、ほとんど自明のことに思っているのではないだろうか。時代をさかのぼるに連れ、パソコンも携帯電話もなく、テレビも冷蔵庫もなく、自動車も電車もなく…と僕らの周りの便利なものが無くなってしまう。発達した工業社会を実現した日本では、世界はだんだん便利になってきたとしか思えないだろう。しかし、世界のかなりの人々はそのように思っていないのではないだろうか。都市部に住む人は世界のどこでも似たような生活様式で暮らしている。だが、辺境部で暮らす人々は、かつては自律的で独自の文化を持って生活していたものが、強大な武力を持つ中央政府や外国軍が攻めてきて、自分たちの独自のものを失い、多大な人命が失われたというケースが多い。そういう人々から見れば、「近代は悪い時代」である。
日本だって同様で、ペリー来航により強制的な外圧で近代が始まる。天皇を中心とした中央集権国家が出来、急速な富国強兵に「成功」したと、今の日本人は普通はそう理解している。でも、急激な欧米化で「旧来の美風」が失われると憂慮した人々がたくさんいた。遠い欧米からどうして日本にやってくるのか。その工業力、軍事力は認めないわけにはいかないが、要するに武器や工業製品だけ利用できればいいのであって、生活習慣や思想、芸術などは昔ながらの日本のままでいいのだと、そう理解したい人が多くいたわけである。当時の言葉で「和魂洋才」という。でも、ただエリートが欧米文明を利用するだけではダメで、軍隊の兵士が武器を使いこなすためには、あるいは武器工場の工員が武器を作り出すためには、全国民に一定程度の教育をしなければならないし、男だけでなく女にも教育を施さなければ次世代育成ができない。その国民教育を担当する教師を育成するためには、欧米の思想、学芸にも接して行かないといけない。留学して欧米社会に深く触れれば、単に欧米の近代化を上澄みだけ利用するなどは不可能で、選挙や言論の自由といった政治制度改革、あるいは生活の洋風化まで行かないとダメだと主張する人が多くなる。
しかし、そうなると「日本の美風」が失われると危機感を持ち、「危険思想」を取り締まれという主張も強くなる。では、それまでの日本がそんなに素晴らしかったのか。というと、こういうときの「美風」というのは男(夫や父親)が女や子どもを圧迫し、結婚相手なんかも父親が決めるといった「悪しき習慣」のことを指していることが多い。他の問題でもそうだけど、「今までの良き習慣が失われる」といった主張は、「旧来の悪しき習慣」から利益を得てきた人の既得権益を守ろうという動機に基づいている。特に、人間にとって最も身近な家族の問題では、「家父長制」を守りたいという主張は、世界のどこでも主張される問題である。こういう傾向の考え方は、日本伝統のものと言えば、まずは天皇制だから、日本は「天皇を中心とした家族国家」だと決めつけて、それを守らなければならない、しかし、欧米文化の流入、外国の危険思想により、今や日本本来の良きものは危機にある…と言うわけである。
だから、そのためには「本来の良きもの」(天皇)をジャマしている、悪しきものを打倒しなければならないという「過激主義」が台頭してくる。これが戦前日本、特に1930年代の右翼思想のありようである。特に1936年の二・二六事件では多くの政府高官が陸軍内右翼の青年将校に殺されたが、昭和天皇自身は「朕の股肱の老臣」を殺した逆賊だと青年将校たちを認めなかった。しかし、1932年の五・一五事件の時は、犬養毅首相を暗殺した海軍将校たちに対して、「疲弊した農村を無視する腐敗した政党政治家」を打倒した「純粋な」青年将校に対し、減刑を求める運動が全国で起こっている。ここで判ることは、「右翼的過激主義」では政治的リアリズムを無視して、「勝手に敵とみなす」こと、また彼ら自身は「純粋でマジメ」であることだ。右であれ左であれ、純粋でマジメな大人が若い者に「われわれは今危機にある」「敵はわれらの中にいる」と働きかければ、マジメな青年ほど信じ込んでしまいやすい。
日本で昔起こったことは、今書いているテーマのイスラム過激派にもほとんどそっくり当てはまる。伝統的な文明が「欧米化」により失われるという深い危機感、中でも「女性の地位の向上」により従来の家父長制が危機にあるというとらえ方が「イスラム過激派」に多い。要するに「イスラム過激派」というのは、日本史でいえば「右翼天皇主義者」だということである。軍人というのは戦争で外国軍と戦うのが仕事なのであって、いくら政治家が悪かったとしても自分たちで殺してしまってはいけないというのは、ちょっと常識があれば判りそうなもんである。実際、大多数の陸海軍将校は、思想的には保守的天皇主義者だっただろうけど、思想的な「過激主義」に行ったわけではない。同じように、いくら欧米社会に問題があると考えたとしても、宗教の名のもとに一般市民を殺したり、自爆テロを決行して「敵」だけでなく自分も死んでしまうだなんて、そういうのが宗教的に認められるわけもないだろうと、これもちょっと常識があれば判りそうなもんである。そして、実際にイスラム教徒の大多数は、「過激主義」には眉をひそめている。
その常識がどうして働かないのか。そこに「マジメ純粋主義」の怖さがある。そして、扇動に利用されるような「思想」の恐ろしさも。イスラム過激派問題問題の本を読んでいると、いつも出てくる名前がある。エジプトのイスラム主義者の思想家、作家のサイード・クトゥブ(1906~1966)という人物である。ムスリム同胞団の理論的指導者で、ナセル大統領暗殺未遂に関わったとして国家転覆罪で死刑となった。今のイスラム過激派の思想に大きな影響を与えた人物と言われている。欧米を視察した経験があるが、病身で内向的だったため欧米社会にはなじめず、欧米を物質的で宗教的に退廃した享楽社会と見なして帰国したようである。獄中で重要な書物を書き、西欧社会を完全に否定し、イスラム国家樹立を目指した。特に重大なのは、このような考えをつきつめ、欧米的な自由主義を求めるものは、もはやイスラム教を逸脱したものと考え、「背教者と見なして構わない」としたことである。戦前の右翼が重臣を勝手に「君側の奸」(くんそくのかん=天皇の周りの悪者)と見なしたり、今のネット右翼が勝手に意味不明の「在日認定」とやらをしてしまうのと似ている。イスラム主義者の学者が勝手に「背教者認定」してしまえるのである。
背教者を排除するのは、信仰あるものの義務である。だから、イスラエルと国交を結んだエジプトのサダト大統領は「背教者」であるとされ、サダトは「ジハード団」により暗殺された。サダトの政策の是非を議論することはできるだろうが、サダトがムスリムであるのは間違いないし、サダト暗殺が「ジハード」(聖戦)だというのは、いくら何でも暴論だろう。だけど、こうしてイスラム社会では「勝手に背教者認定」を恐れて、多くの人が自由主義的な主張を封じられることになっていった。批判精神の薄れた知的風土においては、扇動者の言動は影響力が強い。
世界史的な「地域的な序列」が近代には存在し、イギリスが産業革命に成功して以来、近代化、工業力により世界はピラミッド化されている。そういう世界では、その良し悪しの判断は別にして、欧米は中東やアジア、アフリカに軍隊を送れるが、非欧米諸国は欧米を攻撃できない。日本はハワイの真珠湾を(一回だけ)攻撃したけど、ハワイは州ではなく、もともとハワイ王国だった島々をアメリカが強奪したような土地である。アメリカ本土を襲撃した国はどこにもない。にもかかわらず、アメリカは湾岸戦争で、イラクを攻撃する他国籍軍の中心となり、サウジアラビアに駐留した。メッカを擁する聖なる地に外国軍を呼び込むとはと、これがオサマ・ビン・ラディンが激しい反米活動に身を投ずるきっかけとなったということである。2011年9月11日のテロは、そういった「世界史的序列」を崩すような衝撃を与えたという事実は否定できない。マジメで祖国の腐敗と貧困に怒り、イスラム主義にひかれるような純粋なムスリム青年に、このテロが「圧倒的な魅力」を与えただろうことへの想像力はわれわれも持たなくてはいけないと思う。でも、ちょっと常識を働かせれば、これは宗教的にも間違いで、政治的にも不利なものだと理解できるはずだ。「過激主義」がどういうてん末をたどるかは、日本や世界各国の事例を見ればおおよそ推測できる。