イランのクルド系映画監督、バフマン・ゴバディ(1969~)の新作、「サイの季節」が公開中。東京ではシネマート新宿だけ、全国では今後の上映となる。バフマン・ゴバディ監督は、「酔っぱらった馬の時間」「わが故郷の歌」「亀も空を飛ぶ」といった、イランでも辺境地帯にあるクルド系住民を描く作品が日本でも絶賛された。2009年の「ペルシャ猫を誰も知らない」は一転して趣を変え、認められていないロック音楽の活動を続けるテヘランの若者たちをドキュメンタリー風に描いた。政府の許可を受けず「ゲリラ撮影」を敢行、以後イラン国内で映画を作れなくなった。事実上の亡命を余儀なくされ、この映画もトルコのイスタンブールで撮影した。実話をもとにしたイラン革命の悲劇である。
冒頭で、老いた詩人サヘルが牢獄から釈放される。彼は妻のミナの消息を求めて、国外に出たと知り、イスタンブールまでやってくる。イランのイスラム革命(1979)の前、若き詩人のサヘルは美しい妻ミナと幸せに暮らしていた。一方、ミナ一家の運転手のアクバルも彼女に恋していた。革命で運命は反転、アクバルは革命防衛隊で出世するが、サヘルは政治的な詩を書いたとして逮捕され、懲役30年を宣告される。ミナも逮捕されるが、夫を信じ続ける。アクバルは執拗に言い寄り、夫に会わせてと頼むミナをサヘルに会わせる。この二人だけのシーンにアクバルが絡んでくるところ、ここはショッキングなシーンである。獄中で双子を出産したミナは釈放されたが、夫は獄死したとニセの情報を渡される。
この映画は前半は獄中の暗い場面が多いが、舞台がイスタンブールに移っても驚くほど画面が暗い。暗いというか、美的な陰翳に満ちている。異様に人工的な触感が画面全体に漂うほど、一種の内面的な暗さに満ちている。当然、デジタルで撮影して、後で画像処理で作られたんだろうけど、監督は亡命者の心理を表わす映像と言っているようだ。イスタンブールでミナの家を見つけても、今度はサヘルの方が訪ねていけない。車から見つめるだけ。そこに二人の娘が車で送ってくれと頼んでくる。彼女たちはいったい誰なのか。空からは亀が振り、サヘルの車はサイのいる荒野を走る。幻想的なシーンが随所にあり、今までのようなリアリズムではない。監督の心象風景を映し出すシーンが印象的である。詩人を主人公にしているように、映画そのものも一種の詩と言える。そのため映画のストーリイが多少判りづらい気もするが、筋そのものはシンプルな悲劇と理解すればいいんだろう。
クルド系の詩人、サデック・キャマンガールという人の実体験が元になっているというが、恐ろしい話。イランの政治犯に捧げられている。一時期は世界中で注目されたイラン映画だが、国内状況の厳しさが増すとともに、ほとんどの監督が国内で撮れなくなってきた。しかし、国外であれ、バフマン・ゴバディの新作が見られるのはうれしい。イランと政治的に対立するトルコだから、ゴバディも映画を作れるのだろうか。それにしても、ここまで陰鬱なイスタンブールを見たことがない。どんな町にも、雨の日はあるんだろうが。政治的、宗教的に問題が起こり続ける地域だけど、それだからこそイランの映画は見逃せない。イランだけでなく、アラブ諸国やトルコも含めて、見逃さないようにしたい。
今日はフィルムセンターで、「恋する女たち」を見てから新宿へ。1986年の大森一樹監督、斉藤由貴主演の青春映画は、長年の見逃し映画。大森監督作品では、「ヒポクラテスたち」とともにベストテン入りしたたった2本の映画である。金沢が舞台で、ものすごく楽しく出来ているのに驚いた。80年代半ばは、一番私生活が忙しく、見逃しが多い時代である。友人役の高井麻巳子を知らないと検索したら、秋元康夫人になっていた。相楽ハル子(晴子)も良かった。小林聡美が高校生役で、なんだか感慨があるが、いつもすごい。斉藤由貴に恋する菅原薫というのが、親に先立って早逝した菅原文太の息子、とキャスト的に貴重である。だけど、柳葉敏郎が野球部の高校生というのは、調べると25歳だったかと思うが、さすがに無理があった。
シネマート新宿の2階下の角川シネマ新宿では、若尾文子映画祭をやっている。見てる映画も多いし、時間がなかなか合わず、5回券を買ってあるのに、まだ一枚残している。本当は「閉店時間」という映画を見に行ったのである。有吉佐和子原作、井上梅次監督で、「デパートガール」を描くという。きっと社会的、風俗的に興味深い映像がいっぱいではないかと思ったんだけど、満席だった。この映画祭、後半作品は小スクリーン上映の予定が、好評に付き大スクリーン上映に変わっている。しかし、今日だけは小スクリーンというので心配だった。その場合は、上に回って「サイの季節」にしようと初めから決めていた。若尾文子映画祭では、今週に「舞妓物語」を見て面白かった。東京で音大生をしている若尾文子が、母の病気で京都に帰る。電車で腹痛を起こすが、隣席の医学生、根上淳に介抱される。その母の入院している病院は、もちろん根上淳の父のところで、二人は再会する。母は重病で、若尾文子は退学して、母を継いで舞妓になる。まあ、後はお決まりの展開なんだけど、学生の制服と舞妓の衣装の対照が楽しい。舞妓さんになってしまった後で、根上とデートする時に制服に戻ると見てる方もドキドキする。若い時には、本当にチャーミング。京都の風景も楽しい、1954年、安田公義監督作品。
冒頭で、老いた詩人サヘルが牢獄から釈放される。彼は妻のミナの消息を求めて、国外に出たと知り、イスタンブールまでやってくる。イランのイスラム革命(1979)の前、若き詩人のサヘルは美しい妻ミナと幸せに暮らしていた。一方、ミナ一家の運転手のアクバルも彼女に恋していた。革命で運命は反転、アクバルは革命防衛隊で出世するが、サヘルは政治的な詩を書いたとして逮捕され、懲役30年を宣告される。ミナも逮捕されるが、夫を信じ続ける。アクバルは執拗に言い寄り、夫に会わせてと頼むミナをサヘルに会わせる。この二人だけのシーンにアクバルが絡んでくるところ、ここはショッキングなシーンである。獄中で双子を出産したミナは釈放されたが、夫は獄死したとニセの情報を渡される。
この映画は前半は獄中の暗い場面が多いが、舞台がイスタンブールに移っても驚くほど画面が暗い。暗いというか、美的な陰翳に満ちている。異様に人工的な触感が画面全体に漂うほど、一種の内面的な暗さに満ちている。当然、デジタルで撮影して、後で画像処理で作られたんだろうけど、監督は亡命者の心理を表わす映像と言っているようだ。イスタンブールでミナの家を見つけても、今度はサヘルの方が訪ねていけない。車から見つめるだけ。そこに二人の娘が車で送ってくれと頼んでくる。彼女たちはいったい誰なのか。空からは亀が振り、サヘルの車はサイのいる荒野を走る。幻想的なシーンが随所にあり、今までのようなリアリズムではない。監督の心象風景を映し出すシーンが印象的である。詩人を主人公にしているように、映画そのものも一種の詩と言える。そのため映画のストーリイが多少判りづらい気もするが、筋そのものはシンプルな悲劇と理解すればいいんだろう。
クルド系の詩人、サデック・キャマンガールという人の実体験が元になっているというが、恐ろしい話。イランの政治犯に捧げられている。一時期は世界中で注目されたイラン映画だが、国内状況の厳しさが増すとともに、ほとんどの監督が国内で撮れなくなってきた。しかし、国外であれ、バフマン・ゴバディの新作が見られるのはうれしい。イランと政治的に対立するトルコだから、ゴバディも映画を作れるのだろうか。それにしても、ここまで陰鬱なイスタンブールを見たことがない。どんな町にも、雨の日はあるんだろうが。政治的、宗教的に問題が起こり続ける地域だけど、それだからこそイランの映画は見逃せない。イランだけでなく、アラブ諸国やトルコも含めて、見逃さないようにしたい。
今日はフィルムセンターで、「恋する女たち」を見てから新宿へ。1986年の大森一樹監督、斉藤由貴主演の青春映画は、長年の見逃し映画。大森監督作品では、「ヒポクラテスたち」とともにベストテン入りしたたった2本の映画である。金沢が舞台で、ものすごく楽しく出来ているのに驚いた。80年代半ばは、一番私生活が忙しく、見逃しが多い時代である。友人役の高井麻巳子を知らないと検索したら、秋元康夫人になっていた。相楽ハル子(晴子)も良かった。小林聡美が高校生役で、なんだか感慨があるが、いつもすごい。斉藤由貴に恋する菅原薫というのが、親に先立って早逝した菅原文太の息子、とキャスト的に貴重である。だけど、柳葉敏郎が野球部の高校生というのは、調べると25歳だったかと思うが、さすがに無理があった。
シネマート新宿の2階下の角川シネマ新宿では、若尾文子映画祭をやっている。見てる映画も多いし、時間がなかなか合わず、5回券を買ってあるのに、まだ一枚残している。本当は「閉店時間」という映画を見に行ったのである。有吉佐和子原作、井上梅次監督で、「デパートガール」を描くという。きっと社会的、風俗的に興味深い映像がいっぱいではないかと思ったんだけど、満席だった。この映画祭、後半作品は小スクリーン上映の予定が、好評に付き大スクリーン上映に変わっている。しかし、今日だけは小スクリーンというので心配だった。その場合は、上に回って「サイの季節」にしようと初めから決めていた。若尾文子映画祭では、今週に「舞妓物語」を見て面白かった。東京で音大生をしている若尾文子が、母の病気で京都に帰る。電車で腹痛を起こすが、隣席の医学生、根上淳に介抱される。その母の入院している病院は、もちろん根上淳の父のところで、二人は再会する。母は重病で、若尾文子は退学して、母を継いで舞妓になる。まあ、後はお決まりの展開なんだけど、学生の制服と舞妓の衣装の対照が楽しい。舞妓さんになってしまった後で、根上とデートする時に制服に戻ると見てる方もドキドキする。若い時には、本当にチャーミング。京都の風景も楽しい、1954年、安田公義監督作品。