戦後70年。映画はどのように戦争を描いて来ただろうか。上映企画もある今夏、ガイドも兼ねて映画で戦争を考えてみたい。きっかけは、朝日新聞土曜版(be青)7月25日付に掲載された「beランキング」である。読者のネット投票で「もう一度見たい 日本の戦争映画」という記事が載っている。
①火垂るの墓(1988、高畑勲)
②ビルマの竪琴(1956、市川崑)
③私は貝になりたい(1959、橋下忍)
④戦場のメリークリスマス(1983、大島渚)
⑤ひめゆりの塔(1953、今井正)
⑥人間の条件全6部(1959~1961、小林正樹)
⑦永遠のゼロ(2013、山崎貴)
⑧日本のいちばん長い日(1967、岡本喜八)
⑨黒い雨(1989、今村昌平)
⑩二百三高地(1980、舛田利雄)
10位まで書くと以上のようになるが、これを見て、けっこうショックというか、僕が選ぶなら大分違うと思ったのである。(大体、「永遠のゼロ」と「二百三高地」は見ていない。)
11位以下を名前だけ挙げておくと、
⑪男たちの大和/YAMATO⑫戦争と人間全3部⑬原爆の子⑭連合艦隊司令長官山本五十六⑮東京裁判⑯兵隊やくざ⑰連合艦隊⑱日本戦没学生の手記 きけ、わだつみの声⑲戦艦大和⑳真空地帯…さらに、南の島に雪が降る、陸軍中野学校、海と毒薬…と続くとある。
(「火垂るの墓」)
さて、自分ならどう選ぶだろうか。と考えてみて、その前に「戦争映画とは何だろうか」という問題があることに思い至った。例えば、上記のリストに「黒い雨」や「原爆の子」が選ばれているが、それは「戦争映画」なんだろうか。もちろん、この2つの映画は広島の原爆に関する映画である。だけど、戦時中の話ではなく、戦後の日々を描いている。「原爆病」と昔は言われた放射線障害の影響は、時間が経って発現することが多いから、その意味では「戦後の日々も戦争中」だとも言える。そうリクツを考えるまでもなく、多くの日本人はこの映画を見れば、二度と戦争はしてはならない、原水爆は世界からなくさなくてはいけないと考えるだろう。だから、これは戦争映画であると多くの人が認めると思う。
一方、長崎に原爆が落とされる前日を描いた黒木和雄監督の「Tomorrow / 明日」はどうだろうか。翌日に何が起こるかをわれわれは判っていて見るのだから、この映画の哀切は極まりない。本来、9日の第一目標は長崎ではなく、小倉だった。曇っていたために、第二目標の長崎に向ったのである。だが、そのような偶然が翌日に起こるかどうかに関わらず、現代戦は総力戦なんだから、戦艦武蔵を作った長崎造船所のある8月8日の長崎は戦争中である。当時の言葉で言えば、「銃後」を描くことは「戦争映画」に他ならないだろう。井上陽水のヒット曲で有名な「少年時代」(篠田正浩監督)も、戦争中の子どもたちの疎開を扱っているから「戦争映画」だと僕は考える。
このランキングに「二十四の瞳」(木下恵介)が入っていない。事前に編集部が60本のリストを作ったとあるから、多分そのリスト段階でなかったのではないか。投票傾向を見れば、リストにあれば入っていたように思うのである。「二十四の瞳」の映画、原作は、多くの人に戦後を代表する反戦映画、反戦小説と思われている。だけど、その物語は戦争のずっと前から始まり、戦争の日々は最後に出てくるのみである。もっとも物語の構造は、「戦争という悲劇」の詠嘆に向って計算されていて、やはり僕には「戦争映画の一種」と言っていいのではないかと思う。
では、小津安二郎「東京物語」や成瀬巳喜男「浮雲」はどうだろうか。この二つの名作は、戦争が日本人にどれほど深い傷を与え、大きな社会変動をもたらしたのかを印象的に語っている。戦争という出来事がなければ、これらの映画は成り立たない。だが、そうは言っても「東京物語」や「浮雲」を戦争映画というのは言い過ぎだろう。常識的に考えて、「戦後」を描くことが物語の眼目であって、戦争は背景装置であると理解するべきだ。戦後20年ぐらいまでは、ほぼすべての映画に何らかの形で「戦争の影」が濃厚に落ちている。だけど、それらは「戦後映画」でこそあれ、「戦争映画」というのは無理がある。黒澤明のいくつもの映画も同様である。
(「ビルマの竪琴」)
前記のランキングには、「二百三高地」が挙げられているが、日露戦争の映画もかなり多い。世界では、第一次世界大戦の映画もとても多い。日本では戦争の規模から言って、日清戦争や第一次世界大戦の映画はほとんどない。第二次世界大戦後にも、世界は朝鮮戦争、ベトナム戦争、ボスニア戦争、イラク戦争など、多くの映画に描かれた戦争があった。しかし、日本映画では第二次世界大戦以後をテーマとする映画はない。そういう戦争がないのだから当たり前である。
言うまでもないかもしれないが、「エイリアン」や「アベンジャーズ」は「戦争映画」と言わないだろう。「ゴジラ」も同じ。相手が宇宙人や怪獣の場合、やってる中身は戦争と同じような感じだけど、戦争映画と言わない。「のぼうの城」も同じである。織田信長や徳川家康の映画はものすごくたくさん作られている。それも「戦争」を描いている。あるいは、ナポレオン最後の戦いを描く「ワーテルロー」という映画もある。もっと言えば、ローマ帝国時代の「スパルタカス」や「グラディエーター」なども、戦争映画と思っては見ない。たぶん、こういうことではないかと思うのだが、「戦争映画」も映画のジャンルの一つであるから、「時代劇」「SF映画」「怪獣映画」「歴史映画」などと他のジャンルに分類可能な映画は、そっちの方で認識するのである。
①火垂るの墓(1988、高畑勲)
②ビルマの竪琴(1956、市川崑)
③私は貝になりたい(1959、橋下忍)
④戦場のメリークリスマス(1983、大島渚)
⑤ひめゆりの塔(1953、今井正)
⑥人間の条件全6部(1959~1961、小林正樹)
⑦永遠のゼロ(2013、山崎貴)
⑧日本のいちばん長い日(1967、岡本喜八)
⑨黒い雨(1989、今村昌平)
⑩二百三高地(1980、舛田利雄)
10位まで書くと以上のようになるが、これを見て、けっこうショックというか、僕が選ぶなら大分違うと思ったのである。(大体、「永遠のゼロ」と「二百三高地」は見ていない。)
11位以下を名前だけ挙げておくと、
⑪男たちの大和/YAMATO⑫戦争と人間全3部⑬原爆の子⑭連合艦隊司令長官山本五十六⑮東京裁判⑯兵隊やくざ⑰連合艦隊⑱日本戦没学生の手記 きけ、わだつみの声⑲戦艦大和⑳真空地帯…さらに、南の島に雪が降る、陸軍中野学校、海と毒薬…と続くとある。

さて、自分ならどう選ぶだろうか。と考えてみて、その前に「戦争映画とは何だろうか」という問題があることに思い至った。例えば、上記のリストに「黒い雨」や「原爆の子」が選ばれているが、それは「戦争映画」なんだろうか。もちろん、この2つの映画は広島の原爆に関する映画である。だけど、戦時中の話ではなく、戦後の日々を描いている。「原爆病」と昔は言われた放射線障害の影響は、時間が経って発現することが多いから、その意味では「戦後の日々も戦争中」だとも言える。そうリクツを考えるまでもなく、多くの日本人はこの映画を見れば、二度と戦争はしてはならない、原水爆は世界からなくさなくてはいけないと考えるだろう。だから、これは戦争映画であると多くの人が認めると思う。
一方、長崎に原爆が落とされる前日を描いた黒木和雄監督の「Tomorrow / 明日」はどうだろうか。翌日に何が起こるかをわれわれは判っていて見るのだから、この映画の哀切は極まりない。本来、9日の第一目標は長崎ではなく、小倉だった。曇っていたために、第二目標の長崎に向ったのである。だが、そのような偶然が翌日に起こるかどうかに関わらず、現代戦は総力戦なんだから、戦艦武蔵を作った長崎造船所のある8月8日の長崎は戦争中である。当時の言葉で言えば、「銃後」を描くことは「戦争映画」に他ならないだろう。井上陽水のヒット曲で有名な「少年時代」(篠田正浩監督)も、戦争中の子どもたちの疎開を扱っているから「戦争映画」だと僕は考える。
このランキングに「二十四の瞳」(木下恵介)が入っていない。事前に編集部が60本のリストを作ったとあるから、多分そのリスト段階でなかったのではないか。投票傾向を見れば、リストにあれば入っていたように思うのである。「二十四の瞳」の映画、原作は、多くの人に戦後を代表する反戦映画、反戦小説と思われている。だけど、その物語は戦争のずっと前から始まり、戦争の日々は最後に出てくるのみである。もっとも物語の構造は、「戦争という悲劇」の詠嘆に向って計算されていて、やはり僕には「戦争映画の一種」と言っていいのではないかと思う。
では、小津安二郎「東京物語」や成瀬巳喜男「浮雲」はどうだろうか。この二つの名作は、戦争が日本人にどれほど深い傷を与え、大きな社会変動をもたらしたのかを印象的に語っている。戦争という出来事がなければ、これらの映画は成り立たない。だが、そうは言っても「東京物語」や「浮雲」を戦争映画というのは言い過ぎだろう。常識的に考えて、「戦後」を描くことが物語の眼目であって、戦争は背景装置であると理解するべきだ。戦後20年ぐらいまでは、ほぼすべての映画に何らかの形で「戦争の影」が濃厚に落ちている。だけど、それらは「戦後映画」でこそあれ、「戦争映画」というのは無理がある。黒澤明のいくつもの映画も同様である。

前記のランキングには、「二百三高地」が挙げられているが、日露戦争の映画もかなり多い。世界では、第一次世界大戦の映画もとても多い。日本では戦争の規模から言って、日清戦争や第一次世界大戦の映画はほとんどない。第二次世界大戦後にも、世界は朝鮮戦争、ベトナム戦争、ボスニア戦争、イラク戦争など、多くの映画に描かれた戦争があった。しかし、日本映画では第二次世界大戦以後をテーマとする映画はない。そういう戦争がないのだから当たり前である。
言うまでもないかもしれないが、「エイリアン」や「アベンジャーズ」は「戦争映画」と言わないだろう。「ゴジラ」も同じ。相手が宇宙人や怪獣の場合、やってる中身は戦争と同じような感じだけど、戦争映画と言わない。「のぼうの城」も同じである。織田信長や徳川家康の映画はものすごくたくさん作られている。それも「戦争」を描いている。あるいは、ナポレオン最後の戦いを描く「ワーテルロー」という映画もある。もっと言えば、ローマ帝国時代の「スパルタカス」や「グラディエーター」なども、戦争映画と思っては見ない。たぶん、こういうことではないかと思うのだが、「戦争映画」も映画のジャンルの一つであるから、「時代劇」「SF映画」「怪獣映画」「歴史映画」などと他のジャンルに分類可能な映画は、そっちの方で認識するのである。