尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

エリック・サティ展

2015年08月20日 23時00分35秒 | アート
 昨日のことになるが、渋谷のBunnkamuraでエリック・サティ展を見て、ユーロスペースで「野火」を見た。映画の話は時間がかかりそうだから明日にして、まずは「エリック・サティとその時代展」。
 
 エリック・サティ(1866~1925)という人は、20世紀初頭のフランスで「音楽界の異端児」と言われた作曲家だが、後の時代の芸術に大きな影響を与えた。日本では70年代半ばころから注目を集めるようになったが(雑誌ユリイカが特集を組んだのが74年5月号)、最初の頃は聞いていても違和感の方が大きかった。いつの間にかCMにも使われるようになったりして、僕も違和感どころか「癒し」を覚えるようになり、今も一番聞いている音楽と言っていい。

 今回は「キャバレーから前衛へ」とうたい、19世紀末のキャバレー音楽時代から始まる。当時のポスター(ロートレックなど)も展示されている。その後、次第に前衛的な芸術家との交流を深めていき、ディアギレフのバレエ・リュスのため「パラード」を作曲した。これはコクトー台本、ピカソ美術というすごい顔ぶれの作品である。その舞台の様子も展示されている。また、マン・レイが「目を持った唯一の音楽家」と呼んだということだが、マン・レイ作がサティをイメージした作品も展示されている。

 このような20世紀前半の前衛的な芸術運動に関わりを持った面が中心的な展示になっている。もちろん譜面などの展示もあるが、それらは僕は見てもよく判らないので、どうしても絵などを見て回ることになる。そうするとフランスを中心とする前衛芸術の流れを見ることになる。その意味で、誰にも興味があるという展覧会ではないと思うけど、エリック・サティという名前に惹かれる人には避けて通れない。

 僕のいとこが音大に通っていて、サティという名前をよく聞かされた。70年代半ばには、秋山邦晴・高橋アキ夫妻を中心にして、エリック・サティの連続演奏会が開かれていた。音楽評論家の秋山邦晴(1929~1996)は当時「キネマ旬報」に「日本の映画音楽史」を連載していて、名前を知っていたし影響も受けた。御茶ノ水の日仏会館があった時代、そこでルネ・クレールの「幕間」を上映した時に見に行った記憶がある。その短編映画の音楽がサティである。それ以上に思い出深いのが、渋谷のジァンジァンで行われた「ヴェクサシオン」の演奏会。これは同じフレーズを840回弾くと指定されたピアノ曲だが、それを一晩ががかりで何十人かが演奏したのである。有名な作曲家やピアニストが続々と登場して、豪華な顔ぶれだった。朝の渋谷をすぐ帰るのがもったいなくて原宿まで歩いて帰ったような記憶がある。もう何年のことだか覚えていなし、検索してもよく判らない。70年代後半のことである。

 昔、新宿の伊勢丹に美術館があったころ、エリック・サティ展が開かれたことがあり、その時に買った高橋アキさんの弾くCDをいつも聴いている。そんな思いでがあるからでもないけれど、何人も持っているサティのCDだが、高橋アキの弾くサティが僕には一番しっくりするように思うのである。Bunnkamuraザ・ミュージアムで30日まで。
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