尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「日本のいちばん長い日」、新旧を見る

2015年08月26日 23時43分53秒 | 映画 (新作日本映画)
 映画「日本のいちばん長い日」がリメイクされて、公開中。戦後70年でもあるが、松竹の120年周記念でもあるという。原田眞人監督。前回は岡本喜八監督の1967年作品で、この時は東宝の35周年記念だった。旧作をキネカ大森で見直して、記憶していた以上に面白かったので、新作も見て比べてみようかと思った次第。原作は前回は大宅荘一とされていたが、その後半藤一利が実質的な著者だったことから、半藤著として刊行されている。僕は読んでいない。

 両者を比べると、まず旧作は白黒新作はカラーという違いがある。内容的には、旧作はまさに「日本のいちばん長い日」として、1945年8月14日の正午から一日間を描いている。そのことから生じる凝縮された緊迫感は素晴らしい。一方、新作は4月の鈴木貫太郎内閣の組閣から描いている。その意味では、題名とは違っている。現在では、説明的なシーンも必要だし、時間の幅を広く取って語るのもアイディアではある。ただ、上映時間が限られている以上、それまでの描写に時間を割けば、当然のことながら肝心の一日が短くなる。初めて描かれる前半は、何が描かれるのかと言う興味があるが、最後の頃が薄くなっては本末転倒ではないか。その意味で、映画は旧作の方がずっと面白いと思う。(旧作は157分、新作は136分と上映時間もだいぶ違う。)

 また旧作では昭和天皇を正面から描かない。天皇がいないと御前会議にならないから、出席して「聖断」を下すが、誰かの影のような位置から描いている。俳優は松本幸四郎(8代目)で、当代の9代目幸四郎、中村吉右衛門の父にあたる。一方、新作は本木雅弘が正面から演じている。旧作当時はまだ昭和天皇が生きていたわけだが、天皇じゃなくても存命の人物は描きにくい。それが天皇というんだから、ますます「遠慮」が出てくるということだろう。だけど、日本の天皇という存在は、もともとそういう存在、つまり何だか霧に包まれていて尊い、といった部分がある。おぼめかして演出するから、かえって「聖断の重大性」が際立つ感じもする。もはや昭和天皇も歴史上の人物ということで、史料もいろいろと出てきているし、正面から描かれるわけだろうが、その分「神聖さ」も薄れてくる。

 旧作は女優がほぼ出てこない。鈴木首相邸の女中役として新珠三千代が出ているだけである。新作は女官を始め、皇后も一応出ているし、鈴木首相や阿南陸相の家族やNHKの職員にも女性がいる。いるのは当たり前だから、旧作はあえて男だけのドラマにしぼっていた。御前会議や閣議、あるいは陸軍の反乱が主要な舞台なんだから、女性は主筋には関係してこない。今さら首相や陸相の人間性など大して重要でもないのだから、いっそ男だけで描いて行くという旧作は、そのキャスト自体が批評性を持っている。しかし、大臣にも家族がいるわけで、それを示すのも一つの考えではある。

 今回旧作を見直して特に印象的だったのは、キャストの素晴らしさだった。何しろ、鈴木貫太郎首相は笠智衆、阿南惟幾(あなみ・これちか)陸相は三船敏郎なのである。いつ見たのかは覚えていないが、学生時代に名画座で見たんだろうと思う。その当時は、三船は偉そうな感じの役者になっていて、笠智衆は帝釈天の御前様として毎年のように見ていた。同時代の役者だったから、あまり貴重な共演だという感じは持たなかったのである。他にも、東郷外相が宮口精二、米内海相が山村聰、下村情報局総裁が志村喬、迫水内閣秘書官長が加藤武、木戸内大臣が中村伸郎…というキャストだから、もう閣議や最高戦争指導会議も見応えたっぷりなのである。他にも近衛師団の森師団長が島田省吾、徳川侍従が小林桂樹、NHKの局長に加東大介である。「七人の侍」の中で、志村、宮口、加東、三船と4人もいる。北竜二も侍従武官長で出ているから、笠、山村、中村、北と小津映画を見ているようでもある。そういう過去の映画的記憶が大切になってくるほど、この旧作が貴重になるように思う。今挙げた、これらの名優はみな鬼籍に入っている。存命なのは、畑中少佐の黒沢年男とNHKの放送員の加山雄三ぐらいではなかろうか。後は、ナレーションをしている仲代達矢もいるが。

 他にも名優がたくさん出ているので、名前だけ挙げておくと、伊藤雄之助、石山健二郎、藤田進、小杉義男、北村和夫、戸浦六宏、神山繁、高橋悦史、中丸忠雄、佐藤允、井川比佐志、田崎潤、二本柳寛、小泉博、三井弘次…といった具合である。それほど登場人物が多いのである。当時の映画俳優のほとんどは、まだ会社に所属していたわけだから、社を挙げた企画には東宝の男優が勢ぞろいするし、他社や新劇などからもいっぱい呼んでいる。さて、そんな中で、やはり出ているのが、岡本映画で怪演する常連の天本英世。演じるのは、東京防衛軍の指揮官として鶴見にいた佐々木武雄という人物である。僕もよく知らないんだけど、畑中少佐とつながりがある右翼的軍人で、もともと警戒されて閑職に飛ばされていた。専門学校生などを募って、官邸や鈴木首相邸を襲撃した。軍人というより民間右翼によるテロに近い。戦後も逃亡を続け、生き延びた。大山量士なる偽名で「亜細亜友之会」という組織を作って、1986年まで活躍したそうである。新作にも少し出てきて、松山ケンイチが演じているが、ほとんど重要な役ではない。旧作では、天本の怪演もあって、非常に印象的なエピソードになっている。

 こういう「史実再現ドラマ」は、結末が決められているから、どうも面白みが足りなくなりやすい。話題もそっくりさんぶりに集中したり、史実そのものの評価を論じることが先行しやすい。僕も今までは「戦争終結に至る過程」という制約から、ドラマの面白さを考えなかった。今回、旧作を見て、そのキャストの豪華さに目を見張って、今では「演技合戦」として見られるなと思い返したわけである。新作はその意味でキャストの面白みが少ない。役所広治の阿南陸相は悪くはないけど、三船の殺気がないのはどうしようもないだろう。こんないい人が陸軍トップにいるわけない。少壮軍人の決起も、旧作の方がみな現実性が感じられる。同時代を生きて知っているんだから、当然「一億玉砕」などの雰囲気を知っているだろう。今では、若い役者がいくら一生懸命演じても、どうやってもあの「狂気」には遠い。

 事実評価の面として、そもそもこの少壮軍人のクーデタ計画が判らない。「玉音盤」を一生懸命探し回るけど、録音盤なんか破棄しても仕方ない。「聖断」を下した本人の天皇が直接ナマで放送すればいいだけである。それより放送局を破壊してしまえば放送そのものができない。しかし、ポツダム宣言受諾を決めた天皇がいる以上、どうしようもないではないか。張学良が蒋介石を幽閉した西安事件のように、昭和天皇を幽閉して退位を迫るぐらいをしなければどうしようもないだろう。一体、天皇が決断してしまい、交戦相手にも通告した出来事をどうひっくりかえせると思うのだろうか。

 だから、このドラマは所詮「コップの中の嵐」でしかない。それに、もしクーデタが成功でもすれば、本土決戦になり、多くの日本兵、民間人が亡くなり、米兵のぼう大な犠牲も出た。よって、米国世論は天皇制にさらに厳しくなり、天皇制護持という軍部の目的はより難しくなるのは明白。エネルギーも食料も不足しているのに、精神だけで2千万人が特攻すれば勝てるという。「カルト宗教」としか思えない。そんな輩が軍を率いていたのも驚きだが、その軍部を抑えるのに「天皇の聖断」しかなかったという、この屈辱。僕がこの時代を顧みて思うのは、天皇が決断するしか戦争を止めさせられなかったという日本人の歴史に対する言いようのない民族的屈辱感のようなものである。何という情けない国だったことか。憲法もあり、国会もあったというのに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「この国の空」、原作と映画

2015年08月26日 00時30分04秒 | 映画 (新作日本映画)
 荒井晴彦脚本、監督の映画「この国の空」が公開されている。非常に重要な「戦争映画」であり、今年屈指の力作だと思う。見逃さないで欲しい映画。原作は高井有一の同名小説で、基本的には小説の設定や構想を生かしている。1981年に発表され谷崎潤一郎賞を得たが、今年初めて文庫化された。新潮文庫に入った原作を読んでから映画を見たが、どちらも面白く感銘深い。
 
 主演はいま最注目の二階堂ふみで、それだけでも見たくなるんだけど、今回は昭和20年春に東京に住む19歳の民子という女性である。セリフの発声は今までの映画に比べてずいぶん抑えられている。最初はあれっと思うが、これが戦前育ちのリアルである。「挺身隊逃れ」で、町会の事務をしている。このあたりがリアルな設定なのである。町会は疎開のための証明書発行とか、食料の配給とか、けっこう仕事もあるが、まあ軍需工場勤務より閑職なのである。原作は杉並区の「碌安寺」(ろくあんじ)という地名になっているが、碌安寺池があるという。そんな地名は聞いたことがないなあと思って、「善福寺」かなと思ったのだが、映画のプログラムに善福寺と明記されている。23区の西端で、新宿から中央線で荻窪で降りる。震災後に都市化した地帯である。

 この民子はもうすぐ死ぬ。別に決まっているわけではないが、毎日のように空襲があるし、「本土決戦」「一億玉砕」と言われている。敵は九十九里浜に上陸するという話だから、来年まで生きられないのではないか。父は早く結核で亡くなり、母・蔦枝工藤夕貴)と暮らしている。祖父が遺した世田谷の家作が三軒あり、生活は何とかなる。師範学校に進んで教師になりたいと思った時もあるが、母が反対した。父がいなくても、何とかいい家にお嫁に行かせると言う。娘を「職業婦人」にしたと言われたくないのである。気が付けば、まわりでは若い男はみな兵隊にとられ、子どもたちさえ集団疎開でいなくなって町は寂しい。自分の一生は何もなくて終わってしまうのか

 雨で防空壕が使えなくなったとき、隣家の市毛長谷川博己)が自分の家の防空壕を使って欲しいと申し出る。大森にある銀行支店長で、宿直の日も多い。妻子はすでに疎開させ、一人暮らしなので、配給その他隣家に世話になることが多い。ガラスには紙を貼って割れにくくせよというお達しもまだやってない。民子は今度お手伝いすると言う。こうして、38歳の妻子ありではあるが、戦時下の東京ではまだ若い方の男である市毛と民子の距離がだんだん近くなっていくのである。

 いとこの結婚式の招待状が来る。軍需景気で潤う相手と結婚し、豪華な食事をふるまわれる。男は国民服、女はモンペのはずが、きれいに着飾ったいとこがまぶしい。親せきの誰かからは「お宅もそろそろですね」と言われたらしい。19歳、当時は婚期も近いが、自分はこのまま結婚できずに死ぬのか。「そろそろ」とつぶやきながら、畳を転げまわる民子。(ここは名シーンだと思う。)そんな中、6月には横浜の伯母・瑞枝富田靖子)が焼け出されて転がり込んでくる。東京への転入は認められていないから、配給はもらえない。どうすると言って、姉妹けんかになる。民子がとりなしつつ、一緒に住むことになるが、その後も折り合いが悪い。この伯母に関しては原作と違う。原作では巣鴨辺りとなっていて、一度は秋田の象潟に疎開する。民子は付き添って行くが、後で伯母は勝手に戻ってきてしまう。非常に印象深いエピソードなのだが、現在では映像化が難しいということなんだと思う。

 だんだん家に帰れる日が少なくなった市毛は、鍵を民子に渡して、時々家に風を入れて欲しいと頼む。こうして「男の部屋」を初めて見る。ある日は、町内の人に連れられて着物を背負って買い出しに行く。埼玉県の農村では、裏に川が流れて親子で昼食は川辺に行く。ピクニック気分になって、母は服を脱いで川水で洗う。民子にも勧めるが、民子は恥ずかしいから早く着物を着ろとせかす。そこに、成熟しつつある女を感じ、母は民子に市毛さんに気を許してはダメという。女は溺れやすいから、女が損をするという。母は溺れたことがあるのかと聞くと、あると答える。母は若い男が少ない現在、民子が市毛に男を感じるのはやむを得ないと思っているのだろう。だけど、戦時中じゃなかったら男だけの家への出入りなど許していない。とともに、何のロマンスもなく一生を終えるなら娘が不憫だとも思う。このシーンは原作にもあるが、非常に印象深い。そして、ラスト。コメが銀行に臨時で入ったからと市毛が紹介し、民子は大森まで買いに行く。そして一緒に昼食を取ろうと神社に行き、蝉しぐれの中で見つめ合い、ついに…。そしてその夜、眠れないまま民子はに庭のトマトを持って市毛の家を訪れるのだが…。

 この映画全体を通して、「静かな映画」だとか、「戦争映画ではなくホームドラマ」だというとらえ方もあるようだ。また監督の荒井晴彦は今までに「赫い髪の女」や「ヴァイブレータ」などエロティックな映画の脚本を手掛けてきたのに対し、この映画は描き方がおとなしいという見方もあるらしい。だけど、それらの見方は間違っていると思う。荒井晴彦が手がけた「さよなら歌舞伎町」という今年公開された新宿のラブホテルを舞台にした映画は、まさにセックスシーンがいっぱいだが、妙にエロティックではない。主人公カップルはセックスシーンがないぐらい。それに対し、常に抑制された描き方をしている「この国の空」の方が、戦争と死を背景にして、そういう時代にぶつかってしまった若い女性の肉体と精神のありようを見つめて、非常にエロティックなのである。それは生命そのものが本来的にもつ「エロス」の輝きと言えるかもしれない。その肉体の持つ緊張感が映画を覆っている。

 映画は雨で始まり雨で終わる。戦争を思い出すとき、「8・15」が全国的に晴れたという、「後から刷り込まれた記憶」が語られることが多い。でも、この映画(原作)で見ると、前日は雨。また「土用の日」も、土用と思えぬ寒い日だった。確認は取っていないが、そういう細部のリアルが思い込みを崩していくのである。そしてラストは民子の顔のストップモーション。民子の戦争はここから始まると字幕が出る。どういう意味だろうか。様々に解釈できるが、狭義で言えば、疎開先から市毛の妻子が帰り、民子の日常は揺さぶられる。町会の仕事もなくなるだろう。戦後の厳しい、初めて本当に生きる日々が始まるのだろうと思う。そこで二階堂ふみの声で、茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」が朗読される。これが効いている。と僕は判断する。

 そして、原作と同じく、銃後の生活をこれほど詳しく描写した映画も少ない。原作もそれを一つの目的にして書かれている。日本人の多くは、戦争で空襲を受けたり食糧難に見舞われた。戦争で苦労したが、誰もが死んだわけではない。そこで銃後の人々が知らない、戦場の苦難、原爆や沖縄戦などが映画化されることが多く、それらを見て国民の戦争認識が作られた部分もある。その時代は「銃後の苦労」など、皆知っていたし、もっと苦労した人が多くいる中で語るべきほどのこととも思われなかった。だけど、時間が経って若い世代が多くなり、銃後のディテールは忘れられていった。集団疎開の後、町が妙に静かだという実感など、そのいい例である。そういうリアルを伝えようとして作られた物語なんだから、これは紛れもない「戦争映画」なのである。戦争は大きな被害を与えるが、それは(原爆投下や地上戦などを除けば)、「全員ではなく、一部の不運な人の上に悲劇が襲う」のである。ある人は空襲で焼け出され家族も失うが、ちょっと違った地区の家は空襲を受けない。そういう運不運が戦争で、その中で人々は刹那的に生きていくしかなくなるのである。

 高井有一(1932~)は、1965年に「北の河」で芥川賞を受けて作家として認められた。作家の出生の謎に迫る「立原正秋」や映画界を描く「高らかな挽歌」などを読んだことがあるが、「この国の空」は知らなかった。発表当時は賞を受けたんだし、名前ぐらい聞いたと思うんだけど、記憶にない。世間的にも、あまり有名な作家とは言えないだろう。落ち着いた描写で物語を着実に描いて行くタイプの地味な作家である。よくぞ、荒井晴彦(1947~)は映画化したと思う。発表当時すぐに映画化権の許諾を得ていたと言うが、撮ろうという監督や会社はなかなか現れなかった。その意味で「戦後70年」は良い機会だった。以前に1997年に「身も心も」と言う映画を監督しているが、それ以来の監督2作目。キネマ旬報脚本賞を5回受賞した有名な脚本家で、「遠雷」「Wの悲劇」などの名作を書いた。最近では「大鹿村騒動記」や「共喰い」がある。脚本がしっかりしていて、安定感がある。

 東映京都の太秦で撮影されたという。当時の家が残る町はないからセットで撮るしかない。トマトを作る庭が必須だが、土があるセットを作れるところが東京にはないという。その結果、ロケシーンもほぼ近畿地方で撮られているという。民子と母は昼食を食べる川は滋賀県の野州川。民子と市毛がお昼を食べる神社は、大阪府池田市の伊居太(いけだ)神社。市毛の勤務先の銀行は、京都工芸繊維大学。里子の町会は滋賀県の日野鎌掛小学校。戦時中を再現しようという試みは、今は非常に大変だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする