尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

石川達三「生きている兵隊」を読む

2015年08月15日 00時24分45秒 | 本 (日本文学)
 河原理子「戦争と検閲 石川達三を読み直す」(岩波新書)が出たのをきっかけに、石川達三の「生きている兵隊」を読んでみた。「伏字復元版」が中公文庫から1999年に出ている。その時に買ったまま読んでなかった。この本は、今も文庫に生き残っているようである。
 
 石川達三の「生きている兵隊」という小説は、1938年の発表直後に中央公論が発禁になり、「生きている兵隊事件」として有名になった。著者の石川達三と編集者が新聞紙法で起訴され有罪になった。実刑にはならなかったが、これほど厳しい言論弾圧事件は戦時中になかった。というか、これで雑誌や新聞社はビビッてしまって、戦争の実態を伝えようとする骨のある編集者がいなくなったということだろう。発禁になる前に、中公側も厳しい対応を予想して大分伏字にしていた。そう、警察側が伏字にするのではなく、発禁を怖れる側が伏字にするのである。そして、その伏字も別バージョンで何度も伏字が増えているらしい。発禁になると警察が回収するが、回収前に売れてしまうものもあるという。そういう経過をたどった小説だが、戦後になって著者が持っていた版をもとに、復元版が出た。

 で、読んでみてものすごく驚いた。「日本軍の蛮行」が出てくるからではない。石川達三が法廷で述べたこと、戦争の実態を国民に知らせたい、戦争は甘いものではなく銃後も覚悟を持たなくてはいけない…と言ったようなことが、完全にホンネだということにである。石川達三は戦後、非常に売れっ子の作家となり、社会派的な作品を次々と発表した。ベストセラーも多く、映画化された作品も多い。そういう人だから、何となく「実は反戦思想の持ち主」で「戦争の悲惨を伝えようとした」のが「生きている兵隊」という小説だと思い込んでいたのである。実際は違った。戦時だから書けないのではなく、戦争目的や戦争という手段を問うつもりはないのである。

 1937年7月7日に、北京郊外で起こった盧溝橋事件は結局局地紛争で終わらず、日中の本格的な戦争になった。上海に飛び火し、激戦の末上海を制圧すると、当時の中華民国の首都、南京を攻略する作戦が始まった。1937年12月12日に南京は制圧され、日本では「提灯行列」が行われた。その直後、石川達三は戦地を直接見たいと思い、中央公論社の特派という形で中国訪問を許可された。1938年1月に上海に入り、鉄道で5日に南京入りした。そして南京で8日、上海で4日の取材を行い、帰国後一気に書き上げた。締め切り直前まで書き上がらず、中公側も対応が場当たり的になった面もあったようである。このように、戦闘に同行取材したわけではないが、南京戦直後に現地を見て兵士に取材した結果が書かれていることは間違いない。

 ここに出ていることは、間違いなく「国際法違反」のオンパレードである。虐殺、強姦、略奪、放火などが全部出てくる。大体、「北支」では金を払って調達していたとあるが、南京戦では輸送が間に合わず、現地で略奪するしかない。そういう作戦そのものがおかしいのだが、兵士は命令通り攻めるしかないから、生きるためには村から食料をぶんどってくるしかない。そんな中で、女性に長く触れていない男たちは、女性の物を求める。村へ行って、若い女性の服などがあれば持ってきてしまう。それを「生肉の調達」と呼ぶとあるが、それは実は「強姦」ということだと思われる。

 母親が殺された娘が泣いている。その泣き声がうるさくて眠れなくなった兵士は、出て行って泣く娘を殺害する。「これが戦場というものであり、やむを得ない」というスタンスで書かれている。だが、明らかに「虐殺」というしかない。こういうケースが続々と書かれていて、最後に「娼婦殺害事件」を起こしてしまう章は、2章にわたって完全に削除されている。もちろん、事実の記録ではない。著者の創作とされている。連隊、小隊など所属に関わる情報は、全部「部隊」と直されている。そういう「創作」ではあるが、明らかに「現実を反映している」のである。そして、著者は「これが戦場の厳しさ」であり、銃後の国民に知らしめるべきと考えている。軍と警察はそれは隠さなくてはならないと考えている。だが、その違いは本質的な違いではなかった。

 だから、石川達三は裁判終了後に、再び許可を得て、中央公論の特派員として中国を訪れ、武漢攻略戦を取材して中公に発表しているのである。ええっ、そんなことがあったのか。そして、英米との戦争が始まると海軍の報道班員として東南アジアを訪れている。そんな石川達三の書いた小説。面白いかと言えば、まあ、今では「史料」として読む本だろう。小説としての面白さはないが、どこが削除されたかなど、そういうところが面白い。

 河原理子さんは朝日新聞記者で、石川達三の家族などに縁があって、書かれた本。われわれは検閲、発禁と言っても、具体的なことをほとんど知らずに議論していた。雑誌は発禁になったままでは経営的に困るので、警察に行って発禁部分を切り取って、特別に販売許可を求めるのだという。その切り取りのための器具もあった。この本で初めて知ることは多い。石川達三という作家は、第一回芥川賞を「蒼氓」(そうぼう)という南米移民船を取り上げた作品で受賞した。僕らの世代には「青春の蹉跌」の原作者という感じだが、70年代には各文庫に何十冊も入っていた人気作家だった。今は忘れられつつあるかと思う。この「生きている兵隊」という小説は、日中戦争を考える一助として、一度読んでみて欲しい本。かなりびっくりすると思う。
コメント (1)
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