尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

日本の戦争映画を選ぶ①

2015年08月12日 00時13分35秒 |  〃  (旧作日本映画)
 日本の戦争映画を選んでみたいと思う。それは「戦争映画のベスト」ではない。大体、そういうものがありうるのかどうかも判らない。普通なら、楽しい映画、好きな映画を見ればいいだけだが、「戦争映画」には「見ておくべき映画」とか「評価はできないが、見るべき映画」というものが存在する。特に、戦時中に作られた数多くの映画は、今の基準で見ると、内容的にも技法的にも批判の対象となることが多い。だけど、その中にこそ、日本の戦争映画、さらには日本人の特徴や戦争の不条理が見て取れるのである。番外で、まず戦時中の日本映画から。

 まず、日中戦争初期の段階では、田坂具隆監督、火野葦平原作の「土と兵隊」(1939、ベストテン2位)。田坂監督は1938年に「五人の斥候兵」でベストワンになった。そっちはまだしもドラマ性があるが、原作の有名性ゆえにこちらを。火野葦平は従軍中に「糞尿譚」で芥川賞を受賞し、従軍記の「土と兵隊」「麦と兵隊」が大ベストセラーとなった。戦後に書いた「花と龍」が何度も映画化されたことで記憶される。ペシャワール会の中村哲の伯父にあたる。「土と兵隊」は二度見ているが、はっきり言って苦痛の映画体験だ。日中戦争の本質に迫れとは要求しないが、せめてもう少し物語性が欲しい。ひたすら泥にまみれて従軍するだけの映画で、ある意味では確かにそれが日中戦争だった。テキスト批判の必要性はあるが、この苦痛映画は今も「問題作」ではないか。「敵」を撃破するのでなく、苦難を共有する重苦しさが日本の戦争映画なのである。
(「土と兵隊」)
 もう一本は山本嘉次郎監督「ハワイ・マレー沖海戦」(1942)を挙げたい。非常に有名な映画である。円谷英二による特撮は、今も鑑賞に耐える。だけど、その特撮ではなく、主に描かれる予科練生徒の訓練のようすに一見の価値があると思う。それがどこまで現実の描写かはともかく、戦時中の公認された戦争映画とはどういうものか。その最も「成功」した姿がここにある。成功し過ぎて、これを見て海軍を志願したとか言われ、戦後は「戦犯映画」的な扱いを受けた。そこも映画史的に重要である。

 他に劇映画だと、「上海陸戦隊」(熊谷久虎、1939)、「燃ゆる大空」(阿部豊、1940)、「加藤隼戦闘隊」(山本嘉次郎、1944)などが重要だと思うが、ここでは吉村公三郎監督「西住戦車長伝」に触れたい。今ではあまり取り上げられず、4年前のフィルムセンターの吉村監督特集でも上映されなかった。1940年のベストテン2位。1939年に「暖流」でデビューした吉村監督の第2作。戦死して「軍神」とされた戦車長の伝記だが、中国軍側から日本軍を描く場面があったと思う。40年近く前に一度見ただけなので、はっきりしないけど。劇映画だから、もちろん中国兵だって日本人俳優が演じているはずだが、貴重な映像だと思う。また記録映画としては、映画人としてただ一人、治安維持法で投獄された亀井文夫による「上海」「北京」及び上映禁止になった「戦ふ兵隊」がある。

 以下は敗戦後の映画を取り上げる。占領中はもちろん検閲があり、初期には「民主主義映画」がたくさん作られた。一方、原爆に関しては占領中は表立っては描けなかった。先に紹介した戦争映画ランキングを見ても、「有名な原作」の映画化が多い。戦後作られた優れた映画には、原作ものも多いが、小津や黒澤などはオリジナル脚本が多い。だが、銃後の生活なら創作ができるが、戦場が主舞台の映画だと、従軍経験のある作家が書いた原作ものを映画化することが多い。「ビルマの竪琴」「野火」「人間の条件」「黒い雨」「火垂るの墓」など、みな原作がまず有名だった。その意味で、映画だけを論じてもダメで、戦後の日本で書かれた戦争文学の検討と合わせて論じるべき問題だと思う。

 今回気付いたのだが、戦争映画の傑作がたくさん作られたのは、1980年代だった。同時代に生きていて、そう思っていた人は一人もいないだろう。それは量的には少なかったからである。50年代、60年代のように、続々と公開されるプログラム・ピクチャーの中に戦争ものがたくさんあった時代ではない。日本の映画界は角川やテレビ会社製作の大作ばかりが話題になっていた。だが、「戦場のメリークリスマス」、「東京裁判」、「瀬戸内少年野球団」、「ビルマの竪琴」(リメイク)、「海と毒薬」、「ゆきゆきて、神軍」、「TOMORROW/明日」、「火垂るの墓」、「さくら隊散る」、「黒い雨」など名作が続々とベストテン入りしている。これらは、監督たちがどうしても作っておきたかった「作家の映画」が多い。戦争を知るものも少なくなった時代である。「戦争40年」は中曽根内閣で、今の右傾化、軍国化、新自由主義のルーツである。時代への危機感が背景にあって、名作が続々と作られたのだろう。

 長くなっているので、今回は以下に個人的な「ベスト6」を書いて、次回に続けたい。順位は付けない。だけど、まあ何となく書く順番に評価しているようなもの。
★「野火」(1959、市川崑監督、大岡昇平原作、ベストテン2位)
 毎年のように新文芸坐で上映されていたが、今年はない。大映を引き継いだ角川が、若尾文子映画祭に続いて、年末に「市川崑映画祭」を企画中である。だから、多分そこまで見られない。現在、塚本晋也監督によるリメイクが上映中。ちなみに、市川崑は長く活躍したので、訃報でも「犬神家の一族」を代表作みたいに書いたものもあったが、あれは余技でしかないだろう。60年前後の、作る作品すべてが傑作だった時代の中でも、「炎上」(1958、三島由紀夫「金閣寺」)、「おとうと」(1960、幸田文)などと並ぶ傑作が「野火」で、市川崑の最高傑作と言っても過言ではない。
(「野火」)
★「軍旗はためく下に」(1972、深作欣二監督、結城昌司原作、ベストテン2位)
 深作欣二と言えば、1973年の「仁義なき戦い」だが、その前年に作られ、初のベストテン入り。深作監督はそれまでは売れないし評価もされなかった。真の問題作。
一枚のハガキ(2011、新藤兼人監督、ベストワン)
 新藤兼人最後の大傑作。
海軍特別年少兵(1972、今井正監督、ベストテン7位)
 綿密な取材をもとに、少年兵を描く。少年兵教育において、「体罰」が有効かどうかという、そのテーマ性が今もなお有効であるという悲しき事実を考えて、あえてここに挙げる。
肉弾(1968、岡本喜八監督、ベストテン2位)
 岡本喜八は「独立愚連隊」という日中戦争を西部劇に見立てたようなアクションシリーズで有名になり、のちに「日本のいちばん長い日」などを作ることになった。だけど、一番作りたかったのは、ATGで作った「肉弾」だろう。この切々とした抒情的な映画こそ、多くの人に記憶されて欲しい。岡本映画はよく上映企画があるので、そのうちどこかで上映されるだろう。
TOMORROW/明日(1988、黒木和雄監督、井上光春原作、ベストテン2位)
 岩波ホールで黒木監督の戦争レクイエム4部作上映中。「美しい夏キリシマ」「父と暮らせば」「紙屋悦子の青春」のどれも高い評価を受けたが、僕はこれが一番好き。「原爆映画」で選ぶなら、これだと思う。もう少し詳しく、他の映画とともに次回に触れたい。
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