渋谷のユーロスペースで、「将軍様、あなたのために映画を撮ります」という記録映画を上映している。1978年に、金正日(キム・ジョンイル)の命令で北朝鮮に拉致された、韓国の女優、崔銀姫(チェ・ウニ)と映画監督、申相玉(シン・サンオク)を扱ったものである。作ったのはイギリスのロス・アダムとロバート・カンナンという監督で、秘密テープや珍しい映像を使って事件の真相に迫っている。
申相玉は戦後の韓国を代表する映画監督で、僕もずいぶん見ている。日本で言えば、木下恵介や今井正といった監督の位置に近いと思う。人道主義をベースにした社会派的作品や、文芸もの、歴史ものなどを多作した。そして、美女スター崔銀姫は、申映画の初期の時代から不動の主演女優だった。彼らは実生活でも結ばれ、韓国映画界を象徴する存在となった。しかし、まだ発達途上の経済と独裁政権段階の韓国では、映画産業は安定しなかった。申監督は多額の借金を抱えていたし、長年連れ添った妻を置いて愛人を複数持っていた。こうして彼らは離婚した。
78年に香港で崔銀姫が失踪する。年齢も高くなり、監督と離婚し、70年代後半には両者とも韓国映画の第一線から退いた状態にあった。それでも名前は有名で、この失踪は韓国や香港だけでなく、日本でもかなり報道されたと記憶する。この失踪を聞き、元夫の申相玉も香港に飛んだ。そして彼も行方不明となった。様々な憶測がささやかれたが、韓国CIA拉致説、北朝鮮亡命説、自作自演説などもかなり多かった。複雑な半島情勢を背景に、多くの可能性が考えられたのである。
そんな中、失踪して数年たち、彼らは突然「北朝鮮」で活動を開始した。いくつもの映画を作り、国際映画祭にも出品し、受賞した作品もあった。そうして、体制の信用を勝ち取り、1986年にウィーンでアメリカ大使館に駆け込んで亡命したのである。その後、回想記「闇からの谺」を発表した。この間のてんまつは同書によく書かれている。(文春文庫に邦訳あり。)
だから、基本的には僕が知っていたことの確認のような映画だったけど、貴重な独自映像、テープ、多くの映画作品の引用、関係者へのインタビューなどが散りばめられて、実に興味深い。ただ逃げただけでは信じてもらえないと思った彼らは、秘密裡に金正日の肉声を録音しており、それを持ち出すことに成功した。その当時、金日成の後継者に金正日が就くことは党内的には確実化していたが、国際的にはまだ謎に包まれていた。このときのテープは、西側情報筋が初めて確認できた金正日の肉声なのである。そして、テープの中で明白に「連れてこいと命じた」と明かしている。
金正日は大の映画ファンだというのは有名である。自分だけの映写装置を備え、毎日見てるんだとか、外国映画もたくさんそろえているんだといった話が同時代に伝わってきていた。そして、彼は自国の映画に不満で、韓国映画の高い水準に憧れていた。だから、著名な監督夫妻を「招いて」、自国の映画製作を刷新したいと考えたのである。「連れてこい」と命じられた特務機関は、当然にように「拉致」したわけである。申監督に関しては、崔銀姫を救うため、あるいは金に糸目をつけない製作環境を求めて、「自ら北へ向かった」という説もあったが、この映画のテープ、あるいは映像証言ははっきりと「拉致」を証明している。
この映画で描かれる金正日は、必ずしも単純な独裁者ではない。偉大な父を持ち、孤独な人生を歩んだ。映画を好んでみたが、単純な善悪史観で描かれる勧善懲悪ドラマばかりで、恋愛映画さえ撮れない。新しいことをやって、批判されれば収容所に送られる。そんな環境で自由に映画を作る人はいない。申監督も拉致された当初は、脱出を試みて失敗し、収容所送りとなった。そこで、金正日のために映画を作って信用を勝ち取らないと脱出の機会はないと思い知ったのである。
資金の心配がなくなった申監督は、日本でも公開された怪獣映画「プルガサリ」や、韓国併合直前のハーグ密使事件を描く「帰らざる密使」(カルロビヴァリ映画祭で受賞)など17もの作品を作った。崔銀姫も「塩」という作品で、モスクワ映画祭女優賞を得た。全部は知らないが、「帰らざる密使」は当時日本で自主上映されたので、見ている。民族主義と愛国精神にあふれていて、「抗日英雄」という南北共通の題材を選んでいる。南北の対立を直接描く映画は、多分作っていないんだろうと思う。そこに、映画史上にも非常に特殊な映画群が作られたわけである。
申監督作品は、2015年にフィルムセンターで行われた50年代の韓国映画特集、あるいは20世紀に何度か行われた韓国映画祭でずいぶん見ている。それらは、細やかな感情描写で主人公たちの心情を描き出す「名作」が多い。書き出すと長くなるから止めるけど、韓国映画のベースを作った偉大な監督である。そんな監督夫妻を襲った、未曾有の拉致事件を改めて振り返った映画。僕は夫妻の亡命を聞いた時から、「北朝鮮の拉致」の存在を疑わなくなった。2002年の小泉訪朝後に、「本当に拉致事件があったとはショックを受けた」などと言う人がいたが、僕は「それはないだろ」と思ったものだ。
78年当時は、「北」の経済状態がかなりひどいということが伝わり始めていた。また「社会主義」の国で、権力者の「世襲」はありえないと信じていた人、公言していた人もあったけど、だんだん金正日後継を信じざるを得なくなっていた頃である。そんな時代は遠く去ったけど、いまだ完全解決を見ない日本人の「拉致」問題にも示唆を与える。この映画ぐらいのことは、現代史の常識であってほしいと思う。なお、原題は「The Lovers & The Despot」(恋人たちと独裁者)だから、「将軍様、あなたのために映画を撮ります」という題名は申監督自発的亡命説みたいで望ましくないと思う。
申相玉は戦後の韓国を代表する映画監督で、僕もずいぶん見ている。日本で言えば、木下恵介や今井正といった監督の位置に近いと思う。人道主義をベースにした社会派的作品や、文芸もの、歴史ものなどを多作した。そして、美女スター崔銀姫は、申映画の初期の時代から不動の主演女優だった。彼らは実生活でも結ばれ、韓国映画界を象徴する存在となった。しかし、まだ発達途上の経済と独裁政権段階の韓国では、映画産業は安定しなかった。申監督は多額の借金を抱えていたし、長年連れ添った妻を置いて愛人を複数持っていた。こうして彼らは離婚した。
78年に香港で崔銀姫が失踪する。年齢も高くなり、監督と離婚し、70年代後半には両者とも韓国映画の第一線から退いた状態にあった。それでも名前は有名で、この失踪は韓国や香港だけでなく、日本でもかなり報道されたと記憶する。この失踪を聞き、元夫の申相玉も香港に飛んだ。そして彼も行方不明となった。様々な憶測がささやかれたが、韓国CIA拉致説、北朝鮮亡命説、自作自演説などもかなり多かった。複雑な半島情勢を背景に、多くの可能性が考えられたのである。
そんな中、失踪して数年たち、彼らは突然「北朝鮮」で活動を開始した。いくつもの映画を作り、国際映画祭にも出品し、受賞した作品もあった。そうして、体制の信用を勝ち取り、1986年にウィーンでアメリカ大使館に駆け込んで亡命したのである。その後、回想記「闇からの谺」を発表した。この間のてんまつは同書によく書かれている。(文春文庫に邦訳あり。)
だから、基本的には僕が知っていたことの確認のような映画だったけど、貴重な独自映像、テープ、多くの映画作品の引用、関係者へのインタビューなどが散りばめられて、実に興味深い。ただ逃げただけでは信じてもらえないと思った彼らは、秘密裡に金正日の肉声を録音しており、それを持ち出すことに成功した。その当時、金日成の後継者に金正日が就くことは党内的には確実化していたが、国際的にはまだ謎に包まれていた。このときのテープは、西側情報筋が初めて確認できた金正日の肉声なのである。そして、テープの中で明白に「連れてこいと命じた」と明かしている。
金正日は大の映画ファンだというのは有名である。自分だけの映写装置を備え、毎日見てるんだとか、外国映画もたくさんそろえているんだといった話が同時代に伝わってきていた。そして、彼は自国の映画に不満で、韓国映画の高い水準に憧れていた。だから、著名な監督夫妻を「招いて」、自国の映画製作を刷新したいと考えたのである。「連れてこい」と命じられた特務機関は、当然にように「拉致」したわけである。申監督に関しては、崔銀姫を救うため、あるいは金に糸目をつけない製作環境を求めて、「自ら北へ向かった」という説もあったが、この映画のテープ、あるいは映像証言ははっきりと「拉致」を証明している。
この映画で描かれる金正日は、必ずしも単純な独裁者ではない。偉大な父を持ち、孤独な人生を歩んだ。映画を好んでみたが、単純な善悪史観で描かれる勧善懲悪ドラマばかりで、恋愛映画さえ撮れない。新しいことをやって、批判されれば収容所に送られる。そんな環境で自由に映画を作る人はいない。申監督も拉致された当初は、脱出を試みて失敗し、収容所送りとなった。そこで、金正日のために映画を作って信用を勝ち取らないと脱出の機会はないと思い知ったのである。
資金の心配がなくなった申監督は、日本でも公開された怪獣映画「プルガサリ」や、韓国併合直前のハーグ密使事件を描く「帰らざる密使」(カルロビヴァリ映画祭で受賞)など17もの作品を作った。崔銀姫も「塩」という作品で、モスクワ映画祭女優賞を得た。全部は知らないが、「帰らざる密使」は当時日本で自主上映されたので、見ている。民族主義と愛国精神にあふれていて、「抗日英雄」という南北共通の題材を選んでいる。南北の対立を直接描く映画は、多分作っていないんだろうと思う。そこに、映画史上にも非常に特殊な映画群が作られたわけである。
申監督作品は、2015年にフィルムセンターで行われた50年代の韓国映画特集、あるいは20世紀に何度か行われた韓国映画祭でずいぶん見ている。それらは、細やかな感情描写で主人公たちの心情を描き出す「名作」が多い。書き出すと長くなるから止めるけど、韓国映画のベースを作った偉大な監督である。そんな監督夫妻を襲った、未曾有の拉致事件を改めて振り返った映画。僕は夫妻の亡命を聞いた時から、「北朝鮮の拉致」の存在を疑わなくなった。2002年の小泉訪朝後に、「本当に拉致事件があったとはショックを受けた」などと言う人がいたが、僕は「それはないだろ」と思ったものだ。
78年当時は、「北」の経済状態がかなりひどいということが伝わり始めていた。また「社会主義」の国で、権力者の「世襲」はありえないと信じていた人、公言していた人もあったけど、だんだん金正日後継を信じざるを得なくなっていた頃である。そんな時代は遠く去ったけど、いまだ完全解決を見ない日本人の「拉致」問題にも示唆を与える。この映画ぐらいのことは、現代史の常識であってほしいと思う。なお、原題は「The Lovers & The Despot」(恋人たちと独裁者)だから、「将軍様、あなたのために映画を撮ります」という題名は申監督自発的亡命説みたいで望ましくないと思う。