尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「救う」ことから「つながる」ことへ-「僕らは世界を救えるか」映画問題③

2016年10月30日 22時20分29秒 | 映画 (新作日本映画)
 「僕らは世界を救えるか」映画問題の三回目(最後)を書いてないので書いてしまいたい。いま、ダン・ブラウン原作の「インフェルノ」という映画が公開されている。「人類は滅びる-全てはお前次第だ。」というのが、映画ポスターのコピーである。こういうのが典型的な「世界を救う」エンタメ映画なんだと思う。ダン・ブラウンは「ダ・ヴィンチ・コード」の原作を読んで、もういいやと思った。読みやすいけど、あまりにも、これじゃあねの展開に参った!というしかない。

 だから、その後も映画も見なかったけど、今回も見なくても「世界は救われる」んだろうと思う。見てないけど、この映画では結局救えなくて世界は滅びてしまうんだ、そこが凄いといった評判は聞いてない。だから、ハリウッド製エンタメ映画として、巨額のCG製作費と出演料をまかなうために、世界は救われざるを得ないと、まあ事前に判断できるわけである。

 巨費を投じた「壮大なファンタジー」「壮絶なアクション」ほど、図式的な展開が予想できる。そういう映画を欲するときもあるとは思うが、僕は基本的には苦手である。「先が読めない」映画を見るというのが、物語の楽しみだと思う。他にやりたいことはいくらもあるので、ラストが判ってしまう映画は「時間を返せ」的に思える。年齢を重ねるほどに、「残り少ない時間をムダにしたくない」と思っちゃう。

 だから、「世界を救う」系の映画はあまり好きじゃない。(「シン・ゴジラ」も同様で、だから映画評を書いてない。)だけど、僕がそう感じるのは、今書いたような「図式的な展開」だけでもないと思う。僕は昔から「チマチマとした」映画、あるいは「生活に密着した」映画の方が好みで、大ヒットするような大作は嫌いだった。(最近になって、ようやく資料的に昔の大作も見ているけど。)

 天邪鬼な気質もあるけど、僕の若いころの風潮もある。60年代末から70年代にかけて、世界的な「若者反乱」の季節があった。面白い時代だったけど、20代や時には10代で「世界を変えられる」と思い込み、世界へ羽ばたいたリ、暴力化していった迷惑な人々も多かった。そして、その年代の人たちが「あのころ」を懐古的に語って、下の世代(つまり僕の世代)を何もできない、何も動かないと批判してくる。

 70年代後半から80年代には、そういうことも多かったのである。そういった中で、自分の身体性や生活から発想する感覚が身に付いてきた。柳田国男の民俗学、民衆思想史なんかへの関心も、そういう文脈で生じてきたわけである。映画の見方なんかも、そういう中で形成されてきた。ヒットしている大作や評論家がほめる社会派良心作、巨匠というだけでもうセルフ・リメイクを繰り返している作品なんかより、B級と言われても活気ある映画、「ポルノ」と呼ばれても自分の言葉で身近な生活をエネルギッシュに語っている映画。そんな映画の方がはるかに好きな映画だったのである。

 大きなことを語らなくても、自分の周りを丁寧に描くことで、思わぬつながりを見つけ出す。僕の好きなタイプの映画はそんなものである。いや、勘違いされないように断っておくが、ジャンルを問わず、映画の作り方の違いに関わらず、いい映画は存在する。そんなに好きじゃなくても、傑作だと思う映画もある。映画というか、あらゆる分野にそういうことがある。でも、僕が映画を見て、一番面白かったと思うのは、(映像美や完成度などが水準以上である前提で)、「つながり」が作られていくような映画だ。

 今年公開の映画では、日本映画では「リップ・ヴァン・ウィンクルの花嫁」や「オーバー・フェンス」などがそれ。外国映画では「キャロル」や「ブルックリン」なんかかな。「世界」をどうこうする大きさはないけど、思わぬところで見つかった人間同士のつながりが輝いている。昨年の映画では長大な「ハッピーアワー」や「この国の空」、あるいは一昨年の安藤桃子「0.5ミリ」などの映画を思い出す。

 まあ、映画の見方は様々であって良いと思うけど、人間関係の作り方なんかも結構似たような問題があるんじゃないかと思う。「大きな物語」を求めるよりも、「小さなつながり」を一つ一つ大切にする、新しいつながりを求めて様々な場に出て行く。そんなことの積み重ねが大切なんじゃないか。自分でうまく実践してきたと言えるわけじゃないけれど。
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