尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「アルジェの戦い」を見直す意味

2016年10月26日 23時13分00秒 |  〃  (旧作外国映画)
 ジッロ・ポンテコルヴォ監督の映画史に残る傑作、「アルジェの戦い」が新宿のケイズ・シネマでリバイバルされている。1966年のイタリア・アルジェリア合作映画で、ヴェネツィア映画祭金獅子賞。67年に日本公開され、キネ旬ベストテン1位になっている。(プログラムに「圧勝した」と書いてあるから調べてみると、「アルジェ」が301点、2位のアントニオーニ「欲望」が187点、3位のアラン・レネ「戦争は終わった」が180点。確かに圧勝している。)70年代に僕は2回見ているので、数十年ぶり3回目。

 この映画は、実際にアルジェリアの首都アルジェのカスバでロケされている。独立運動に参加した人が脚本に参加し、現地民衆が演じている。ものすごい臨場感で、今見ても圧倒される。監督のポンテコルヴォはイタリア人で、反ナチスのレジスタンスに参加していた。戦後になって、ロッセリーニの映画に感激して映画人になったということだが、遅くやってきた「レオ・レアリズモ」の最高傑作とも言える。そのぐらいドキュメンタリー・タッチの迫力は今も色あせていない。

 だけど、冒頭のクレジットを見ていて、あれ、モリコーネの音楽だと思ったのだが、音楽の付け方などは案外普通のプロの映画である。当たり前かもしれないが、なんだか印象では音楽を忘れてしまっていた。エンニオ・モリコーネといえば「荒野の用心棒」や「ニュー・シネマ・パラダイス」など、聞けばだれでも思い出すような名曲を書いた人である。アメリカ映画でも活躍し「アンタッチャブル」や「天国の日々」などで5回アカデミー賞にノミネート、今年2016年に「ヘイトフル・エイト」でついに受賞した。

 モノクロで描かれる闘争の日々の描写は苛烈である。FLN(民族解放戦線)が結成され、独立運動が開始される様子を追っている。当初は組織確立に力を注ぎ、民族内部の規律確立にも努める。主人公の一人アリはケチなチンピラだったが、獄中で独立運動家に感化され、出所後に独立運動に参加する。最初は疑われるが、だんだん信用されていく。その最初のころに、麻薬元締めの友人を殺害する描写がある。その後、フランス人の警官をねらうテロを起こし、運動が広がっていく。

 警察側は復讐のために、民衆の住むアパートを爆弾で爆破。その後、FLNもフランス人の民衆が遊びに来るカフェなどで無差別テロを起こす戦術をとる。その描写は緊張感に満ちていて、一気に見てしまうが、このテロ戦術をどう考えるか。公開当時はベトナム戦争の激戦時で、解放戦線によるテロがサイゴンでひんぱんに起こっていた。無差別テロ戦術を安易に認めていいのかという議論も起こったと聞いた気がする。(僕は同時代には年齢的に見ていないので、後で聞いたことである。)

 最近、フランスはじめ世界各地で「無差別テロ」が起こっている。そのことを考えても、これをどう考えるべきか。しかし、フランスのテロ事件は、フランス人の住むところにテロリストがやってきて事件を起こした。一方、アルジェリアのフランス人は、アルジェリアを植民地として支配している人々である。植民地側の民衆からすれば、「自分たちの国を奪った盗人」である。植民地側からすれば「独立戦争」なんだから、あらゆる戦術が認められるという立場だろう。この映画では、無差別テロは最初に警察側が起こしている。植民地主義を否定することは、今では映画を見るときの前提だから、これほど臨場感に富む力強い映画を見ているときには、テロの是非はあまり意識しないで見ることになる。(もっとも僕は展開を知って見ているわけだから、初めて見る人の感想は違うかもしれない。)

 一方、この映画のすごいところは、途中でフランス軍の空挺部隊が投入され、弾圧が強化される経過を丹念に追っているところである。マチュー中佐をリーダーとする部隊が到着すると、アルジェリアに住むフランス人は熱狂的に歓迎する。この空挺部隊を見ると、1980年の光州事件や1989年の天安門事件が思い出されて、胸が苦しくなる思いがした。マチュー中佐には完全な「全権」は認められなかったが、事実上激しい拷問を容認し、指導部壊滅を目指す。その様子は、ある種「弾圧側の教科書」になり得るほどのもので、実際そのようにも見られているらしい。

 上の写真が映画のマチュー中佐。ピラミッド型の組織を一つ一つつぶしていき、カスバの集中的な捜索でついに指導部にたどり着く。FLNは国連を意識してゼネスト戦術をとったが、1954年に始まった蜂起は1957年にいったん終結を見るのである。それが「アルジェの戦い」と呼ばれた。その後も山岳民族との戦いが続くが、アルジェでの組織再建はなかなか進まなかった。そして、1960年、指導部の指示に拠らない民衆の一斉蜂起が起こり、フランスが追い詰められるまでが描かれている。

 フランス軍と警察による悲惨な拷問は、フランス当局は長いこと認めて来なかった。最近になってようやく直視する動きも出ているが、今もなお解決しない問題となっている。(「いのちの戦場-アルジェリア1959」という映画が2007年に作られている。)当時のフランスでも、多くの文化人がアルジェリア支持を表明し、論議を呼んだ。日本でも、当時は大きな注目を集め、大江健三郎「われらの時代」には独立運動家のアルジェリア人が出てくる。映画化されているが、そこでも大きな意味を与えられている。また福田善之の戯曲「遠くまでゆくんだ」もアルジェリア戦争をテーマとしている。

 世界的に影響を与えたアルジェリアの独立運動だったけれど、FLNは独立後に一党独裁となり、やがて国民の不満が高まった。そこで複数政党と自由選挙を認めた1991年の選挙では、イスラム原理主義政党が圧勝した。選挙結果を認めない軍部はクーデタを起こし、以後悲惨な内戦が10年近く続いた。現在は民政移管されているが、日本人社員も犠牲になったテロ事件が2013年に起きたように、情勢は複雑である。映画内でも、幹部の言葉として「独立してからの方が大変だ」と語らせている。現実にその通りになった。そのことを知っているわれわれにとって、なかなか苦い映画というしかない。「敵」がはっきりしていた時代のモニュメントとして、今もアルジェリア国内では人気があるんだというが。
コメント (1)
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