尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「怒り」をどう見るか

2016年10月10日 23時37分27秒 | 映画 (新作日本映画)
 映画「怒り」をどう見るか? 間違いなく今年度屈指の力作に違いないけど、原作者と監督を同じくする「悪人」(2010)が見るものすべてを圧倒する感動作だったのに対し、今回の「怒り」の構造はかなり違っている。僕の感覚で言えば、「シン・ゴジラ」、「君の名は。」と並べて考える方がいいような映画だ。「僕らは世界を救えるか三部作」。「怒り」だけ見てない人も多いと思うけど、ぜひ見て欲しい。

 原作者の吉田修一は、芥川賞の「パークライフ」以前から読んでいる作家で、映画化された「悪人」「さよなら渓谷」「横道世之介」あたりまでは読んでいた。ちょっと飽きたかなと思って、今回の「怒り」は(文庫本で2冊もあるし)読んでない。殺人事件から始まるというのは知っていて、一種の「純文学ミステリー」みたいな感じになっている。殺人事件が起きて、犯人は逃亡している。映画は警察以外に、三つのエピソードを追っていく。犯人は一人しかいない(と途中で示される)から、三つの話の誰かが犯人なんだろうと思う。だけど、そうすると、他の二人は無関係なんだから、どんな意味があるのか?

 そこがこの物語のミソで、だんだん判ってくるけど、三つのエピソードを通して、われわれは「世界のいま」に直面させられていくのである。だから、真犯人が誰かという問題を超えて、「世界で生きていくために、いったい何ができるのか」を考えさせられる。「エピソード1」は、千葉の漁村。母が死に、娘愛子(宮崎あおい)は家出して歌舞伎町で「フーゾク」をしていた。体をボロボロにして父(渡辺謙)が引き取りに来る。港に戻った愛子は父に弁当を届けるうちに、謎めいた男、田代(松山ケンイチ)と親しくなる。

 「エピソード2」は東京の一流会社で働くゲイの男、優馬(妻夫木聡)。一夜限りの相手を探しながら、余命わずかな母の見舞いに行っている。ある日、直人(綾野剛)と出会い、もしかして長く続く関係になるかと思いながら、何者か計り知れない直人にいら立ちも持つ。「エピソード3」は沖縄で、本島から近い島に東京から越してきたばかりの高校生、泉(広瀬すず)は同級生の男子に連れられ、無人島を訪ねると、そこで田中と名乗る謎の男(森山未來)と出会う。ある日、那覇で映画を見た帰り、泉たちは田中とばったり会う。その後、彼らは「事件」に巻き込まれて、彼らの人間関係は変わってしまう。

 ここに警察側の捜査の進展が入ってきて、三つのエピソードをつないでいる。映画はバラバラのピースなので、最初はどういう関係なんだか理解できない。とりあえず以上の三つのエピソードの誰かが犯人なんだろうと思って見ていくのである。犯人は途中で顔を整形しているとされ、モンタージュ写真も変更される。そして、それがうまくできていて、なんだか皆似て見えるのである。松山ケンイチと綾野剛と森山未來では、全然違うではないかと言われるかもしれない。だけど、そこがうまくしたもので、なんだか似て見えるようになっている。なるほど。下の写真は、松山、綾野、森山。似てるか?
  
 非常に強い緊迫感の中で映画は進行していく。しかし、それに見合うだけのドラマは存在するのか。何しろ、事件という意味では、無関係な二人のエピソードが含まれるんだから。それでも、見終わると、「疑われる」という形で事件に関与した人々の話があって、初めてこの物語は成立するんだと判った。なぜかと言えば、この作品は「犯人あて」が目的ではなくて、「人はどうやって悔恨を抱えて生きていくか」だから。もし一人だけの物語だったら、ずいぶん「小さな物語」に感じられると思う。お互いには全く関係ないわけだが、それが一つの物語として織られていく。そこに織りあがったタペストリーが、「現代の世界」だと我々は感じる。

 この映画にある疑問点は、(多分原作からくると思うけど)どうしても「図式的」な感じを否めないことだと思う。三つのエピソードの選び方、進行からもそれが感じられる。いかにも、世界内で苦悩を引き受けるために、設定が出来上がり過ぎている点はないだろうか。演技の緊迫感が強いほど、その図式性が高まってしまう。僕にはそう感じられもするんだけど。それは李相日監督の前作、わざわざクリント・イーストウッドから翻案権を買ってまで作った「許されざる者」にもあったと思う。開拓期の北海道を舞台にして、戊辰戦争の敗残兵やアイヌ民族の物語を展開するのは「図式」が先立っていた。

 だから、僕はもっとシンプルな構図の「悪人」の方が良かったと思う。犯罪をめぐる人間模様を描き切り、そこに「祈り」のような崇高な感情までもたらした「悪人」の方が。この「世界の図式的理解」というのは、大問題だから「僕らは世界を救えるか」問題として、次回に続けたい。この映画の力作ぶりに圧倒されながらも、もともとの犯行の犠牲者もよく判らないし、いろいろと切り落とされた部分を感じた。だけど、妻夫木聡や宮崎あおいらの「決意と涙」は、何かを変えていける力を持っていると信じたい。

 ベテラン渡辺謙と新鋭広瀬すず(僕はかなり感心した)を除き、今やもう若手とは呼べない何人もの俳優が熱演しているのは、見ごたえがある。生年月日を調べてみると、妻夫木聡(1980.12.13)、綾野剛(1982.1.26)、森山未來(1984.8.20)、松山ケンイチ(1985.3.5)、宮崎あおい(1985.11.30)といった具合。ちょっと前まで若手と思っていたけど、もう30代だから「中堅」と呼ぶべきか。チョイ役の「とと姉ちゃん」、高畑充希が非常に印象的だったのも忘れられない。音楽の坂本龍一の素晴らしさも忘れずに書いておかないといけない。好き嫌いはあっても、間違いなく見るべき映画。
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