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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

佐藤泰志の小説を読む

2016年10月05日 23時17分18秒 | 本 (日本文学)
 佐藤泰志という作家がいた。1949年に函館で生まれ、1990年に東京都国分寺市で自ら死を選んだ。芥川賞候補に4回選ばれたが受賞できなかった。野間文芸新人賞や三島由紀夫賞の候補になったこともあるが、そっちも受賞していない。失意のうちに世を去り、ずっと忘れられていた。郷里の函館で再評価が進み、代表作「海炭市叙景」が映画化(2010)され、文庫にも入った。

 ということで、それを読み、映画も見て、なかなかいいなと思った。その後、他の作品も文庫化されたので買っておいたけど、読んでなかった。その後も「そこのみにて光り輝く」(2014)が映画化され、今年になって「オーバー・フェンス」も映画化され、現在公開中である。映画を見る前に、この際佐藤泰志の文庫を全部読んじゃおうかと思った。だから、まず小説の話。

 まず、ちょっとビックリしたのが、函館を舞台にした小説がほとんどないことである。先に書いた映画3作は、いずれも函館を舞台にしており、「函館三部作」と名付けて宣伝されている。だから、郷里の函館を主に書いた作家かと思いこんでいた。でも、ほとんどの作品は東京に出てきてからを描いていて、それも中央線沿線の国分寺や立川あたりが舞台になっている。函館で進行するのは他に一つ、「野栗鼠」(のりす)という短編だけだった。(それは「秀雄と光恵」という若いカップルを描く連作の2作目で、女の子も生まれている。祖母の葬儀で帰省し、子連れで函館山に登る話。)

 最初に読んだ「海炭市叙景」(小学館文庫)は、函館を思わせる海炭市という街を舞台に、様々な人々を描く短編連作集だった。その形式がとても興味深く、30年前の地方都市に生きる多くの人々の生が身近に感じられた。そのような地道に生きる人々を描く作風かと思っていたら、全然違った。東京が舞台の作品は、70年代、80年代の「愛の不毛」のような青春が描かれている。

 僕にはどうも函館を舞台にした作品の方がいいように思った。特に「そこのみにて光り輝く」(河出文庫)。映画もベスト1になったが、原作も面白い。基本的構図は共通しているが、ちょっとばかり印象が違う。下層に生きる人々が生き生きと描かれていて、特にバラックに住む千夏一家の様子は、むしろ映画よりも印象的である。山中恒「サムライの子」に出てくる「サムライ」(北海道では差別視された貧民街をこう呼んでいたようである)、それが千夏一家の住まいなのである。市が強制的に立ち退かせて、アパートを作って転居させたが、それに従わずに昔のバラックに住んでいるのが、あの一家なのである。そういう歴史的背景がよく理解できた。(映画では判らなかった。)

 「そこのみにて光り輝く」では、主人公達夫と知り合った拓児、その姉の千夏、主要登場人物が3人いる。ところで、この「三人の物語」というのが、様々な変奏をしながらも、常に書かれ続けている。東京を舞台にした小説でも同じで、大体が男性主人公とその友人、もう一人の女主人公といった構図となる。これが際立った特色で、小説内で描かれる時代風俗には少し古いイメージもあるけど、日本の小説では今まで読んだことのないような感触の青春小説がいっぱいあった。

 今の言葉で言えば、「ワーキングプア」の青春労働小説である。石原慎太郎、大江健三郎、村上龍、村上春樹などの青春小説には出てこない主人公だと思う。(中上健次の小説には、紀州の下層青年が登場するが、東京が舞台になるのは珍しい。)それも、「中央線沿線文化」を背景にして、ジャズや映画、飲酒などの話がよく出てくる。だけど、全然明るくない。弾けていない。僕の実感では、現実の青春はこっちだったように思う。両村上の小説よりも。でも、今読むと、それが古い感じは否めない。(1974年から77年まで、村上春樹は国分寺でジャズバーを経営していたから、一時は非常に近い場所にいたことになる。知らずにあっていたかもしれない。)

 「オーバー・フェンス」は函館の職業訓練校を舞台にしている。その話は映画の方でするが、原作は「黄金の服」(小学館文庫)に収録されている。表題作は泳いで酒を飲む青春の中に、心が崩れていく予感をひそめた青春小説。「ブルックリン最終出口」(セルビーの小説)から始まる作家志望の青年の物語で、題名もロルカの詩から取っている。友人の弟は前衛映画を撮っていて、イメージ・フォーラムに映画を持ち込んだりしている。イメージ・フォーラムが四谷三丁目にあった時代のことで、自主製作の前衛映画を上映していた。全体を通して、プールや海で泳ぐシーンが多く、そこに大学町の荒れた青春、心を病む年上の女など、なんだかアメリカの小説みたいな感じがする。

 芥川賞候補になったのは、順番に「きみの鳥はうたえる」「空の青み」「水晶の腕」「オーバー・フェンス」である。前三作は、「きみの鳥はうたえる」(河出文庫)、「移動動物園」(小学館文庫)に収録されている。これらはちょっと作品的に弱く、そこに不運もあった。中では「移動動物園」は新潮新人賞候補作で面白い。これも「三人の物語」だけど、動物が加わっている。保育園などを回ってヤギやウサギを見せて回るという仕事が書かれている。設定そのものが面白い。
 
 最後に「大きなハードルと小さなハードル」(河出文庫)。冒頭の「美しい夏」は、前に新潮文庫の「100年の名作」シリーズで読んだ。出色の青春小説で、金もないのにケンカしてくさす主人公が、同棲相手と田舎の不動産屋を訪ねる話。このカップルはどうなるんだ、別れるしかないんじゃないかなどと思っていたら、これが連作になっていた。次の「野栗鼠」では先に書いたように、結婚して子どももいる。それで終わりではなく、あと3作もあっていろいろゴタゴタする。それも面白かった。だけど、一番成功している作品ではないだろう。

 青春小説としては、もう古い感じはする。「携帯電話以前」の小説で、あれこれ行き違いも起こる。感情的行き違いは仕方ないけど、どこにいて何をしてるかは、今はケータイがあれば悩まない。ケータイなどがあるおかげで、かえって増えた悩みもあるけど、昔の恋愛ものの特徴の「すれ違い」はケータイで解決できる。(昔の方の「君の名は」のようなすれ違いだったら、ケータイで済むわけである。)

 だけど、「こころの問題」は今も昔も解決できない。何も芥川賞などを取れなかったから自殺したわけではなく、もともと早い時期から精神的不調を抱えていたようである。作品内にもそういう設定の人物も出てくる。そこは古びていない。全部が面白いわけでもなく、ずっと読んでると飽きもしたが、こういう人が同時代にいて最近まで全然読んだこともなかったというのが不思議な感じだ。
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