「加計学園」が愛媛県今治市に、岡山理科大学獣医学部を新設しようとして長いこと認められなかった。しかし、それが「国家戦略特区」として認められることになったという問題。この問題をどのように考えればいいのだろうか。そもそも国家戦略特区って何だろう?
文科省内に「総理のご意向」などと書かれた文書があったという。しかし、文科省の「調査」では「確認されなかった」。それに対し、前川前次官が「在任中に確かに見た文書」だと証言している。僕は何で最初に文書の存在を文科省がきちんと認めなかったのかがずっと疑問である。今に至っても、「確認できない」だけで「ない」とは言ってない。見つからないように「探したふり」をしたということなんだと思う。多分「文科省で食い止めろ」という「最高方針」があるんだろう。
なんで「疑問」かというと、「国家戦略特区」なんだから、本来「総理の意向」で事が進むのは全くおかしくないことだからだ。だから、文科省の官僚側からすれば、国家戦略特区担当の内閣府に押し切られたという不満がずっとあるんだろう。でも、そうなると「内閣府が問題だ」ということになる。まさにその通りなんだけど、そっちに目がいかないように文科省に「確認できない」と言わせている。
産経新聞によると、加計学園創立者の加計勉氏(総理の「お友達」の加計幸太郎氏の父、2008年死去)は、民主党の江田五月元参議院議員と懇意だったという。今治市に獣医科大学を新設することは、民主党議員も求めてきたらしい。だけど、こういう報道こそ「印象操作」というもんだろう。
かつての橋本龍太郎元首相が2006年に亡くなって後、岡山県選出の大物議員と言えば、江田五月と平沼赳夫の二人である。郵政解散以後自民を離党していた平沼(今年復党)に対し、江田は民主党政権成立に先立ち、2007年から参院議長を務めたほどの大物である。地元の教育界の有力者が、党派を超えて長年の関係を築くことは当然と言えば当然だろう。そして、それでも民主党政権では獣医学部新設は認められなかった。
その時地元が求めていたのは、「構造改革特区」である。(ちなみに、特区とは「特別区域」の略だということだが、面倒なので特区と書く。)小泉政権下で2002年に成立した制度で、ある地方に限って「規制緩和」をするというもの。この「規制緩和」も小泉内閣以来、何度も聞くことになるキーワードだが、確かに業界を守るためだけの規制のようなものがあれば、それは無くすべきものだろう。
だけど、規制には本来、弱い立場のものを守るためのものが多い。それを「規制緩和」の名のもとに無くしてしまって、恐るべき「競争社会」が立ち現れてきたと考えられる。それに、本来無くすべき規制があるならば、総理大臣の役目は、全国一律で規制を撤廃するようにすることだろう。だから、「構造改革特区」は「意欲ある地方から中央政府に規制緩和を申請する」という面が強い。そして、それを検証して、うまく行っていれば全国にも広げていく。そういう役目が「特区」にあるわけだ。
ところが、加計学園の希望は「構造改革特区」では実現しなかった。何回も申請していたらしいが。ここに、第2次安倍内閣になって「国家戦略特区」なるものが登場する。ウィキペディアの記事には、例によって竹中平蔵が登場しているが、「この国家戦略特区(=国家戦略特別区域)は、今までの特区と異なり総理が主導の特区であり、これまでの地方から国にお願いして国が上の立場から許可するというものとは大きく異なり…」などと言っている。
取り上げる予定の「規制緩和」とは「労働時間」や「解雇ルール」などであり、彼らが「岩盤規制」などと表現しているものは、労働者を守るルールに他ならない。仮にそれを変えるべきだと考えたとしても、どこかの特区でやるべきことではない。国会で議論して法を変えて、全国一律で変えるべき性格のルールだろう。「国家戦略特区」はそのような道筋をバイパスして、「総理主導」のもとに実現させようという「悪魔的システム」というべきものだ。
今まで10地域に認められているが、例えば「東京圏」に「国際ビジネス・イノベーションの拠点」とか理解不能なものが多い。沖縄県の「国際観光拠点」とか、新潟市の「大規模農業の改革拠点」、仙台市の「女性活躍・社会起業の改革拠点」などは比較的わかりやすいけど、では何がどう変わっているのか、知っている人はほとんどいないだろう。
まあ、それはともかく、国際ビジネスとか国際観光、女性活躍、あるいは労働法制なんかが、「国家戦略」上の意味を持っていることは理解可能である。この国家戦略特区に最後の最後に追加されたのが、2015年12月15日に発表された、「広島県・愛媛県今治市 - 観光・教育・創業などの国際交流・ビッグデータ活用特区」である。広島県全県に今治市が一つの市で指定されているのも不思議だし、指定の中身も意味不明である。「なんでも可能」な指定というしかない。
先の指定でもって、今治市に獣医科大学を作るというのも意味不明。獣医を増やすことがなんで国家戦略なのか。日本は現実として畜産が重要な輸出産業というほどの位置をしめていない。今後の成長産業とも言えないだろう。大体「獣医」を増やすことに、(獣医科大学を新設するかどうかの議論とは別にして)、国家的重要性があるとは言えない。誰もそこまでは言わないだろう。
だから、そもそもがおかしいのである。「国家戦略特区」そのものがおかしく、それに今治市が追加されたこともおかしく、獣医科大学が新設されることが「国家戦略」になるということがおかしい。作っちゃいけないと言うのではない。それは獣医師を担当する農林水産省と大学新設を担当する文部科学省で検討すればいい。ただ、総理が乗り出して官邸主導でやるような話ではない。獣医科大学が出来ようが、出来なかろうが、地域や大学には意味はあるだろうが、「国家戦略上の意味」はない。
その意味で、この制度を使っちゃえと考えた人は相当に悪質である。それが安倍首相かどうかは知らないけど、多分違うんだろう。(ここまで小さな問題に、いくら友人だとは言え、思いつくほどの知恵も時間もないと思う。)だけど、これを利用できると考えた人がいなければ、「あとから追加」にはならない。そこを指摘されないように、文科省内の問題のようにしたいんだろうと思う。
本来は「特区」なんだから、「うまく行ったら全国に広げる」べきものだ。でも、この獣医科大学がうまく運営されたとしても、だから全国でもっと獣医科大学を作ろうとはならない。ここが最後ではないか。その意味でも、特区でやるべきことではない。そこを間違えると、総理の友人というのはどうかと思っても、別に獣医師大学ができてもいいんじゃないか的な感想に留まってしまう。
ところで、調べてみると今治市には短大はあるけど、4年制の大学はない。だから地域的には「大学が欲しい」という思いはあるだろう。でも地域経済の振興につながらない獣医科の大学では仕方ない。そういうのこそ、大都市か畜産が盛んな地域でやるべきだろう。今治と言えばやはり「タオル」。信州大にしかない「繊維学部」を作ろうというのなら、地域に益するものになるんだろうけど。
文科省内に「総理のご意向」などと書かれた文書があったという。しかし、文科省の「調査」では「確認されなかった」。それに対し、前川前次官が「在任中に確かに見た文書」だと証言している。僕は何で最初に文書の存在を文科省がきちんと認めなかったのかがずっと疑問である。今に至っても、「確認できない」だけで「ない」とは言ってない。見つからないように「探したふり」をしたということなんだと思う。多分「文科省で食い止めろ」という「最高方針」があるんだろう。
なんで「疑問」かというと、「国家戦略特区」なんだから、本来「総理の意向」で事が進むのは全くおかしくないことだからだ。だから、文科省の官僚側からすれば、国家戦略特区担当の内閣府に押し切られたという不満がずっとあるんだろう。でも、そうなると「内閣府が問題だ」ということになる。まさにその通りなんだけど、そっちに目がいかないように文科省に「確認できない」と言わせている。
産経新聞によると、加計学園創立者の加計勉氏(総理の「お友達」の加計幸太郎氏の父、2008年死去)は、民主党の江田五月元参議院議員と懇意だったという。今治市に獣医科大学を新設することは、民主党議員も求めてきたらしい。だけど、こういう報道こそ「印象操作」というもんだろう。
かつての橋本龍太郎元首相が2006年に亡くなって後、岡山県選出の大物議員と言えば、江田五月と平沼赳夫の二人である。郵政解散以後自民を離党していた平沼(今年復党)に対し、江田は民主党政権成立に先立ち、2007年から参院議長を務めたほどの大物である。地元の教育界の有力者が、党派を超えて長年の関係を築くことは当然と言えば当然だろう。そして、それでも民主党政権では獣医学部新設は認められなかった。
その時地元が求めていたのは、「構造改革特区」である。(ちなみに、特区とは「特別区域」の略だということだが、面倒なので特区と書く。)小泉政権下で2002年に成立した制度で、ある地方に限って「規制緩和」をするというもの。この「規制緩和」も小泉内閣以来、何度も聞くことになるキーワードだが、確かに業界を守るためだけの規制のようなものがあれば、それは無くすべきものだろう。
だけど、規制には本来、弱い立場のものを守るためのものが多い。それを「規制緩和」の名のもとに無くしてしまって、恐るべき「競争社会」が立ち現れてきたと考えられる。それに、本来無くすべき規制があるならば、総理大臣の役目は、全国一律で規制を撤廃するようにすることだろう。だから、「構造改革特区」は「意欲ある地方から中央政府に規制緩和を申請する」という面が強い。そして、それを検証して、うまく行っていれば全国にも広げていく。そういう役目が「特区」にあるわけだ。
ところが、加計学園の希望は「構造改革特区」では実現しなかった。何回も申請していたらしいが。ここに、第2次安倍内閣になって「国家戦略特区」なるものが登場する。ウィキペディアの記事には、例によって竹中平蔵が登場しているが、「この国家戦略特区(=国家戦略特別区域)は、今までの特区と異なり総理が主導の特区であり、これまでの地方から国にお願いして国が上の立場から許可するというものとは大きく異なり…」などと言っている。
取り上げる予定の「規制緩和」とは「労働時間」や「解雇ルール」などであり、彼らが「岩盤規制」などと表現しているものは、労働者を守るルールに他ならない。仮にそれを変えるべきだと考えたとしても、どこかの特区でやるべきことではない。国会で議論して法を変えて、全国一律で変えるべき性格のルールだろう。「国家戦略特区」はそのような道筋をバイパスして、「総理主導」のもとに実現させようという「悪魔的システム」というべきものだ。
今まで10地域に認められているが、例えば「東京圏」に「国際ビジネス・イノベーションの拠点」とか理解不能なものが多い。沖縄県の「国際観光拠点」とか、新潟市の「大規模農業の改革拠点」、仙台市の「女性活躍・社会起業の改革拠点」などは比較的わかりやすいけど、では何がどう変わっているのか、知っている人はほとんどいないだろう。
まあ、それはともかく、国際ビジネスとか国際観光、女性活躍、あるいは労働法制なんかが、「国家戦略」上の意味を持っていることは理解可能である。この国家戦略特区に最後の最後に追加されたのが、2015年12月15日に発表された、「広島県・愛媛県今治市 - 観光・教育・創業などの国際交流・ビッグデータ活用特区」である。広島県全県に今治市が一つの市で指定されているのも不思議だし、指定の中身も意味不明である。「なんでも可能」な指定というしかない。
先の指定でもって、今治市に獣医科大学を作るというのも意味不明。獣医を増やすことがなんで国家戦略なのか。日本は現実として畜産が重要な輸出産業というほどの位置をしめていない。今後の成長産業とも言えないだろう。大体「獣医」を増やすことに、(獣医科大学を新設するかどうかの議論とは別にして)、国家的重要性があるとは言えない。誰もそこまでは言わないだろう。
だから、そもそもがおかしいのである。「国家戦略特区」そのものがおかしく、それに今治市が追加されたこともおかしく、獣医科大学が新設されることが「国家戦略」になるということがおかしい。作っちゃいけないと言うのではない。それは獣医師を担当する農林水産省と大学新設を担当する文部科学省で検討すればいい。ただ、総理が乗り出して官邸主導でやるような話ではない。獣医科大学が出来ようが、出来なかろうが、地域や大学には意味はあるだろうが、「国家戦略上の意味」はない。
その意味で、この制度を使っちゃえと考えた人は相当に悪質である。それが安倍首相かどうかは知らないけど、多分違うんだろう。(ここまで小さな問題に、いくら友人だとは言え、思いつくほどの知恵も時間もないと思う。)だけど、これを利用できると考えた人がいなければ、「あとから追加」にはならない。そこを指摘されないように、文科省内の問題のようにしたいんだろうと思う。
本来は「特区」なんだから、「うまく行ったら全国に広げる」べきものだ。でも、この獣医科大学がうまく運営されたとしても、だから全国でもっと獣医科大学を作ろうとはならない。ここが最後ではないか。その意味でも、特区でやるべきことではない。そこを間違えると、総理の友人というのはどうかと思っても、別に獣医師大学ができてもいいんじゃないか的な感想に留まってしまう。
ところで、調べてみると今治市には短大はあるけど、4年制の大学はない。だから地域的には「大学が欲しい」という思いはあるだろう。でも地域経済の振興につながらない獣医科の大学では仕方ない。そういうのこそ、大都市か畜産が盛んな地域でやるべきだろう。今治と言えばやはり「タオル」。信州大にしかない「繊維学部」を作ろうというのなら、地域に益するものになるんだろうけど。