尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

サウジアラビアの皇太子交代問題

2017年06月23日 23時13分12秒 |  〃  (国際問題)
 サウジアラビアサルマン国王(1935~)が、6月21日に王位継承順位第1位の皇太子を変更した。それまでのムハンマド・ナエフ(1959~、内務相)を解任し、自身の子どもである国防相ムハンマド・サルマン(1985~)を皇太子に昇格させた。これは中東の将来に大きな影響を与えると思われる事件である。欧米と違い詳しくない人も多いだろうから、ここで簡単に考えておきたい。。
  (左が新皇太子、右がサルマン国王)
 サウジアラビア(英語国名 Kingdom of Saudi Arabia)は、非常に重要な国である。何しろイスラム教の聖地メッカを支配する国であり、原油埋蔵量世界一という国なのだから。本来アラブの大国と言えばエジプトだが、経済的には低迷が続いている。「G20」にアラブ諸国を代表して参加しているのはサウジアラビアである。

 経済的にも重要だし、政治的にも重要。スンナ派イスラム教国の精神的支柱の役割を自負し、シーア派のイランとの対立が目立っている。最近起こったカタールとの断交も、ムハンマド・サルマン新皇太子(国防相)が主導していると言われる。だけど、世界中でこれほど不思議な国はない。いまだに議会もない絶対王政の国で、コーランを憲法と定めた政教一致の国。国会にあたる諮問評議会というものが出来ているが、選挙ではなく議員は国王の任命。ちょっとすごい国である。

 2017年にサルマン国王が来日した時のことを覚えている人も多いだろう。御付きの男性陣がそろって来日し、銀座あたりで高級品を買いまくる「特需」があったとか、期待ほどでもなかったとか…。とにかく、今もそんな国があるのが不思議。これは永遠に続くのだろうか。アラビアにおいては続くのかもしれないが、世界史的な常識ではやがてアラビア半島にも議会制民主主義に移行するのではないだろうか。そういう未来も遠望するとき、皇太子交代問題はどういう意味を持つのか。
 
 サウジアラビア王国という国は、まだ若い国である。初代国王アブドゥルアズィーズ・イブン・サウード(1876~1953)が、1932年に建国した。日本の元号で言えば昭和7年。五・一五事件が起きた年である。サウード家は一時は非常に衰微して、20世紀初頭には映画「アラビアのロレンス」に出てくるハシーム家の方が有力だった。だけど、その後イブン・サウードのもとで勢力を伸ばしていく。そしてほぼ半島全域を支配して王国を建国したわけである。日本の戦国時代みたいである。

 この初代イブン・サウード国王はとにかく凄い人物で、身長は2メートル、奴隷もいた時代で子どもの数は数えきれないという。記録が明確な「正妻」にあたるのは4人で、その他の女性が産んだ子供を含めて、男子52人、女子37人がいたという。このうち36人の男子が王位継承権を持っていた。2代サウード、3代ファイサル、4代ハリド、5代ファハド、6代アブドラと、すべて初代イブン・サウードの子どもである。そして、今の国王サルマンもまたイブン・サウードの子ども。まだ残っていたのかという感じだけど、計算すれば59歳の時の子だから驚くほどではない。まだ下の子もいる。

 制度が整う前の、国王に統治能力が厳しく要求される時期の王国では、「兄弟相続」になることはよくある。日本の天皇家系図を見ても、大昔は兄弟相続の時代が長かった。実質的に新王朝の創始者にあたる桓武天皇の場合、自身の弟の皇太子を死に追いやり(その弟は「怨霊」となり桓武天皇を苦しめることになる)、自分の子どもを皇太子に立てた。しかし、桓武天皇の子どもも相次いで兄弟で皇位についている。サウジアラビアもそのような王国初期段階にあると言える。

 ところで、5代国王ファハドと現国王サルマンは、母が同じである。スデイリ族の族長の娘で、8人の子ども(7人の男子)を産んだ。この7人は「スデイリ・セブン」と呼ばれ、80年代以後のサウジ政界の中心となってきた。サルマン国王の兄、スルタン(1928~2011)、ナーイフ(1934~2012)はスデイリ・セブンの一員で、サルマン以前に皇太子になっていた。しかし、アブドラ国王が2015年まで存命だったので、王位継承以前に亡くなってしまったのである。

 そのため弟のサルマンが即位したわけだが、1935年生まれだから、2017年現在82歳である。もう初代国王の子ども世代で王位を継ぐ時代ではないだろう。そこで、サルマン国王の前皇太子だったムハンマド・ナーイフは、孫世代から選ばれた。サルマン国王の兄、サルマン以前の皇太子ナーイフの子どもである。つまり、サルマンは兄が即位前に死亡したので王位につけたが、その兄の子を皇太子に立てたわけである。そして、即位して4年後に自身の子どもに交代させた。

 なんだか大昔の王位をめぐる物語を見ているような感じがする。だけど、これは果たしてサウジ王家内で反発を生まないだろうか。王族34人でつくる「忠誠委員会」では、31人が交代に賛成したという。つまり満場一致ではない。年齢も59歳の皇太子から、32歳の若手になるというのは急速な若返りが過ぎると受け取る人もいるのではないだろうか。常識で考えて、王族内部で隠微な嫉妬のようなものがあると思う方が自然だろう

 その新皇太子が主導しているイラン強硬策。そのもとで、サウジ・イランの代理戦争の様相を呈し始めているのが、イエメン内戦である。もう細かく書く余裕がないが、日本ではほとんど報道されないイエメン内戦は泥沼化している。サウジアラビアはイエメンを実質的に支配するフーシ派(シーア派に近いとされる)を排除するために、公然たる介入を行っている。しかし、それはうまく行かず、すでに民間人死者が1万人を超えたとも言う。このイエメン内戦のゆくえは、アメリカのベトナム戦争ソ連のアフガン戦争のような重大な影響を持つ可能性がある。

 国内で絶対的支持がなく、力量のほどを示して見せる必要がある若い新皇太子が、外交・軍事を統括する。当然、強硬策を取る誘惑にかられると思う。そこに落とし穴があるかもしれない。その時、サウジ王政に大きな変化が起きる可能性もないとは言えない。また、オマーン、バーレーン、クウェート、カタールなど他の王族支配の国への影響も大きい。サウジアラビアの皇太子交代問題は、今後の中東情勢に小さくない影響を与えていく可能性が高いだろう。
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