大道寺将司(だいどうじ・まさし)が5月24日に東京拘置所で死亡した。当時生きていた人なら覚えていると思うが、1974年夏から翌年5月にかけて「連続企業爆破事件」が続発していた。一体誰が行っているのか、まったく判らないままに毎月のように爆破事件が続き、東京には強い緊張感が漂っていた。関係者が一斉に逮捕されたのは、1975年5月19日だった。メンバーの一人である斎藤和(やわら)が隠し持っていた青酸カリで自死したことにも強い印象を受けた。主犯とされた大道寺将司と片岡利明(現姓益永)には死刑判決が下され確定した。大道寺は獄中42年、享年68歳だった。
僕は大道寺氏や片岡氏と手紙のやり取りをしたことがある。もっとも彼らの事件に関する内容ではない。1980年頃、別の冤罪事件にちょっと関わっていて、その事件の関係者が彼ら(あるいは他の多くの「政治犯」の被告たち)と文通していた。そして事情があって知りたいことができたので、問い合わせをしたのだった。その返信を多くの人からもらったと思う。今もどこかにあると思うけど、読み返していない。ただ非常に誠実な手紙だったことを記憶している。マスコミが伝える「凶悪な爆弾魔」のような人物ではないことは以前から判っていたが、改めて実感したものだ。
1979年11月12日に、東京地裁で死刑判決が下った。82年10月には控訴が棄却され、戦後で初めて「政治的な事件への死刑判決」が確定することが現実味を帯びてきた。いや「政治犯」ではない、かれらは爆弾事件を起こした「単なる殺人犯」だと言えば、日本の法体系ではその通りである。でも、60年代末から70年代半ばにかけて世界各国で「極左テロ」が起こった。「連続企業爆破事件」も、そういう中で起こった政治的・思想的な背景を持った事件だったことは間違ない。
僕は70年代終わりころからの死刑廃止論者で、この事態が心に引っかかっていた。しかし、直接に動けることは少ない。就職して荒れている学校に赴任していたから。そんな中で、1987年3月24日に最高裁で死刑判決が下された。それに先立って、松下竜一氏の「狼煙(のろし)を見よ」が書かれた。最初は86年秋に「文藝」に一挙掲載されたのではなかったか。そして、都内で松下さんの講演会が開かれた。僕はそれに夫婦で参加したはずだ。訥々とした口調をいくらか覚えているだけだが。(その他、この裁判に関しては、集会に参加したり支援団体にカンパをしていた。)
この事件、あるいは大道寺将司という人に関しては、「狼煙を見よ」が一番くわしい。(「松下竜一 その仕事」が河出書房から出ている。)北海道の釧路で生まれ、アイヌ民族への差別を身近に聞いて育った。学生時代から政治運動に関わった世代だけど、やがて既存の新左翼党派から離れて活動するようになる。そして独自の「反日思想」を形成する。爆弾事件を起こしたときに名乗ったのは「東アジア反日武装戦線 狼」である。(「狼」の他、「大地の牙」「さそり」のグループもあった。)狼とは、つまり近代日本によって絶滅に追いやられたニホンオオカミのことである。
その「思想」をどう位置付けるかはかなり難しい。「左翼」という枠組みだけでは捉えきれない。もともと彼らの爆弾は「虹作戦」、つまり昭和天皇の「未決の戦争責任」を爆弾で問うという大胆不敵にして、戦後最大の「大逆事件」だった。1974年8月14日、荒川鉄橋で起こされるはずの事件は、結局のところ実行されなかった。不審人物が現れ、公安警察ではないかと疑い中止したのだった。その爆弾が、翌日に起こった韓国の朴大統領狙撃事件に刺激を受けた大道寺らによって、8月30日に三菱重工ビル前で使用され8人の死者を出したのだった。
「虹作戦」が明るみに出た時の、異様な衝撃はよく覚えている。未遂に終わったこともあり、今はほとんど語られないと思うが、この事件の背後にあるホンモノの「反日思想」つまり「反日本帝国主義思想」の重大性は薄れていないと思う。それを受け止めて書かれたのが「狼煙を見よ」だと思う。多くの人は、この本の重みをきちんと受け止めるべきだ。それはともかく、爆弾事件によって多くの死者が出たことは彼らにとっても予想外のことであり、生涯にわたってその死者に彼らは向かい合わざるを得なくなる。獄中で「テロ」行為を否定していくが、その歩みは今も意味がある。
大道寺将司の後半生は、死刑に向き合いながら俳句を作り続けるものだったようだ。(死刑執行は、彼らが再審を請求していたこと、及び赤軍派によるハイジャック事件で大道寺あや子(妻)、佐々木規夫、浴田由紀子が「超法規的釈放」されたことで、裁判途中で進行が止まっているため、実施されなかったと思われる。まお、浴田は1981年に身柄を拘束され、懲役20年の刑が確定し2017年3月に満期出所した。)全句集として「棺一基」が2012年に、「残(のこん)の月」が2015年に出ている。後者は持っていないが、前者は集会で見かけて買ったまま読んでなかった。
俳句をほとんど読まないので、読みにくいと思って放っておいたのである。でも獄中にあって研ぎ澄まされた感性をうかがうことができる。まあ、自分で言うように類似句もけっこうあるんだけどそれはやむを得ないだろう。題名は2007年に詠んだ句から。
棺一基四顧茫々と霞みけり
(それにしても、僕がどこかに行くときに電車の窓から必ず見ている東京拘置所で、よりによって僕の誕生日に世を去ったのは奇しきことであった。)
僕は大道寺氏や片岡氏と手紙のやり取りをしたことがある。もっとも彼らの事件に関する内容ではない。1980年頃、別の冤罪事件にちょっと関わっていて、その事件の関係者が彼ら(あるいは他の多くの「政治犯」の被告たち)と文通していた。そして事情があって知りたいことができたので、問い合わせをしたのだった。その返信を多くの人からもらったと思う。今もどこかにあると思うけど、読み返していない。ただ非常に誠実な手紙だったことを記憶している。マスコミが伝える「凶悪な爆弾魔」のような人物ではないことは以前から判っていたが、改めて実感したものだ。
1979年11月12日に、東京地裁で死刑判決が下った。82年10月には控訴が棄却され、戦後で初めて「政治的な事件への死刑判決」が確定することが現実味を帯びてきた。いや「政治犯」ではない、かれらは爆弾事件を起こした「単なる殺人犯」だと言えば、日本の法体系ではその通りである。でも、60年代末から70年代半ばにかけて世界各国で「極左テロ」が起こった。「連続企業爆破事件」も、そういう中で起こった政治的・思想的な背景を持った事件だったことは間違ない。
僕は70年代終わりころからの死刑廃止論者で、この事態が心に引っかかっていた。しかし、直接に動けることは少ない。就職して荒れている学校に赴任していたから。そんな中で、1987年3月24日に最高裁で死刑判決が下された。それに先立って、松下竜一氏の「狼煙(のろし)を見よ」が書かれた。最初は86年秋に「文藝」に一挙掲載されたのではなかったか。そして、都内で松下さんの講演会が開かれた。僕はそれに夫婦で参加したはずだ。訥々とした口調をいくらか覚えているだけだが。(その他、この裁判に関しては、集会に参加したり支援団体にカンパをしていた。)
この事件、あるいは大道寺将司という人に関しては、「狼煙を見よ」が一番くわしい。(「松下竜一 その仕事」が河出書房から出ている。)北海道の釧路で生まれ、アイヌ民族への差別を身近に聞いて育った。学生時代から政治運動に関わった世代だけど、やがて既存の新左翼党派から離れて活動するようになる。そして独自の「反日思想」を形成する。爆弾事件を起こしたときに名乗ったのは「東アジア反日武装戦線 狼」である。(「狼」の他、「大地の牙」「さそり」のグループもあった。)狼とは、つまり近代日本によって絶滅に追いやられたニホンオオカミのことである。
その「思想」をどう位置付けるかはかなり難しい。「左翼」という枠組みだけでは捉えきれない。もともと彼らの爆弾は「虹作戦」、つまり昭和天皇の「未決の戦争責任」を爆弾で問うという大胆不敵にして、戦後最大の「大逆事件」だった。1974年8月14日、荒川鉄橋で起こされるはずの事件は、結局のところ実行されなかった。不審人物が現れ、公安警察ではないかと疑い中止したのだった。その爆弾が、翌日に起こった韓国の朴大統領狙撃事件に刺激を受けた大道寺らによって、8月30日に三菱重工ビル前で使用され8人の死者を出したのだった。
「虹作戦」が明るみに出た時の、異様な衝撃はよく覚えている。未遂に終わったこともあり、今はほとんど語られないと思うが、この事件の背後にあるホンモノの「反日思想」つまり「反日本帝国主義思想」の重大性は薄れていないと思う。それを受け止めて書かれたのが「狼煙を見よ」だと思う。多くの人は、この本の重みをきちんと受け止めるべきだ。それはともかく、爆弾事件によって多くの死者が出たことは彼らにとっても予想外のことであり、生涯にわたってその死者に彼らは向かい合わざるを得なくなる。獄中で「テロ」行為を否定していくが、その歩みは今も意味がある。
大道寺将司の後半生は、死刑に向き合いながら俳句を作り続けるものだったようだ。(死刑執行は、彼らが再審を請求していたこと、及び赤軍派によるハイジャック事件で大道寺あや子(妻)、佐々木規夫、浴田由紀子が「超法規的釈放」されたことで、裁判途中で進行が止まっているため、実施されなかったと思われる。まお、浴田は1981年に身柄を拘束され、懲役20年の刑が確定し2017年3月に満期出所した。)全句集として「棺一基」が2012年に、「残(のこん)の月」が2015年に出ている。後者は持っていないが、前者は集会で見かけて買ったまま読んでなかった。
俳句をほとんど読まないので、読みにくいと思って放っておいたのである。でも獄中にあって研ぎ澄まされた感性をうかがうことができる。まあ、自分で言うように類似句もけっこうあるんだけどそれはやむを得ないだろう。題名は2007年に詠んだ句から。
棺一基四顧茫々と霞みけり
(それにしても、僕がどこかに行くときに電車の窓から必ず見ている東京拘置所で、よりによって僕の誕生日に世を去ったのは奇しきことであった。)