ニュースもいろいろある日々だが、思い出すように月に一回読んでいる夏目漱石。今回はちくま文庫版全集第4巻だけど、「虞美人草」と「抗夫」と長いのが二つ入っている。一回にまとめると長くなりそうだし、最初に読んだ「虞美人草」を忘れてしまいそう。そこで、二回に分けて書くことにする。
(読んだ本とは違う画像だけど)
夏目漱石は1900年に英国に留学、帰国後は東京帝大や一高で講師をしながら、「吾輩は猫である」や「坊っちゃん」を書いていた。しかし、1907年に教職をすべて辞職して朝日新聞社に入社し、専業作家として生きることを決意したわけである。そして最初に書いた長編が「虞美人草」で、1907年の6月から10月にかけて新聞に連載された。ちょうど110年前の小説。
「虞美人草」は昔から一般的には「失敗作」と言われることが多いと思う。その割に長いので、敬遠されがちだ。「猫」や「草枕」を読んだら、次は「三四郎」や「それから」に飛んでしまう人も多いだろう。僕も初めて読んだけど、やっぱり失敗作に間違いない。途中でちょっと面白くなるけど、最後の最後に大混乱になる。ちょっと救い難い展開で、困ってしまった。問題は単なる失敗作というにとどまらず、漱石の思想、あるいは文学観そのものに問題があることだ。
物語のヒロインは、藤尾という。そのことは昔からいろんな漱石関連本で知ってたけど、藤尾という名字かと思っていた。(昔、藤尾正行というウルトラ右翼の自民党政治家もいたので。)そうしたら、「甲野藤尾」という名前だった。僕だって「藤緒」とでもなってたら女性の名前かと思っただろうが、これでは間違う。そもそもヒロインを名前だけで表すというのが、一種の性差別である。藤尾の兄、甲野欣吾は主に「甲野」と書かれているのだから。
この「藤尾」という女性は、日本文学史上に名高い「悪女」というか、「驕慢」な女性とされている。文庫の裏の紹介では、「我執と虚栄心のみ強く、他人を愛することのできない紫色の似合う女・藤尾」とひどいことが書いてある。ところが読んでみると、そこまで「我執」の人とは全然思えない。まあ、美人を鼻に掛けているタイプではあるだろうけど、そんな人は世の中にいっぱいいて、特に「悪女」と糾弾されるほどのことでもないだろう。現代の小説では珍しくもない。
藤尾が特に糾弾されるのは、多分「結婚相手を自分で変えたいと望んだ」ためだろう。彼女には親どうしで何となく決めたような関係の男性がいる。兄欽吾の友人、宗近一である。さらに彼の妹、宗近糸子は欽吾と結婚を考えている。だけど、宗近一はなかなか外交官試験に合格しないのに、とかくノンビリ構えている。藤尾はそれが不満で、むしろ英語の家庭教師に来てもらっている小野にひかれていく。彼は「恩賜の銀時計」を貰ったほどの秀才なのである。
欽吾の父は外国で死亡し、今の母は後妻に来た人である。つまり、欽吾と藤尾は異母兄弟。欽吾は哲学専攻で病弱のため、自分は家を出るなどと言う。そうなると、甲野家は藤尾に婿を取る方がいいわけで、その点でも係累のない小野の方が適当だと、藤尾の母は思う。母は「なさぬ仲」の欽吾ではなく、藤尾に老後を見てもらいたい。そういう非常によく理解できる俗なる動機で、母と娘は宗近ではなく小野を婿にしたいと望むわけである。
一方、小野は故郷で世話を受けた井上孤堂なる「恩師」がいて、彼のおかげで大学にまで進めた。その娘・小夜子とはこれも「いずれは結婚」と黙約のような状態にあった。しかし、正式な婚約でもなく、小野も将来を考えて財産も美貌もある藤尾の方が自分の相手にふさわしいと思う。これも道徳的には少し問題かもしれないが、「よくある話」である。そんなこととは知らない井上一家は、京都で窮迫して小野を頼りに東京に出てくる。そして当然、小野が小夜子を嫁に迎えると信じて待っている。
まあ、そういう「欲得の絡んだ三角関係」が起こるわけだけど、むろん現実の男女関係は何もない。こんな話は腐るほどあって、昔から小説では「親の決めた相手と結婚せざるを得ず、泣く泣く心の恋人を諦める」というストーリイが山ほど書かれた。ところは、「虞美人草」はそれと反対で、親の決めた相手と結婚しないとはなんという不徳義漢かと非難するのである。
これは今では全く通じない話である。今じゃ親が結婚相手をいつの間にか決めちゃうという方が「不道徳」な話である。特に美人の藤尾が自分を慕ってくれる秀才を、欲得も絡んで選ぼうとするというのは、当然の展開というしかない。小野にしてみても、貞節な田舎娘とマジメな結婚をするのもいいけれど、ともにシェークスピアを論じあえる藤尾のような女にひかれるのも当然の成り行きである。
むろん、現実の結婚というのは、そうそう思い通りにはいかない。藤尾と結婚しても自我の衝突に苦しみ、小夜子を捨てた過去を悔いるかもしれない。一方、小夜子と結婚しても索漠たる結婚生活に耐えがたい思いを抱き続けるかもしれない。どっちがいいとか事前に判るわけがないけど、何にせよ、俗世で苦しみ続ける人間を冷徹に見つめるというのが、「文学」というものだろう。
ところが最後の最後に、宗近が外交官試験に合格し、それと同時に「小野」を正気に戻す工作を一家で開始する。作者が小説内に出てきて解説してしまって、あれこれと人物をコマのように動かす。そうすると、宗近に説得されて、小野はがぜん自己の非を悟り、反省して小夜子と結婚すると約束する。中の人物が寄ってたかって藤尾とその母を非難し、秩序が再生される。哀れ藤尾は皆の攻撃を一身に受け、ついには謎の死を遂げてしまう。(ウィキペディアは自殺と書くが、吉田精一の解説は「ショック死か自殺か判らない」と書く。読む限りでは明示はされてない。)
こういう一種のトンデモ小説だとは思いもよらなかった。もう最後のころには「ブンガクの香り」がまったくなくなる。代わりに立ち込めるのは「説教臭」である。作者が一定の道徳観を持つのは当然だけど、それが小説内で絵解きされてはいけない。登場人物が作者の与えた性格付けをまったくはみ出ていかない。名作と言われる小説では、作家の思惑を超えて登場人物が独自の存在感をどんどん発揮してしまうものだ。そういう面白さに全く欠けるのが、「虞美人草」の最大の欠陥だろう。
そういう点もあって、会話が恐ろしくつまらない。恐らく当時の日本社会全体で、ウィットに富む会話を交わしあうと言った社会空間が存在しなかったんだと思う。漱石の「猫」では、一部の知識階級だけがサロン的に集まり、高踏的な会話を交わしあうのが醍醐味になっている。でも、現実にはそんな場所はなかっただろう。「猫」でも現実の社会や政治は出てこない。
やはり小説は現実の社会に規定されている部分が大きい。女子大学もなく、女が勉強すること自体がおかしなことだった時代に、藤尾が評価されるはずがない。24歳で「行き遅れ」と評されている。平均寿命も違うけど、学生にも「職業婦人」にもなりえない女性が、そう何年も嫁に行かないというのは、当時の観念ではおかしいのである。だけど、それも父親が亡くなり、甲野家を誰が継ぐかという問題が背景にある。家制度のあった時代で、それを無視できない。欽吾がはっきりしないのを非難せず、藤尾の行動だけを非難するというのは、漱石の思想が保守的だったのである。
(読んだ本とは違う画像だけど)
夏目漱石は1900年に英国に留学、帰国後は東京帝大や一高で講師をしながら、「吾輩は猫である」や「坊っちゃん」を書いていた。しかし、1907年に教職をすべて辞職して朝日新聞社に入社し、専業作家として生きることを決意したわけである。そして最初に書いた長編が「虞美人草」で、1907年の6月から10月にかけて新聞に連載された。ちょうど110年前の小説。
「虞美人草」は昔から一般的には「失敗作」と言われることが多いと思う。その割に長いので、敬遠されがちだ。「猫」や「草枕」を読んだら、次は「三四郎」や「それから」に飛んでしまう人も多いだろう。僕も初めて読んだけど、やっぱり失敗作に間違いない。途中でちょっと面白くなるけど、最後の最後に大混乱になる。ちょっと救い難い展開で、困ってしまった。問題は単なる失敗作というにとどまらず、漱石の思想、あるいは文学観そのものに問題があることだ。
物語のヒロインは、藤尾という。そのことは昔からいろんな漱石関連本で知ってたけど、藤尾という名字かと思っていた。(昔、藤尾正行というウルトラ右翼の自民党政治家もいたので。)そうしたら、「甲野藤尾」という名前だった。僕だって「藤緒」とでもなってたら女性の名前かと思っただろうが、これでは間違う。そもそもヒロインを名前だけで表すというのが、一種の性差別である。藤尾の兄、甲野欣吾は主に「甲野」と書かれているのだから。
この「藤尾」という女性は、日本文学史上に名高い「悪女」というか、「驕慢」な女性とされている。文庫の裏の紹介では、「我執と虚栄心のみ強く、他人を愛することのできない紫色の似合う女・藤尾」とひどいことが書いてある。ところが読んでみると、そこまで「我執」の人とは全然思えない。まあ、美人を鼻に掛けているタイプではあるだろうけど、そんな人は世の中にいっぱいいて、特に「悪女」と糾弾されるほどのことでもないだろう。現代の小説では珍しくもない。
藤尾が特に糾弾されるのは、多分「結婚相手を自分で変えたいと望んだ」ためだろう。彼女には親どうしで何となく決めたような関係の男性がいる。兄欽吾の友人、宗近一である。さらに彼の妹、宗近糸子は欽吾と結婚を考えている。だけど、宗近一はなかなか外交官試験に合格しないのに、とかくノンビリ構えている。藤尾はそれが不満で、むしろ英語の家庭教師に来てもらっている小野にひかれていく。彼は「恩賜の銀時計」を貰ったほどの秀才なのである。
欽吾の父は外国で死亡し、今の母は後妻に来た人である。つまり、欽吾と藤尾は異母兄弟。欽吾は哲学専攻で病弱のため、自分は家を出るなどと言う。そうなると、甲野家は藤尾に婿を取る方がいいわけで、その点でも係累のない小野の方が適当だと、藤尾の母は思う。母は「なさぬ仲」の欽吾ではなく、藤尾に老後を見てもらいたい。そういう非常によく理解できる俗なる動機で、母と娘は宗近ではなく小野を婿にしたいと望むわけである。
一方、小野は故郷で世話を受けた井上孤堂なる「恩師」がいて、彼のおかげで大学にまで進めた。その娘・小夜子とはこれも「いずれは結婚」と黙約のような状態にあった。しかし、正式な婚約でもなく、小野も将来を考えて財産も美貌もある藤尾の方が自分の相手にふさわしいと思う。これも道徳的には少し問題かもしれないが、「よくある話」である。そんなこととは知らない井上一家は、京都で窮迫して小野を頼りに東京に出てくる。そして当然、小野が小夜子を嫁に迎えると信じて待っている。
まあ、そういう「欲得の絡んだ三角関係」が起こるわけだけど、むろん現実の男女関係は何もない。こんな話は腐るほどあって、昔から小説では「親の決めた相手と結婚せざるを得ず、泣く泣く心の恋人を諦める」というストーリイが山ほど書かれた。ところは、「虞美人草」はそれと反対で、親の決めた相手と結婚しないとはなんという不徳義漢かと非難するのである。
これは今では全く通じない話である。今じゃ親が結婚相手をいつの間にか決めちゃうという方が「不道徳」な話である。特に美人の藤尾が自分を慕ってくれる秀才を、欲得も絡んで選ぼうとするというのは、当然の展開というしかない。小野にしてみても、貞節な田舎娘とマジメな結婚をするのもいいけれど、ともにシェークスピアを論じあえる藤尾のような女にひかれるのも当然の成り行きである。
むろん、現実の結婚というのは、そうそう思い通りにはいかない。藤尾と結婚しても自我の衝突に苦しみ、小夜子を捨てた過去を悔いるかもしれない。一方、小夜子と結婚しても索漠たる結婚生活に耐えがたい思いを抱き続けるかもしれない。どっちがいいとか事前に判るわけがないけど、何にせよ、俗世で苦しみ続ける人間を冷徹に見つめるというのが、「文学」というものだろう。
ところが最後の最後に、宗近が外交官試験に合格し、それと同時に「小野」を正気に戻す工作を一家で開始する。作者が小説内に出てきて解説してしまって、あれこれと人物をコマのように動かす。そうすると、宗近に説得されて、小野はがぜん自己の非を悟り、反省して小夜子と結婚すると約束する。中の人物が寄ってたかって藤尾とその母を非難し、秩序が再生される。哀れ藤尾は皆の攻撃を一身に受け、ついには謎の死を遂げてしまう。(ウィキペディアは自殺と書くが、吉田精一の解説は「ショック死か自殺か判らない」と書く。読む限りでは明示はされてない。)
こういう一種のトンデモ小説だとは思いもよらなかった。もう最後のころには「ブンガクの香り」がまったくなくなる。代わりに立ち込めるのは「説教臭」である。作者が一定の道徳観を持つのは当然だけど、それが小説内で絵解きされてはいけない。登場人物が作者の与えた性格付けをまったくはみ出ていかない。名作と言われる小説では、作家の思惑を超えて登場人物が独自の存在感をどんどん発揮してしまうものだ。そういう面白さに全く欠けるのが、「虞美人草」の最大の欠陥だろう。
そういう点もあって、会話が恐ろしくつまらない。恐らく当時の日本社会全体で、ウィットに富む会話を交わしあうと言った社会空間が存在しなかったんだと思う。漱石の「猫」では、一部の知識階級だけがサロン的に集まり、高踏的な会話を交わしあうのが醍醐味になっている。でも、現実にはそんな場所はなかっただろう。「猫」でも現実の社会や政治は出てこない。
やはり小説は現実の社会に規定されている部分が大きい。女子大学もなく、女が勉強すること自体がおかしなことだった時代に、藤尾が評価されるはずがない。24歳で「行き遅れ」と評されている。平均寿命も違うけど、学生にも「職業婦人」にもなりえない女性が、そう何年も嫁に行かないというのは、当時の観念ではおかしいのである。だけど、それも父親が亡くなり、甲野家を誰が継ぐかという問題が背景にある。家制度のあった時代で、それを無視できない。欽吾がはっきりしないのを非難せず、藤尾の行動だけを非難するというのは、漱石の思想が保守的だったのである。