尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

加計学園問題と「動物の権利」

2017年06月17日 23時03分49秒 | 政治
 2017年度の通常国会は事実上の閉会となり、政府側は「もりそば」「かけそば」を「手打ちそば」にしたいということのようだ。だけど、この二つの「スキャンダル」は非常に奥が深いと思うので、これからも考えたいと思う。日本の社会と文化のあり方をよく表しているのではないかと思うのだ。

 加計学園問題に関しては、高村副総裁が「加計学園の問題は岩盤規制に政治主導で穴を開けた立派な決定だというのが本質だ。しっかり説明し、野党の一部が言い張るゲスの勘ぐりを払拭(ふっしょく)してほしい」と16日に語っている。もしそれが本当なんだったら、最初から内閣府の文書をどんどん公開すればいいのに。文科省の文書を「怪文書」などと言い放って、もう調査しないと言い続けてきた。それは何故なのか? やっぱり何か怪しいことがあるんじゃないか

 そう思うのが普通の感性だろう。違うだろうか?少なくとも、「怪文書」と言い続けた菅官房長官の信用性は地に堕ちたというべきだ。第2次、第3次安倍政権で、連続して官房長官を続ける記録を更新している菅氏だが、もう交代の時期ではないか。僕なんか、前々から「菅語」が嫌いだから、「何の問題もないと思いますよ」と言うと「問題あるな」、「それ以上でも以下でもない」と言うと「それ以上だな」と思ってしまう。都議選後にあると思われる夏の内閣改造で交代させた方がいい。

 ところで、加計学園問題は二つの段階に分けられる。一つは「獣医学部の新設を認めるべきかどうか」の問題。もう一つは「新設するとして、どこに作るべきか」の問題。高村氏の言う「岩盤規制」とは、長いこと獣医学部の新設を認めて来なかったことを指す。その規制を撤廃するべきだと考えたとしても、別に岡山の加計学園が海を渡って愛媛県の今治市で作らなくてもいいだろう。だから高村副総裁の「ゲスの勘ぐり」発言は説明になっていないのである。

 なんでも京都産業大学が京都府綾部市に新設するという計画もあったという。別にどっちが作ってもいいじゃないか。両者を比べて加計学園の方がいい計画だから選ばれたのではない。「広域的に獣医学部がない」という条件が作られたから、京都側は引いてしまった。大阪に別の獣医学部があるから無理だと悟ったわけである。応募が一つしかないから加計学園になった。それで「国家戦略」として考えた時に、どっちがよりよい計画なのか比較して考察するという機会は失われた。

 さて、話を第一の問題に戻したい。「獣医学部の新設を認めるべきか」という話である。調べてみると、獣医系大学は全国で16大学あり、確かに東日本の方が多い。少ないから全部書いておくと、北海道に北大、帯広畜産大、酪農学園大、青森に北里大、次いで岩手大、東京に東大、東京農工大、日大日本獣医生命科学大、神奈川に麻布大、後は岐阜大、大阪府立大、鳥取大、山口大、宮崎大、鹿児島大の16大学である。(下線が私立大学で、5つある。)

 中国地方は鳥取と山口があるから岡山には無理なんだろう。畜産の盛んな九州の宮崎、鹿児島にもある。四国にはないけど、元々の人口が少ないし、畜産が特に盛んというわけでもないから、獣医学部がなかったというだけの話だと思う。愛媛県の加戸守行前知事(元文部官僚)は、産経新聞に「四国になくて今まで困った。長年の悲願だ」というようなことを書いているけど、鳥インフルエンザやBSE対策などが常時求められるわけでもないだろう。困った時もあるだろうけど、愛媛県に新設しても、卒業生を愛媛では引き受けられない全国最多の160人定員だそうだから。

 そう、何でも全国の獣医学系大学で一番多数の人数を募集するというのだ。全国すべてで千人ぐらいしかいない獣医大学卒業生を一挙に1割も増やしてしまう。これじゃ、獣医師会や文科省から疑問があがるのも当然だと思う。法学部とか経済学部なんかの、卒業したら普通の民間企業で働く学生が主な学部と違う。獣医学部を出たら、獣医師になるしかない。獣医師の必要数が突然そんなに増えるわけがない。そう言われてみれば確かにその通りだろうと思う。

 でも町中に昔より動物病院を見かける気がする。昔は犬や猫なんか、それほど病院に連れて行かなかったと思うけど、ペットは家族同様に大切にされるようになった。だから、動物病院なんかはこれからもっと増えるのかなあなどとも思ったけど、実はペットは減っているんだという。本当かなと思って調べてみると、確かにそのとおりである。厚生労働省とペットフード協会の統計があるけど、どっちでも確かに減っている。厚労省の統計を見ると、犬の登録数、予防注射数を見ても、2009年(平成21年)を最高に減り続けている。(2017年段階で注射数468万頭、最高時511万頭。)

 まあ、それもそうだろうと思う。ペットを飼いたくても飼えないようなマンション、アパートばかり増えている。子どもは少なくなる一方だから、子どもが犬や猫を飼いたいと親にせがむケースも減る。高齢者はペットが癒しになるとしても、犬は散歩が大変だし、餌代もかかる。じゃあ、金魚や熱帯魚を飼おうという人はいるだろうけど、さすがに動物病院には行かないだろう。ということで、今後高齢化がさらに進行するにつれて、ペット数もどんどん減少することが予測できる。

 ということで、政府が切り札のように出してくるのが、「ライフサイエンス」である。「先端ライフサイエンス研究や地域における感染症対策など、新たなニーズに対応する 獣医学部の設置・ 人獣共通感染症」というのが、国家戦略特区で獣医学部を作っちゃおうという時の最大の根拠となっている。では「ライフサイエンス」とは何だろう。検索してみると、「遺伝子の研究などをはじめとした、生命そのものを科学的観点から捉える学問のこと。」だそうである。

 遺伝子分野の研究は確かにものすごい発展をとげている。日本が国家的に研究を推進しようというのも理解できる。それはそれでいいんだけど、じゃあ、なぜそれが獣医学部新設につながるんだろう。それは「動物実験を扱う有資格者が必要である」ということなんだろうと思う。

 さて、長々と書いてきたけど、加計学園問題であまり触れられてない疑問点。今後もどんどん動物実験をしていくのか、ニッポンは? 世界的には「動物の権利」という概念もあって、動物実験はできるだけ控えるような研究になっていくのではないか。動物実験を増やす、だから獣医師がいる、だから獣医学部を新設するという論理展開でいいのか。いや、人間の権利(人権)さえないがしろにするような人々が、動物の権利などということを考えるはずもない。だから言っても聞き流されるだけのリクツだろうけど、僕はそういうことも書いておきたいと思ったわけである。
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民主か独裁か-57年目の「6・15」

2017年06月17日 00時03分40秒 | 政治
 2017年6月15日、翌朝まで続いた国会で「共謀罪」(組織的犯罪処罰法=組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律の「改正案」)が強引に成立させられた。参議院法務委員会の採決を省略し、突然本会議で「中間報告」を行い採決するという「奇策」が使われた。

 本会議では賛成が165、反対が70。というんだけど、東京新聞によると「締め切りを告げると、社民党の又市征治氏と福島瑞穂氏、自由党の森裕子氏が慌てて反対票を参院職員に渡したが、時間切れを理由に「投票しなかった」(参院事務局)という扱いになった。3人の「反対」の意思表示は公式記録に残らない。」いくら何でも横暴が過ぎるというもんだろう。

 ニュースなどでは「奇策」だけど「国会法にある規定」などと言うけど、これは「だまし討ち」以外の何物でもない。法相不信任案の提出が早すぎたという民進党への批判もある。戦術的な批判はあるだろうけど、基本的には「あり得ない手法」を取った与党側への批判がなくてはおかしい。法務委員会で審議してきて、「もう十分審議した」から「採決」するわけで、委員会採決なしで本会議を開くこと自体が「審議が不十分」という証である。本来は議長がたしなめないといけない。

 「共謀罪」について今まできちんと書いてない。「テロ等準備罪」などと政府が言い出して、それを使うマスコミもある。これは大間違いである。まるで今まではテロ準備をしても罪にならないかのような誤解を与える。もちろん、そんなことはなかった。殺人やハイジャック等の重要な犯罪には「準備罪」があり、準備段階で罪に問われる。「条約(パレルモ条約=国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約)に入らないと五輪を開催できない」などと言うのも悪質なプロパガンダである。

 この条約自体テロ防止条約ではないし、組織的犯罪対策を進めてきた日本は多分それまでのままで条約に加盟できたと思う。加盟を申請してダメと言われたなら、それから考えてもいいはずだが、共謀罪がないと加盟できないと政府が言い続けてきた。しかし、言っちゃなんだけど、マスコミの半分が政府の宣伝に乗って「テロ等準備罪」と書いている日本の現状では、客観情勢的に成立を防ぐ手立ては思いつかない。

 2015年の安保法制の時に、「何も説明しない」安倍政権に内閣支持率は不支持の方が上回った。「今後もていねいに説明していく」と言いつつ、その後も何も説明しない。それは一人首相に限らず、小渕優子や甘利明なども、金銭スキャンダルで辞任した時は「調査してから説明する」などというが、その後もちゃんと説明はしない。そんな安倍内閣に国民はいつの間にか、再び高い支持率を与えてしまった。もう安倍内閣だったら「共謀罪」に関して、ちゃんと説明しないまま強引に成立させるという成り行きをたどるのは、誰にでも判ることである。

 与党にも野党にも問題はあるけれど、国民自身が一番責任が大きい。だが、僕が思うに、このような「絶望」のような時間の方が今まで長かったではないか。共謀罪ができる前から、国策に異を唱える人々に警察は「事実上の共謀罪」を適用して監視を続けてきた。もう何十年も前からそうじゃないか。それでも未来への責任のために、異を唱えるべき時には恐れずに声を挙げないといけない。

 「6・15」と言えば、60年安保闘争で国会前で樺美智子が殺された日ではないか。ある時期まで、6月15日と言えば皆がそのことを思い出したものだが、今回はマスコミもどこも触れてないと思う。1960年、安倍首相の「母方の祖父」である岸信介が首相を務めていた。(天皇に関しては「女系」が嫌いな安倍首相が、なぜか自分に関しては「総理の女系の孫」であることを誇りにしているらしい。)

 60年安保闘争では、5月19日に衆議院で強行採決されたことで大きく広がっていく。条約だから、憲法の規定により参議院で議決しなくても、「30日以内に議決しない時は衆議院の議決を国会の議決とする」。このため参議院で審議する意味がなくなってしまう。この状況は、今の日本の国会と似ているのではないか。加計学園問題の調査結果も、共謀罪成立後に出してきた。森友学園問題の資料も出てこない。ちゃんと情報公開しようという気がない。まともな審議が国会でできないのだ。

 60年安保の時は、中国文学者の竹内好(よしみ)は「民主か独裁か」という文章を発表した。一種の非常事態下で書かれた緊迫感あふれたマニフェストである。僕が思い出すのは、その「民主か独裁か」という問題設定である。もちろん現代の「独裁」は昔のような軍事独裁、一党独裁ではない。もっとソフトな独裁で、選挙もあるし、一見言論の自由も保証されている。国会でも少数の議席を持つことができる。だけど、いくら審議しても「決めるときは決める」と言われる。

 選挙を何度やってもまた与党が勝つ。国民が支持する「ソフトな独裁」。世界では結構そういう国が多い。ロシアとかシンガポールとか。日本もそういう国に近づいてきたのか。「民主か独裁か」、問われるのは国民自身である。
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